Team Green

カワサキに想う 22

・・・今日からは、素晴らしいマシンを蝶の如くに操るライダーの思い出を聞いて下さい、どうしても世界チャンピョンコーク・バリントン&耐久の勇ロバート・フィリスのことは忘れられませんが、このレース私にとって忘れてはならない、多田喜代一&宗和孝宏を先に書かせてください。
 
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 まず多田ですが今も元気で頑張っているようです(55歳になったかな?)何故私のところで走るようになったのか?(石屋モータースの故山下さんかなー)’74年20歳でレース活動を初め途中で自動車レースに転向したのち再び二輪にカムバックした変り種、’81年のレースで再起不可能なほどダメージを受けたにも関わらず再再度’85年にTEAM GREENで走り出したのであります(そのとき既に31歳)
 彼はレーサーとしての素質は充分、口&女性が人一倍堪能で、これが彼の持ち味だったように思います。
 しかし、思い出多いライダーでした。
①この8耐のテストでタイヤをミシュランにして欲しいとの申出、当時実験研究部故武本部長にOKを取り日本人ペァーのマシンにはミシュランを採用したのでした。
 勿論TEAM GREENはダンロップと年間契約でご支援を頂いており、迷監督はレース界のドン京極部長(ダンロップでレース担当の長)に平謝り(確か丸坊主になったのです)京極部長に「平井さんタイヤメーカーはオートバイメーカーさんには従うしかないのです、あまり気にしなさんな、それよりコーク&ロブ組で勝ってください」と慰められました。
(今回のレースは京極部長にとっても感激のレースだったらしい後日挨拶に行った時「良く頑張った感激した」と大変なお褒めを頂いたのであります)
 マー多田とは付き合いも長いので想い出は沢山あるのですが
②筑波最終コーナーで突然消えてしまったライダー田んぼで草取りかいな
③芦屋の駅前でお好みやさんを妙齢なご夫人とやっていたり
④もう一つ8耐の前の年、カワ販とライダー契約を交わしたのですが、今でも安い契約金で俺らを使ったとボヤイて居りますが、これはね、契約書の契約金を見たらゼロが五っ(?00,000円)も書いてあったからコリャヨウケイ貰えると押印したそうな?これはインチキではない。
 そうしてここで、漫才コンビ多田&宗和の8耐コンビが誕生したのである。
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 注)写真のツナギのダンロップはホンちゃん耐久にはミシュランに変えました。
 ここからはボヤキ役、宗和の思い出です、彼はミスターカワサキのKIYOさんが
①「こいつ走らせてーなー、カワサキをお立ち台に上げた奴やでー」と連れて来られたのが童顔の少年(美が無い?)宗和との出会いでした、確か’85年の夏だったと記憶します、なにしろ走らせたら早い、しかし監督泣かせのライダーであったことはいがめません、
②ポールを取りコリャいけると思ったのにTOPで2周ほど走りながらSUGOの奥のコーナーでボーット立っていたり
③H/Y/Sと互角にイヤ互角以上に戦った戦士タイガー宗和の名を響かせたこと
④東京遠征で監督の部屋を占領、迷監督は多田と寝たり
⑤スポンサー松岡財団の御曹司(グッドラックの社長)からご褒美に銀座の一流クラブに連れて行って貰った時、多田と舞台に上がって漫才したり、アアー恥ずかしい!
 今は何をしているのか?これまた思い出の多い奴でした、彼はライダーとしてスタートした時、幾度と無くカワサキをお立ち台に上げカワサキここにありと有名にした若武者でありました。
 
 ナニヤラ、バタバタと今年も終わりになりました、今年から始めた兵庫メグロ販売㈱の仕事が軌道に乗り始めたら突然年末に社長が亡くなり喪中、やれるはずのレースが宙に浮いてしまい波乱万丈の年でしたがへコタリませんこれからも頑張ります、今年は色々皆さんにお世話になりました。
 そうして、又、やりたい夢をかなえるべく来年も頑張ります、より一層皆さんのご支援ご鞭撻をお願い致します。
 末筆ですが皆々様の益々のご活躍を祈念致しまして今年の最終とさせていただきます、どうか良いお年をお迎え下さい。
 次回コーク&ロブを紹介致します。thirai

 
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by toshi-hirai | 2009-12-31 07:23
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