「カワサキに思う」⑩
サー思い出探りレースなんて「イヤ人生ヤル気があれば問題は上手く行くものである」レースも然りヤル気の問題である。
それが前回のKR250「向かうところ敵無し」やれば出来るの証しである、しかもそれにつられて1981年から2年続けて「耐久の王様」「Performance」が生まれたのである
このZ1000Jがベースの4サイクルも世界に羽ばたくライムグリーン、このマシンはフランスのパフォーマンス社の製作であった、カワサキは1982年にもパフォーマンス社をサポート、パフォーマンス(たえず前進、上昇あるのみ)の言葉どうり前進したのである。
オマケにスプリントにもKR500(私は幻の500と言っていたのだが)こいつは250cc・350ccのチャンピョンであるコーク・バりントンに託したがどうも成績が上がらず’81年の3位、’82年カワサキがレース撤退と共に姿を消したのである。
*写真は、コークとロブ
ツライ・セツナイ・ヤルセナイ、しかしこれで「TAME GREEN JAPAN」が生まれ国内で活躍を初めたのである、目出度し目出度しでは無いか???迷監督 t‐hirai の誕生である。