Team Green

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オオ忙しい「チョット一服」

・・・例年よりチョット早く梅雨に入りマー良く降る、今度は増水・がけ崩れ等々天災なのか人災なのか大変なことにならないことを願うばかり、東日本大震災に直面した皆さんのストレスは如何ばかりお見舞い申し上げます。
 
 今日は少しばかり忙しい「思い出」はお休み「コーヒーブレーク」毎回や・・・休みと(実は仕事が少々)言うのに3時半に目が覚めた、今日は再度5時まで無理をして寝かしてもらいました。

 しかし、良く働くなー毎日朝3時半に起きてPCチェック・朝シャン・スタート5時(距離45km所要時間約50分で)朝食を(カワサキ明石時代から)愛用のロイヤルホスト(今流にロイホ)でJAF割引で501円のブレックファースト
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 内容も価格も30年前からあまり変化は無い様に思うが、私の唯一の道楽である、愛するカーちゃん?にこれだけは大目にお許しを頂いている贅沢である・・・

 それでも23日/1ヶ月=11,523円ロイホに貢献している表彰状もんである

 この頃はコースの流れを決めて味を吟味しながら楽しんでいる・・・77年が過ぎるとこうも変わるのか?ナ、(40代は約15分で会社に???)今の食べ方はこうだ

①まずはコーヒーとジュウスをドリンクバーで調達・・・指定席に・・・
②注文をせずとも約5分でベーコンエッグ・ベジタブル&トースト(薄切り)が運ばれ
③まずは、バーター半分を薄切りトースト(これでなければならない厚切りはダメ)にぬりフライエッグを乗せ、トメトケチャップを塗り・・・おもむろにスタート・・・
④お次は、サラダ、これもプチトメト1個を半分に切ったもの~レタスに移動ドレッシングの酸味を楽しむ
⑤次、残り半分にバーターを塗り、今度はイチゴジャム
⑥最後に、ウインナー&ベーコン(今のところこのウインナーが①~⑤の間を移動して・・・味を少々変える・・・)
 素材の味を、調理の味を、食し方のコラボで変わる味を楽しんでいるのである

 
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 今は神戸新開地可愛いKちゃんのいるロイホである(俺から女性は永遠に消えない)右隅の黒塗りスズキワゴンR、20km/L走るツワモノ

 この間、約25分・・・サー一日が始まり始まり・・・である・・・7時会社着お掃除(歩道まで)マタマタ、コーヒーブレーク社員皆さんがご出勤されるのを、お出迎えである。

 こんな毎日「何かが足りない」なんだろう?例えば俺より早く来て掃除を無理無理、一度考えてみたい?

・・・今日は、NPO法人THE GOOD TIMES の第3回通常総会もう3年目に入るのか早いものである・・・
今日は会社の仕事で忙しい総会はリタイヤ理事長に委任状で依頼であるソウカイ・・・わかるかな?
 (タッチャン、ウマクヤルカナ、何時までも教え子心配であるへへへ)

 ショウもない朝飯談義、しかし、皆さんもロイホに一度(朝6:00~10:00)足を、お運び下さい、そして平井流の食し方を、実践してみてください。

・・・今から、昨日の残りのうどんを飯にブッカケて朝飯や、優雅な一日の始まり始まり・・・  チャンチャン    t-hirai

次回から「思い出」を再開したい
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by toshi-hirai | 2011-05-29 06:26

兵整振神戸支部通常総会

・・・情緒ある雨しきりの淡路「おのころ島」いわくのある淡路島「うめ丸」での総会、野田支部長・宮崎副支部長の報告に慎重審議?滞りなく進行、無事平成23年4月からの第34期が船出したのであります。

 支部長のご挨拶の通りこれから益々厳しくなるであろう自動車業界をより一生懸命頑張り、後世に残すべき何かを求め同士全員で突き進むことの再確認をした一日でありました。

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 参加者の記念写真(チョイピンボケ)

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 モヤにむせぶ鳴門大橋

 私事で申し訳ありませんが、40年代前半の神戸(営)の良き時代、慰安旅行で「うめ丸」(当時はチィチャナ民宿)に行った思い出、麻雀・カラオケ・喧嘩、そうそう多分今は社長女将であろう、当時可愛いお嬢さん姉妹を所員が連れ出し洲本にドライブ???

 イヤー昔は良かった(昔話に花が咲く年が分かる・・・)車も売れたもうけも良かった、全てに満足の時代であった、
それにしても今日は、美味い酒と旨い肴、喧騒の日常を忘れさせてくれた一日であったのであります。

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 今日のお品書き豪勢なすべてである。

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 伊勢海老の生き造り、エビが動いてる~

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 鯛の宝ろう焼き

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 淡路牛のステーキ

 どれもこれも素材の素晴らしさを吟味したのであります。

 これで明日からの英気を養いゲンキハツラツ頑張って行こうと誓ったのでありました。

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by toshi-hirai | 2011-05-22 21:20

「思い出」8

・・・百合さんでもう少し掘り下げてみよう・・・
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 左から大槻・百合草・和田の3氏である「カワサキの想い出、そして未来」トークショーの一コマ
 
 「百合草三佐雄」この人こそ、カワサキ2サイクル・スーパースポーツの原点ではなかったかな?、(持ち上げすぎ)
 後発メーカーと言われながら世に出て行った、カワサキスパースポーツ「サムライA-1」、当初は輸出用として川崎が初めて取り組んだ250、同時にアメリカで販売会社がスタートした昭和40年代であった。(ちょうど私が豊岡(営)所長時代である)
 
 百合さんはその時テストライダーヒロさん(和田将宏)と一緒に量産前のテストにアメリカに出て行ったのである。

 サムライA-1のライバルはスズキT20とヤマハのYDS3だったらしい、しかし、A-1は他社より重たく 04ではるかに劣っていた、百合さんは本社である明石工場に車重軽減を要求、回答は・・・NO・・・何故・・・シリンダーの材質を鉄からアルミに変えるだけで5㎏も軽くなるのに・・・
(結果は量産初めからアルミシリンダーだった)


 当然、A-1Rを造りアメリカのレースに殴り込みライダーはディックマンとかラルフ・ホワイト結果は惨敗、ここでの修練は、これからのカワサキの進路を決めたと申し上げても過言ではないのでは???

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サムライA-1の市販が定着した2年後にはすでに次期モデル H シリーズの検討が始まっていたのである、何か特色をとはじめられたHシリーズ、当然3気筒(レシプロエンジンの理想的なバランス配分が得られる)しかし、A-1で成功したロータリーが使えない「A-1をボアーアップしても限度がある」「パワーを要求するとピストンスピードの限界もある、ボアーあげると冷却の問題、ストロークを上げるとピストンスピードが上がる」 面倒なことばかりあえてカワサキの技術陣は3気筒 H シリーズの開発に踏み切った。

  ・・・より高い理想に向かってカワサキの技術屋さんは立ち向かった

                           まさにその渦の中に我らが百合さんが居たのである・・・

・・・百合さんは常にアッと驚くものに挑戦する素晴らしいガイであった・・・
                                 (今日は少々持ち上げすぎ)

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by toshi-hirai | 2011-05-15 07:50

「春の全国交通安全運転運動旬間」

 今日5月11日(ちょうど東日本大震災から2ヶ月)~20日の10日間タイトルの安全運転旬間が始まった、戦時中の戦争犠牲者より多くの死亡事故、これは国民が安全意識を持って各自が対応しなければならないのでは???

 今回のテーマ-は
①飲酒運転の根絶
②シートベルト着用の徹底
③自転車の安全運転

を掲げ、取締りの強化,5月20日交通事故死亡者「0」の日の設定など等を掲げている。

 どうか、ご自身で交通安全にご留意ください。

 今日交通に従事する一員としてサン地下に応援に行ってきました、しかし、テッシュを配っても受け取らない
手を挙げて、過ぎて行く
               「いったいなんだろう、そんなに急いで何処に行く」
                                              そう考えた半日でした。

                 ・・・皆さんはご自身で安全を考えてください・・・

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                              神戸三宮地下街での安全運転啓蒙運動の一コマ
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by toshi-hirai | 2011-05-11 21:15

「思い出」7

・・・どうも人間の習性とは恐ろしいもの、これだけ連休が続いていたのに、朝3:30分にはいつもの通り目が覚める、しかもである「寝溜めと食溜め」出来ないからと良く言っていたお袋を今日「母の日」に思い出してしまった、多分このところお袋の、先代社長のお墓詣りをしていないので極楽から呼んでいるのか?「もう少し待って俺には、この世でやり残していることがあるのや」二人ともどうか「極楽から見ていて欲しい・・・ええか・・・」
 それにしても極楽と地獄は繋がっているのかな~

 サア今朝は百合草元常務のお出ましである。
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 同じく「カワサキの想い出、そして未来」の一コマである、マイクを持って話をしているのが百合草元常務、恐れ多いが、私には「百合さん」の方が呼びやすい、それほど近しい人である、横は大槻元常務である。

 百合さんとは、昭和57年1977年私がサービス課時代にさかのぼる(何故かカワ販のレースは平井が担当をする部署、サービス・安全運転・部品等色々変わったがレースもその都度ついてきた)

 当時、MXのエキスアートジュニアーばかりを8人(野宮・立脇・白戸・津田後誰がいたかな?)ほど抱えて島田監督(名古屋の出身溶接の名手)が全日本に参戦していたとき、加藤文博(現パラセールの学校経営校長である)・安井隆志(RRワークスの元監督現在はRRワールドを担当)二人がワークスで走っていた?2軍はカワ販が運営を川重から委ねられて走らせていた(要するに百合さんから平井がやらせてもらっていたのである)

①島田さんに預けていたチームのマシンはすべて百合さんの所で準備されていたのである

②国税庁の監査があった時、1千万円の贈与(ワークスが使用するフロントホーク10本)を指摘されフロントホークが100万円/1本もすることの説明+国内で行うレース、技術はKHI・運営はカワ販であると、不詳平井が説明をして納得を・・・
 ワークスマシーンは走る実験室であり、社運を賭けて製造されているのである、このホークを使えばジャンプ後の接地時、前輪から着地してもハンドルを取られないのである???しかも方向を定めて着地できる、軽い・・・てなことで煙に巻いた思い出がある、煙に巻いたのではない誠意を持って対応したのである

③その時の担当された国税庁のキャリヤー、後日沖縄の陸運局長で赴任された時、明石の名物を持参陣中見舞いに、長らくお付合い頂いた・・・

④竹(竹沢正治現栃木でバイク屋さん)が2階級特進を果たし、初めて契約をしたとき交渉相手は百合さん、マネジャーは平井であった
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 条件として賞金は1位だけで2・3位はいらん、1位百万円頂戴と吹っかけたが、断られた「先が長い」とさ・・・
良かったな~百合さん第1戦から竹は優勝したのに・・・

⑤百合さんジェットの本部長時代新しいジェツト社屋に尋ねたら快く特別応接に・・・出世せなアカンな

 いずれにしても、根っからの技術屋さん、まじめで冗談の通じない?百合さんの先日のイベントで垣間見たのである、いずれにしても真面目なオッさんである。
 ご無礼は平にお許しを、これからもよろしくお願い致します。
                                                       t-hirai
追伸 今日はTHE GOOD TIMES理事会&大型ごみの採集日忙しい・・・
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by toshi-hirai | 2011-05-08 06:53

「思い出」6

・・・続き

昭和58年 1981年7月 大庭  浩 社業梃入れのため翌年に増資を図り、資本金1億8千万円
昭和61年 1986年3月         同上                     資本金2億7千万円
昭和61年 1986年6月 高橋鐡郎  チェルノブイリ原子力発電所事故
平成 5年 1993年1月         資本金5億6千万円とし、待ちに待った鈴鹿8耐に初優勝
平成 8年 1996年1月         販売機能を一新各藩に邁進体制を構築 MC生産1,000台
平成 8年 1996年7月 田崎雅元  二輪業界の発展を図り、日本二輪車協会(NMCA)を設立
平成11年 1999年1月 大前 太  事業の効率化を図るため本社を明石に移転
平成14年 2002年3月 森田進一 翌年、株式会社カワサキモータースジャパン創立50周年

  ・・・「目出度し、目出度し」 KMJ 50年に亘る歴代社長の一覧で延々と現在に至っているのである、これ偏にカワサキのフアンの皆様のお蔭であります「ありがとうございます」・・・

                                              チョット一服
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by toshi-hirai | 2011-05-07 07:29

「思い出」5

・・・第200期に向かい邁進する川崎重工の誇る技術、「空・陸・海」に加え「医療分野」にも「ヒトiPS細胞自動培養システム」とやらの開発に成功したらしい、いったい何者
 ・・・ソレハネ・・・簡単に説明すると・・・
 病気けがなどで機能を失った臓器や組織を回復させるために、患者の細胞を培養して作った組織を使用する再生医療だそうな・・・簡単に言うなら人間再生である・・・エライコッチャ

 その川重を長期にわたり継続して引っ張ってきた重鎮が、先日の「カワサキの想い出、そして未来」に集結して頂いたのである。
 
 日本でUSAでの活躍、取締役・社長・会長・ 現相談役の田崎雅元氏(気さくで、いつもニコニコ、温厚な)・・・アア恐れおおい・・・こんなこと思い出しても良いのかな・・・私も可愛がって頂いた一人である

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先日の「カワサキの想い出、そして未来」の時お話を頂いた

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 そう、中国文化研究会である、1978年当時、明石工場では何部長だったか(スミマセン)明石工場の南側に林崎尞なるものがあり、地下室に麻雀ルーム(昔川重では麻雀は大流行であったし、しかも寛大であった)

 ・・・ソレハネ、保養所である、有馬温泉の泉郷荘では徹夜も出来ていた?・・・

 田村品証部長、田崎部長、故石原課長そして私、田崎部長と私は満州からの引揚者、二人だけが通じる

 「ライバ、カイカイデ、ションマー、メーハーズ、アイヤー、ゾーバ、マラカピー、クーニャン など等」をしゃべり大いに盛り上がったものである。
  
 しかし、いつの間にかアメリカに行かれ帰って来られた時には「雲の上の人」であつた、レースが大好き8耐には鈴鹿で「オイ平井頑張ってくれ」と暖かいお言葉、このあいだは本当にお忙しい中、ご臨席を頂き感謝・感激・感無量と言ったところである。
 
                   「ありがとうございました」

 そうして、もうお一人元大槻常務は、むしろ今Z-1会でお世話になっている、何しろエライサンで想い出は、単車からジェットの本部長になられるとき三研の廊下ですれ違いざま「オイ平井さんレース頑張って、俺ジェットや」イヤー廊下で固まってしまったことしか思い出さない。

 
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先日の「カワサキの想い出、そして未来」の時のトークショーでZ-1、川崎スタート時レースの話を・・・
 
 次回は、次回は元常務 百合草三佐雄氏である。
 
 ・・・今、資料をひも解いていたら、あったぞ(株)カワサキモータージャパンの50年の歩みが・・・

昭和28年 1953年 12月 中野 尚 社長   明発工業(株)             メイハツ60型
昭和29年 1954年  7月             川崎明発工業(株)          メイハツ80型
昭和35年 1960年  7月 高野行彦
昭和36年 1961年  6月 土崎英利      カワサキ自動車販売(株) 川崎250 メグロSG
昭和38年 1963年 11月             「全国カワサキ・メグロ会」 120店舗で結成
                               青野ヶ原でMX完全優勝
昭和39年 1664年  1月 神武敏彦                        資本金1億2千万円
昭和40年 1965年  9月 岩城良三      カワサキオートバイ販売(株)250-A1、650W1
昭和41年 1966年                  米国シカゴにAKMを設立
昭和42年 1967年  3月 塚本碩春      
昭和44年 1969年  2月 田中 誠  翌1970年航空機・重工・車両3社合併川崎重工業(株)
昭和53年 1978年  6月 塚本碩春                        Z400FX、Z250FT
                             シンガポールGPレースに初出場
昭和56年 1981年  6月 青野 格  英・アルゼンチン戦争 KMM設立(リンカーン工場分離)

 今日はここまでまだまだ続く、しかし、全部の社長に仕えている平井はなんやろか? 
            
                                                        t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-05-05 07:25

「思い出」4

・・・サーキットそれは人々の生活の縮小版全てがそこにある、非常に多岐にわたり種々の許可が必要である。
 それを山田錦さん(サンコンサル)のご指導の下やってのけたのである、許可が下りて着手工事へと進むべき所、バブルがはじけ銀行がお金を出さないとの事、ナンジャイ話が違うそれからは出世払いを条件に各ゼネコン大手に事業計画、許可書を持ち込みお願いに回り回って鹿島建設にお邪魔したのが運のつき(川重・鹿島の取引バンクが第一勧銀)カワサキの平井が説明に回っている、川重さんのサーキットですか?テナ事、高橋本部長?(モット偉かったかなー)から早く帰ってこいとの命令、
(現在のオーナーは権利を購入した I 氏、初代オーナー S 氏とは違うが、私は2人の下で働き勉強をした)
 
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 色々苦渋の末、シブシブ川販に、ここからrfuruyaさんにマタマタお世話になることになる、私にお客様相談室を造ることを命令されたrfuruyaさんにも人の見る目があるのである・・・

 高橋本部長に乞われてサーキット建設に、高橋本部長に乞われてカワ販に、忙しかったのであるが、しかし、私に大いなる手練を頂いた時期であった。
 そのノウハウを買われ単身韓国のサーキット許認可に従事することになるのである、ここにも色々思い出がある、MFJからすでに韓国KMF(日本のMFJである)に川崎重工⇒MFJで活躍されていた杉沼さんのお声がかりで契約をして韓国に・・・「日本男児ここにあり」美人秘書(兼通訳本当にスタイル・美貌ともに良かったし仲良くしてくれた)をはべらせ韓国サーキット許認可の作業が始まったのである。
 
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 韓国パンフであるが私が行ってコースレイアウトを全面的に変更して現在のサーキットで営業している。

 一人の男が2ッも、サーキットを・・・なんと素晴らしいことであるか誰でもが出来るものではないし、これをやり遂げるのには、頭脳・根気・やる気・頓智・人格、このすべてが必要である。エヘン

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 韓国では統括本部長ですぞ、エライやっちゃ

 高橋鉄郎氏(恐れおおいが)とは、神戸営業所、レース、軍艦マーチなど等まだまだ想い出があるが、次回は田崎相談役の想い出を・・・
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高橋営業部長時代、神戸営業所移転オープン時の写真である、左から田中 誠社長、高橋営業部長、平井神戸営業所所長、五島主任(現東京ファイブテン経営)みんな若く痩せて居るみたい。
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by toshi-hirai | 2011-05-04 07:59

「思い出」3

・・・エキサイトブログにログインできずに約2週間が経過困り切って、bunCさんに相談見事カムバックできました。(bunCさん有難う)

 高橋本部長が(後に副社長、現在も目を掛けて頂いて光栄である)「お前一人で行って来い」後はおれが応援する「この仕事は、お前しかできない」・・・(流石本部長お目が高い)・・・
                              ↓
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 カワサキバイクマガジン’97年4月増刊号その時の文章をチョットご披露しよう

 私がレースの虜になったのは’69年私のところに’76年のチャンピョン(MX250)竹沢正治が来たことに始まる、私自身機械いじりが大好き青年、神戸営業所に名門「神戸スーパースポーツレーシング」竹沢正治・杉尾良文・吉田豊次郎・川本??たった4人のチームが誕生したのである。(途中略又別の機会に)
 ’76に竹がチャンピョン、これまた名門中の名門”チームグリーン”をカワサキオートバイ販売(株)に誕生させたのである。

 私の願いであったチャンピョンが誕生「自分の夢が実現出来たらそれで終わり」とはどうしてもレースを終わりに出来なかった、むしろエキサイトする自分がそこにいたのである。
 苦しい時期をしのぎ、

 ナガーィ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お付き合い楽しいカワサキのレース活動が繰り広げられたのであった。

 勿論ロードレースにも情熱は向けていた、一時期、ファクトリーがレース活動を凍結した時を思い出す、’87年コークバリントン&ロブフィリスがZXRー7を駆り「ライムグリーンは死なへんで」とカワサキのフアンの夢を乗せて、鈴鹿に挑戦したこともあった、この時が今も引き継がれているのである。

 カワサキマガジンの結びに、現在は私の「夢を」沢山叶えさせてくれたカワサキを離れ、又、新しい「夢」(俺は馬鹿かイヤ、バクである)それはセントラルサーキットで誰かカワサキのライダーがポール・トウ・フニュシュ優勝することである。(4/’97のカワサキマガジンのリレーエッセイにこう認めている)

 カッコイー超カッコいいへへへ

 しかし、そんなに良いことばかりではない、せっかく築いた「チームグリーン」のこれからの活躍を私平井は捨てて、又、新しい分野に赴くのである(カーちゃんがこの町低い街やねが思い出される田舎であった)

 高橋本部長に見込まれた??? 「男の中の男である」サーキット許認可作業に専心したのである。
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 写真はハレーションでまずいがセントラルサーキットのパンフである。

〒679-1132兵庫県多可郡多可町中区坂本字草山521-1 電話0795-32-3766
 全長 2,804m 最大直線677m走行幅11~15m
                                                     続ずく
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by toshi-hirai | 2011-05-03 20:15

参りました

 少しの間、ブログが書けない状態でした、それはクッキーとやらが無効になっていたからです、今日とうとうbunCサンに助けを求め、やっとクッキーが有効になり投稿出来るようになりました。
 流石技術やなーbenCさんありがとうございました、明日から又ブログ書きます。
                                                t-hirai
 
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by toshi-hirai | 2011-05-03 13:41