「カワサキ・ロードレースのルーツ」⑥
1、’69年(S44) 2月カワサキオートバイ販売(株)代表取締役田中 誠氏が就任
4月川崎航空機(株)川崎重工業(株)川崎車両(株)3社合併し川崎重工業(株) となる
当時の代表MCモデル250A1スペシャル・350A7スペシャル・500SSマッハⅢオオー猛烈
2、’70年(S45) 1月本格的なレジャー幕開けに海洋レジャーの分野に進出
フィリピンデルサ社とオートバイのノックダウン生産開始
2月カワサキ九州販売(株)を設立
9月オランダにカワサキモータースNV(KME)を設立
日本万国博覧会・日航機「よど号」事件などが起こっている(ワカルカナ~古い話や)
3、’71年(S46) 1月オートバイS2(マッハⅡ)H2(マッハⅣ)の生産開始
6月北陸カワサキ自動車販売(株)設立
10月資本金420億
12月ジェットスキーの試作艇を完成
4、’72年(S47) 2月単車試作工場(第36-1工場)完成・北関東カワサキ販売(株)設立
カワサキ西日本販売(株)設立
4月静岡カワサキ販売(株)設立
5月イヨイヨ世界の名車大排気量「Z1」の生産開始
8月コロンビアオートテクニカ社とオートバイノックダウン生産開始
9月単車実験工場(第38工場、チーム38の巣)完成
10月4サイクルエンジン専用工場(第39工場)を完成
5、’73年(S48) 1月カワサキオートバイ「Z2」の生産開始
9月カワサキオートバイKZ400Dの生産開始
12月単車実験工場(第38-2工場)完成
確かにこのころのカワサキ(イヤ日本)はジャンジャンバリバリ、イケイケムード(ヤレヤレGOGO)、良かったな~
この様な年表を書いていたら、前に進まん・・・マーこんなもんじゃい・・・
サテサテレースの方は750ccH2がグリーンモンスターの異名を取ったのである。
昨年行った「カワサキの想い出、そして未来」のときメインステージに飾られた「H2R」と当日司会をしてくれた、森田・越山両氏の晴れ姿
次代はまさに’70カワサキの我らがキヨサン縞々のシャツを来てくれ優勝、兵庫メグロに20台のH2売り上げを・・・その頃、兵庫メグロ担当セールス、今社長偉いもんやへへへ
これからの3枚は、先日行われた「鈴鹿50周年アニバサリー」の一コマ
世界チャンピョンコークバリントンの雄姿、このゼッケン30は確かミスターヒロの乗ったマシン
当日お借りした「H2」のチームメイトとのスナップ、何やらコークと車談議
当日お借りしたお礼にオーナーのお願いに応えてタンクに記念のサイン・・・思い出すな~
ここらあたりH1で築いた大型車への布石をさらに強化すべく開発されたのが2サイクル3気筒総排気量748cc最高出力74/6,800rpmというエンジンを積んだ「H2」ベースのレーサー「H2R」の誕生である。
川崎航空機メーカーの作り出す他に類を見ない技術力が生んだマシン・・・リヤーブレーキにデスク、シリンダー・シリンダーヘッドがモディファイされ、特に超高速域でのフロントの浮き上がりを防止するスタビライザーつきカウリングを開発された。
このマシンは、カルフォニァのオンタリオで行われたAMAのレースで、お見事ワンツースリーフニッシュを果たし「グリーンモンスター」の名を欲しいままにしたのである。
イヤーお見事素晴らしい・・・チャンチャン
t-hirai