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Team Green

「カワサキに想う」33

 ・・・・・今日は1987年から1990年代を少々思い出してみたい・・・・・
 まずは年表である1986年安定した10年にも及ぶ高橋内閣が大庭社長から引き継がれ発足したのである、
資本金も驚く無かれ2億7千万円本社を東京の港区に構え,世の中は新人類・チエルノブイリ原子力発電所の事故・ブラックマンデーとかで騒がれていたようである。
 マシンは世界最大VN1500ccA・ZX1000B・ZR400ゼフアーそうそうオートバイ生産累計700万台平成3年にはバリオス・KDX250SR・・・とか、忘れてはならないルマン24H耐久(1989年)で世界3位を獲得(一位と時間は丁度1分の差(記録では①23 51 26 83 ②23 52 09 54 ③23 52 25 17 とある) 素晴らしい。
 今、私の手元に何故か¥820円のThe Kawasaki vol.3 ル・マン24時間耐久レース特集なる小冊子がある、私もお世話になった故 武本 晃、の活躍を是非ご紹介したい。
           「ル・マン、そこにカワサキはいた」
 ル・マン24耐久レース、世界中でもっとも過酷な”テストコース”である。
 ライダーも(宗和孝宏・多田喜代一・塚本昭一)マシンも(ZXR-7)メカニックも(渡辺芳男・釈迦堂利郎・前田和広・藤本延彦・中村浩三・戎 俊・和田 斎・渡辺嘉雄・田村嘉隆)の面々、遅れました総監督武本 晃・出ました監督 野田忠世である。
 24時間という”与えられた極限の状況下”武本総監督は「まずはきちんと結果を残すことをレースの目的にしたい」だとさ、イヤー憎たらしいである(なかなかこんなこと言えないですぞ)しかし、このレースの結果が全てのカワサキの車にフィードバックされる、だからカワサキがル・マンに居たのである。
 日本人だけのチームはおそらくル・マンでは初めてのこと、カワサキにとっても久しぶりの海外遠征である、此処で活躍したチーム・カワサキはトテツモナイ結果を持ち帰ったのである。
 と見出しに書いている(カメラがまだ帰ってこない近じか写真をご披露するつもり)
 この快挙の後に我が昭一が1992年カワサキにF-1チャンピョンをもたらしたのである・・・
       乞うご期待!!!何度書いても素晴らしいものである。へへへthirai

 
by toshi-hirai | 2010-02-11 07:55
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