Team Green

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「カワサキに想う」 44-4

・・・今日は祭日チョッとイップク、今、当社中村部長が二輪の輸出は?とリサーチに行った外遊お土産ベトナムコーヒーの苦い奴を飲みながら「カワサキに想う」を読み返し、先日兵庫県二輪自動車協同組合の総会に招待された時(イヤー豪華な客船で神戸クルージング約2時間の船旅での晩餐会を堪能した)話題になった、元MKおもちゃ館の北さんが私のブログを初めから読んで頂いた「感激・感謝・涙」の嬉しい一時もあったので、改めてコレハ一生懸命やらなアカンと、つたない私のブログだが励みが出来て来たのである・・・
・・・それと、もう2週間にもなるかもしれない兵庫メグロのHP、Q&A(メールだったか?)にZ400EEのピストンリングSETが欲しいが何処で訪ねても「販売終了」貴社に無いかとの質問が飛び込んできた。
 お客様相談室の創設者と自他共に許す?カワサキの真打平井の出番である、まず、部品課(玉津にある)にGPZ400のピストンリングの在庫を調べてもらったら「販売終了」との事、そこで食い下がる平井ではない、今度はカワサキの誇るお客様相談室(0120-400-819)に電話、何か互換性のある機種(ボアー×ストローク)を教えて?どうやらZ400FXが?とのこと、そこでカワサキの生き字引?わが社ベテラン古田耕吉&SRSカマサキの店主釜埼一広両氏に質問したところどうやら互換性があるらしい。
 折り返しご質問のあったお客様より部番13005・13024・13025との返事を戴き、改めて部品課に在庫確認「アツターバンザイ」「カワサキは凄い」」25年前???のピストンリングが???(何も不思議なことは無いのである「オリジナルorコピー特集」をやっている今、申し訳ないが中身はあまり変っていないのである。
 1986年GPZ400Rボア56×ストローク40,4mm・FX400Rボア56×ストローク40,4mm) 欲しいのは「執念・愛着・考え方」である、確かに約25年も前の部品を下さいと言われても、メーカーとしても在庫をしている訳が無い「販売終了」が妥当である。
 しかし、「カワサキの凄さ」今尚現役でお客様に愛されている「W-1・Z-1・GPZ・FX」等々が存在するのである。
 
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 *写真はワールドMCガイドより同じスペックのGPZ400R&FX400Rである
  これで部品騒動も一件落着メデタシ・メデタシ「カワサキバンザイ」である。
 ・・・コーヒーブレークも終り・・・t-hirai
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by toshi-hirai | 2010-04-29 08:16

「カワサキに想う」 44-3


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・・・写真は左側 稲村氏 右側 富樫氏である富樫さんは元気かな?・・・
 ・・・今日は稲村語録に耳を傾けてみよう・・・稲村暁一それはカワサキを語る上で忘れられない人物である、ゴルフでシニァーテイーから打っているので歳は私より少々お若いのかな?・・・
 でも昔からの若白髪は今でもギンギラギン髪に輝いているナイスガイである、何時もニコニコ温厚なあの顔、アノ頭はどうなっているのかな?カワサキの誇る重量車のルーツが、これから始まろうとしているのである。
 64年に開催された東京オリンピックの聖火リレー伴走車として開発されたK2が60型メグロスタミナK1に端を発しOHV2バルブツインがK2に生まれ変わる。
・・・思い出・・・充電を担当するダイナモがチャチだったのか低速運転の為バッテリーへの充電量が足りない満タンのバッテリーをトラックに積み途中でバッテリーを替える作業が、国道9号線(湯村から和田山・京都を結ぶ)を「下にー下にー」とお通りの際の当時豊岡営業所を作る少し前の我々但馬担当営業+品証部サービス班の仕事になった、人々が聖火を見送り居なくなった9号線をトボトボバッテリーを積んだ聖火オッカケ隊カワサキのサービスカーが走ったのである・・・
 この時に刷新を受け、W-1へと進化する時にマタマタ大改造がなされたのだが、先に紹介したように後にZ1・Z650・GPZ900Rといった並列4気筒を生み出したカワサキの頭脳?稲村暁一その人である。
 ?とは、一人稲村さんが偉かったのではない(しかし、エンジンは稲村さん一人かな?)その時、メグロの技術陣はSG250ccの開発にテンャワンヤ、お鉢が稲村さんに回ってきた様であり、数少ないメグロの技術陣から、サポート役に富樫・糠谷・小野田・渡辺・竹洞等各氏が移籍されて川崎の技術陣に加わったのである。
 稲村回顧録「これからオートバイをやって行く、この時期にパイプフレームの技術を得られたことは、エンジン屋の私としては非常に有難かったですね」・・・
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・・・写真左側 BSA 右側 W-1 コピーではない・・・
 K2が開発に着手したのが62年末先に述べた東京オリンピック警備用の白バイ受注を見込んで計画されたのである(営業担当も素晴らしいヤル気満々である)
 営業サイドは64年の4月にはリリースを望んでいる、テストの時間がない設計者としては考える時間が無い多いに不満だった・・・ここが本当にカワサキの良さである、カワサキ魂の一致団結が、いいマシンが生まれ今尚、W-1が生存し、今尚、レーシングOB会であり・Z-1会ではなかろうか、自己満足ではないカワサキ全体の自慢話である、現在のカワサキマン少し考えてくれ・・・
 「品質を安定させる為に手を入れるのが精一杯でした」品質の安定とはクランクシャフト支持方式を変更したことであった、稲村さんは「K1のクランクはタイミングギヤー側にはメタルブッシュで出力取り出し側がローラーベアリング(BSA A-7と同じ形体である)これは原理原則にかなっていない真ん中にドデッカイフライホイールがあり、左右2点支持のクランクでこれだけ大きなフライホイール「ドッカンドッカン」やられたら、たゆんだらメタルプッシュのエッジロードが増加して焼き付きを起す、この状態を回避する為タイミング側ボール/出力側ローラーベアリング(その経験からW-1は両サイドボールベアリング・オマケにコンロッド大端部にニードルベアリングを使ったのである)
 ・・・思い出・・・故西海義治(兵庫メグロ販売㈱創設者でありメグロを走らせたプロライダー)がよもや話でこのクランクのベアリング談義を私に「オレが川崎の技術陣に教えた」と豪語していたことを思い出した・・・沢山のW-1の裏話をしてくれた、しかし、確かめる術も無いオヤジは今極楽か地獄をカワサキに乗りさまよっているのである)
・・・残念だが真実であるオートバイの神様本田宗一郎氏(勿論ホンダ)とツーリングを楽しんでいるのと違いまっか?ご冥福を!!!t-hirai

 
 
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by toshi-hirai | 2010-04-25 07:52

「カワサキに想う」 44-2

e0190502_7464781.jpg・・・コピーと言うが内燃機関そのものが→吸入→圧縮→爆発→排気→この行程で熱エネルギーを機械的エネルギー変換しているレシプロエンジン、この作業を基本として繰返し行って動力を取り出す代物ヤンか、どだい基本がひとつなら造る人成りにより変るだろうが同じ様なもの、私もオリジナル&コピーどちらでも「エェヤン」自分の気に入ったらと思っていたが、先日の大槻会長(Z-1会)のコピー談義その横でニコニコ笑っていた稲村さんカワサキの中枢の両巨頭、いやZ-1会には百合草さん以下大槻会長の後輩がひしめいているのである。
 素晴らしい、今からでもZ-1会で何かカワサキとしてプロジェクトを立ち上げ物を造ったらとてつもないものが出来るのでは?少なくても熱意は大いに高いものがあるオジン集団である。
 少々本題から外れたが、今回「クラシックモーターサイクリング3」を見せていただき、技術者の意気込みが細部に浸透して、これは、高速型にとか耐久性重視とか、営業的には乗り心地・走安性・スタイル・トータルバランス等々色んな論争があり、外観は同じ様なもでも?内部にはそれなりにそれぞれの個性があるのが良く判った、W-1はコピーではない。
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・・・此処で種子島さん、私がカワ販安全運転指導部課長時代に上司で1年間お世話になったが、自ら「お金がほしいBMWに行く」と残して去った人だが、「サム・アメリカを行く」の著者でありカワサキとは切っても切れない人である。
 そのサムが66年からアメリカで販路獲得で走り回った時「私はW-1にはあまり思い入れがない、アメリカにカワサキを持ち込むのにカワサキの80cc~150ccだけでは話にならないだろうからW-1を持って行ったが気持ちは開発途上の2ストロークツインのA-1SAMURAIだったのです」サムがアメリカを走り回り販売店(デストルビューター)確保の為、訪問した時には、国内3メーカーも挙ってアメリカをターゲットに台頭し始めたものの、未だトライアンフを筆頭に英国車勢力を維持していた時代「長い歴史を持つ欧米メーカー新勢力の日本車が平和的に住んでいる感じでしたが、彼らは欧米車はモーターサイクルで、日本車はバイク、バカにしたのではないが、排気量の小さい日本車はモーターサイクル未満的な扱いだったようです」いずれにしてもアメリカを舞台に活動していた主な機種トライアンフのボンネビル・ハーレーのスポーツスター他にも沢山人気機種はあったが、この2機種は格別だったらしい。
 アメリカでも有名なディストリビュータージョンソンではサムは凄い剣幕で「W-1はBSAのコピーほとんど犯罪に近い、メンテはどうする販路は?エンドユーザーは間違いなく不幸になる」やり込められたが後で考えると日本車に対し既に脅威を感じていたのでは?事実数年後にはCB750F・Z-1が登場してBSA&ノートンが無くなる運命を辿る事になってしまったのである。
 サムはこう結んでいる、日本に戻った私は同じ感覚で日本の販売店を回らして頂いたが「Wこそがカワサキである、マッハも良いが、振動・鼓動・排気音を持ったWなくしてオートバイを語る無かれ」W崇拝者である故岩崎茂樹がいたりサム個人的にはあまり思い入れが無くてもメーカーにとっては欠く事が出来ない重要な機種であった」と回顧していたのである。t-hirai
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種子島 経氏である
 *写真は全てクラッシックモーターサイクリング3より
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by toshi-hirai | 2010-04-18 08:51

「カワサキに想う」 44-1


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・・・先日Z-1会(大槻会長)に古谷さん(NPO法人THE GOOD TIMES理事長)のお骨折りで、私と杉尾さん(現県会議員)の二人が入会を許して戴きゴルフのコンペに始めてお邪魔した。
 ソウソウたるメンバーがそこに顔をそろえていたのである、まずはオンタイ大槻元常務、思い出はジェット本部長になられた時ご挨拶をした「レース頑張って下さい」と言われた、古谷錬太郎カワ販で長らく専務をされ、チーム・グリーンの立上げからお世話になった良き上司である、稲村暁一技術部一筋Z/W/GA/C2SSひょっとしたらマッハ・H2H1ゼファー・全ての設計を?次回開発機種を聞いてみる、イイさん(初代カワサキワークスMXライダー)KIYOさんミスターカワサキ・百合草モト常務レースの好きなユリさんお世話になったエライサンである・野田さんこの方もアメリカKの社長さん会社で採用した能率大学(通信教育卒業したら報奨金+授業料会社持ち)私とただ二人だけ卒業したと思う、・吉田和さん・細井さん・杉尾さん竹沢と競ったワークスライダーである・中村・栗島デザイン担当・渡部さん・小林さんカワ販の重鎮・重ちゃん私の後TEAMGREENの監督である・永友さん永久のお友達私の上司であった・北村・那波・森田・西海・吉田一郎・梁・柴田・藤原・下森・伊吹・山田・・矢藤・船倉・田中のエイちゃん・大津大監督・細井独特の声少しも変っていなかった・松尾さん4研の主である。
 当日は33名の出席だったが(全員70数名に及ぶ大家族であるらしい)皆さん懐かしい顔ばかり名前とお顔が一致しないものの顔見知りの方ばかり、またまた採点の間に平井ブシをやってしまったのである(キヨさん・タッチャン・イッちゃんのお囃子を合いの手に)
 イヤーカワサキはこんな所がいいのかな?屈託の無い「笑い声・嬌声」何かしら年がたって皆さん一段と元気になったみたいである。
 最後の〆に会長大槻幸雄(もう80歳に手が届く様子であるが100を切る勢いであった)の一言、何を思ったのか横に稲村さんを侍らせカワサキZ-1の話になり(Z-1会だから当たり前か?)コピーの話になったのである。
 メチャクチャ懐かしい話だった、毅然とした中に憮然とした闘士のまだまだやれる顔をそこに見たのである、コピーの話ならCLASSIC MOTORCYCLING3(1995年11月1日発行クラブマン11月増刊)がここにある「Copycat or Original?」徹底比較:BSA-A10&KAWASAKI-W1の特集である。
 「日本のW-1」このルーツにもコピー論議があったのである良いものには何か物語がある、強者は常に狙われるのだろう?これから熟読してお許しを戴き皆さんにご披露したい、カワサキのW-1の真の生い立ちを思い出して戴きたいのである。
 Z-1会に出席してW-1を思い出すこれこそカワサキの真打の由来である、・・・活字は素晴らしい思い出を何時までも残してくれる・・・皆さん全員に思い出があるひとばかりであった・・・乞うご期待である?t-hirai
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by toshi-hirai | 2010-04-17 07:02

「カワサキに想う」 43-5

・・・かくして日本人だけのチーム・カワサキがル・マンでこの快挙をヤッテしまったのである「私は常に1位しかない」とつぶやいているが、全て携わった人々が結集して勝ち取った3位には意義がある・・・
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 このレースでカワサキは3位をもぎ取り大きな財産を得たが、それにもまして大きな人材を失ってしまった。
 故武本 晃その人である、彼は私にとってもかけがえの無い財産であった、温厚な人柄、しかし、どこか頑固な一面を兼ね備えた闘将である。
 あくまでレースでは勝ちを取りに行く「故武本 晃」今天国で「今のカワサキをどの様に嘆いているのだろうか」ニコニコあの温厚な笑顔で見ているのかな?それは無い「あまりの不甲斐なさに嘆いているのでは?」
 ソウソウこんなことがあった、それは、’87年のアノ「アイアム・ソーリー」を私に言わせた鈴鹿8耐にも大きな思い出として残っている。
 それは、タイヤのチョイスで総監督は「勝ちに行った」「オレが全責任を持つ」と、こともあろうに契約を破ってまで宗和&多田組のZXR-7にダンロップからミシュランに履き替えさせてしまったのである。
 マシンは、トータル・バランスの塊である、過酷なテストがダンロップを履いて行われた車に瞬時、雨にはダンロップが強い???晴れにはミシュランそれは無い、しかし、ライダーのわがままを聞き入れてまで「勝ちに行く」故武本 晃をそこに見たのである。
 私はコーク&ロブにタイヤはダンロップで行くいいなと駄目を出したら、「トシ」(彼らが私を名前で呼んでいた)の言うとおりに我々は走る「・・・ナント・・・これこそがプロフェッショナル」私の忘れられない思い出での一つである。
 カワサキはル・マンでアノ過酷な23時間50分の熱戦を頭を取るべく走り回ったのである、結果は3位となってしまったが、フランスの2位と共に称すべき快挙であった。
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 チームカワサキの総監督 武本 晃が、このレースの後6月8日午前8時20分に急逝されたのである、ここに謹んで哀悼の意を表しご冥福をお祈り致します。(前に書いたがあえて今一度言わせて下さい)
・・・「ル・マン、与えられた極限・・・だから、そこにカワサキがいた」・・・
・・・有難う思い出をカワ販が残したTHE KAWASAKI vol.3 特集ル・マン24時間耐久レースより・・・
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by toshi-hirai | 2010-04-11 06:56

「カワサキに想う」 43-4

・・・レースを終わって漫才コンビ宗和&多田+モンキー昭一のインタビューをご披露します・・・
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 (記者)多田さんはチームのまとめ役として頑張ったようですが?・・・えっ?オレがウンそんなこと無いけど、宗和も塚本もそこそこ尖がったところがあるから(だからどうやチュウネ)マアーそんな連中のバンバー的なところがあったかなーまとめ役と言うより、たまにはオッサンになってなだめる役割かなー、特別まとめ役チュウより俺自身もまだまだ遊びたい年やから、(記者)コンデションには特に気を使われたでしょう?・・・身体の?言うほどはね、毎晩夜更かししていたよ(記者)そうですか宗和さんは?・・・ウン皆でワイワイ言うて遅い時は2時ごろまで起きていたな、外には出ずに部屋に集まって「早よ寝~よ」と言われてもワイワイやっていたよ。 
 (記者)ところでル・マンですけど、多田さんは鈴鹿と比べてどうだったのですか?・・・いや24時間の方が楽やった宗和が走って2時間目にオレが乗って、そこから塚本・宗和、オレは5時間目に乗るわけ(アホ2時間目に乗り2時間休んで1時間ソラー初めは5時間目だがなもし休みは2時間だけ言うことが解からんかメチャクチャ)
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次の2回目言うても5時間(アホ2時間だけや)も時間がたっている訳や、時間は早く経ったように感じたよ、オレは夜の受け持ちが多かったので9時までは明るいのよ、だから夜が来ても直ぐに朝が来る訳よ、マアー考え方だけど楽やった疲れへん訳はないが、鈴鹿ほどはね?鈴鹿はコースレイアウトからしてしんどいけど、(記者)観衆はどうでした?・・・イヤーなにしろあのヨーロッパ版マッド・マックスみたいな奴ばかりがイッパイ居てね、なんか黒々としたなんか凄みのある連中がヨーロッパ中から集ったみたい、でっかい図体して大きなバイクに乗って集るバイキング??見たいやった。
 (記者)ところで塚本さん緊張はありましたか?・・・ンーやっぱりね緊張はあった様に思ういきなり24時間耐久に出たわけやから、行く前からコケたらアカンと思っていたし多田・宗和さんからコケたら殺す言うてたしプレッシャーはあったが何とかこなした様に思う。
 しかも、オレだけが一回もコケンかった日本に帰ってその分2回もコケたんや、(記者)ピットの横に大時計がありましたよね見ます?レース中は・・・オレずーと見ていたよ(記者)最終ライダーだったのでゴール前にはずーと見て居ましたか?・・・ウン一周1分50秒しかたたんやろ、針動くわけ無いな言うほど???いきなり5分も時計が回ったら、俺の走りが一周5分掛かった事になるからね(記者)完走してゴール前になると緊張しましたか?・・・全然、オレ腹減っとって、明け方にうどん食べただけやった「頭に寿司がラーメンが浮かぶは、チェッカーなかったから終りを教えてもらいそれでレースが終わった。
 (記者)塚本さん、レースが終わる直前に観客がなだれ込む事を聞いていましたか?・・・アア終わる10分前には出てくる聞いていたよ、何か沢山観客席から降りてきてガードレールの間に待機していたやろ次ぐらいに出て来るのと違うかな?思っていたらドーと来てレース終了。
 (記者)それでレース終わって表彰?多田さん遅れて来たよね・・・そう、表彰台に行ったら宗和と塚本が先に来ていて、それで観客に向かって手を振っていたらシャンペンが来た、宗和が「多田さんシャンパン抜き~」言うて俺に渡してくれた、客に掛けてグイグイのんで腹減っていたので酔いが回って急に顔がボー(アホお前は何時でもボーや、これは私の独り言)
 (記者)それでは宗和さん今までのレース経験を振り返って今回のル・マンは思い出深いものになりましたか?・・・ウン日本人初と言うのがあるからね、耐久レースで皆が知っているのがやっぱりル・マンやもんね、歴史になったなーと感じるは、ル・マンやもんねー、これでカワサキのレースヒストリーブックにも名前が残るのと違うかな?耐久のカワサキと言われた’81・’82年とか、その頃を思い出してくれる人も居るやろうし、子供にそのうち自慢話が出来るかなー? t-hirai
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*写真はスナップ
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by toshi-hirai | 2010-04-04 19:18

「カワサキに想う」 43-3

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川崎重工業㈱CP事業本部技術総括部プロジェクト室 主幹故武本 昇氏は、同年6月7日急逝されましたご冥福をお祈り致します。

・・やったぜル・マン24時間耐久日本人だけの快挙3位(銅メタル)戦い終えた戦士にきく・・
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 レースを終えてチームカワサキ野田忠世監督
 (記者)初めてのル・マン出場でしたが作戦は?・・・ともかく日本でレースやっているような感覚で取り合えず完走を目標に(オレと違う俺なら勝なアカン)24時間走ろうとそれが何より優先でした、だからタイム出すよりペース抑えてと作戦を立てました。
 (記者)しかし、レースガ始まったら高ポジションをキープしている・・・マアどうしても順位が上がるとHが追いかけてくると「もっと行け」と指示を出したり、でも全体的には完走をせよとか???(記者)それじゃー展開としては予想どうりですね?
 可も無く不可もなくの展開でした最後に追い詰められて迷ったこともありましたが、結局は完走せーとのことでペース落としてでも行くと(オレやったら戦い終わってからのインタビュー張ったりかましてイヤー優勝を狙って行かせましたマシンを信頼していましたから・・・ぐらい吹いているが・・・やはり技術者だなー)しかし、ライダーもメカニックもレース配分がつかめなかった。
 初めに飛ばすのか、真ん中か?夜はどうなる、雨対策は?周辺の情報が大切だなーと言うのは痛感しました、(記者)初参加で3位これでライダーもメカニックも自信がついたのでは?・・・それはあります、想像以上に激しいレースでしたから、時間が長いだけにプレッシャーが掛かるしそんな中で走りきったと言うことは大きな自信になったと思います。
 (記者)メカニックはズートおきていたのですか?・・・そうですだからメカニックは一番辛い目にあっていますね前後72時間耐久になるのですから、この時期フランスは9時まで明るく8時くらいまで昼間の条件メカニックは練習が終わって2時間~3時間整備翌朝7時から走行、寝る時間が少なくなる(オレやったら3時間寝たらOKナポレオンや)(記者)24時間耐久を走って鈴鹿8時間に弾みがつきましたか?・・・しょっちゅうPITで話をしていました鈴鹿だったら終わっているのに、とかヤット鈴鹿の2回分走ったとか、だけど24時間と8時間は全然別の世界ですよ、コースにせよ作戦にせよハード面から言ったら24時間持った部品は8時間は大丈夫、マーレースをハード面で予想は出来ないですね。
 (記者)監督にとってレースとは?・・・そうですねやっぱり勝つだけではない、勝つことは大事だけどその過程で何か結果を残す、それがファクトリーに与えられた大切なことです。
 (記者)これからのレース活動の抱負を?・・・とにかく宗和でも・多田でも・塚本でも一勝を挙げてほしい、(記者)8耐では優勝ですね?・・・そうやねー敵も敵やし、世界一のライダーが集まるし、とは言うもののレースはやってみなければわからん。
 これをル・マンで教わりました。チャンチャン・・・(少し長かったがマー及第点やなへへへ)t-hirai
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*写真は最終のリザルト「アッパレ」
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by toshi-hirai | 2010-04-04 07:41

「カワサキに想う」 43-2

 この勇姿は誰かな???
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・・・ナナナントTUKAMOTO昭一のやつなんでフランスにフアンが居るのマドマーゼル?
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 それは聞いて判ったナーンや俺らの好きなオートバイのMOTO(フランスではモトがオートバイとのこと)ただソレダケ?しかし、今3位凄く早いよカワサキバンザイと日本語で応援、愉快な若者達フランスバンザイである。
 レースは13時間を経過チームカワサキは4位をキープしていたのだが、第一ライダーの宗和が転倒自走でピットに帰ってきたがチェンジぺタル・ハンドル・ステアリングダンパー・フロントカウルを取替え何とこれだけ痛んだマシンをカワサキのピットは、順位はあまり関係なくコースに復帰させたのである。
 レースはただ黙々とライダー一人が33周を走りライダーチェンジ以外何の変化も無い状況の中16時間5分が経過した、ところがである突然PITが騒々しくなってきたのである。
 トップを走っていたHの2台のどちらかに異変が起こったらしい、ゼッケン②?③?昨日からトップを走って居たゼッケン③キャンベル組のマシンが帰ってこない転倒だ・・・何処で転んだのか情報が交錯する、ヤット帰ってきたゼッケン③キャンベル組のマシンはもう20分ピットで修理が・・・そうしてヤット飛び出したのが44分のロスタイム、ポジションも6位と後退、しかし、それから壮烈な追い上げでスタンドを狂喜させることになる。
 17時間28分を経過したところで2位を走るチームフランスカワサキの監督が総監督武本に何か叫んでいる、どうやらオーバーヒートが原因らしい、今度は19時間経過時点でチームカワサキの宗和がトラブル排気のマニホールド破損数時間前の転倒でダメージを受けていたらしい。
 しかしであるこの修理をカワサキのピットは2分30秒で修復、同じ3位でコースに再び送り出したのである、レース終了まであと6時間30分サバイバルゲームは此処から一段と激しさを交えはじめたのである・・・
 ゼッケン③のデュアメル(キャンベル第2ライダー)の追い上げは凄かった本人の転倒でTOPから6位まで順位を落としたデュアメルはピエラ組を上回るタイムでアタックを重ねた、そうして彼は自分で落とした順位を4位まで上げキャンベルにハンドルを託したのである。
 そうして多田の駆るカワサキZXRの直後に迫りキャンベルと多田との激しいバトルを展開し、多田をパスするかに見えたその時キャンベルが転倒これは多田に軍杯が上がったのである。
 何かしらル・マン24時間耐久レースとあるが、実は23時間50分らしい・・・ソレハネ・・・レース終了直前に観客がコースになだれ込んでくるかららしい、塀を乗り越えバラバラと落ちてくる危ない危ない、レースの終わりは観客が決めるらしい?それはお祭りの参加者としての意思表示(ラテンの血がそうさせるのか)とにかくこれがル・マン式フィニシュなのである。
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*写真&文THE KAWASAKI VOL.3を再現させてもらいました、写真は左から宗和・故武本総監督・多田・塚本、皆んな良い顔をしているね
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by toshi-hirai | 2010-04-03 17:09