Team Green

<   2010年 09月 ( 10 )   > この月の画像一覧

カワサキ明石工場見学?

・・・コーヒーブレーク、先日九州のカワサキフアンから、工場を一度見たい+歴史車+レースピットなんか見れたら最高ですねとのコメントが入った。
 そんなものお茶の子さいさいと思っていたが難しいらしい、しかし「捨てる神ありゃ拾う神あり?」出来るようになった、これから皆さんの希望を入れた企画を立てて見る。
 折角だから「NPO法人THE GOOD TIME」メンバーで工場を見てみたい(今兵庫メグロ販売㈱のホームページから無料でメグロ会員になれる是非申し込みを、又、是非NPO法人THE GOOD TIMEのホームページもご覧下さい、良いことバッカお客様の個人情報は守ります)

 タイトル 「カワサキの思い出・そして未来」
 サー工場見学の企画・来年の初めに九州に新幹線の新しい路線が出来るらしい?その頃に実施?
①まず私の企画、昔のレースの首脳陣技術陣+ライダー+コンストラクター+フアンとのコラブ
   工場見学のため月~金になりますが希望があれば、日・月、又は金・土と言う手もありか?
②開催日昼 12:30 明石工場教育センターに集合(昼食は食べてきてください)
        13:00 KHI・KMJ 責任者挨拶・TIME GREEN迷監督のへへ主催者挨拶
        13:30 工場見学(含む歴史車+ピット)
        16:30 Kブレークと同時に現在のKHI・KMJ技術陣及びレース関係者とのトーキング
        18:30 ホテルに移動 (NPO会員グリーンピア三木?明石キャッスル?)
        19:20 大宴会(KIYOさん・昭一・梁+現役ライダーRR/MX迷監督とのデナーショウ)
              この間、チャリティーオークション&サイン会+記念写真+個人写真OK
        22:00 就寝(終了後オプションの二次会あり別料金高いぞ~)
③開催翌日  8:00 朝食 ホテルにてバイキング        
         9:30 川重専用バスにて神戸カワサキミュジアムに移動記念撮影後自由解散
        15:00 希望者のカワサキ正規販売店訪問 社長がお出迎え兵庫メグロもあるでよ~
              楽しい二日間の終了 来年の再開を約してバイバイ、続けることに意義が?
④参加人員       初めての試み20名+スタッフこれはライダー9名+KMJ責任者1名 計30名
              (現地集合の為、交通費は各自負担)
⑤参加費用       初めての試み損は出来ないよろしくお願いします、全て実費2万円グライでは
⑥連   絡       これは、平井の企画、もっと良い企画があれば教えてコリャこれから楽しいなー
⑦発   表       H23年1月10日募集開始を目標に 乞うご期待である・・・


e0190502_2073091.jpg

*明石工場の航空写真(昔は川崎航空機工業KK 飛行機はお手のもの)

e0190502_206270.jpg

*ここを見て歩くと3時間は掛かったが今はバスでご案内
*お願い 内容に「いるもの、いらないもの、開催日等」教えて下さい。
メールアドレス: t-hirai@hyogomeguro.co.jp

 これから楽しい企画を?昨日の総会成功で嬉しくて今日は一日寝ていました、又オヤスミなさい。
                                                         t-hirai

    
[PR]
by toshi-hirai | 2010-09-26 20:15

「カワサキに思う」22

・・・今日はライダーの紹介である、実は’87年カワサキは3台のマシーンをエントリーしたのだ、
コーク・バりントン&ロブ・フリィス組
e0190502_5392595.jpg

多田喜代一&宗和弘孝組
e0190502_541650.jpg

ピエール・E・サマン&ティエリー・クリーヌ組
このチームがなんと淡々と走ってカワサキ軍団7時間経過時点で8位、残り一時間の処で上でつぶれて5位に浮上カワサキワークス最上位の成績であった。
e0190502_5464173.jpg

写真にティエリー・クリーヌの写真が無く、監督が載っている、ティエリーはほとんど日本では無名の選手だったが彼の名誉の為一言申し上げると’87年ルマンで4位に入賞の選手である。

 多分’82年メーカーがレースで得る物は終わったと突然「凍結宣言」「何を言うのか?オートバイでご飯を頂いているカワサキが」と、今朝思い出をと5:30分頃、RFURUYAさんに電話をして聞く事にした(朝5時頃の電話掛ける方も失礼だが、怒らずに約1時間話をしてくれたありがたい)聞いたと処、当時カワ販を立て直した実績(なにしろ8億の累積赤字を一年で返した)を買われ既に’82年10月には、川重単車事業部企画部長で俊腕を振るっていたことが判った。
 当時、KHI・特にアメリカが大変だったらしい’83年に、アノ サー大庭氏が単車本部長に就任(のちに社長・会長を勤められた大物である、実は整理の為に本部長に就任とも聞いたが)高橋鉄郎副本部長がアメリカからカムバック(話に出たが山田エンメイ氏は何処に居られたのか?)これもあれも全てRFURUYAさんが仕掛人だった様子である。
 素晴らしい、多分飛ぶトリを落とす勢いのRFURUYAさんにレースをさせてとお願いに行った事を話したら、そうやったかなー(なにしろ出てくる話が300億とか40億とか、金利20%の時代とか、多分大きなお金が掛かるレースを止めさせたのも、RFURUYAさんか悪い人や、しかし、会社が左前では何んにも出来ない)その後、又、カワサキにレースが戻ってきたのだから大したものである。
 事業とは、無理・無謀・無策は駄目駄目(三無いか)、よーく今朝の話で判った、実は昨日の臨時総会で同額増資を株主皆さんのご理解で10月16日(土・大安)に増額された2千万円の兵庫メグロ販売㈱が誕生する。
 メデタシメデタシである、話を戻す
 「オオ、カワ販でやったら良いのではと言ってくれたが(心ではカワ販のレースだったら知れている、失敗してもナントカなると読んでいたのでは?)出来たのである’87年にメーカー復活の前哨戦鈴鹿8耐にエントリーしたのである、何とかブランク無く継続できたのである。
 そこまで行くのに幾つかの困難があるにはあったが、心から当時のカワサキマンにレースの必要性が解っている人物が多くの応援をしてくれたのである。
 マシンも素晴らしいZXRー7、スポンサーもグットラックツアーその他多くのスポンサー
 お見せしようスポンサーの皆様を、その他ライダーにもマシンにも多くのご支援がありレースが成立ったのである。
e0190502_7384340.jpg

 体制も実験研究・カワ販一心同体の活躍ぶり、勿論、それぞれご支援を頂いた内部・外部の人々の名を忘れてはバチが当たるのである。                                         
 今日はライダーの思い出をと書き出したが方向が変わったお許し下さい。       t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-09-26 07:23

「カワサキに思う」21

・・・オハヨウございます、丸で⑳の次21が無いこれを引っ張り出す技術も無い面倒だ「21」としたお許し下さい・・・
 三度目の紹介もう良いよと言われそうだが、この鈴鹿8耐は私にとっては今までの人生で忘れられない出来事の一つである、2回目より考えてスローでが、まだご紹介していない?事を主体にお話して行きたい心境である。
 8耐にでるぞ~過程の途中でまず「カワサキが8耐にカムバック」することを皆さんに早くお知らせしたくて、広宣課の榊課長に予算を捻出させ、パンフレットを作らせた?その時には既にかの有名な松岡財閥の持つグッドラックツアー㈱のスポンサーも決まり、ヤット走れる体制が整った所であった。
e0190502_5165449.jpg

*「カワサキ・8耐にカムバックを打ち出したかった」(チーム・フランスの勇姿を見て下さいマシンは古い)
e0190502_5211687.jpg

*コレコレ コイツがグッドラックチームグリーンに衣装換え
e0190502_18492522.jpg

コイツが走ったのである。                                      
明日続きを書きます、今日は臨時総会上手く行ったので一人で祝杯です、スミマセン。  t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-09-25 05:27

「カワサキに思う」⑳

・・・オハヨウございます、何かしらカミナリが落ちたような大きな音で起されました、アレから⑲’72年の頃を考えておりましたが、’70年代に活躍をしていたライダー(ちなみに’69年我らが60おじさんこと山本 隆がセニァ90クラスのチャンピヨン)を思い出すと
 吉村太一・中村 忠・竹沢正治・杉尾良文・矢島金次郎・瀬尾勝彦・上野広一・藤 秀信・唐沢栄三郎・鈴木秀明・東福寺保雄・光安鉄美・少し時を経て我らがTEAM GREENの活躍であった。
 ’84年頃から、チャンピョンの製造工場だった「TEAM GREEN」、調所伸一・菅原義広・長沼朝之・花田茂樹・橋本慎二彼らははジュニァー・国際B級・国際A級のチャンピョンに輝いたMXチームの原動力
 ’82年にメーカーの凍結から3年を経て’85年にマシンは「GPZ400R」が生まれた、開発のコンセプトはインラインフォー水冷エンジンのメリットを100%生かせだった。
 コリャレーサーに改造や、そうしてロードレースにも活躍したのである。

e0190502_8422384.jpg

写真はワールドMCガイドから

 これと並行してワークスマシンはZXR-4で宗和たちが活躍、RR・TEAM GREEN+チーム38=ボチボチ頭角を表して来たのである。
 岡&故新谷組の幻の優勝、4時間耐久に約3:50分TOPを走ってタイヤバース涙のリタイヤ、徳野のHへの移籍問題、イヤー思い出したらきりがない、それぞれにナガーイ物語がある、楽しいよき時代であった。

e0190502_8555910.jpg

 この写真は、多分GPZ400のプレスミーテングTEAM GREENが出るぞ~とキヨさんに応援してもらい、レーサーに改造したマシーンにも乗ってもらった後説明会の模様、高橋本部長?・安藤技術部長・稲本部長・故武本実験研究部長も参列ダー(プレスのお客さんも写さんかい会場も満員だった)

 次回予告
e0190502_903730.jpg

*もう3回目デモデモ書きたいのです思い出一杯の物語もう良いか・・・                  t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-09-23 09:02

「カワサキに思う」⑲

・・・何か休日早く目覚めた休みがうれしい年頃よ、違う暑苦しくて目れ無かったんだよ~
少しレースのこと、俺の生き様、将来を考える、もう死ぬだけかー「イヤイヤそれはいけません」頑張るう・・・
http://www.youtube.com/watch?v=neyEQCLqX7w&feature=player_embedded
 これはTAKEMOTOさんから頂いたものである、俺の原点「竹沢正治」 ゼッケン24 全日本MX第1戦谷田部での出来事である。
 なんと2階級特進の竹沢正治がやってくれたのである、並居る強豪をなぎ倒し見事優勝その時の動画である、懐かしいヒョットしたら俺の原点かも知れない、ユックリ考えよう。 t-hirai

オーイ動画が見れない皆さんURLで見てケレ、俺にはどうしたら良いのか解からん、どうぞURLで開けてご覧下さい。
 毎日起きる目覚ましが4:25鳴り出した今日は休み一杯飲んで寝なおしだ~又今日お目目にかかります。
・・・・・オヤスミなさい・・・・・       t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-09-23 04:19

「カワサキに思う」⑱

・・オハヨウございます、今日は休みと体が知っていて目が覚めるとAM5時だった偉いもんや体もシャッキリ・・
昨日多田のオッサン・昭一さんと久しぶりに長電話で思い出せと話をした。
 大体分かった様な分からないような多田は’85年にチーム・グリーンに来て走り出したそうな、一方昭一は’86年ノービスでスタート、’85年のプロフィールには入っていない。
e0190502_6443384.jpg

・・・ここでは多田喜代一の思い出を・・・
 彼はモリワキレーシング(多分エキスパート・ジュニァーだったと思う)で走っていて、何かしら大アクシデントで背骨をいわしたらしい、リハビリすること5年、当時、石屋モータース山下店長(私とは兄弟みたいなものだった)のところでアルバイト、そこで迷監督と多田のご対面と来たもんや、なにしろモリワキに居た時にはスターだったそうな???
TEAM GREENでは
’85年 GPZ-400R ’86年F-3 後半GPX750で鈴鹿ノンタイトルレース(賞金稼ぎ)イヤー喜代一は金と女やこれは身を滅ぼす(本人から、それは書いては駄目と言われたから書かない)この’86年の最終戦で開発途上のGPX750を駆り予選4位(素晴らしい)レース後半でよせば良いのに4位から3位に仕掛けてハイサイド、違う違うミッショントラブルチェンジを2・3回触ったらしいが、あの有名な草取りをしてくれた「オ・・・帰ってきた3位や」瞬間に消えていたのである。
 ’87お母さんが危篤のとき鈴鹿でタッタ1台のワークスマシンGPX750Rで3位入賞(賞金も貰わずに野田監督に帰れと言われて)お母さんのもとえ帰ったそうな、そうそう’87年は、「男HIRAIの真骨頂」あの「鈴鹿8時間耐久」の物語に入るのである。
e0190502_7104734.jpg

この素晴らしいコスチューム、漫才コンビのアホトーク、多分2分20秒台が鈴鹿でコンスタントに出していたのでは?違ったかな?教えて      t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-09-19 07:17

「カワサキに思う」⑰

・・何かしら待ちどうしくて今日出勤だっが帰って来て直ぐPCに向かったヤッパ頭が働かんユックリと行こう・・
もう’85年もうすぐ俺の時代MXはもうやっていたが、RRはこれからである。
 ’85年宗和ノービスF-3(松尾たけしスペシャルチューン)で多田はF-1の開発、’86年多田がGPX750R
スパーバイク、宗和F-3、我らが昭一ヤマハライダーの時、迷監督に鈴鹿で見つかり、悩み悩んで明石にカムバック(アア良かった)GPZ400で塚本&志賀?石田?どちらかとペアーで4時間耐久、良かったなー
e0190502_20342668.jpg

 ワークスマシンが乱れ飛ぶTT-F3、そこで走りまくったカワサキZXR-4、ZX-4をベースに、ワークスマシンとして作られたこのマシーン、フレームがアルミツインチューブタイプ、その後、市販車のZXR400Rに受け継がれて、倒立フロントホーク、これまた国内では始めての英断#37は三浦昇のマシーンで、その他#35の宗和車も走っていたのである。                                      t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-09-18 20:55

「カワサキに思う」⑭

・・・ヤット涼しくなり始めたな、これから本当の秋がやってくる良かった夏ばてを癒さないと、ヤッパ俺は満州育ち寒いのが良いのかな~関係ないか⑬からの続きである・・・
 皆さん見て下さい、カワサキのロードレーサー、ツワモノが一同に会した時のスナップ思い出してみよう
e0190502_19145252.jpg

写真左から
①山本 隆 ロードレーサーカワサキ1号と自負している60おじさん、長年MFJのトライアル委員長
②ミスターカワサキことKIYOさん、マー話題の多いライダーであった鈴鹿ダンロップゲートの手前で派手に転倒気が遠くなるぐらいの大きなアクシデント、しかし今尚健在不死身のキヨさんである。思い出は沢山あるカケガイの無い親友である
③解からん④解からん
⑤多田喜代一 〇性ダイスキ人間身を滅ぼすタイプ、昔は速かったんだがな~昔の人になったのかな~
⑥宗和??ど忘れ タイガー宗和菅生が大好きライダー、これまた◎性が大好き人間、コラーアカンわ
⑦故武本 晃 言わずと知れたルマン24時間3位のチームカワサキの総監督である、平井とコンビを???
⑧和田ヒロ これまた話題の多いライダーである、今若い奥さんを頂いたヤングオジンである
⑨安良岡 健 彼は紳士のアラケンこれまた速いライダーの一人である
⑩平井稔男 ヤット出てきた「カワサキの真打」イヤーこれ何時の写真やこの~男前チョー素晴らしい
⑪金谷秀夫 この人がA-1Rで富士スピードウエイで3位になったつわもの、チョット現在体調が?早く良くなってくれ
 以上カワサキのツワモノの集まりである、懐かしい・・・                      t-hirai
     
[PR]
by toshi-hirai | 2010-09-12 19:42

「カワサキに思う」⑬

・・・オハー今日は出足が好調である何故なら熊本にお友達が出来たのだよ~・・・
 老いてからITに挑戦こんなに世の中を狭く、人間を博学にする恐ろしいものでもあるが便利なものである、このブログも書きながら何か勇気が湧いてきた。
 今日はその友達のコレクションに酔ってしまった、あるのだよ約30年前のマシンがそれも綺麗に、しかも大事にされて怒られるかもしれないが?ご披露・・・チョッと待てお友達に電話して許可がでたら皆さんにもご披露したい。
 さてさて、今日はチョッと一服コーヒーブレークあの「ジェフ・ワード」の思い出を
 イヤー早かった、日本に来て初めて彼の走りを見たのはサスのテストか青野ヶ原(兵庫県加西市)のテストコースだった第一印象は「コイツ小さいなー」であった。
 ’84・’85確かスズキでスティーブ・マーチンが全日本MXで大暴れをしていた時、この時には連敗「TEAM GREEN」も好調に常勝「TEAM GREEN」に変わって、全日本MXところ狭しと暴れ出したころ、ジュニア・国際B級で調所伸一・菅原義広・長沼朝之・花田茂樹(中深迫が居ない確かゼッケン1をつけていたがナー)達がチャンピョンに輝いていた時、イヤージェフは速かった腰の入れ方が全然違うのである。
 それから日本でもスパークロスをやり外人選手も沢山お披露目したが、ジェフの走りはずば抜けていた、チョッとジェフの思い出
①迷監督「何故速いのか?」ジェフ「俺は3歳からマシンに乗っている、監督は3歳からチャブ・ステーキ(お箸)を使っている」だとさ
②僕がサポートして全国のMX大好きなカワサキ特約店に連れて行き「トークショウ・サイン会」など宣伝をして回った時、半日ほど一人にしておいたら何も食べずに一人ホテルで僕を待っていたジェフ、ジェフ「ベリーハングリー」何も食べずに僕を待って居たそうな「アホ、ホテルで何か食べたら良いのに」ジェフ「今回はお前がサポート、お前が全部面倒みろ」だとさ、これヒョッしたらプロフェッショなる???
③世界チャンピョンになった時、ご褒美に日本にご招待、ソウだ神戸大丸で大きな「甲冑カブト」をプレゼント、神戸ステーキ「みやす」で大晩餐会「イヤー目を丸くして」涙流して喜んだ(ほんとだよこんなに柔らかい・ジューシーなお肉があるなんて)絶賛である。
 探していたらありました贈呈式の写真がご披露します
e0190502_5337100.jpg

左から永友・大津・平井・飲み屋(野宮)中深迫・菅原・顔半分の中岡・長沼・ジェフ・紅一点嵐・座っているのが多田(敬称略)この写真の場所は西明石のキャッスルプラザ
e0190502_5453917.jpg

イヤーお懐かしい左から長沼・得意満面平井のスピーチ(イングリシュ?イエス「レディス&ジェントルマンー」で始まるマー大した物である今度ご披露する?)菅原・中深迫・立脇・九州の勇、藤 秀信(かれも僕の処で走っていた時があるのだ)・多田・ジェフ・岡部・野宮の面々
 TEAM GREENの迷監督肩で風切る勢いの時である                        t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-09-11 05:45

「カワサキに思う」⑫

・・・オハヨウございます一週間のご無沙汰、しかし早いものですねーもう1982年にやってきました「TEAM GREEN JAPAN」をやろうと「単車を売っているカワサキがレースを止めるなんて???」「アホか」「アホ」なんて言いふらし、自らが1980年にピートTがUSAで始めた「TEAM GREEN USA」をもじって真剣にヤル気に、当時カワ販の常務rfuruyaさんにやらせて貰ったのだが、予算は20,000千円/年こんな予算で何が出来るのや、そこがである知将の我輩「早けりゃスポンサーがお金を出してくれる」「勿論カワサキも黙っていない」早いチームにして見せると「花の穴を」膨らましたのである。
 当時アメリカは凄いMXブーム国内4メーカーがしのぎを削って参戦する中、ビートT率いるチームグリーンUSAは飛ぶ鳥を落とす勢い、AMAナショナルシリーズチャンピョンは「空飛ぶソバカス」ことジェフワード・・・
 オフの世界でグリーンパワー炸裂「KX250SR」世界チャンピョンのMX車である
e0190502_518172.jpg

 この時代(’84~’85)からボチボチ、吉川率いる「チーム38」カワ販率いる「TEAM GREEN」のコラボレーション、歯車がかみ合ってマシーンもGPX400⇒ZX-4⇒ZXR400、ライダーもチーム38の徳野・喜多・斉藤・古川・岡・故新谷・日下・西田等々、チーム・グリーンの多田&宗和(漫才コンビ)塚本&三浦(ノービスコンビ)だったが両者すぐに合併して「TEAM GREEN JAPAN」が完成したのである。
 ’85年になると少々うるさいことにナリマッセ
e0190502_5525471.jpg

 ’83年ごろマダマダ駆け出しのころの「TEAM GREEN」GPX400「鈴鹿8耐前座の4Hのスナップ、懐かしい~イヤお若い平井後ろは紅顔の美少年???塚本昭一と三浦 昇である。
 チョッとピットの両サイドにつるしてあるクイックの給油装置をご覧下さい、左がチームグリーン用右側はワークスの装置、ピットはワークスのピット当時は遠慮しながら8耐のピットを前座が借りていた「TEAM GREEN」いばっていたがナー 
e0190502_610617.jpg
 
 このご紋が~そこのけそこのけマシンが通る、弱いころの「TEAM GREEN」のシンボルである?
 サテサテ今日は楽しいNPO法人THE GOOD TIMESの理事会である(昭一が参加したいと言っていたが残念次回に順延らしいさすが元チャンピョン忙しそうである)早く行ってお喋りや・・・           
                                                         t-hirai

追伸 委員会に行って来た、皆んな元気に集ってきた負けそう、僕がおしゃべりで負けそうになるとは「あれーヌカルナヨ」「ヌカッター」である。
 10月3日三木サンサ祭り?応援に行くかな面白そうである、久しぶりにカーチャンとデートで三木のストリートに行ってみるか、ソウシヨウである。                            t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2010-09-05 05:18