Team Green

「カワサキ・ロードレースのルーツ」④

 1966年赤タンクA1Rに続いて1967年KR-3、1969年KR-2・・・A7RSと矢継ぎ早に世にレーサーを送り出し、世界に「カワサキ」ここにありと言わしめたのである。
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 アレ、カラーがライムグリーンに変わってる・・・ナンジャコリャ・・・350ccの雄A7-R
の後期型、ワークスと市販車ではフレームのクレードル部、ブレーキ、乾式クラッチ等に差がありなんといっても、1969年デイトナ200マイルからカラーリングがリペイントされたことである。

 コレハネ・・・先日アメリカにTHE GOOD TIMES理事長の 古谷さんがZ-1「40周年を祝う会」に参加された時、たまたま同席された斉藤定一さん(アメリカに行きR&D=品質保証、ポリスバイク、リーンカーン工場などを手掛けられた方)がカラーリングの変更を指示して(赤はホンダなので)なかなか良いカラーが見つからず、アメリカでは葬式色(国内では黒・白)であるライムグリーンを採用したらしい、この時には大いにブーイングが、かなり怒られたらしいがカワサキのライムグリーンの生い立ちの逸話である。
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 これがアメリカの白バイポリスバイク(実はリコールで田村部長当時品質部長・テストライダーkiyoさんや多くの方々が苦労されたらしい)

 日本で赤色で出荷したA1R/A7R日本から赤タンクで送ったマシンが現地サーキットに日本のスタッフが到着した時にはライムグリーン塗り替えられたレーサーが、オッタマゲタそうな・・・
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当時メカニックの藤原良弘氏の証言である(上の写真左から6人目、現在Z-1会の副マネジャー)

 1969年1月国産最大排気量の650Wシリーズに続いてご存じ、新型H-1(ジャジャ馬「マッハⅢ」)他に類を見ない498cc空冷2サイクル並列3気筒エンジン、最高出力60ps/7,500rpm、最大トルク5,85kg/7,000rpm・・・無類のハイパワー高性能から生まれる市販車最高速190km/h以上を実現、CDI点火装置やクランク軸強制潤滑などハイメカニズムを駆使した右2本・左1本のサイレンサー、アメリカ、ヨーロッパで上記のようにペットネーム「マッハⅢ」と大排気量の中でも一際異彩を放った存在であり、同年9月1日より国内でも販売されたのである。
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 当然A1Rの後を追っかけ市販レーサーH1R誕生1969年デイトナでD・シモンズが走った200マイルレース、初出場では結果は芳しくなく17位、初めはレースキットを付けて発売予定だったが急きょ方針を変え、40台だけの限定生産、販売方法を1970年第49回のデイトナ200マイルレースにエントリーする者のみに販売と言うスペシャルキャンペーン・・これが功を奏し引っ張りだこ、
 多くの優れたプライベーター達の手にH1Rが渡り、それぞれの創意工夫により一層H1Rの秘めたるハイパフォーマンスが十分に引き出され活躍しました。

 特に1970年ワールドGPの500ccクラスではG・モロイがH1Rを駆り年間シリーズ2位を獲得したのであります。
 D・モロイはH1Rを手に入れるのに2月に渡米、デイトナ200マイル直前に購入予選初日にはマシンのセットアップに費やし二日目に初走行予選をクリア、決勝7位と云う快挙?を成し遂げ・・・
 その後、ヨーロッパに持ち帰ったモロイは第1戦は時間が無く今までの自分のマシンで参戦、第2戦以降H1Rでエントリー第2戦フランスGP2位・第7戦フイルランド2位第8戦アルスターGPでも2位入賞と言う快挙を成し遂げたのであります、勿論他のライダーの活躍もこのH1Rを駆り第4戦マン島のレースではB・スミスが3位入賞2サイクルマシンでのこの成績はマン島史上初めての快挙、第6戦ベルギーでは?・ラベルが2位年間シリーズランキング7位に輝いたのであります。

 この結果カワサキのH1Rはコンストラクターズチャンピョンシップ2位に入る活躍でありました。

 この様な快挙に、H-1をフランスのディストリビューターであるシデム社によりH1のエンジンを特製フレームに搭載し3台のマシンをボルドー24時間耐久に走らせたのであります、結果は1台が2位に入り(ライダーはギューレド&モレ)他の2台も完走高い評価を得たのでありました。

 翌1971年WGP第11戦のスペインGPで優勝を飾り年間シリーズ4位、マニファクチャーとしても3位と世界を暴れ回ったのであります。

 平井の独り言
①このマッハⅢ、本当にジャジャ馬、マー排気音のかん高いノイズ、恐ろしいほど早く走り、恐ろしくハイパワー(レシプロエンジンでは3気筒が一番理想的?、04では性能を十二分に発揮したもんや)
②当時飛ぶ鳥を落とす勢いの片山義美が(マツダと契約世界でも有名なドライバー)「所長チョット乗らせて」とマッハの試乗車に跨った途端、神戸営業所から約800m程先にある葺合警察署までの間、ウイリーで走り去り家に乗って帰ってしまい気に入った売れと電話が入る始末、いまも尚お付合いしているTHE GOOD TIMES副理事のタッチャンに集金に行って貰った思い出がある(タッチャンはA-1の集金と言っているが実はH-1では?)
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 「木の実レーシング50周年を祝う会」での片山ご夫妻右側はご存知世界の金谷秀夫、その隣、和田将宏の若きお美しい奥様花束贈呈の場面である
③いまカラーでは人気の絶頂のパールホワイトを既に1970代にカワサキはマッハに使い青色のストライブされた「H-1」音は髙いが(エンジン騒音も)マー何とも言えない優雅な車でありました。
   あまり売れなかったと記憶しております?

 1972年に世界最速豪華な750SS(H-2)の市場投入続いて今年40周年を迎えた、これまた、世界の名車「Z-1」チョイト先にこれまた世界の名車「CB750」が相次いで誕生しており、それこそ日本車が世界を謳歌したのであります。
                         マダマダ続くのですが・・・

 いま古谷理事長に斉藤さんの事を尋ねて電話したら、「平井さんよロードレースのルーツはチャント書け、ウソを書いたらアカン」「イヤ資料を見て書いておりウソと違います」「その資料はウソや」???私はそうは思わんが(なぜなら車両年鑑とも年代は合っている。今度、古谷さんと突合せをシナケレバならないと思っている。

 少々この後カワサキのロードレースのルーツは一服です、①~④には訂正が入るかも?悪しからずご了承ください。

                                      t-hirai
                                    

 
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by toshi-hirai | 2012-10-08 08:32
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