「カワサキ・ロードレースのルーツ」②
このご紋が見えないか、恐れ多くもカワサキ・ロードレースのルーツはワタシ
これぞカワサキのルーツ「山本 隆」であるのは皆さんもご存知である・・・
しかし、残念ながら確かに一足早く(1965年5月)鈴鹿を85J1改で山本 隆は鈴鹿を走ったのだがこれは何故だか記録に無い、これはカワサキが正式に走ったのではないからである(話に聞いたが古谷さんと田崎さんが仕掛けて60オジサンが走った様である・・・しかし、これがあるからカワサキのレースのいまがあるのでは?
さて、話は2年を経過1967年待つこと久しいA1Rがロード前線に、アメリカでオン・オフ車ともに人気を高めバイクブームの到来、その動向を敏感にキャッチして市販車に次いで世に送り出されたのが
「A1R」
このマシンを駆り1967年に我らがミスターカワサキ「和田将宏」と少し遅れて「清原明彦」の活躍がある、カワサキのレースを語るのにこの二人を忘れることは出来ない。
清原明彦はこの年とし子夫人と結婚、鈴鹿6時間耐久にA-1を走らせ優勝を飾っているが、
今回は和田将宏にスポットを当てよう。
「和田将宏」闘争心をあらわに何処でも何時でも己の持つすべてをコースにブツケて走るその姿は、未だに忘れることは無い。
1967年「ヒロ」彼の活躍はすざましい物があった、その素晴らしい雄姿を’67年をお見せしよう
ゼッケン12 ミスターヒロ(これからはオンリーヒロ許して)この風景、エンジンを押して掛けるスタート、全車カウントダウンが流れるとリズムを取りスタート、ツナギをご覧皆さん同色(俺だけ違うカラーツナギのルーツ?待って~カラーツナギのルーツはキヨだよん~)オマケにヘルメットはオワン型、なんと面白い風景・・・カラフルな今では、考えられない写真である。
本橋先輩とのバトルしかし先輩の顔には微笑みがヒロの顔は必至のパッチ・・・違うなー・・・
故松永選手とのデットヒート、この時、A1Rで挑み見事お立ち台 総合2位(250cc350cc混走、1位は350ccと言うことはオイラクラス優勝?)
ワールドGP1967年10月15日富士スピードウェイ、ゼッケン14ラルフ・ブライアン(HRC6気筒)ゼッケン17カワサキの安良岡 健、同じくゼッケン20ヒロ カワサキの誇るA1S改製作期間わずか1ヶ月で、最高出力40HP/9,500RPM、車重109KG、最高速210km/H、これが後日カワサキ初の市販レーサーになった。
やれば出来るのやないか?
「ナ~和田よ~ドヤ顔はそこそこにしとけよな~」テナコト言われた思い出が・・・しかし、人生を・レースを色々教えてくれた先輩「安良岡 健」オイラに取っては大好きなワンショットである。
モータースポーツと言うカテゴリーでカワサキの活躍は1961年5月の全日本モトクロス大会に遡りメイハツ5型を改良してカワサキB7(ビーセブン)を参戦させいきなり2位に、さらに1963年5月開催されたMFJ兵庫県支部主催(委員長故西海義治)第1回MX大会では、カワサキが125ccで開発から生産まで一貫して取り組んだ最初のバイクB-8(ビーエイト)で1位~6位迄独占!完全優勝を果たすなど赤タンクのカワサキがモトクロスの活躍によってその名を世に知らしめたのである。
t-hirai