Team Green

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「カワサキに想う」 43-1

・・・ル・マンの予選がが始まった日本の4人は?宗和は走ってみてコースの荒さ、NO1のミノルタ・スズキの早いこと、そうしてNO3のホンダも早い多田はこけた・塚本は転ばなかった、オレも転んだら多田さんに怒鳴られるよだって・・・そのご本人の多田は「コケタラほんま苦しいわ、これが24時間かル・マンは単調な日本の菅生とあまり変らん、やっぱり歴史だけのサーキットか」・・・ところが第3ライダーの昭一は冷静に見ていたようだ「此処は日本の筑波の最終コーナーみたいにライダーによっては走るラインが違う、他のチームがカワサキは早いこれはヤバイといっているようだが?トラブルが無ければ表彰台だね、ボクは第3ライダーだからこけずに繋げるだけを今回は心がけるだけ」イヤー一人の時よりプレッシャー・プレッシャー・・・何か雨の中予選やはり去年のポールシッターホンダのビエラが1”49’16でポールカワサキはフランスのイゴア・宗和が’51秒台と4位5位でのスタートである。
 4月22日午後2時45分人々でうずまったサーキットが渦巻く中マシンはウオームアップを終えてグリットに整列するルマン式スタートで午後3時00分、24時間のレースのスタートが切られたのであった。
 54台のマシンが一斉にスタート、カワサキの宗和が3位で帰って来る、そのまま走りきったらとピットがざわめくそんな調子で始まったのである。
 チームフランスの名監督イゴールがこう言っている「一番注意しなければならないのは明け方の4時ごろこの頃には皆んな疲れてくるし当然転倒も多くなり、危険と隣り合わせ6時頃までにいいポジションを取っているチームは優勝が望めるよ」その点、今3位をキープしている日本チームは良いとこ行くのでは?
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*写真はこれから始まる熱戦のサーキット一周4,180km
 コースは単調なあまり難しいコースではない、スタート後ポールのHピエラ2番手Kクライン少し遅れてHデュアメル・ボルそうして我らが宗和順調である、しかし、その後午後5時(2時間経過)Kクラインからバトンを受けたグラジーノがエンジントラブルに見舞われ、リタイヤ、Kイゴアがまたまた第2位に一位のピエラと同一周回で食い下がる、8時間を経過した午後11時(8時間経過時点)グリットに並んだ54台中20台がリタイヤ。
 気温は10度以下・・・寒い t-hirai
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*コースクリヤー
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by toshi-hirai | 2010-03-28 18:37

「カワサキに想う」 43

 ル・マン、与えられた極限そこにカワサキは居た、日の丸を皆の夢を背負って宗和・多田・塚本が走った
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少々時計がバックしたが、日本を代表したチームカワサキの心意気を再現したい、日本人だけのル・マンは世界でもっとも過酷な“テストコース”ライダーも・メカニックも・スタッフも“与えられた極限”の中で力の全てを試される。
 チーム・カワサキの総監督 故武本 晃は言った「まずはきちんとした結果を残すことをレースの目的としたい」勿論24時間の成果はカワサキの全ての車にフィードバックされる、カワサキにとっては久々の海外遠征である、勿論3人のライダーは海外レースの経験など無いのに3人の若武者?????、いやカワサキはフランスでやってくれたのである。
Team Kawasaki
 総監督  武本 晃 監  督  野田忠世  ライダー 宗和孝宏 多田喜代一 塚本昭一 前田忠士
メ  カ  渡辺芳男 釈迦堂利郎 前田和広 藤本延彦 中村浩三 戎 俊 和田斎 渡辺嘉雄 田村嘉隆
総勢15名のつわもの達である。
 ル・マンは歴史のある大会であり、1873年に蒸気自動車アメ・デ・ブレーでのレースが、1978年にバイクの24時間耐久レースが行われたモータースポーツ発展の歴史でもあり、今日のマシンの性能が培われた始まりであったのです。
 今回日本から唯一出場したカワサキは大歓迎を受け、しかも、漫才コンビに加えモンキー塚本が(キヨさん・私にとって因縁の深いこの3人が)コースを直ぐにマスターしたのにはまわりのあちらの人たちは驚きを見せヒョットシタラ優勝かも???と騒がれたそうです。
 これからル・マン入賞の物語の始まり始まり・・・t-hirai
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*記録&写真はTHE Kawasaki VOL.3 特集:ル・マン24時間耐久レースより 
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by toshi-hirai | 2010-03-27 22:12

「カワサキに想う」 42


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・・・’93年私は社命で㈲月木レーシングにお世話になった営業である、今日はお世話になった月木博康(呼捨てゴメン)に思い出を・・・
 美人の奥さんを筆頭に一姫二太郎良きオヤジである(もう長男はこの間三十路と言っていたが?)
 こんなに優しい(どこが?)彼が、一度サーキットに足を踏み入れたら少し変ってしまうらしい、彼の純粋な血がサーキットでは煮えたぎるのでは?’93年カワサキも順風満帆調子を上げている。
 ・・・ソレハネ・・・根っからレースお宅の多くのレースコンストラクターが培ってきた努力の賜物とは誰も言わない、言わなくとも良いのであるレースがやれたらそれで満足、それがワークスに繋がったらなんて一言も言わない・・・
 ’72年月木はチームを作り’75年に今の㈲月木レーシング(’91年設立)の前身月木オートセンター(二輪販売店)を開業、好きなレースでも6耐プロトクラスに優勝を果たすなど彼の情熱は煮えたぎるのである。
 ’93年、その頃には各ワークスはカウル付きの量産スーパースポーツモデル花盛り、勝ち目の無いネーキッドモデルで走らすこと事態無茶な話であるが、ドッコイ月木はそこに「夢」を語り掛けるのである。
 二本ショックにバーハンドルむき出しの空冷エンジン月木のゼファー750である、ビットに持ち込まれたマシンは異彩を放っていた、ピットを覗いた誰もが羨望の目に変ったのである「ゼハァーだ」。
 月木は「走りだけがレースではない、ゼファーが鈴鹿を走ることに意義があるのだ」と言い切る、これが月木の真骨頂、彼のレースに掛ける情熱は勝ち負けではなかったのである、レースには人間の持つ3Sの原則(平井の考えている、スリル・スピード・S?=闘争心 3Sの原則である)があるから、レースで走る楽しさをオートバイの全てを人々に伝えたい、そうして自分自身が一番楽しんでマシンを作り上げていったのである。
 その情熱は多くのオートバイ愛好者にササヤキ・多くの愛好者に支持されたのである、結果などどうでも良いのである???月木のオートバイへの愛着はこれでは収まらず、GPZ750/GPZ1100等にもレース出場のチャンスを与えたのであった。
 やめときゃ良いのに、こともあろうに海外AMAに参戦したのだ、ライダーも日本人(確か岸田?)月木は「AMA発祥の地で日本人だけのチームを走らせたのである(成績も確かよかった)
 月木博康には「男のロマン」がある、この夢を判ってくれる人が多いほど彼の血は煮えたぎるのである、この夢を育てたい、しかし、彼一人に「ロマン」を押し付けてはならない、多くの人々が協力をして月木博康の持つ「オートバイへの情熱」を育ててあげなければ???
 今少々下火になっているオートバイ界に喝を入れたい、月木博康の持つ「夢」を二輪に携わる多くの人たちに判ってほしい、そうして彼の持つ英知を押し上げてほしいものである。
 彼は不景気の中、今もくもくと培ったノウハウを酷使してマフラーに情熱を語りかけている、「月木のマフラーには彼の情熱が一本一本に込められているのである」何時か又サーキットで彼の何時までも若いアノ童顔を見ることを念じて・・・t-hirai
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*写真はカワサキバイクマガジンより
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by toshi-hirai | 2010-03-21 09:08

「カワサキに想う」41

・・・先日(14日)NPO法人THE GOOD TIMESの総会(臨時総会?)があった時、かばん屋さんからこの名車のリリースが遅れたのでは?との質問がありました。
 真実はいかに?  
 ソレハネ 世界最速を狙うカワサキの猛者たちが贅沢にアメリカまで行って秘密裏に開発を進め、秘密の暗号開発コード「ニューヨーク・ステーキ」と銘打って開発されたこのエンジン当初は750ccとして世に出す予定でありましたが、’68年のモーターショウに出品されたHのCB750FOURに一歩先んじられた、これはイカン負けじとばかり、ナナント排気量900ccまでUP世界一を狙ったのであります。 
 コリャイカンもう4時45分、5時半には神戸に向かいます、これにてかばん屋さんの質問にご回答を(チョッと質問の的が外れたかな?)t-hirai

追伸 先日有馬で行はれた「カワサキ・レーシングOB会」の模様が別冊モーターサイクリスト NO 3 114Pに紹介されております・・・ご購入下さい、OB会の記事より現在の2輪車の置かれている全貌が面白い・・・
t-hirai
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by toshi-hirai | 2010-03-17 04:55

「カワサキに想う」40

 丁度40回’90年代に入りカワサキのレース活動も順調に推移している、その時私は激動の人生’91年にセントラルサーキットが許可されてからから、バブルがはじけサーキット建設費がままならぬ事態に陥り、ゼネコン各社に出世払いでと事業計画を持ち説明に行った、ところが鹿島建設(第一銀行⇔川重)の流れから川重の平井が(大きく出たな、一度も私はそんなこと言った覚えは無いあくまでもセントラルサーキットの役員としてお願いに行っていた)お金を借りマアって居る。
 ヤバイのと?噂、チャンと許可証&事業計画を持って応援をして戴けないか?とお願いに行ったのに「お金など借りに行ってない」マアー世間は回りまわって話が大きくなる傾向にある・・・しかし、現実はそれではでは済まされず崇拝する高橋鉄郎社長(なにしろ’86年から’96年の長期にわたり社長を)に呼び戻され、オーナーの汐見さんと涙涙のお別れ、しかし、マーアレだけの大きなことをやった自分に満足をして中町を後にしたのである。
 時まさに’91年㈱カワサキモータースジャパン総務部部員として復帰したのである、そうして、今もお付き合い頂いているNPO法人THEGOODTIMESの理事長古谷錬太郎専務にKMJのCS推進部お客様相談室の立上げを命じられたのである。
 ソラー平井君は張り切った少しKMJのお客様相談室の自慢話をぶちまけたい!!!
ソレハネ世の中が厳しくPLとやら・顧客保護とか難しい問題が持ち上がり、品質保証が大きくクローズUPされてきたからであろう、他3社は少し前に体制を整え既に稼動していたように思う、しかも、体制も充実したものであった。 
 他社がどうであろうと、我々はカワサキやカワサキ流で押し切るのや・・・これは一つ量より質・・・サービスでCS(顧客満足)をと数の上では太刀打ちできないカバーを川重に求めながら、ヨチヨチとスタートしたのであった。
 これが当たったのである、スタッフ無し平井の(勿論皆が応援してくれなければ成立たない)お客様との対話が始まったのである。
 ①秋田からのクレーム「バッテリーにヘビが入った」???良く聞くと「ヒビが入った」日本語は難しい
 ②北海道のオジーさん、50M10のタンクがほしい色はシルバーなにしろ1965年名車、部品課で探したが無し、(5年から10年はサポート出来るのでは???)ところがである、4研の4Fに(古い部品の保管庫)あったのである、勿論CS
 ③カワサキは初期クレームが???部品が遅い???それは昔の話今は世界一のカワサキ、遅くても部品は1日と豪語、強気のお客様相談室、実はこれもテクニックの一つである
 ④排気量を大きくしたいがクランクは持つか?ナヌーやめてー
 ⑤Zの火の玉タンクを探して!イヤーここで少々脱線してZ-1の自慢話を・・・スクエアタイプのボア×ストローク(66.0×66.0)・ドーム型燃焼室・直押しタイプのバルブ・クランクシャフトにベアリング・組み立て式クランクシャフト・1100ccまでボアーUPしても耐えられるクランクケース(これが悪い④だな)、カワサキの技術の粋を集めて開発されたマシン、ついに’72年DOHCヘッドを搭載したエンジンを持つ、未だにお客様に愛されている世界最大の903cc/82馬力素晴らしいマシンの誕生である!!!
 その名車を今のカワサキのお客様相談室はどうあっかって居るかな?多分大事にしていることと思う、この時期、古谷専務が累積赤字〇億を1年でちょう消しにしたZ400FXを生まれている
 イヤー思い出したらきりが無いぐらいあるよ・・・各地から名産物の差し入れがあるお客様相談室あるかな、無いだろう?・・・自慢話である・・・そうそう今日はNPOの理事会&会社でスズキ4輪の展示即売会忙しい、そろそろ準備します、忙しい事は良いことである、元気に相変わらず走りマアって居るのでありますチャンチャン。thirai

 *写真はわが社の展示会その他は帰ってから探します
 
 
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by toshi-hirai | 2010-03-14 07:19

「カワサキに想う」 39

 ’92年いよいよ平井の夢がRRにかなう時が来た、これはエライコッチャです記事はこう始まっている。
 第1戦のMINEが中止になった為、実質の開幕戦になった第2戦筑波大会、チームメイト宗和が世界選手権へ参戦の為、塚本は唯一カワサキファクトリーただ一人のライダー、北川は?(今、昭一が寝ているところを起して北川圭一のことを聞いたら彼はTEAM GREENのライダーだったらしい、しかし、昭一の声を聞いただけで電話の向うの声をですぞ、元気になる迷監督であります・・・先日思い出に残るライダーはと浦島さんに川重で取材を受けたとき、直ぐ塚本昭一と言ったのに、記事では中深迫正がとなっている中深も可愛い奴今も付き合っているが、RRのチャンピヨンが上だぜ???)マーいいやドイツもコイツも平井学校のライダーで可愛くない奴は一人も居らん(後で考えたらMXの取材だった)
 (昭一とチョッと話しただけでテンションが上がっている自分が此処に居るソレダケオレを困らせた男???)
 サテサテ本題に戻る、第2戦決勝でチームメィトが転倒したのをよけてコースアウト必死のパッチで追い上げるものの8位8ポイント(アホ前にライダーを置かないのが平井の教え、常に頭だと転ぶ回数が少ないチャンチャンである)
 此処で平井の教えを忠実に守る昭一は・・・エライ・・・続く第3戦菅生大会で昭一がやりました、IAで初優勝・・・少々昭一の自慢話を聞いて下さい。
 第2戦の8ポイントその8ポイントがチャンピョンを引き寄せたんだと彼は言い切る、最終戦までもつれ込んだチャンピョン争い、会社は当然塚本・北川どちらでもカワサキがチャンピョンを取れば良いのだが、オレはゼッタイチャンピョン取らなければならない、昭一はチョッと違う「自分の置かれて居る立場が厳しければ厳しいほどそれを励みにして来た」だとさ、素晴らしい、そうです波乱万丈のレース人生32歳にして勝ち取ったNO1であった、そうして迷監督にも自慢の夢が一つ達成できたのである。
 「オレ絶対に諦めなかった、スッポンの塚ちゃん???おサルの塚ちゃんでは?演歌のような走りがしたい、北島三郎の歌を聞くと元気が出るとか力が湧いてくるとか言われるけれど、俺の走りを見て生きる力が湧くと言われるような走りがしたい・・・彼は「オレのやりたいことは絶対にやる」である・・・
 TEAM GREENの北川も昭一に一歩も引けを取らない活躍をしてくれた、第6戦200kmではコンスタントに走り3位をゲット第10戦ハイランドではワークス勢を抑えて独走で見事優勝を勝ち取ったのである、このレースからX-09の開発ライダートレーバー・クルークスが実践参加、雨の中で安定した走りで4位になっているのである。
 激しいポイント争いコンスタントにポイントを上げる北川が3位・第8戦を3位に付けた昭一が、第9戦では塚本2位これで第9戦終了後同ポイントの3位、オマケに第10戦では総合1・2位が転倒、年間チャンピョンの行方は最終戦にもつれ込んだのであります。
 何はともあれこの’92年はカワサキの活躍の年であったのには「色々アラーナ」でありました。 thirai
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 :写真はCYCLE SOUNDS’92の思い出&レーシングヒーローズ昭一V2宣言より
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by toshi-hirai | 2010-03-07 08:48

川崎重工㈱のホームページに出ました

 こんばんわ、川崎重工㈱のホームページの中にある [kawasaki DIRT CHRONICLES]を検索してVOL12に平井が出ていますご覧下さい。直接上記で検索しても出てきます。
 先日浦島さんに取材された記事です、まずはお知らせまで、それからね、レース写真の②+20秒のサインを見て下さい、HのTOPを走っていた佐藤選手に出していたサインです(後ろでボーと長沼が応援しています)
 その時、佐藤選手は不思議に思ったのです(カワサキの監督が何故オレにゼッケン②カワサキの多田洋之 のことを教えてくれるのかな???)彼は周回ごとに変わる+の秒数が少なくなるのに焦りが生じて自滅したのである、バカヤナー教えているのだからマイペースで走れば良いのに人間あせっては事を仕損じるのである・・・
 平井と言う男は誰でも良いTOPが好きな男であり、あの写真のように優しい男であるヘヘへ、 Kのマークが反対だな少し良心が・・・・・ thirai
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by toshi-hirai | 2010-03-06 23:37

「カワサキに想う」 38

 ’91年は’90年に引き続き調子はいい状態だったが、年頭に発表されたZXR750のレーサーの開発が遅れたらしい、3月3日モモの節句から始まった’91年レースシーズン開幕当初には’90年モデルで戦ったのである。
 ’91年の始まり始まり、レースは宗和セカンドP、決勝で宗和4位ドーソン5位古いマシンでこの順位、ライダーもやる気充分と見たのであります、そうして第2戦からイヨイヨニューマシン登場、ZXR-7を駆り塚本が続く第3戦にはIAなって初めて3位お立ち台に上がれたのでのである。
 ZXR-7も徐々に仕上がり、同じこのレースではZXR-7ドーソン&RVF宮崎の火花を散らしバトルを展開で観客の皆さんをコースに釘づけにしたそうである、またまた第5戦塚本が定位置3位???を獲得ドーソンが2位宗和が4位と頭をはずした2・3・4フニシュ、これは迷監督には許せない、何故偉大な1位が取れないのだ。
 同じだけのポテンシャルを持つZXR-7を何故1位にバカだなー3人は、何故1人を3人でトッチメられないのかなーやっぱライダーが?これは違ったとうとう第8戦筑波でやりました、TOPの北川がミスを犯した一瞬宗和がTOPに躍り上がりそれから独走ついに念願の優勝を勝ち取ったのである、昭一は定位置の3位ドーソン6位いよいよ本物のカワサキの快進撃が躍動始めた初優勝であった。
 イヤーこの年の8耐は、ナナント5台ものエントリーを・・・宗和&塚本、ドーソン&スライト、ピエラ&デュハメル、クライン&モリソン、
team greenから北川&鶴田、結果はteam greenの北川&鶴田4位日本人ペアー最上位、5位にワークス宗和&塚本、6位にドーソン&スライト、8位にクライン&モリソン、ワークス最下位だが12位と健闘?1位が無い、このところ一つ定位置を上げた塚本が2位を第12戦でお立ち台、第14戦では宗和が’91年2回目第16戦3回目の優勝、最終戦はドーソンの優勝、塚本定位置の2位此処で昭一が’92年向けて燃えたのであります。
 この年、海外では耐久選手権でピエール&デュハメルがチャンピョンを獲得、耐久の常連フイリスがスパーバイク選手権で3位と大活躍波乱万丈の素晴らしい’91年であった・・・
 写真は数々の思い出「CYCLE SOUNDS」より
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by toshi-hirai | 2010-03-05 22:39