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Team Green

「昭一の思い出」7

・・・1982年MXレース人生の終焉?

 この年も、平井率いるカワ販チームグリーンよりマシン貸与+テストライダー+レース出場と言う幸運に恵まれていたのだが・・・だがUSAのスーパークロスの影響でコースはかなりトリッキーなものになって行ったのであります。
 これは自分だけでなく全国的に怪我人属出、靭帯断絶損傷と言ったライダーが多く見かけるようになりました。
 この様なコースは思い切りジャンプを飛べば良いのではなく如何に安定して入いり如何に安定して着地するかにかかってくるのです、何時も迷監督が「頭を使え」と怒鳴る様に、まさに頭で走ることが不可欠・・・頭の悪い塚本選手にはチョット難しい・・・
 事実今までイケイケのライダーが勝っていたのに、学卒のエリートが優勝するようにMXも変わって行き出したのであります。
 こんな状況でなまじっか頭を使って走るからアクシデント、右じん帯に故障個所が見ッかり、地元の整形外科で手当てを???ギブスの固定だけで通院(治るハズが無い)2週間程で切れた靭帯はお互いにチジンでなくなる様子一つも治らない。
 神戸に屈指の名医が居られるとの事を先輩に教えてもらい、迷監督に連れられて神戸のカネボウ病院に、これまた困ったことになりました。
 名医のもとで手術をしてカムバックすることしか考え居なかったたのでありますが、先生は監督に「可愛そうだがここでMXを断念しなければ、もう一度このような状態になったら歩けなくなると驚かされ早速手術となったのであります。
 本人は何も知らずに病院で人気者車いすでウイリーをして自己アピール拍手喝采美人の看護婦さんにも人気者、「俺には神戸が似合う」と「神戸の人は見る目がある?」テナコトを考えておりました。
(これ監督譲りかな???)
 4ヶ月の充実した入院、イヨイヨ退院これからだ~と張り切って看護婦さんと涙のお別れところがドッコイ会社で平井監督から「昭一お前田舎に帰れ」ダトサ、ナナナント言うこと目の前が真っ暗(白くなかった)そうして「先生からのアドバイスを」聞かされたのであります。
 
 これで終わればチャンピョンなんか生まれない、それから何があったのか「人生は面白い」
                                    続きは次回乞うご期待である・・・
 
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ジュニヤー時代の昭一さん
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念願かなってジュニアーで優勝、着々とエキスパートに昇格の糸口を見つけた・・・
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エキスパートジュニアでの快調な走り
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よるところ敵なし・・・待て待て前に二台走っている?
by toshi-hirai | 2011-12-23 11:02
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