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Team Green

「コーヒーブレーク」8

・・・やはり4:00には日曜日と言うのに目が覚めた、「人間」・・・なんて不思議な動物だろう(イヤ僕だけかな~)
 昭一からは忙しいのか原稿が届かない、思い出を探ろうと2010年11月に発売された「レーサーズ」を手元に振り返ると見開きにあのコークさんの雄姿がKR500と共に飛び込んできた。
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 ’78~’79年ライムグリーンのタンデムツインKRは圧倒的な強さでGP250/350を制した、そして残された野望は最高峰GP500への挑戦だった・・・

 そこにケン鈴木の顔があったのである、
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 ケン鈴木&コークバリントンも若かりし青春の一ページを刻んでいた絶頂期の顔であろう

 若かりし頃のケン鈴木(呼び捨てゴメン)が蘇っていたのである、思い出した、先日もうすぐ1ヶ年になる昨年の3月あの痛ましい東北地方を襲った地震そうして津波、多くの犠牲者の方々を一瞬にして悲しみの中に・・・

 その一週間前に私はこともあろうに「カワサキの想い出、そして未来」と題してそれこそ全国の皆さんに明石までお越しいただき大騒ぎをして居たのである(罰当たりな奴)、ケン鈴木ご夫妻にもお願いして応援に来て頂いていた。

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右からケン鈴木さんの優しい奥様(昨年クリスマスにカードをありがとうございました)そして当日の主役ケン鈴木、そうしてもうみなさんご存じフリーライターのユキさんである

 
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 カワサキとの思い出をご披露いただくケン鈴木さん

 カワサキは1969年AMA開幕戦よりライムグリーンのカラーリング(マシン&ツナギ)であえてUSでは不吉なカラーだった緑を使った状態で打って出たのである。

 空冷3気筒のH-1(緑に少々白も使われた)からH1RでGPにスポット参戦、空冷~水冷に変えてH2R(750cc)を駆り一躍レース界で異彩を放つ存在になって行ったのである。
 (私もアノじゃじゃ馬H-2を乗り回す、キヨサンに明治大学ラクビ-の縞々シャツ調のTシャッをツナギの上から来てもらい、優勝したら兵庫メグロの当時総指揮者であった奥さんに市販H-2を20台買取をして頂いた良き時代であった)
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この時期ツナギは皆んな茶色か黒、兵メの奥さんが縞々のシャッ来て勝ったらH-2を20台買ってやる、ヨッツシャキヨサンお願い(カラーツナギのルーツや)

 カワサキがまず本格的にマシンを開発したのはKR250「パワーのカワサキと」言うイメージとは正反対のロタリーデスクバルブ125cc単気筒を縦に並べたタンデムツインと言う珍しいレイアウトのエンジンを搭載して、1975年にデビューしたのだが180度等間隔爆発のためか振動が多く戦績はさっぱり、すぐに対策された前後同爆(素晴らしいカワサキの技術陣何をするのか?)しかし、これが功を奏したのである。
 (どうやら77年にはリヤーサスにユニトラック(モノサス)を採用完成させたのである)

 この様な変遷を経てカワサキは’77年UKチームと日本チームの混成体制でその総指揮を任されたのがケン鈴木であった。
 向かうところ敵なし鈴木健夫(ケン鈴木)とコーク・バリントンが有ったのである、どうやらカワサキはボアーを1mm広げKR350をも投入GP250/350を制覇したのである。
   (僕のまずい文章と違うのはすべてレーサーズよりの拝借である、勿論写真も2・3拝借しました)
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 当時のチーム体制ナナントこれだけのチーム体制であったようである?たった5人?

 今日は、昭一の原稿が届かなかったので、こんなコーヒーブレークになってしまった、鈴木さんそして「レーサーズ」さん有難う、何かしらこの「レーサーズ」で思い出が走馬灯のごとくに湧いてくる不思議な一冊である・・・
by toshi-hirai | 2012-01-15 07:31
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