「カワサキロード・レースのルーツ」⑩
1974年にデビューしたKR250は着実にポテンシャルのアップを図り、そこえ並行して割って入り開発されるKR350・・・
このマシン’82年にA・マンクが乗りWGP350ccクラスの王座を奪取したもの
これがナ・ナントGPでの常勝マシンに育って行くのである・・・既に完成の域にあったKR350・・・KR250のボアを10mm拡大し347cc・・・
当時ソラ-早かったTZ350と競り合いながら熟成を図っていった、ここでこれまた「ミスターカワサキ・・・コーク・バリントン」のお出ましだある。
コークは、この時’78’79年と連続にGPチャンピョン、そのほかM・グラント、G・ハンスホード、そしてA・マンクと言う、それはソレハ素晴らしいライダー軍団でアーりました。
加えて活躍のKR500にも・・・マタマタ1972年大型「Z1の誕生」に4サイクルビックマシンによる耐久レースにも、その強さを発揮したのであります。
これは、1976年既にその名を欲しいままにサーキットを走り回っていたKR250の雄姿
紆余曲折苦悶の末に編み出されたメカニズム、このKR250のタンデムツインはそれこそ一世を風靡したのであります。
ナイショの話、カワサキがこのマシンをタンデムツインに持って行ったのは、ソレハネ・・・ロータリーバルブ吸入方式を選択したからであった。
ナゼナゼ?ソレハネこれが最高の方法だから・・・しかし完成したKR250は180度クランクこれが悪戯をして振動が多く幾多の段階を経て熟成には時が必要であったのでアーリます。
ここでチョイト一服
「我らがミスターカワサキ・・・KIYOさん」の登場、その輝かしいプロフィールを・・・
清原明彦 1946年2月26日兵庫県神戸市に誕生
1961年 川崎航空機工業(株)に入社
1964年 開発テストライダーとなる
1967年 とし子夫人と結婚 鈴鹿6時間耐久レースに優勝
これ耐久マシンかな~(今日Z1会の忘年会でKIYOサンに聞いてみよう)
1970年 チョイトモトクロスに出場、出たレースにはすべて優勝毎年昇格どこまで 行くの?(MXエキスパートジュニア今の国際B級)
1972年 ロードでも鈴鹿750ccクラスにH2で優勝
(ノーマルのKIYOさん誕生)
1974年 セニア(現国際A級)
1975年 ファクトリーライダーとしてH2Rを駆り・・・筑波で初優勝・・・
強い強いKIYOさん鈴鹿200マイルにKR750で優勝、
その後、筑波でも同じKR750に乗り3回も優勝、FL-750クラス 全日本チャンピョンを自分でもぎ取ったのであります
1977年 世界に挑戦各国のGP選手権に参戦したのであります、西ドイツGPでは ポールポジション、決勝で2位(KR250)
同じくKR250でスペインGP9位
1978年 第一回筑波フェステバル優勝この時のマシンはKR350
1979年 テストを重ねながらKR750でこれまた筑波で優勝
Z1000Jをベースの耐久マシン、この写真のマシン、フランスのパフォーマンス社の製作によるもので、1981年ライダーR・ロッシュ&J・ラフォンこの年FIM世界選手権耐久レースでは出場した8戦すべてに1・2フニュシュ・・・オマケニ・・・シリーズチャンピョンの栄冠に輝いたものである・・・まさに向かうところ敵なし・・・破竹の勢いでアッた・・・
もとえ戻る。一方国内でもKIYOさんの健闘
1980年 鈴鹿の8耐久に徳野選手とコンビを組み7位マシンはKR1000
1982年 「プロショップKIYO」を3月にオープン
1983年 全日本選手権 鈴鹿2位、同じく鈴鹿の200キロで優勝マシンはいずれ もKR1000
1997年 鈴鹿8時間耐久レースの前哨戦S-NK(2時間耐久)に復活優勝
グランドスラム4@筑波サーキットHUGE-1 6位入賞
1998年 アッセン@オランダ センチネル(寝たらアカン危ない)TTに優勝
コリャKIYOさん物語を書かんとアカンは・・・何しろすごい「男」である。
コーク・バリントンも又「ミスターカワサキ」先日の鈴鹿開所50周年のアニバサリーに来日して久しぶりのご対面を・・・もちろん当時の監督ケン・鈴木さんもお見えになって居られました。
右から2人目ケン・鈴木監督一人置いて奥様
オイ「トシ」「スタンドアップ」「アホ立ってるわい」背が短くなったんじゃ、「オイコーク幾つにナタン」(ハウオウルドアーユー?)61才ダトサ・・・モウオジイサンでも走れる?
てなとこで・・・エライ脱線や明日初めからやり直しします・・・皆様文は前後判断してご覧ください・・・チャンチャン
又、明日NPO法人THEGOODTIMESの理事会の後お会いしましょう???。
t-hirai
注)資料はマタマタ私の宝物「ワールドMCガイド」11より