Team Green

「昭一の思い出」14

 国際A級2年目

 会社での仕事はもっぱらX-09(開発コード?)の実戦開発、カワサキの総合力が2サイクルレーサーどこまでレベルUP出来るか?に掛っておりました。
 2ストに乗るのもジュニア時代にKR-1に乗って以来、先輩ライダー多田さんも苦戦していた2スト250ccファクトリーマシン、前田忠士も三浦 明も解雇、オマケニ多田さんも月木レーシングに移籍されました。

 プロの厳しさを肌に強く感じてシーズンイン!(「あたり前田のクラッカー」ファクトリーは勝つのが当たり前Hでチャンピョンの井筒仁康がゼッケンNO1で翌年川崎で走ったり、さしずめ巨人軍?メーカ-にとってライダーは商品悪けりゃ変えるのが当たり前、これからの人生も同じやで用心せ~)
 その代りにF-1にヤマハで走っていたオージーのマイケル・ドーソンと250ccにはエンデュランスレーシングから田口益充がX-09の開発契約でカワサキに入りました。

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(この写真開発時代のX-09かな~昭一教えてー)

 まずはシーズン前にオーストラリアでのテスト、X-09&RS250を比較車に持ち込み開発開始、メカニックとも打合せ、他社に追いつけ追い抜けをスローガンに、追いつくテストでなく他車を上回るためのテストになりガッで周回を重ねました・・・
 いろんなことがありました、中でもシドニー郊外のオランパークサーキットではハイサイド?で派手に大転倒を初めての経験(本当かな?)脳震盪で「ここは何処・・・私は誰」てなことの連発、クランクシャフトが千切れたり、そのお陰かシーズン前にいろんなデーターや改善個所が見つかり充実したテストでした。
 しかも、素晴らしいことはカワサキの技術や、テストを終わり明石に帰ると悪い箇所が全て回収されたX-09が既に出来ていたことでした・・・(これまた「あたり前田のクラッカー」カワサキだけでは無いかも?みんなお互いにシノギを削ってライダーは命を懸けてマシンが成長・進歩しているんやないか・・・世界一素晴らしいマシンが皆の汗で出来るんやないか・・・)

 それでもなかなか全日本の激戦区250ccクラスのレースでポイントを獲得するのは至難の技でした、何しろ他メーカーの市販レーサーに直線で置いて行かれる有様(ソレハネ・・・ライダーが悪い、マシンの性(セイ)にスンナと教えたヤロウ・・・正月やアホ無し)しかし、その分コーナーで追いつくコーナーリングが抜群にうまくなる勉強をしました(それ見ろだな・・・トウタル同じようなタイムで回れるやんか、しかし、直線が伸びないのはつらいよな・・・カッコ悪い、ハハハハ)

 常にポイント圏内ギリギリ15位で1ポイントが10ポイント/年間が精いっぱい、イヤーセカンドグループにもついて行けないレース、さしずめ迷監督なら「お前が悪い」と怒鳴っているでしょうね・・・
 得意の筑波サーキットでは最終コーナー進入で焼き付き大転倒!右手首脱臼骨折・・・舟状骨(ショウジョウコツ)骨折、即、静岡のクワハタ整形外科で手術、この手術で右手の生命線が5cmほど伸びましたハハハ・・・(2サイクルの焼き付きは全開から全閉に持って行ったら焼き付きは「あたり前田のクラッカー」???)
 
 走っても走っても速くなる感じがつかめない、あまりにも使いにくいパワーバンドのないエンジン+トルク不足
他メーカーのファクトリーのマシンが履いてタイムを出しているタイヤをX-09に履くとエンジンパワーが食われて失速する様な事もありました。

 特にマッチャンコーナーが悪かったように思います(ソレハネ自分悪い)会社にお願いして「F-1に乗せてほしい」と頼み、何度かゼッケン9で走らせて貰いました。
 自分でも4ストの方が症に合っていると思いました(あの時、2~3回で14番のポイントを稼ぎましたとあるが昭一には2ストより4ストの方がヨカッタンや・・・グジュグジュ言うとったんはマシンのセイでは無いナ)

 オマケニこの時ブリジストンタイヤを履いて走るカワサキは自分ひとり(当時大型車のスリックタイヤは開発途上で勝ちを狙うマシンには使用していませんでした)
 ブリジストンタイヤの開発にカワサキは相当貢献したのでは?終盤菅生のレースでスタートから5周もトップを快走して、自分自身の自信とタイヤの自信を確認でき来年につながる走りでそのシーズンを終了する事が出来ました。

 レーサーの悲哀、ソレハネ転倒自分が悪いにしろ、マシンが悪いにせよ痛いのは自分や
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 1992年チャンピョンのなった年の全日本前のデイトナスピードウエイで金曜日の50マイルレースで2位を走行していたのに200kmで左コーナーで突入フロントから滑り(スリックが悪いか?それは無いやろソレハ監督が悪い)翌日の新聞からの写真です。

 「スペースシャトルが打ち上がった」・・・マシンは全損・・・しかし翌日本番のレース200マイルでは4位でチェッカーを受けたはずが6位・・・確か電光掲示板も4位と出ていたのに?ドッコイ6位入賞?訳解らんレースでしたがヒーロ-になった瞬間でした。

 この様な写真が昭一から沢山送られてきました、次回は写真集を・・・今日は月/1回の歯医者+内科の病院に奉仕日・・・今日からオープンした病院多いだろうな~・・・年を取ったら「アカン」です・・・
                                                        thirai

 
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by toshi-hirai | 2012-01-07 08:34
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