Team Green

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「カワサキに想う」 45-4

 一週間なんて直ぐに経ってしまう恐ろしいもんだ、時よ俺の為にユックリ回れ頼むよ
’50年後半から60年にかけてカワサキにも大きな転換期が来るのである。
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 '63年からカワサキ・メグロ製作所の新たな旅たちが始まり
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・・・’64年9月にメグロが完全に川崎の傘下に吸収され戦後20年足らずの短い時であった・・・
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 '66年8月カワサキの名と技術の高さを強烈に印象ずけた250-A1
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 ずば抜けた高性能の 「サムライA1]はカワサキのイメージをアメリカでも日本でも根底からくつがえしヨーロッパ市場にも殴りこみをかけ、「新しいカワサキブランド」の幕開けとなったのである。
 技術陣の粋を集め設計されたA1は’65年の全日本ロードレースGPへ華々しくデビューさせた、レーシングマシンのメカニズムを受け継ぐ、
 並列2気筒ロータリーデスクバルブエンジン、エンジンはボア53×ストローク56mm・247cc・31PS/8,000rpm・2.92kgーm/7,000rpmのスペックであり、5速、ゼロヨン15.1秒名ナント最高速165km/hの高性能車???であった。
・・・このA1の強烈なデビューによりカワサキスーパースポーツの作戦が展開されたのである・・・
                                                       t-hirai
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by toshi-hirai | 2010-06-27 07:55

「慶睦会」に出席して

 今日は、朝から年に一度の「慶睦会」西明石のホテルキャッスルプラザにいそいそと出かけ、またまた新しい思い出をと弾んで出かけたのだが、もう一つ迫力に欠けたと言うか?何かナーパンチが無かったように思ったのは私一人かな?
 しかし、懐かしい顔・顔・顔皆んなが元気だったのが良かったなー、今年は二人の仲間に黙祷を捧げ心でもう直ぐ行くそうして「故慶睦会」をやろうぜ・・・イヤまだ遣り残した問題がいっぱいあるそれが済んだら行ってやると心でささやいたのである「もう5~8年待ってー」
 高橋・黒河内両巨頭を初めソウソウたるメンバーが集った・・・ごめん・・・今日のこの話はカワサキに関係ある人だけかなー、イヤ、こんな場面がそれはねKMJ河野社長の挨拶で「ピーク370万台の二輪業界が現在は3万7千台、非常に苦しい、しかし、カワサキは頑張ります、応援してください」との力強い挨拶感動したのである。
 加えて、北村さんの挨拶に「バスに揺られて2号線和坂川重正門前の廃墟はナントかならないのかなー寂しい」と的を得た発言に参加者全員の万来なる拍手、今日の参加者は34名であった。
 ゴメン写真を沢山写したのだが、私の操作ミスで全部消えてしまった改めてカメラ技術の素晴らしさを実感しました許してください。
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*今日資料として配られたカタログ宜しかったら「カワサキお客様相談室」0120-40-0819に申し込むと無料で送ってくれます。
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*オートバイは不滅前進あるのみ
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*JETスキーは好調らしいヤレヤレ
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*ナント「ⅰの提案」カプセルの中は、心身共に癒される1.3気圧の世界、そこで野田さんがスポーツの選手にも良いのでは・・・サッカーWカップにもって行ったら4位確実???
*もう一つ我々の仲間に画伯がその人の名は「山辺 昴」7月10日~15日まで、トーアロードに位置する「TOR・GALLERY」で個展を開くそうな、是非絵に興味のある方ご覧下さい
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 もう一つ、面白い話が飛び出したソレハネ「カワサキが好き!」「川崎重工の一員として飛燕をもう一度飛ばしたい」航空宇宙カンパニーの技術者を中心としたメンバー20人あまりが「飛燕」を初めとして川崎重工業製航空機の貴重な資料を保存する活動を行っている。
 会の名称は「K-VART」(kawasaki-Vintage Aircrft Restoration Team)「失われて行く歴史を守る」「岐阜工場の空に飛燕を何時か」イヤー感動それでこそ川重魂であるぞよ、コリャ又頑張れである。
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*主だった9人の侍である
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t-hirai
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by toshi-hirai | 2010-06-19 20:22

「カワサキに想う」 45-3

・・・60年11月、カワサキは業界の老舗「目黒製作所」と業務提携して、メグロを販売することになった、目黒製作所の歴史は古く24年、つまり大正13年に東京の大崎区目黒村に、村田延治と鈴木高治によって設立されたらしい。
 彼らのモーターサイクルとの関わりは、ハーレーVツインをコピーした3台の「ジィアント号」からのスタートだったがコスト面で商売にならず、もっぱらミッション作りに専念したようである、しかし、2人の情熱は昭和7年に身を結び4サイクル500ccのシングルエンジンを完成させた。
 それから5年後の昭和12年ついにメグロ第一号車Z97型を完成させたのである、これはスイスのMGAエンジンをベースに二人が開発したOHVシングル500ccのエンジンをベロセットのフルコピーフレームに乗せたものだったエンジンはボア82mm×ストローク94mm=498cc、性能は13ps/3800rpm、3速手動右チェンジ、最高速76km/h、当時では最高のデーターではないかな?この様にエンジン・ボディを当時のトップ技術としてマシンに反映させ、ついに昭和14年に白バイに採用され、当時のハーレー・インデアン・そして国産の陸王の仲間入りをしたのであった。
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 昭和16年にはリヤーキャリア、ラッパ型ホーン等を備えたZ98型が生まれ600ccも少しだが生産された様子である、結局第2次世界大戦以前は300台の生産であった、第2次世界大戦中はメグロも航空機部品を生産する軍需工場であったが、終戦2年後の昭和23年から再びモーターサイクルの工場に復帰昭和25年からせ生産された、ジュニアJ2型翌年の1月誕生したZ2型と共に好調に推移,戦争によってダメージを受けた目黒製作所もいささか楽になったのであった。
 ジュニアJ2エンジンは、248cc・7ps/4200rpmこれは故障が少ないことがセールスポイントJ系エンジンはベストセラーとして13年の永きに亘り生産されていくのである、こうしてメグロの主力は500ccと250ccの2本立てで進み昭和26年にはジュニアJ2翌年にはZ3デビューさせ、昭和28年2月にZ5(Y字のタイミングカバー・シリンダーヘッド等を一新ミッションメーカーでもあったメグロらしく4段ロータリー足動4速ミッションが誕生し、Z7型でネーミングの公募「スタミナ」の誕生を見たのである。
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・・・これはいかん明日はお楽しみ慶睦会(カワサキオートバイOBオジーちゃんのお集り40人ぐらいかなー)に出るので朝8時頃のバスで西明石ホテルキャッスルプラザに直行、直行さん(こんなこと言ったら怒られるとても偉い人であった)にも会えるかな?何人の人々の黙祷があり(昨年中に亡くなった人の冥福を祈るのである)、又、寂しくなったのかなー、皆んな元気な顔を見せてくれたら良いのにナーと「ナーナーずくし」
である、明日のお楽しみ・・・オヤスミなさい。  t-hirai
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by toshi-hirai | 2010-06-18 22:59

「カワサキに想う」45-2

 1950年後半モーターサイクル産業に進出したカワサキは当初エンジンのみの生産でメイハツ(明発工業㈱)によって自転車に取り付ける物として販売されており、カワサキのブランドのモーターサイクルを持つまでには至っていなかった。
 カワサキのエンジンの評判は良かった?(ソウカナーオイル漏れはする、初期クレームは多い、しかし、一度その不具合を乗り切ったら何時までも調子は良かった・・・やっぱり良かったのかなー・・・私は初めメカニックからのスタート)
 まー良かったんだろうな、なにしろ空を飛ぶ飛行機の設計陣が作るのだから記録によると中でも設計者の永田大典は優秀だったそうである。
 各地に散在していた川崎航空機工業㈱の工場で、そのエンジンは作られていた即ち高槻工場では’50年にKE125、’52年にはKH2504サイクルOHVを?時期を同じく播州歯車工場では2サイクルKB60エンジンを生産していた、このエンジンは大日本機械工業㈱(光号という名の自転車メーカー)で発売されていた。
 戦争中、疎開の為に散在していた各工場は’53年から再び明石工場に集結し、
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*この写真よく見たら新しいものであるよ左下の国道2号線とJRの交差する正門前に安全運転コースがある

  バイク用の小型エンジンを生産した、現在の川崎重工業㈱明石工場の母体である、多分その時代には明発工業㈱で(東京金町・立石工場)こじんまりと生産していたのである、その後、’60年には明発工業㈱&目黒販売会社を吸収合併して「川崎自動車販売㈱」を設立、「KMJ」(カワサキモータージャパン)の祖先である。
 私は、「川崎自動車販売㈱関西営業部兵庫販売課」の一員として販売に従事したのである
切ったら緑の血が出るカワサキの真打たる由縁である 
 少し脱線したがもとえ戻る
 ’53年メイハツKB3・’55年メイハツ125・’56年メイハツ125DX・’57年メイハツ125スーパー・’58年メイハツクラウン等‥この様に優れた技術力を持つ工場から次々にバイク用エンジンを生み出し、今日あるモーターサイクルの世界の歴史をカワサキは他社と手を組み?築き上げてきたのである。
 マシンはメイハツ60から上記の通り’55年には心血注いだ本格的な完成車であるメイハツ125(600型)下の写真は’57年モデル メイハツ7型、このころのマシンはリャーサスなんかないシートが上下にスプリングでショックを吸収、イヤー焼きつき・プラグがブリッジと称してミスハイアー・排気口がつまりパワーダウン・・・本当にあった話である)
 
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 こうして完成車の生産と販売が結び付き、改めてモーターサイクル産業に本腰を入れだしたのである、そうして’58年にはセル付きエンジンKB-5AS型を完成、ニューモデル125ccエース(フロントにボトムリンクを採用時代に即したバイクでシートが横開き・タンクはカマボコ型なにかしらマークがメイハツのMマークがスリッパであった)が生まれた。
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 カワサキは第一回東京モーターショウに川崎の製品をアピールするKB-25ツイン・エンジンを世に披露、特徴として、イヤ川崎の技術を誇示して国産2サイクル初の上下に割れるエンジンであった。
 ’60年8月メイハツとして最後のモデル実用性能抜群の「ニューエース」であった125cc、丁度その頃日本も戦争の痛手から立ち直り活発化してきており、モーターサイクルの需要も日増しに大きくなり’59年メイハツの生産台数1万83台(ウソの38の反対だー)とても上位には食い込めない最低でも月産5000台の生産ラインが必要とされており、明石工場に総工費40億(40億ですぞ、ちなみにセントラルサーキット約36億)を投入月産4500台可能の工場が出来上がり東京金町・立石工場が閉鎖され明石工場を主力に生産が始まったのである。(しかし、1台ずつコロのついた台車に乗せて生産していたムシロ・コンベアーの時代もアッタ、実際にこの目で見ていたのである・・・今は違うデー、トヨタ看板方式流れ作業は惚れ惚れするぜ~)
・・・メイハツからカワサキへの転換であったのである・・・t-hirai
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by toshi-hirai | 2010-06-13 07:25

「カワサキに想う」45-1

・・・今日からはまた新しいカワサキの生い立ちを別な角度(昭和58年バイクコネクションから発刊されたカワサキストーリーを熟読して)から思い出してみたい・・・t-hirai
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 「総合メーカー川崎重工業」 国産モーターサイクルの中で、とりわけ個性的なマシンを造ってきたカワサキは国内のみならず世界に羽ばたいているのである。
 会社創立当時は造船ついで航空機・車両・オートバイは1960年代からで、現在の川崎重工業㈱の前身「川崎築地造船所」を初代の「川崎正蔵」により設立時まさに1878年ナナント137年前になる。
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 初めは造船から始まり培われた技術は大正8年から飛行機にと進出し、アノ有名な複葉機である「川崎92式戦闘機(BMWエンジン)」を誕生させ、川崎航空機工業㈱への発足へと空えと飛び出していったのである。
 第2次世界大戦には「飛燕」を登場させたが敗戦、大先輩故小野助治・清水屋辰雄両氏(メイハツ吸収の時、兵庫県のメイハツ吸収担当偉かった人である)から聞いたことであるが、「飛燕」はあまり活躍をしなかったらしい?又、古い話だが終戦直後食べるのに困り土地を売ったり、鍋釜を造って売ったり苦しい時期もあったらしい、儲けのないオートバイを造ることを止めにするために本部長に就任された、有名な故サー大庭 浩氏が高橋鉄郎氏に質問し(今度6月19日ある慶睦会・・・カワサキオートバイ関係者の同窓会・・・で聞いて再度報告するが)つぶすことを止めたのは川崎が直儒を出来る唯一の商品である「つぶさない継続だ~」と今日に至るのである。
 (ここらは私よりrfuruyaさんが詳しい)
 ・・・イヨイヨ モーターサイクル産業に乗り出す「KAWASAKI」・・・初めは大阪高槻工場で4サイクルOHVエンジンの生産・岐阜工場でスクーターそうして播州歯車工場で2サイクルエンジンを手がけるのであるが、当時は大阪・名古屋・静岡・浜松などなどに100社もあったと言われるオートバイ製造メーカー???にエンジンを供給していたのであった。 t-hirai
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by toshi-hirai | 2010-06-12 07:07

「チョッと一休み」

・・・毎日毎日バタバタと走り回ってこれで良いのかなー、もっともっと世の為に働けと考えてしまう・・・

 イヤー参った年なのかなー、5月26日AM7:30頃通勤途上の下山手5丁目(川重保険組合のある上の交差点)横断歩道上に落ちていた消火器にぶら下げているプラスチック製看板裏の白い部分に(横断歩道の路面塗装の白い部分に重なって)ご丁寧にその上に足を乗せてしまった、「ステンコロリン」ものの見事に路面に叩きつけられ、それから右肩打撲全治10日と診断されたのである。
 もう10日は過ぎたのにまだ腕が上がらない50肩かな?、丁度6月2日楽しみにしていたZ1会のコンペ、アノ失礼な事務局さん、rfuruyaさんに「平井さんどんな人かなー?」だって「お前はモグリだカワサキで平井を知らないなんて、しかもマージャン友達なのに」・・・その事務局さんとのご対面も楽しみにしていたのに残念、次回は練習を重ねて優勝を狙いに行くか、事務局さんとのご対面も楽しみである。
 今日はチョッとブログはオヤスミを貰って(これもブログ???)身の回りの見直しをすることにする。
(多分昼からビールを飲んでTVを見たら終りかな?)
 良くここまで頑張ったなー、イヤこれからマダマダお役に立てて世の為になることを多々しなければならない、これが俺に与えられた天命である。
 まず、与えられた現在の仕事を綺麗にして次期にバトンタッチ、それから(遅いかな)レース界に殴りこみ 
   ㈱KSSR (神戸又はカワサキスーパースポーツレーシング)の設立である。
・・・「夢」は果てしない「スピード・スリル・スキル・イイや快感」これこそが「俺流の3S」レースの持つ意義である・・・
 もう一度、RR/MXのレースに残り少ない青春を賭けたい、これこそが俺流の燃焼である・・・イヤーカッコいいヒュヒュー・・・
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 今日は、写真を整理して思い出を探ろうと思っていたが、もう良い、一瞬でも夢を追いかけた「酒だ酒だ酒持って来い」朝からオヤスミである,本当にうたた寝で夢を見ようである。
「おやすみなさい」 t-hirai
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by toshi-hirai | 2010-06-06 06:38