Team Green

「昭一の思い出」9

・・・謹賀新年 本年もよろしくお願い致します・・・

 ロードレースへの転機

 平井さんから「お前田舎に帰れ」と言われた時目の前が真っ暗に、将来を失ったように落ち込んでしまいました、「俺こんなやけど割とナイーブナンヤ」結構辛かった、平井さんを恨んだ、自分からモトクロス取ったらにも無いやん・・・

 そんな俺に平井さんは「人生なんて何があるか解らん石川県に帰って親父さんのお手伝いをしろ」「お前の足はもう二度と壊されないのや」「壊したら治らないと先生が話してくれた」「ナ~ 人生なにがあるか解らん別の道を歩むのや」

 本当にそうらしい、俺の右足を見ると50cmを超える縫い傷がチャックを閉めたようにありました、少しは気持ちも静まり平井さんの言われたように親父の運送業を手伝うか、と実家に帰ることにしました。

 デモデモ遊びで走っても大丈夫やろとばかりに「乗りたい意識」が勝り、1984年KX125の新車を購入、静かにマシンの感触を味わっていただけなのに、走行は至ってスムーズにオマケに転倒もせずだったのに?
 膝が水でパンパンに腫れ上がっておりました、毎回走るたびにパンパン「自分の中にも、もう無理や!乗れない」とあきらめたものの、毎週毎日モトクロスをしていた男が「モトクロスは出来ない」こんなに残酷なことはありません、何をしても楽しくない。
 パチンコもダメ・・・彼女も居ないし(ホンマか俺と一緒大好きやんか)本当に涙・涙の毎日でした、ところがドッコイそんな時にバイパスオートにサーキットを走るグループが出来ました。

 当時はスーパーノービス宮城 光が人気絶頂、しかもロードレースのブーム到来「お前も走ってみるか?」のチームメイトの誘いでスポーツ走行に参加したり、しかも人のライセンスで鈴鹿のコースを走りまくりました(その頃ライセンスは厳しくなかったらしい)車の持ち主より早いタイムで気を良くして、すぐにその気になる良い性格、これからはサーキットを走ろうロードを楽しもうと即座に決定したのであります。

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 マシンは新しく発売されたレーサーレプリカFZ400を購入仲間と一緒に走りに徹しておりました

 丁度ヤマハのワークス江崎さんがチャンピョンになられ新しく発売されたレーサーレプリカFZ400を購入仲間と一緒にサーキットでの走行を楽しむようになったのです、袋井にあるヤマハのコースで行われた走行会などにも参加イヨイヨレースにもトライしたくて、鈴鹿サンデイーレース出場目指してスポーツの予約に会社を休み鈴鹿通い(当時は30分の走行枠を取るのに電話をかけまくっていた)約4時間かけてサーキットに30分走行してまた4時間をかけて帰るの繰り返しでした。
(当時はスポーツ走行枠がなかなか取れずライダーは相当苦労をしておりました、人気がありました)

 レース出場予選通過タイムをクリヤーしてからサンデーレースにエントリー、その年1985年年末のサンデーレースでSS400クラス3位、1986年1月?同じ鈴鹿でF-3レースに5位と完全に手ごたえを掴んで行きました。
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マシンはヤマハではないし&コースも鈴鹿では無いのでは?

 次回イヨイヨ鈴鹿で平井さんとの再開です・・・乞うご期待

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by toshi-hirai | 2012-01-02 00:46
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