「カワサキ創成期の証言者」
カワサキがレースに参戦し始めたころメカニックとしてその渦中を生きた男のレース活動をつずる・・・(ヒュヒュカッコいい)
先日行われた「カワサキレーシングフエアー」で昔の仲間(今なおお付合いしている)藤原良弘・吉田ヨシマサの両氏の事がKAWASAKI BIKE MAGAZINEに掲載されていたのでご披露したい。
実は、Z-1会なるものが(会長大槻幸雄)未だに活発に活動しているのだが、昭和30年代後半当時のツワモノが未だに(デザイン・設計・技術・製造関係者達)元気にウジャウジャ居るイヤ生きておられるのである、しかも来る6月6日に一堂に三木セブンハンドレッドCCに会するのである、それはそれはワイワイ昔の戦友楽しい集いである。
華々しく報じられるライダー・監督・エンジニヤー達の後ろでいつも黙々と作業をこなし、次の走りに全神経を傾注している「縁の下の力持ち」彼らが居るから走るのや・・・
エンジン供給メーカーとして二輪事業に携わっていたカワサキが、設計・開発から製造まで一貫して取り組んだ最初のバイク「B-8」を完成させたのは昭和37年の事だった。
(このころはベルトコンベアーでなく台車にスタンドを固定させロープを引っ張って流れていた)
そうしてその翌年にカワサキは、兵庫県青野ヶ原で開催されたMFJ兵庫県支部(支部長故西海義治兵庫メグロ販売(株)の創設者)主催第1回モトクロス大会にB-8をMXに改造して「B-8M」で出場する。
スペック:全長1,900×全幅680×全高980、軸間1,255、車重98kg、空冷2サイクル単気筒123,5cc、12ps/8,000rpm、最高速度100km/h130千円
格好イイやん
この大会にカワサキはメーカー体制で始めて参戦したレースであった、カワサキはレース初出場ながら125ccクラス1位から6位まで独占したのである。
(コレハネ故西海義治の自慢話、実は大会当日雨で各メーカーの車が、キャブに水が入ってエンジン不調、ところがである西海のアドバイスでカワサキはキャブに雨対策、カワサキのエンジンだけが調子よく完全優勝を果たしたエピソードは耳にタコが出来るほど何回も聞かされた)
それから全国のMXレース場で赤タンクのカワサキの名を全国に轟かせたのである、この赤タンク時代メカニックとしてレースに参戦していた藤原良弘、彼の精密さが赤タンクの快進撃を支えていたのでは無かろうか?
彼はMXのみならずロードレースのメカニックも昭和40年~44年迄カワサキの縁の下の力持ちを務めたのである。
次回男前の藤原良弘の物語そうして写真も掲載する・・・次回 乞うご期待を・・・
t-hirai
追伸
この処、6月10日の「グレートヒローズ同窓会」続いて7月1日「酒井文人&クラブマンレースを語る会」マタマタ続いて9月1~2日に掛けて「鈴鹿サーキット50周年記念」(これにはソウソウタルメンバーが集まるらしい、コークも参加する会えるかなー)イヤー連続のイベントである。
・・・モーターサイクル愛好者の皆さんチャンス到来見逃す手は無いのでは・・・