「カワサキに思う」23-5
今日はかなり長い間話をした、彼は5年の年月冷や飯を食べながら、好きなレースに青春を賭けて来たのである、彼の苦労話はこう言う書き出しだ。
’74年、予選は良かったのだが、本番ではマシンの信頼性・整備性に自分が欠けており(ドウ言うことやマシンの所為にするな、アアそうか自分に欠けているアカンのか?)結果を残せず全戦リタイヤと言う結果になりました・・・だとさアホラシイ・・・
オオ、確かにポールである、予選は良かったンや
マァマァ直線ではグリップを開けていたらしい、伏せている
’77年それでも中山でZ650がタイヤノーマルで彼の成長に一役買っていたのだが・・・後ろに高野が?
彼23歳の青春である・・・
コリャ全くのノーマルのZ650(ザッパー)、そやけどライデングスタイルはなかなかのもんやろだって???
長い歳月は無駄に過ぎていなかった、この5年間が喜代一を成長させたらしい?本人が話して、本人が照れている、ハハハのハである・・・
’79年は全日本3戦にエントリー上位で2回完走、リタイヤ1回と言う結果、しかも、初めての8耐でクラス4位に入賞できたので、まずまずのシーズンだったと思います。
・・テナトコで続きは明日のお楽しみ・・・
下の写真は同じく’74年第2戦セカンドポジションの写真です苦労していた時の勇姿を見てやってください。
喜代一の思い出は、なんで???が多いのかなー、ナンでかなー???ナデかなー???である。
t-hirai