Team Green

<   2010年 07月 ( 8 )   > この月の画像一覧

「カワサキの思い出」5

・・・イヤー参った今日雷神マッハさんとコンタクトしてメグロカード取得して頂きました、雷神マッハさんは東京都小平市の方俺は何処までバカなのか?自動車の車検・修理が???デモでも新車をお買い上げ戴ければ何とかなるかも、がんばるぜ~カードはお送り致します・・・
 折角だから?2機種ほどご紹介します、ご覧下さい。

 KR-2 WGP125ccクラスチャンプを獲得
e0190502_2228822.jpg

 1969年その名もKA-1最初は’66年レギュレーションを変更して再び走りだしたのである、水冷2サイクル後方排気ロータリーデスクバルブ最高出力30ps/15,000rpm、そうしてそうしてD・シモンズプライベート参戦でGPチャンピョンに輝いたのである。

 A7-RS 350ccの勇、ロードレース界の俊足マシンA7-Rであるが写真は後期型RSである
e0190502_22371216.jpg

 日本GPに俊足マシンで赤いタンクが暴れていた、ストレートを甲高いエキゾストノートと共に走り去るマシンそれがA7Rである。
 フレームのクレードル部にブレーキ&乾式クラッチ等市販車とは若干違うが、上の写真は後でリペイントされたものである。
[PR]
by toshi-hirai | 2010-07-26 22:53

「カワサキの思い出」4

・・・ネコちゃんのツイッターで今8耐ウイークである事を知らされ(駄目だなーレースを忘れるなんて)この暑いのに大変だなーなんて、自分がやっていた15年間の思い出が走馬灯の如くに脳裏を駆け巡ったのである・・・
 レースの持つ「スピード・スリル・スキル」「違う違うSEX」が俺の信念「イヤーレース」をやっていた頃が昨日のことの様に、昔は鈴鹿市全部がレースの場所サーキットには近付くことすら困難であった時代に、今はドウかなー?
 昔々は前日から2号線~1号線を夜中に走ってゲートの入り口前の県道にズラリと並んでゲートオープンを待っていたのが、慣れて来ると入り口にパスを預けていてカワサキFX2がご入場、走るのが早くなると有名になり「ご苦労さまです」とライダーの運転する外車でフリーパス、ゲート横にある安全運転教習所に車を駐車(帰りが車・車走れないピットから外え出るまでに何時間も掛かってしまうので)ゲート通過一つにも色々と変わって行ったのである。
 ・・・良かったなー「レース」それは人間の持つ「闘争心」である・・・暑いけど頑張れ8耐関係者・・・
e0190502_7453646.jpg

 同じ写真をゴメン、見て欲しいのや
e0190502_747224.jpg

 アラカルト
e0190502_7492484.jpg

 この大観衆見てみて、今はドウなんかナー
 
 取り合えず小休止これから愛犬3匹に食事・庭の草むしり(ぼうぼう廃墟である)・シャワー朝飯の順番になっている                                                    t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-07-25 07:52

「夢」か「ロマン」か「現実」か?

・・・今日、親友のタッチャンの案内で淡路漁港に訪問「夢が」現実に近寄って行く「潮流発電のマグロタービン」とのご対面を、イヤータッチャンの操縦するお船で(アア怖かった?)マグロにご対面感激のひと時をお邪魔したのである。
 マグロタービンは現在小休止中であったが、理屈・仕組みをツブサに拝見できて、タッチャン・林参与・吉田広報両氏のご説明に、又事務の女性の方(お名前を聞くのだった、電話は次回)大変ご迷惑を掛けてしまった。
 しかし、潮流を利用してのエコ発電これは画期的な企画である、「夢・ロマン」でなく走り出した「マグロタービン」に乾杯である、幾多の困難はあると思うが人間の英知が・協力が・団結がこれを乗り越えて行かなければならない、これからが大変である。
 頑張って下さい、明るい未来が待っているで・・・                        t-hirai
e0190502_6561041.jpg

乗船である、これも昔々機器商品担当の小型一級船舶操縦士免許が役に立っているタッチャンである。
e0190502_6585029.jpg

 バックオーライ俺の教えが悪かったかな、少しもたもた、いいや立派な操縦であった。
e0190502_711667.jpg

 前進はお手のもの「マグロタービン」にまっしぐら、タッチャン船長奮戦中である。

 「マグロタービン」は小休止中その勇姿を横たえていたが、写真は出して良いのか?(企業秘密)解からないので、次回許可を得てご覧に入れたい。                            t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-07-25 07:07

「カワサキの思い出」3

・・・カワサキからレースを無くしたら何が残る、カワサキの歴史を語るときにレースを無くしたら何が残る、サーキットで活躍したマシンをライダーをスタッフを忘れたら何が残る、WがZがゼファーがカワサキ神話が語れない・・・
e0190502_5402684.jpg

 1966年A1Rカワサキ初の市販レーサーそれは赤だった
e0190502_5432285.jpg

 その頃、カワサキは赤タンクのカワサキとして、その名を世に轟かせていた、そうロードレーサーもモトクロッサーも赤いタンクがその象徴、写真は250A1をベースにナナント時速200km/hをマークし40ps車重190kgのマークスマシーン、これかな金谷が富士で3位になったのは・・・金谷も年やナー・・・違うのか?

 1967年KR3カワサキの歴史的マシーンである
e0190502_5505598.jpg

 当時KA-Ⅱと言われ、GPに参戦した2サイクル45度V型4気筒エンジンは全て後方排気の優れもの、これまた40ps/17,250rpm、ナナントミッションは12段変速超ピーキーなクロス、残念なことにレギュレーションの(素晴らしい性能にイヤガラセカ?そんなことない?)関係で消えたマシンである。

・・・今日は、エンジニァーの楠目と・河野(古い友人である)と一緒に「実現に向けて走りだした潮流発電マグロにご対面」と「夢」に、イヤ現実にご対面である、エライさんのタッチャンが来てくれる事になっている、ご報告は帰ってからのお楽しみ・・・ t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-07-24 06:10

「カワサキの思い出」2

・・・今日は思い出「アイム・ソーリー」である・・・
e0190502_6595475.jpg

 1985年頃~川崎重工業㈱のレース活動が一旦停止となったが、オートバイを販売しているメーカーがレースをしないことがない、「ヤラセテ~ン」と得意の押しの強引さで少ない予算を獲得チーム38と合併した「TIME GREEN」が走った「男カワサキが」再び鈴鹿のピットでイヤ・コースで暴れたのである。
 話せばナガーイ物語だが、今日は大きな思い出だけを辿る事にする、
 まずは少ない予算これはスポンサーを探さねば、幸いにしてクリッピングポイントの布施さんが頑張って「松岡財団」御曹司の率いる「グットラッグツアー」がメインスポンサーに決定、勢い良く走り出したのである。
e0190502_711268.jpg

 ゼッケン7 タイヤはミシュラン、ライダーは「多田喜代一」?「ロブ」かな、おかしい練習かな?Tカーかな?
e0190502_7191775.jpg

 これが本物ゼッケン7 フロントホークのステッカー「ダンロップ」これこそがスタート一周トップを走った、そして「男の約束」を守ったロブ・フィリスである。
e0190502_7265132.jpg

・・・写真を良く見て、「ロブが」トップをゼッケン 1・21の本命を後ろに従え走ったのである9もいる41もいる・・・
・・・それはそれは沢山の思い出の持ち主であるこのレース、ほんとにカワサキは素晴らしいのである。
                                                         t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-07-19 07:29

「思い出のカワサキ」1

・・・今日からタイトルを「思い出のカワサキ」に変えてバラバラかもしれないがツイッターや思い出すままにご披露したいと思うのである・・・
 (別問題だがどうしてもRFURUYAさんのツイッターに入られへんのや???)
・・・私が「思い出のカワサキ」と来たら、ソラーレースでしょう、良かったなーなにしろS42年からS49年神戸スパースポーツレーシングの監督、本腰を入れた「TEAM GREEN」は多分S52年くらいからでは?
 今日は度肝を抜くカワサキの4輪、その名も「KAZE X-11」 これは多分RFURUYAさんが良くご存知だと思うが「カワサキが手がけたサーキットビークル趣味の世界に贅沢な一品」とある,全部で20数台作ったのと違うかな?何処に多分一台は、東京の藤木さんがお買い上げ、今は何処に?
・・・レーシングマシーンと思われるZZ-R1100のエンジンを積んだサーキットラーンを楽しむ為に開発されたマシーン、なにしろ航空機の専門メーカー空力にはうるさい、しかもである2輪のエンジンを積んだ(2輪はご存知の通り軽く高回転の馬力/回転数がナナント160馬力/10,500rpmと言うお化けのエンジンである)マシンーである、イヤ思い出「TIME GREEN」のエースライダー???多田喜代一がこともあろうか、TIサーキット(現岡山国際)でこのKAZE X-11を試運転中にコンクリートウオールにブツケタ思い出も多田は「タダ」ではないカワサキのマシーンを数多く潰した男でもある(それもくだらん事で壊すのやアホ)ショウもナ・・・
e0190502_7192621.jpg

エンジンスペックは以下の通り

・TYPE:kawasakiZFT10A DOHC inline4-16valve
・ BORE×STROKE    76mm×56mm
・CAPACITY                    1052cc
・FUEL SYSTEM Carbretor
・LUBRICATION SYSTEM Semi-dry sump
・Max.power 160ps/10500rpm
・Max.Torque                  11.6kg‐m/8000rpm
・PRICE                       7,800,000en


・・・もう一つの「思い出」我が家の宝物「昭一のチャンピョン1993年ゼッケン1」この写真である・・・

e0190502_751956.jpg

 イヤー良かったあの全日本最終戦までもつれ込んだカワサキ同士の戦い、しかも3度目の正直で始まる波乱万丈のレース、オイ皆んな思い出してよん~
・・今,チャンピョン昭一に電話してアイツをチャンピョンにしてくれたマシンの型式ZX750RRを聞いたのである、イヤー惚れ惚れする走りや・・・素晴らしい・・・チャンピョン昭一も今は仕事に頑張っている・・・イヤー彼の思い出ソレハネ・・・この走りを見てくれ、このライデングホームこれでないとアクセルは全開は出来ない、迷監督の教えどうりである、全て基本はホームである、安定した走りは安定したホームから始まる・・・
①バイパスオートで出会った昭一 ②MXで悪くなった靭帯 ③鈴鹿で走っていた昭一 
④TIME GREENにカムバック ⑤ZXR400で三浦と走った昭一 ⑥多田・宗和・塚本が走ったル・マン24H
⑦そうして1992年のF-1チャンピョン 苦労人塚本涙が出るほど俺に「夢」くれた昭一(すまん昭一昭一とゴメン)忘れられない一生の宝物「昭一である多田も宗和もMXの竹沢・杉尾・吉田・中深迫・菅原・多田・瀬戸・菅原・花田・長沼・榎本・橋本・行方・永井・この人を忘れたら怒られる立脇・野宮・中岡・中谷・土師・池内レースで付き合った人々もっともっと沢山忘れたのと違う名前が出てこないのやスマン自己申告してくれ思い出を書く・・・
 これから又始まる「思い出のカワサキ」である・・・t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-07-18 08:05

「カワサキに想う」 45-6

・・・ZカワサキのシンボルZシリーズの幕開けである・・・
 Z1の登場は’72年から、エンジンは世界でも始めてのDOHC4気筒アメリカ向けモデルとして量産に入ったのである。
 ボア×ストロークが同じ66×66(スクェア)で903cc、82ps/8,500rpmで、最高速200km/hオーバーゼロ4なんと12秒ナントナントスバラシイ高性能車である。
e0190502_625658.jpg

 このマシン’73年にデイトナで行われたフルスロットル走行で24時間を平均176.45km/hというスピードで走破、エンジンはレースでも立証したとおり、耐久力抜群それこそ過剰品質と言われたようである。
 翌年’73年2月に750RS(ゼッツー)として、イヨイヨジャパンに登場登場、イヤー売れたの何の神戸(営)当時上沢にあった汚い営業所日本一にオートバイの日本一が所狭しと、そうして生田川の角に移転した営業所でも大きなマシンがところせましと鎮座していたのである。
e0190502_117324.jpg

*日本一汚い上沢の神戸営業所前歩道駐車場 怒られる!
e0190502_1110615.jpg

*新しい神戸(営)国道2R生田川角の開所式左から故田中誠社長・高橋鉄郎本部長・神戸(営)平井・五島
e0190502_11141584.jpg

*営業所の前左から故岩崎茂樹・ピンピン平井・故石川義昌の盟友達 写真がボケとるスミマセン
 イヤーお懐かしい、黒板にずらりと予約が書き込まれなにしろ8万台のZ1/2が初めの2年間、生産されていたにも関わらず、足りない足りないの連発こんな面白い話がある、ソレハネ当時の工場長N氏が置き場の無いZ2を移動するのに手が足らず、「平井皆で車の移動を手伝えZ2を優先的に回してやる」シメシメ「大阪母店全員集合」約20名ほどの近畿2府3県(大阪・京滋・神戸・奈良・和歌山)営業が集り、出来上がりホヤホヤのZ2を倉庫に移動、そこまでは良かったのだが乗って行ったトラックに金の卵Z2を積めるだけ積んで帰ってしまったのである。
・・・イヤー大変・・・でも完検書が無ければ登録は出来ず・・・イヤー大変・・・他の母店(東京・名古屋)営業所からはブーイング・・・しぶしぶ返した思い出が。素晴らしいZ2だったのである。t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-07-10 06:25

「カワサキに想う」 45-5

 A-1により始まったスーパースポーツ’65年の第3回日本GPに、カワサキはGPレーサー第一号車「KACスペシャル125cc」で挑み空冷エンジンの為良い成績を残せず翌’66年に水冷のKA1に故藤井敏雄(彼のことはrfuruyaさんが一番よく知っており、ここに当時の思い出を投稿して頂けたら、このページが輝くのだが)を乗せてマン島にエントリーしたのである。
 そして2度目の挑戦第4回日本GPディブ・シモンズ(彼は故岩崎さんの担当だが残念)・安良岡健、彼は元気先日の第2回カワサキレーシングOB会に出席してワイワイやったのである(このブログの横にある以前の記事欄の1010、1月をクリツクしてください)・森下勲を走らせ7,8位を獲得初めてポイントを取ったんだよー涙涙、しかし、これからが素晴らしい’67年にはディブ・シモンズが世界GPを転戦スペイン・マン島・オランダ・フインランドで入賞、それぞれ善戦ついに’69年には世界チャンピョンに輝いたのである。
e0190502_12381849.jpg

 一方国内では’67年の日本GPには45度水冷V4KA2をエントリー、イヤー金谷秀夫(彼も第2回カワサキレーシングOB会で賑やかに楽しんメンバーである)ナント3位・森下4位(そこだけ取れば3・4フニッシュハハハのハである、この時私はフィスコのスタンドにいたのだ。
e0190502_123856100.jpg
e0190502_12392052.jpg

 イヤーこんなに短期間でロードレーシングの世界に、「怒られるかな」少ない予算で?イヤ本当に少ない他メーカーの10分の一でここまでのし上げてきて今の歴史を作り上げたカワサキのレーサー担当の技術力、改めて感動・感服である、そうそこで生まれた素晴らしい技術が全て市販車にフイードバックされているのである。     
 今兵庫メグロ販売㈱でもブログをやっている、皆さんのためになるブログである一度右側のバナー欄の兵庫メグロにご訪問下さい。                                     t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-07-04 12:06