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Team Green

「思い出」10

・・・実は金谷(呼び捨てゴメン)が’70年代の初めころカワサキで走っていたとき、私はまだ神戸(営)時代で神戸スーパースポーツレーシング(KSSR)を設立して、12時間鈴鹿耐久レースやMXは竹沢・杉尾・吉田が所属していた頃である。
 思い出を手繰り寄せるため、木の実の新田さんに資料をお願いしたら、金谷秀夫「ロードレース入門」昭和55年の著書がお借りできた、私の思い出より克明なのでその一部をご披露したい。
 
・・・表表紙には “世界の金谷” 書き出しは、座右の銘 “気構え” で書きだしている
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 気合の入った顔である

 彼が初めてプロとして契約をしたのがカワサキ、当時MXライダーでカワサキと契約して走っていた同じチーム「木の実」の山本 孝(60おじさん)・歳森康師(六甲山の仙人)その歳森から、カワサキがロードレース90ccクラスにワークスとして参戦するらしいとのNEWSから紹介され契約をした。

 昭和39年当時19歳の紅顔の美少年???契約金24万円(2万円/月)年代から行けばそのあと星野一義・安良岡 健 が契約、カワサキもイヨイヨレースを始める気持ちに・・・

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左から星野・金谷・新田(チーム木の実を支えた一期二期のツワモノ星野氏は木の実とは?)3氏である

 昭和45年にカワサキからヤマハに移籍した金谷は河崎裕之のサポートライダーその年河崎はチャンピョンに、続けて昭和46年金谷が全日本チャンピョンに輝くそのご褒美にMFJが派遣していたヨーロッパでのレース見学・・・ところがであるヤマハの誇る空冷のTR3がTZに変更され水冷のエンジンがデビユーされた時、金谷は見学旅行に250・350ccを持参ヨーロッパ修行となったらしい。

 その当時金谷の良きライバル、ヤノ・サーリネンと同じヤマハで常にTOP争いを演じていた相棒、二人してヨーロッパに遠征、空冷250ccに二人が乗れば水冷350ccはロドニー・ゴールド&バリー・シーンその反対もあったらしい、金谷は全日本チャンピョンのプライドにかけても負けられない

・・・「気構え」+「運の強さ」=「根性」・・・
 レースを志すならこれでなければならないと力説している「世界の金谷秀夫」である

 
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「カワサキの想い出、そして未来」でご酩酊の金谷氏 司会の森田・越山のご両人



 ・・・今は亡きハングオンで初めて走った相棒ヤノ・サリネーン(フイルランド)の冥福をお祈りする・・・
by toshi-hirai | 2011-06-12 07:32
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