人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Team Green

「Team Greenを愛する馬鹿な男の夢」5

 竹沢正治が名古屋(営)鍋島所長からの紹介で神戸(営)主催の加古川河川敷のレースで初めて走った時だった、そのとき立脇・野宮達(カワサキのワークスライダーに成長した)が走っていたと思います。
 小さい体だがはちきれないばかりの筋肉マン、走る姿は豪快そのものたちまち「神戸スーパースポーツレーシング」のスター誕生でした、紹介者はレースを語らせたらカワサキでこの人の右に出る人は居ないTEAM GREENも大いにお世話になった恩人である故岩崎茂樹でした。
 後先になりましたが、私が始めてチームを作ったのは「神戸スーパースポーツレーシング」3人のメインライダーマシンはバイソン(F-8250cc)ボブキャット(F-6125cc)この3人のライダーから「日本一」チャンピョンを作りたいと私の夢は大きく広がったのでした、それから竹沢をカワサキのテストライダーに就職をさせて貰い、同僚杉尾良文(現兵庫県県会議員民主党県会幹事長の要職で頑張って居られます)吉田豊次郎のMXコンビが生まれたのでした。
 イヤー3人は良く走りました(カワサキの人気者KIYOさんもワークスで走っていた時代です)KIYOさんに今度聞こうと思いますが、当時ロードレースでもKIYOさんは早い男でありました、マシーンはカワサキの誇るH-2(1972年マッハⅢ、2サイクル3気筒748cc74PS最高速203km/H)これでノンカウルシマシマ(実は兵庫メグロのカーちゃんが優勝したらH-2 20台買取してあげる、kiyoさんにシマシマのツナギを着せて欲しいとの依頼、当時テストライダーイヤ全ライダーが地味な一色のツナギでした、これが今のカラーツナギのルーツかなー)明治大学ラクビー部のジャージをツナギの上から来て貰いました。
 話は元に戻り2年の歳月本当に3人は良く走りました、3人がジュニヤークラスのとき竹沢がセニヤに昇格したいと言い出したのです。
 ここは企業のエゴです、よし竹沢はセニヤー杉尾はエキスパート(これで両クラスチャンピョン獲得と踏んだのでした)非常に平井の甘い考えでした。
 杉尾良文はヤマハに移籍、ホンダ移籍してからは、常勝天才チャンピョンの誕生でした(今は選挙で大忙し今日も電話でお話しました)MFJ 関西支部委員長西海義治にお願いして見事ゼッケン24番竹沢正治の誕生でした。
 事実走りましたセニヤになった1年生のとき、全日本MX第1戦矢田部大会125CCクラスで並居る強豪を成りたてホヤホヤの新人が見事優勝してしまいました、雑誌にはコンピュータ走法と書き立てられマー驚いたことでした。
 竹沢を語るときに忘れてはならない恩人百合草係長(後に川崎重工業㈱常務)が・・・「想い出」・・・カワサキワークスとの初めての契約のとき、マネジャー平井は「1位賞金だけで良いので一勝100万円?下さい、2位以下は要らない」豪語したのでしたが、ナガイーーーお付き合い、「慌てなさんな」とたしなめられたこともありました。thirai  *それから文中敬称略で書いておりますお許し下さい
 *写真はKIYOさんの雄姿
「Team Greenを愛する馬鹿な男の夢」5_e0190502_9252119.jpg

 
by toshi-hirai | 2009-08-15 17:19
<< 「Team Greenを愛する... 「Team Greenを愛する... >>