Team Green

<   2010年 02月 ( 7 )   > この月の画像一覧

「カワサキに想う」37

 今日Tさんから貴重なVTR(タケの’73年セニア昇格第1戦優勝のもの)を頂いたので当時を思い出しながら必死に見せて頂きました、この10年が終わったら是非皆さんにもご紹介致します乞うご期待です。
 さてさて、話は’90年カワサキは意欲的にマシンの開発に取り組んでいました、狙いはいかに早く走るかその為には何を求めるのか?勿論、軽量化・コンパクトそうして運動性能UPであった。
 この年の開幕戦2&4で宗和4位・塚本5位、この年から国際A級に上がった北川圭一も初レースに7位と言う好成績で追従、しかし、エース宗和がイッチョ前にスランプ?予選落ち転倒(これは私にも思い出がある、彼得意のコース菅生でのこと調子良くTOP集団で抜け出ようとしていた矢先、ボーと5コーナー?で立っていた姿、この時私は彼の成長を見たのでありました、ソレハネ・・・早すぎるマシンを自分の物にしていたのであります)案の定その年、200KMで彼は6位に入賞(マシンが調子悪くダマシダマシ走ったとのこと「アホ」なにぬかす6位に入るとは良いマシンである)これからは彼本来のタイガー宗和の異名どうりの走りが・・・
 本命の8耐では宗和&塚本で予選4位そうして決勝9位に入賞したのであった、そのほか全日本にフルエントリーのドーソンが第8戦PPを獲得3位入賞宗和も負けじと4位だったか?後一歩のところまで走っていたようである。
 宗和は念願のお立ち台に第15戦2位と上げてきたのである、そうして宗和は最終戦2位にまで上がり(この年ランキング宗和4位・ドーソン6位・塚本14位)、この日の圧巻は塚本・ドーソンの2台のライムグリーンがTOPを快走フアンに少しでもサービスが出来たことではなかったか。
 少し塚本の思い出を「お前なんで14位や」「なに言うとりマンネン、たった2戦ですせ」そう彼はWGPを荒らし回ったあのライムグリーン250cc開発コードX-09Vツインレーサーの開発に多田からバトンを受け全日本F-1には2戦のみだったらしい。 
 この年、締めくくりはチームグリーンIAF3クラスの鶴田が激戦の末、チャンピョンを獲得したのである。
 
 
e0190502_7322019.jpg

  全てCYCLE SOUNDS より「思い出を有難う」
 
[PR]
by toshi-hirai | 2010-02-28 07:30

「カワサキに想う」 36

 実は’63年の8耐優勝をご披露しようと専門誌をあさっていたら、「サイクルサウンズJAN.1993NO114」
「カワサキロードレースこの10年」が目に飛び込んで来たので方向転換取り合えず、これを読んでみたので思い出しながらご披露したい。
 
e0190502_763714.jpg
少しななめ
・・・下の写真右側のモンスターKR1000、これはしばしお別れのマシーンであった、それは、’84年からはFIM・MFJのレギュレーションでF1のBIGバイクが750ccになるからであった、KIYOさんが1ポイントでチャンピョンになれず涙を飲んだものである。
 しかし、AMAではウェイン・レィニーが、世界耐久ではラフォン、コルヌ、イゴア、コードレィ達がスズキ勢と激しいバトルを交わしていたらしい、’80年代序盤の最新のデバイスを採用したこのマシンは機械式のアンチノーズダイブ機構や、フロント16インチホイール(ライダーによっては18インチに変更)、アルミ角パイプのダブルクレードルフレームで、車重174kgであった。
 一方左側のマシンは言わずと知れた、我が愛する昭一がカワサキにF-1チャンピョンをもたらした名車である、10年を経て練り上げられたレースマシンそうです、この名を「ZXR-7」と称するマシンである。
 エンジンは’91年型ZXR750Rをベースに、排気量748ccボア71×ストローク47.3mm、最大馬力140以上ですぞ!高回転と言われたエンジンに中速域のトルクを得るために京浜のフラットスライドバルブタイプ、大型のラムエアダクトをカウルの左側に装備されていたそうである。
 フレームはメインフレーム部の剛性を得るため、卵型の独特なものであった。
e0190502_7444151.jpg

 思い出した、漫才コンビ多田&宗和がバンバン飛ばしていたマシン、二人ともタイヤをミシュランにしたら数秒早くなると物議をかもし出したほど?素晴らしい車だった・・・
e0190502_158743.jpg

少々ピンボケだが卵形のフレームであります。
[PR]
by toshi-hirai | 2010-02-21 07:50

「カワサキに想う」35

 1993年1月国内グループの地域販売会社7社を合併したうえで、払込資本金5億6千万円とし、社名を㈱カワサキモータースジャパンと改称、地域モーターサイクル3販社、カワサキジェットスキー株式会社にソフト機能会社2社を加えた国内体制強化の再編を行ったのである、1996年1月には市場環境の変化への対応と、地域により密着した販売体制の構築の為、国内グループの地域モーターサイクル3社を合併させ販売機能を一元化した。
 マシンはKLE250・KLX250SR・ZEPHYR1100・GPZ900R・ZXR750R・ELIMINATOR400・ZZR-R400・BALIUS250・ESTRELLA・超大型VULCAN1500・ジェットスキーもSUPER SPORT XI 等数多くの名車&名艇を世に出していたのである。
 そうそう1993年には鈴鹿8時間耐久で初優勝(次回資料を紐解いて紹介出来るかな)、、カワサキはMCが1千万台を達成し安定した高橋時代に終焉を告げ更に発展すべく、現川埼重工業㈱相談役の田崎雅元社長が誕生した年であった。
 少し年代が脱線した様だが、私は’91年に㈱汐見アルミからKMJに復帰CS推進部お客様相談室の立上げをやれと古谷専務言われて、まず明石にそうして東京に素晴らしいお客様相談室を作ったのである(カワサキの相談室は本当に親切で信頼の置けるとお客様に喜ばれ、差し入れも再三の珍しい相談室でもあった)
 しかし、これから私は流浪のたび転々と職を変る人生の始まり始まり、だが何故かカワサキからは離れなかった。thirai

 
[PR]
by toshi-hirai | 2010-02-13 21:20

「カワサキに想う」34

 ソレハネ~1992年に起こった
 ’92年の全日本選手権TTFー1シリーズはまさに戦国時代・・・HはRVF武石・YはYZF永井・SはGSXーRW青木・我らがKはZXR-7宗和・北川・塚本世界でも日本でもカワサキの大活躍の年だった。
 思い出す’92年の最終戦筑波での出来事である、それはシリーズチャンピョン決定が最終戦に持ち込まれたことに始まる。
 スタート・・・ホールショットで飛び出す宗和、実力ぞろいのTTFー1ライダー達が団子状態で1コーナーへ、インを固める昭一・アウトから攻める北川ところがである冷静さを欠いたのか北川がハイサイトで大転倒、後続車が次々に北川のマシンに突込んでレース中断、再スタートここでまたまた信じられない、今度はK宮崎を巻き込む中盤以降のトラブルでレースまたまた中断、三度の正直レースは短縮されたが(34周のレースが25周に)やっとスタート出来たのであった。
 今度は塚本が1コーナーに向けてロケットスタート、1周目の並びは昭一の後ろにチームメイト宗和・武石・青木・北川と混戦状態、3周目には武石・青木が宗和を抜いて2・3位、後ろでは北川もTカーでは駄目6位に後退と言う有様20周目宗和が武石を抜いて3位に、その前では青木がまさにテール・トゥ・ノーズの言葉通りの肉弾戦、しかし、昭一にはまだ余裕が見られたのである。
 とりもなおさず、昭一は北川の前に居たのだからポイントの上では北川の前を走ったらチャンピョン決定であるが、昭一も迷監督もそんなことは考えていなかった、それはこのレースだけを考え勝負は北川で無く自分であった。
 そうTOPでなければならなかった青木ではない、でも昭一は青木の前を走っているのである、1位だった最終コーナーに飛び出してくる2台のマシーン黒いヨシムラの青木より一瞬早く栄光のチェッカーが昭一に振られたのであった。
 競り勝ち、栄冠を手にした塚本はアクセルを少し緩め1コーナーで初めて体を起こし天に人差し指を高々と突き刺し、緊張感より開放されたライダーに相応しい、静かで誇り高いゼッケン1の雄たけびであった。
 観衆も・監督も・マシンも・メカニックも心から昭一に「おめでとう」を叫んでいたに違いない!!!思い出しても背筋に汗がタレル嬉しいシーズンであった(内容はKAZE1992DECEMBER VOL,37より抜粋)thirai

*写真はNO1とNO5の勇姿、祝賀会で昭一&愛妻そしてお祝いを得意に語る迷監督
e0190502_1914531.jpg

 
e0190502_1855584.jpg
e0190502_1856184.jpg

[PR]
by toshi-hirai | 2010-02-11 18:35

「カワサキに想う」33

 ・・・・・今日は1987年から1990年代を少々思い出してみたい・・・・・
 まずは年表である1986年安定した10年にも及ぶ高橋内閣が大庭社長から引き継がれ発足したのである、
資本金も驚く無かれ2億7千万円本社を東京の港区に構え,世の中は新人類・チエルノブイリ原子力発電所の事故・ブラックマンデーとかで騒がれていたようである。
 マシンは世界最大VN1500ccA・ZX1000B・ZR400ゼフアーそうそうオートバイ生産累計700万台平成3年にはバリオス・KDX250SR・・・とか、忘れてはならないルマン24H耐久(1989年)で世界3位を獲得(一位と時間は丁度1分の差(記録では①23 51 26 83 ②23 52 09 54 ③23 52 25 17 とある) 素晴らしい。
 今、私の手元に何故か¥820円のThe Kawasaki vol.3 ル・マン24時間耐久レース特集なる小冊子がある、私もお世話になった故 武本 晃、の活躍を是非ご紹介したい。
           「ル・マン、そこにカワサキはいた」
 ル・マン24耐久レース、世界中でもっとも過酷な”テストコース”である。
 ライダーも(宗和孝宏・多田喜代一・塚本昭一)マシンも(ZXR-7)メカニックも(渡辺芳男・釈迦堂利郎・前田和広・藤本延彦・中村浩三・戎 俊・和田 斎・渡辺嘉雄・田村嘉隆)の面々、遅れました総監督武本 晃・出ました監督 野田忠世である。
 24時間という”与えられた極限の状況下”武本総監督は「まずはきちんと結果を残すことをレースの目的にしたい」だとさ、イヤー憎たらしいである(なかなかこんなこと言えないですぞ)しかし、このレースの結果が全てのカワサキの車にフィードバックされる、だからカワサキがル・マンに居たのである。
 日本人だけのチームはおそらくル・マンでは初めてのこと、カワサキにとっても久しぶりの海外遠征である、此処で活躍したチーム・カワサキはトテツモナイ結果を持ち帰ったのである。
 と見出しに書いている(カメラがまだ帰ってこない近じか写真をご披露するつもり)
 この快挙の後に我が昭一が1992年カワサキにF-1チャンピョンをもたらしたのである・・・
       乞うご期待!!!何度書いても素晴らしいものである。へへへthirai

 
[PR]
by toshi-hirai | 2010-02-11 07:55

カワサキレーシングOB会5

 17名にも及ぶ老男若男ライダーのことをそれぞれに思い出がある私は何者、この間もスピーチの時メイハツ初代の中野尚社長から田崎社長から大前社長まで13名、47年にも及ぶ長きに渡りカワサキにお世話になった、切れば緑の血が出るカワサキ真打の平井ですと堂々と名乗れる私は幸せ者、カワサキのお陰で色々なことを教えてもらい今日の平井があるのである。
 サーキットを二つも作りしかも一つは韓国太白市にである、日本男児ここにありカワサキの真打此処にアリである。
 これからカワサキを駆り最後のアガキ㈱神戸スーパースポーツレイシングを立上げレース場(昔は〇の上)で死ねたら本望と本当に考えている「バカ男でもある」 しかし、男はロマン夢が無ければ男でないと思う今日この頃「バカは死ななきゃ治らない」であります。
 これにて楽しかった2日間の思い出の完結である、早く来い来い第3回である、アアー楽しい人生バンザイ、カワサキ有難う、レース有難う、皆んな有難う。
 また「カワサキに想う」33回から続けますよろしくお願い致します。 thirai
e0190502_17101167.jpg
e0190502_171028100.jpg

 写真説明 兵庫県二輪自動車協同組合岡山国際の走行会の時、キヨさん・ショウイチ・あきら・ビーライン(阪神ライデングの店長渡辺さん・社員お名前ゴメン)そして小野ちゃん・私、女性はだれ?誰かの彼女???イヤイヤ湯郷の温泉旅館の女将&サインをしているあきら、されているのはビーランド(オートバイ総合パーツショップ)の青山ちゃん?です
[PR]
by toshi-hirai | 2010-02-06 20:22

カワサキレーシングチームOB会 4

 イヨイヨ「Team Green」+そのルーツ「神戸スーパースポーツレーシング」のつわもの達を紹介できる時がきたぞーーーーー
 ソモソモ、KSSRは趣味・興味から神戸(営)が販促のつもりでやっていたので、あまり勝敗に拘らず楽しく皆がオートバイをエンジョイ出来たら良い程度のレースでRRは鈴鹿・MXは加古川河川敷と決まっており、月イチが待ちどうしかったものである。

 ⑮竹沢正治 、名古屋(営)鍋ちゃんが平井さんエライ早い奴の面倒を見てやなも?と送り込んで来た早い奴、KSSRが変るきっかけである、川崎重工のテストライダーとして入れてもらい、同僚の杉尾良文・吉田豊次郎と共にKSSRに勝ちを呼び込んだのである。
 当時は3人のライダーでMX四国選手権に殴り込みをかけ見事出場全種目制覇(1・2・3)鼻高々と帰還したものである、当時、四国松山に武智所長が居り我々を歓迎してくれた。
 KSSRに2階級特進、憧れのゼッケン24(赤白)をもたらしたのもタケである、このゼッケン24が全日本MXの緒戦に125ccクラスで見事優勝を果たしたのもオドロキであった。
 愛妻琴ちゃんの話もあるが今日のところは、今回のコンペにグロス83優勝を果たした?勝つことが好きな迷監督の下良い選手が生まれたのである、タケには愛妻に加え色々と思い出はあるが次回にチャンスがあれば又、紹介したいものである。

 ⑯杉尾良文 兵庫県会議員(民主党兵庫県幹事長)5期を勤めるエライ人である、一番の出世頭では?その杉尾がである、初めはYだと思うがエキスパートジュニヤーの時、カワサキを飛び出しチャンピョン目指して挑戦を初めたのである、勿論’75 125ccクラス・’80 250ccのチャンピョンに輝いている。
 そうして県会議員20年も勤め県民のために仕事をするなんて、並大抵では出来ないこと、イヤー素晴らしい杉尾大先生である。

 ⑰塚本昭一 これまた努力の人昭一である、彼もまた「TEAM GREEN」のMXの出身でエキスパートジュニヤーの時、スピードが早すぎたのか足の靭帯を切り先生からレースを諦めてお父さんの仕事を手伝うと言う事で金澤に帰って居たはずなのに、鈴鹿でYに乗り走っており「アホ!!!カワサキに乗れ」とカムバック’92年にTT-F1のチャンピョンに輝いた文字どうりカワサキのエースであり、宗和・多田・塚本の3人でルマン24Hを見事に走り3位を獲得した猛者である。
 彼とも30数年来の良き友であり私も彼を尊敬している一人でもある、話題はタケ・ショウイチ・杉尾・皆、共に色々とあるがこれまたチャンスがあればご披露したい。
 ’私のブログが’92年に差し掛かったら当然ショウイチは出てきます。

⑱梁   明 これまたカワサキとは切っても切れないライダーであるが、如何せん私がセントラルサーキットの許認可作業に従事している時のライダーで、あまり思い出はない、残念である。thirai




 

  
[PR]
by toshi-hirai | 2010-02-06 08:11