Team Green

「カワサキ・ロードレースのルーツ」③

 昨日このブログをご覧になった、根本 健さん(知る人ぞ知る専門誌RIDERS CLUBの元編集長)からメールが、ヒロサンの後ろで車を押している私が居る(鈴鹿での押しかけ風景ヒロさん12・健さん3?だったかな?)何しろネモケンさん現在も現役、海外のレースに参戦、著者でもあり多数の本を出されているオートバイの乗り方なんでもござれである。(根本健でヤフー検索を)
e0190502_4523550.jpg


 サテサテカワサキのロードレースのルーツに戻ろう、昨日書き忘れたがA1Rは「赤タンク」のカワサキイメージを踏襲、赤いガソリンタンクが象徴的なデザインこの250A1をベースにグレードUPしたのが350A7
e0190502_515911.jpg

 1966年A1R カワサキ初の市販ロードレーサー由緒ある赤タンクを纏った駿馬
ストレート200km/Hをマーク(当時最速の市販車)出力40PS 重量109kgである。

 アメリカより一年早く1967年3月ヨーロッパに進出、この進出を記念して3月に行われたシンガポールGPレースに出場したのである、このレースは世界選手権として行われた格式のあるレースで東南アジア市場拡販に多大な影響を持って居り、このレースには他のメーカーもこぞって参戦していた。
 初出場のカワサキはこのレースでA7Rが1・2フィニッシュ、250cccクラスでA1Rが2・3位、おまけにオープンクラス3位、全種目入賞の快挙を成し遂げたのである。
 (コレ、チームグリーンの真似かイヤチームグリーンは生まれていなかった昔も速かったんやー)

 同年4月には、シンガポールの快勝に続き、マン島TTレースにも参戦、Dシモンズが125ccクラス4位、又、250ccクラスA1Rを駆りDシモンズ・?スミスが4・5位に入賞世界選手権のGPシリーズの活躍であった。(このレースは世界最大のイベントである)
 こうしたロードレースの活躍が「モトクロスのカワサキ」から「世界のカワサキ」として先発のメーカーと肩を並べるメーカーにジャンプしたのであった。

e0190502_5521287.jpg

 1967年KR-Ⅱと呼ばれ125cc4気筒40PS、ナナント12段変速、2サイクル45度V型すべてのシリンダーが後方排気、クランクシャフトはギヤーで介す手法を用いこれがワークスマシンKR-3であった。

 残念ながら登場後すぐに規制により消えてゆく運命とナッたが、歴史的マシンとして未だに語り継がれるマシンである。
 (あまりにもカワサキが早いマシンを世に送り出すので・・・他メーカーの圧力かな?へへ)
 さらに勢いに追い打ちをかけ国内でも大暴れ1967年10月に富士スピードウェイで行われた世界ロードレース日本GPでは上の写真の125ccレーサーががデビューこのマシンで金谷秀夫は3位、森下 勲が4位、350ccでA7Rを駆り和田 将宏が4位と活躍をした。
 (この時私は谷澤・タッチャン・山下各氏と応援に行って肝臓をやられた?イカン蔵)

 マー考えてみれば小排気量エンジンから可能な限りパワーを絞り出そうと多くのメーカーが125ccクラスの多気筒化の道を選んだが、先ほど書いたレギュレーションでこれを制限されたことから、1969年カワサキは一度お蔵入りをした2サイクル2気筒のKR-2を再度担ぎ出し、改めて檜舞台に躍り出たマシンであった。

 このマシンでD・シモンズは世界ロードレースGP125ccクラスのシリーズチャンピョンに輝いたのである。
e0190502_6335691.jpg

 1969年WGP125ccクラスで復活をした、「KR-2」脅威的なスピードでチャンプを・・・素晴らしい・・・
                                     t-hirai

 追伸 使わせて頂いた資料はワールドMCガイド11●カワサキ1より 
 
[PR]
by toshi-hirai | 2012-10-07 06:42
<< 「カワサキ・ロードレースのルーツ」④ 「カワサキ・ロードレースのルーツ」② >>