Team Green

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「思い出」20

・・・歯医者に行って抜歯すると思いきやレントゲン取って次に抜きますダトサ・・・歯の2本ぐらい一度に抜いても、こちとら元気や我慢するのに、これも商売か?・・・シャナイビール飲んで寝てしまったスミマセン・・・

 「思い出アラカルト」

①コークの右足ねん挫で、監督はスタートライダーをロブにすると二人に話して(スタート時危険だから)大会事務局に申請に行ったところ、他のメーカーチームの承諾書を取ってほしい???(それも言うなら全ライダーにでは?)大会委員会で決定して、ライダーミーテングで決定した事項を発表すべきである。

②しかし、3メーカーに承諾書を頂きに、2メーカーは即OK、タダ一つのメーカーだけが「平井さん我々は必死にやっているので」との事、頼みに頼んでシブシブOKを・・・やっと走れる

③監督の苦労を知ってか知らずか、ライダーたちは
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グラビヤ中央は良いのだがキャンギャルが居ない「男カワサキ」、他メーカーは美人揃い「ハハハ」
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右足ねん挫でピットを右往左往止めてくれ~

④いよいよスタート
ななんと、2’19”076素晴らしいポジション6 (だからスタートがコークなら後続が危ない)
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ゼッケン7はいない前を走っているのか?

⑤ここでロブと迷監督との密談「せめて3周TOPを走れ」TVに出る「特別ボーナスじゃ」「OK」
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⑥しかし、見てください瞬間TPOを走ったのである
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左からゼッケン12 K・シュワンツ(スズキGSX-R750) ゼッケン1 W・ガドナー (ホンダRVF750)
ゼッケン21 M・ウイマー(ヤマハYZF750)このとき平選手は負傷のため急きょ監督に・・・
ゼッケン7我らがロブ (カワサキZXR-7) その後常勝カワサキフランス ゼッケン9 PEサミンカワサキの誇るGPX750R 名誉の為に ゼッケン15 D・ポール ホンダVFR750 
 ゼッケン41 宗和 カワサキGPX750Rは多分右側に居ったはずだが?
ロブようやった、ここだけやったがボーナスは約束通り二人に渡したら、大いに喜んでくれたのである。

⑦残念110周4時15分THE END・・・
 ここで写真をお借りした「THE BIKE 別冊」の記事をご披露しよう。

「奇跡の復活を垣間見た、カワサキ流「男」の美学  
 あまりにも鮮烈な印象を残して、真夏の鈴鹿にライムグリーンのつむじ風が舞った。
4年ぶりにワークス復活とこの年3台のZXRー7?を送り込んだが、そのうち顔はやはり「コーク・バリントン+ロブ・フイリス組」その健在ぶりを証明して見せたのは、まず予選だった。

 初日の24日二人とも揃って 2’19”台にゼッケン 7 は決勝6番目をアッサリその掌中に収めたのである。
 ’87年コカコーラ鈴鹿8時間耐久、この参戦発表会の控えめな発言「よそのマシンほど戦闘力はありません」ダトサ(少なくても平井の発言では無い、私ならさしずめ優勝すると断言したであろう)・・・しかしその場にいた関係者には強烈なインパクトを与えたのは確かだった。
 「カワサキが速い」そこかしこで聞かれるようになった・・・・轟音と共に各マシンは第一コーナーになだれ込み「場内アナウンス」が刻々と順位を叫ぶ「2位だ」一周目コントロールタワー前を通過(⑤のTOPはなんじゃ瞬間か?それでもいいTOPはTOPだ)チョット気になるのは、コークの右足である本人は「足は大丈夫靴もピッタリ、好いバイクだ」てなところ、ロブは快調に23~24秒台のタイムで走行、カワサキの平井監督は「大丈夫コークは23秒台はコンスタントに走る」「レースはこれかだよ」
 レースは一時間を経過時点で多田が転倒リタイヤ、ところがであるコーク&ロブ組みは快調に7位をキープそのころからロブが21~22秒台周回をしていた(カワサキ41番の野田監督「ロブは頭の良いライダーだ、マギーやシュワンツに負けない腕をしている」と)
 3時を過ぎ90周を過ぎる頃カワサキゼッケン7は4位から3位と浮上平井氏を初めスタッフ全員が口々に激励しながら作業をこなす、いい雰囲気の中ロブのピットインを待つチームにD・サロンの転倒、バリントンは「グッドハッピー」目が鋭さを増す平井監督が「コーク」ロブがピットに飛び込んできた。
 彼ら二人がお立ち台に上がるシーンが頭に浮かぶ・・・「イヤー盛り上がってきたねードラマになるよ」と誰かが叫ぶ、この時点TOPはゼッケン45グッドフェロー高吉のヨシムラ、2位はM・マギーのテック21、3位我らがカワサキZXR750、これからが勝負スタッフの口数が減り緊張がます、4時10分まだまだ体力充分のロブが待つピットにコークが滑り込んできたが様子がオカシイ、なかなかマシンが飛び出さない、アナウンスが声高に「ゼッケン7のピット作業が長引いております、オイルが漏れて居ります」と絶叫が響く、スタッフも胃がキユッとしまって一言もない。
 4時15分足早にマシンをパドック内に運び込む、わずか5分の寸劇 平井監督の名言
「直し直し走って完走、と言うことも出来るがそれよりスパット止めて、ここまで来たのだから」下位に甘んじるを潔としない、「男」カワサキ,ワークスの意地であった。
 
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・・・「アイアム ソリー」コークにロブに平井はあやまった・・・

・・・1987年長い真夏の祭典こんなドラマがあったのであります・・・今年もドラマがあることを・・・今日 鈴鹿では一時間早い10:30分スタート、後30分でナガイ8時間のドラマが始まるのである・・・

 「頑張れ青春、頑張れみんな、頑張れ日本」である
                                                     t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-07-31 07:44

「思い出」19

・・・色々思い出してはいるが、おじいさん(孫はまだ居ないのに)になったのか、もう1987年の思い出は4回ぐらい増版の様子、皆さんの目にもタコが・・・スミマセン・・・それでも思い出してみます・・・

 8耐ウイークが始まって、皆との合宿も慣れてくると「男所帯」も「汗臭い匂い」にもなれ・・・三竹荘(鈴鹿でのチームグリーンの定宿)の生活が定着してくるものである、当時はレース花盛り鈴鹿に20万とか25万とかの観客を集結、鈴鹿市そのものが8耐ムードで人人人であふれ還り、当然、交通規制も鈴鹿名物駐車場でのオートバイによるパフォーマンス大会、皆んなで「青春を謳歌」したものであります。

 1987年8耐ウイークは(当時のプログラムより)

7月18日(土) SP250/4H公式予選、鈴鹿8耐市民音楽祭、8耐記念花火大会で幕は切って落とされ
   19日(日) 4H公式予選、N-SPF 2H決勝、8耐レースクイーンPHOTOコンテスト、8耐ジャズライブ
   20日(月) 「クラッシック・バイク・フェステバル」、「8耐ロック&ジャズライブ」
     (昨日に引き継づきキャンギャルPHOTOコンテスト 我々には関係ない「男一匹じゃい」)
   21日(火) 「クラッシック・バイク展示」「8耐ロック&ジャズライブ」「国武舞夏祭り」?
   22日(水) HARTスクーターレース、8耐レースクイーンPHOTOコンテスト、8耐ロック&ジャズライブ
  23日(木) 8耐特別スポーツ走行、ピットウォーク、8耐イメージギャルONステージ、8耐ジャズライブ
   24日(金) 8H公式予選ハジマリハジマリ、パッセンジャーミッドナイトサマー「ホンダ美奈子コンサート」
          ライデング・ウエア・ファッションショウ、イメージギャルオンステージ
   25日(土) 8H公式予選、4H決勝、野外映画劇場、8耐ロック&ジャズライブ、イメージギャルONステ           ージ、イヨイヨ、レースウイークも活況に・・・
   26日(日) 大会式典、コースインスタート位置整列、選手紹介、仮表彰、ピットウォーク(我々はここにも          参加カワサキフアンに感謝のお礼をイヤお詫びをしたのである。
   その時、 ピットの前でサイン会並んだフアンの列、宗和より多田より、迷監督平井の列が長かった~

 ソレハネ・・・バイクの部品を(たとえばブレーキシュー・ヘットライト球・レバー・ワイヤー・なんでも一品さしあげたのである)平井のサービス精神が大サービスを勿論平井のサインも忘れない。サービス・サービス
        
   ・・・エンデングセレモニーは・・・
     花火大会、8耐イメージギャルオンステージ、8耐ロック&ジャズライブ

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                            大体これで「暑い夏」も終わりをつげるのであります。


 思い出アラカルト
 ① こんなことがありました、迷監督コークの右足ねん挫でのスタートライダー交代を・・・・

 イカン今日は歯医者の予約日 9:00~抜歯 コワイ~・・・

 チョット「一服コーヒーブレーク」                帰ってから続きを・・・
                                                    t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-07-30 07:43

「思い出」18

・・・1987年カワサキはレースを凍結したがすぐに解凍したのだが、その間、カワ販が繋いできたレースの思い出、それはそれは沢山の思い出がある・・・オートバイでご飯を頂いている会社が凍結とは何を考えているのかな?再三お目にかけているが再度聞いてほしい・・・

・・・レースはメーカーにとって意義のある仕事である、その意義を忘れてはイカンのである・・・

①広 告 宣 伝
②技 術 革 新
③販 売 促 進
④顧客サービス
⑤士気の高揚

 こんなに多くのソースがレースには詰まっているのにその仕事を「もう研究の段階は終わったでは?情けない、その様な状況下せめて日本だけでもと、「time green」が8耐をメーカーの代わりに引き継ぎ、今日のカワサキのレース活動があるのである。

 少ない予算・・・とてもじゃないが8耐に打っていくほどの余裕もないまま、迷監督はスポンサーを求めて東京に日参し、幸いにしてクリッピングポイント(広告宣伝の会社)にシガミ付き布施さんに世話になりながら、やっと支援をしてくれる、グッドラックツアー(ちょうどその年に販路拡大を求め創設された旅行会社)おもにホールセールを主体に成り立っていたそれまでの会社を自ら直販を伸ばす目的で、当時松岡財閥の松岡社長のお声がかりでtime greenをサポートしようと、ONE TIME 8耐のみの応援となったのである。

 思い出します1987年カワサキは・・・「コーク&ロブ」+「宗和&多田」の2組+マシンはカワサキの誇るZXR-7+耐久常連のチームフランスを月木レーシングがメンテナンスをサポートして3台がスタートラインに並んだのであります。
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 一方、GOOD LUCK TOURSは東京からのお客様をバスで送り込み東京組関西組合同で四日市公会堂?で前夜祭、レースではホスピタリーブース(当時はピット上にテントで8耐のみ実施していた)で応援とそれはそれは盛大な企画で我々を支援してくれたのである。

 イヤー素晴らしい大観衆に囲まれて(今とは全然違う)
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 レースは、チームエースのコークバリントンの予選右足のねん挫で始まった
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 この二人は何を考えているのかなー

 ピットではクシタニ特設工場が出来上がり、左右不均等のブーツ造り(コークの右足がギブスで大きいため)人の気も知ってか知らずか・・・
 コークに至っては余裕のヨーコちゃんホテルに帰って彼女とダンス、運悪く監督に見つかり大目玉、そこは「世界チャンピョン」素直に謝りダンス終了、明日に備えたのであります。
 
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by toshi-hirai | 2011-07-24 06:34

里親をお願いしたいのです

・・・我が家に3匹のワンちゃんが授かり総勢7匹、今や動物園同様です,里親になって頂けませんか
子犬5匹どのワンちゃんでも良いのですが、
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 3匹は「雑種です」右から1・2・3君です(全部男の子)この子達でも助けて頂けるのであれば、よろしくお願い致します。

 次は
 マロちゃんです(生後1ヶ年)メスです、よろしくお願い致します。

 
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 「私マロンです、シーズ可愛い女の子です、平井には3匹の子供が生まれて・・・」

 
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 「僕はチョコ ダックスです、生後約1ヶ年の男の子です、僕もよろしくお願い致します」


メールアドレス
  t-hirai@jp.bigplanet.com です     電話携帯090-9627-5524 です

 お願い

①連れて行きます
②予防接種打ちます
③暑いので現在トラ刈状態です(マロン)
④トイレは躾けています

 よろしくお願い致します。
                   
                                         
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by toshi-hirai | 2011-07-20 21:17

「思い出」17

・・・猛暑の毎日皆さん如何お過ごしですか?「猛暑お見舞い申し上げます」・・・

 我が家も2年間エアコンが壊れてかーちゃんと扇風機の取り合いで節電に協力してきたのですが、たまらず家電店で念願のエアコンを注文、ところがである、イヨイヨ取付の段階で電気工事屋さんが「これは取り付けられません」「?」

①配線が別になっていない・・・2年前までついていたのに?
②「ブレーカーが大きく(60A)しかも漏電スイッチがついておりません
③配電盤に別途エアコン用の配線を引かなきゃ

 この段階で「この工事屋さんは工賃の値上げを考えている」・・・とりあえず見積もりをお願いした、4万8千円納得がいか無い、そこで町の電気屋さんに一週間後見て貰ったら、工事費1,5万円どうなってるの???

④しかし、配線を別に引くのは必要である・・・なぜ前についていたのに
⑤エアコンの容量が小さかったのでは?・・・ 結構冷えていた小さくても良いのだが
⑥見積もりを依頼した ・・・また一週間カーちゃん「夏が終わる」ダトサ「来年のためや」

 どうも「水増し請求」の様な、納得のいかない事件である、イカンイカン愚痴になってしまう「思い出」に行こう

・・・そんなことで裸で書いている行儀が悪くて「ごめんなさい」「良い思い出が出来るかな?」「イヤ作くる」・・・

 今は8耐ウイークの真っ最中次回は私の「8耐」を思い出そうと考えながら、さてさて、昭一との出逢いから
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'87年8耐 コーク&ロブそして宗和&多田組の2台を走らせ「男カワサキここにあり」(写真にも女性は一人も居らん)をアピールした時、左から2人目が昭一当時まだジュニヤーだった


①彼とは、再三出てくるが金沢のバイパスオートさんのところであった、彼20歳紅顔の美少年だった?やっとカワ販のレース活動も勝てそうな時期に入った頃であった。
②彼は思っていたように速かった、しかしだ速さがあるゆえに体が付いて行かん、彼 B級の時、右膝じん帯切断の大アクシデント
③神戸のカネボウ病院スポーツ整形では日本で5本の指に入る名医に「監督今度の、この切断は何とか修理(治しますが)しますが、もう一度切ってしまったら「もう治せない」「レースは」断念しなさい」との事・・・
 泣き泣き別れた二人の関係ところがである、馬鹿たれ昭一鈴鹿でサンデーレースで走っていたとか?彼25歳の青春まっただ中、鈴鹿で再会の時が来たのであります。

 その時、彼26歳
 「監督~昭一が走っています~」どこに(私に見えないようにアウト側に身を伏せて)僕って本当に昭一の才能を一番知っていたのであります・・・素晴らしい(走りの天才チャンピョンになれる男だと)・・・

 「オイ昭一を連れてこい」(昭一・昭一とごめんね)・・・やってきた昭一「バレたか、ロードは膝をいじめん、大丈夫」ダトサ「馬鹿たれ、俺はね・・・ヤマハにFZだったか乗っているのが気に食わん」「今はカワサキにもGPX400Rロードレーサーがある、もう一度カワサキに戻って来い」・・・ナンヤ話の分からん内容・・・要するに平井が塚本を素晴らしいライダーと見抜き「惚れていたからだ~」

 当時の彼の回顧をご披露しよう「カワサキバイクマガジン」(平成11年3月5日発行VOL16から)

 「運命の出会い」

 常に「俺は目立ちたい」と前向きに上を目指す塚本、血が騒ぐのを抑えきれず鈴鹿サーキットに足が向くようになる。
 当時はF-3ブームの真っ只中、スーパースターの宮城 光 選手が脚光を浴びサーキットは賑やかだった、彼本人もそこそこの成績を納めながら参戦を続けていたのである。

 そこで運命的な出会いが生まれたのである、時まさに1985年3月まだ肌寒い2&4のパドックでのことである、「平井さんとばったり出会ったんや」「お前何しとんねん!アホか」怒鳴られてしもーたのやと、既に名声を轟かせつつあった「チームグリーン」の名将???平井監督にこっぴどく怒鳴られたのである。
 俺ヤマハのFZに乗っていたのや「なんでカワサキに乗らへんのや」と言われたけど「カワサキのGPは遅かったんや」そうして平井監督から「本気でロードやるなら内に来い」てなことで、再度カワサキに帰ってきたのである。
 誰よりも熱いカワサキ魂を持つ男(迷監督のこと)は塚本を再びカワサキに乗せたかった、負傷により断念したMXからロードレースの頂点を目指そうとする勇気あふれる塚本に惚れていたのである、ところが塚本はMXを通じプロの世界を知り、「ファクトリーはイヤだった」それは人間関係にイヤな奴がいたのだ。
 「プロとしてやるなら完璧な状態でやりたかった」そこで先輩の山本さん(当時城北カワサキの店主)に相談をしに行ったら「断るにしても一度カワサキに行ってみたら」と明石に行ったのである、行ってみたらチームグリーンは最高の雰囲気やった、「やる気が出た」俺は契約をしたのであった。
 人との関係を最大のファクターとする塚本の本格的なロード進出の第一歩でっつたのである、その年超激戦の鈴鹿4時間耐久にGPX400Rで15位に入り、翌1987年ジュニアーに昇格、趣味の段階からプロの段階に向けて、一生懸命走ったのである。
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これは懐かしい若かりし頃の、迷監督・塚本昭一・三浦 晃(晃の生活を担当してくれた釜ちゃんのカーちゃんから、明は間違いと指摘があった、明とばかり思っていたのに)マシンはカワサキの誇るGPX400R

 当時新参ホンダNSRの独壇場スピードの差負けが続いたのであった、「アホ・・・コナー勝負や行け」と監督に言われても(車体とエンジンがあれば勝てると信じているアホ監督に頭が下がる)しかし、マシンを限界まで攻め込んだのであった。
 笑い話があるで「アホ監督がマシンで勝てないならランクを一つ上げて、宗和と同じマシンでと、特別昇格申請とやらを出してくれたが、実績が無いから駄目と蹴られ結果的にはジュニヤーで揉まれて腕を磨いたのである」・・・
                                                    t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-07-17 07:52

「思い出」16

・・・今日は愛妻物語・・・昭一には勿体ないほどの美人で優しい女性である。
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 この人こそ愛妻「塚本由里」である(マダマダ行ける)

 おじさんがインテリアデザイナー、いとこが芸能人のスタイリスト、母親譲りの絵を書くことが大好き少女
とにかく芸術家が多くデザインに興味を持ち、美大に進み好きに磨きをかけた女性であります。

 出会いは、由里さんが好きだったバイク(今は亡き父親と、ハーレー・メグロにタンデムで良くツーリングに出かけた影響か)がパンクした時、修理に行ったバイパスオート?にたまたま昭一が膝のリハビリ中でお店にたむろしており、パンク修理に来たオンナの子「イッチョイコカ」ぐらいだったのか?ところがである。
 一目ぼれは彼女だったらしい「俺がナンパしたのと違うで~」と言っていたが???

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 その彼女がである「好きこそものの上手」のたとえ通り、カワサキに新鮮な風を吹き込んだのである。
ZRXにKX等カワサキコンペテションのマシンに赤が入った、斬新さに驚いたものであるすべて仕掛け人は「由里」さんである。
(トヨタのデザインからカワサキのデザインに移籍しての快挙である)

 昭一は素晴らしい一生の伴侶に「才色兼備」(褒めすぎかな?イヤイヤそれはありません)「職場の花」を勝ち取ったのである、彼女が居なければチャンピョンも今もなかったのでは、チームグリーンにカムバックした時期恋愛のピークだった様に思われる。

 スポーツ走行も終了一日が終わった時、黙々と我々が使用したピットを綺麗に掃除していた「可愛い子ちゃん」それが「由里さん」である
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 今は3人の良きママである(そうそう昭一は子宝に恵まれるのが遅かった、〇〇は好きだが子創りの下手な男で「俺が教えてやろうか」と冗談を言っていたことがあったが 一平君が出来てからは少し間が空いたがすんなり太一君そして理朋子ちゃんを授かった・・・

 
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 塚本一家である 長男 一平君 次男 太一君 長女 理朋子ちゃん 昭一・由里さんである
家にこの写真しか無いので大昔の写真であるが、(長男の一平君はもう高校3年?かな)

 ・・・彼氏がロードレーサーで命を懸けて鈴鹿・菅生・筑波を走っているとき、一人寂しくレースが終わり掛ってくる来る電話を待つ彼女・・・しかし、彼女が居ないと今の昭一は無いのである・・・
 

 次回改めて昭一の思い出アラカルト 乞うご期待である・・・         t-hirai


 
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by toshi-hirai | 2011-07-10 08:50

「思い出」15

・・・今日は昭一との「思い出」を・・・
 彼とは1980年彼20歳の時、私がカワ販でレース担当USA TIME GREENの向こうを張って日本にも
「TIME GREEN」をと、はじめたばかりの時だった。
 カワサキの特約店「バイパスオート」に早いライダーが居るとの情報、私は飛んで行ったのである、話がそれるが、私がチームを立ち上げるときrfuruyaさんにオートバイの販売会社がチームを持つのだから

①広告宣伝(強力なチームを造りアピール)
②販売促進(当然カワサキの特約店を主体にチーム造りを)
③技術促進(KHIでも技術開発を目的にレースをしており、カワ販も側面から)
④士気高揚
  (これは自慢じゃないが功を奏した、ソレハネ、チームグリーンはスタッフの数を減らして、現地の販売店、スポンサー支店、営業所の皆がチームを構成したのである・・・これは平井の自慢話・・・エライ)
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当時、名古屋(営)にいたのか?佐々木(呼び捨てゴメン、現在はKMJの企画部長偉い人「エエモン作れ屋~」に監督を任せて、私はサービス講習?に・・・・余裕の一幕、お懐かしい・・・先日も佐々木部長に・・・

 以上の目的を持って「カワサキのブランド」を挙げて行ったのである、これは見事に成功した。

 サテサテ昭一の思い出に
 彼も彼なりに迷ったそうである、ただ、親父が宅配便の仕事(経営)をしておりレースがダメなら宅急便の運転手、自分の一生「一度レースに賭けろ」「男の子の挑戦」と誘ったのを覚えている。

 明石に来てからは、走った走った、2年間カワサキに跨り充分その天性を磨いたのである、ところがあまりにも早すぎた、B級に昇格してより一層走ったところ、スピードが彼のじん帯をもぎ取ってしまったのである。

 日本でも右手に入る整形の名医(神戸のカネボウ病院)に「監督残念だが塚本選手の足は回復させますが、再度じん帯を切ってしまったら、走ることも歩くことにも???」との宣言、泣く泣く金沢に帰って運転手になれと別れたのである。

 ところがである、鈴鹿でのスポーツ走行に「監督昭一が走っています」とのメカの報告にコースに目を転じると、イタイタ元気な昭一がこともあろうか、ヤマハに乗って私に見つかるのを避けたのか?目の前はアウト全開・・・
 「アホ」昭一を呼んで来い・・・「お久しぶりね~」「足は大丈夫か?」「大丈夫」 「なんでヤマハや」「良く走るから」・・・「アホカワサキも走るでよ」「カワサキに帰ってこい」・・・マタマタ考えたのである・・・

 時まさに彼26歳やっと決断「TIME GREEN」のロードレースにカムバック鈴鹿4時間耐久レース15位から始まったのである。
 27歳でGPZ400Rでジュニアーで9位、28歳4位(一回優勝)29歳でA級に昇格ファクトリー契約とトントン拍子にカワサキのワークスである。(その年、ランニング9位)遅咲きのワークスのスタートであった。

①30歳でX-09(2サイクル250ccレーサー)の開発を担当TTF-1にスポット参戦
②31歳 TTF-1、 3位(初表彰台) ランキング5位
③32歳で念願のTTF-1チャンピョンをカワサキにもたらしたのである(優勝4回)
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鼻高々のNO-1
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記念撮影平井はどこ
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イタイタ胴上げ中
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得意満面のスピーチ、左は愛妻由里ちゃん素晴らしいカーちゃんであるエピソードは次回

④33歳TTF-1シリーズ4位(一回優勝)
⑤34歳スーパーバイク出右手指先を切断、それでもランキング7位(段々落ちてきた)
⑥35歳から開発ライダー契約メーカーにも目がある(出る回数も減ったがランキングも12位・15位)
 「平井ならさしずめTOPのみ}と断じていたのでは?
⑦37歳スーパーバイクシリーズ終了と同時にカワサキともお別れしたのである・・・
 彼、苦渋の選択であったと思うが、家族の幸せを求め「男の中の男塚本昭一」は仕事を選んだのである。

・・・後日談、1999年彼39歳に波乱万丈再度鈴鹿8耐でXフォミュラー2位の快挙を成し遂げたのである。
これは前代未聞の快挙である「男のロマン」を地で行った友情物語「山田達也&塚本昭一涙のゴール」機会があったら想い出を・・・

 イカンイカン、今日は月一回の「NPO法人THE GOOD TIMES」役員会、前回総会には欠席イカン(行かん)とイカン(遺憾)「ソウカイ」てな所でお粗末な一席今日のところは・・・

 次回は本当にアラカルトを、乞うご期待である。
                                               t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-07-03 06:28

コーヒーブレーク

・・・昭一の思い出はコーヒーブレークの後からとして、3日前スガチャンマンの奥さんから私の大好物「山形のサクランボ」を頂戴したので、モーニングコーヒーとサクランボを頂いている。
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 走馬灯のように若かりし頃の思い出(今も若い)「TIME GREEN」の事である・・・チームグリーン立ち上げのとき、故菅原・中深迫・岡本、この3人には苦労を掛かけた???奴らが遅かったからだけである自業自得苦しみは自分たちの為になっていたのでわ。

①走っても走っても予選落ち、それでも賑やかなチームだった、「どこ見て走ってるのや~」

②あまり予選落ちばかりなので、北海道第7戦にはいかせない、予算がないと3人に申し渡した(確か第7戦終了後1ポイントでもあれば最終戦の菅生GPにでれたのである)1ポイントも無い選手が「アホ」厚かましいとも怒鳴った。

ところがである、3人で野宿して八戸経由北海道お金は自分たちで出します、2T車とガソリン代だけ応援して下さいとの事
「ヨッシャそれだけな」・・・ところが皆んな予選落ち・・・こんなこともありました・・・

・・・道中「ツちゃん」カワサキの特約店にも迷惑をかけた思いださせる・・・しかし、この苦労の中から、不屈の強いチームグリーンが生まれ・・・今日があるのである・・・

http://www.kawasaki-cp.khi.co.jp/msinfo/press/kdc/index.html

貼り付けたのだが、画面がでない???ここには立ち上げ当初の「TIME GREEN」の思い出を取材して頂いた記事があるのだが・・・申し訳ありませんアドレスは正解ですご覧ください・・・

「強いTIME GREEN」イヤーMX強かった、ロードはもう一つ難しい、初めから強いチーム(チーム38だったのだが?)運が無かった・・・「アホ、運もレース」「やる以上優勝じゃ」そう思って全国を走り回ったものである。

でもMXはお陰様で全3クラス優勝(N/J/EJ、セニァはKHI)できる体制が整っていったのである
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強いメンバーである
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チャンピョンのジェフを囲んだチームグリーンの面々
左から営業部長永久の友(永友)KHI大津部長、私迷監督、野宮鬼コーチ、中深迫、菅原、顔半分は中岡マネジャー、長沼、ジェフ、紅一点嵐経理部長?座っているのが多田以上の面々である。

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これは’85年TIME GREENの精鋭である

・・・又、何時の日かゆっくりルーツを探って行きます・・・

美味しく頂いたので、お父さんか・兄さんか・弟さんか???が経営されている
菅原果樹園の宣伝を
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・・・おいしいサクランボ・もも・りんご・ラフランス等々地震で被害もあったのでは、素晴らしいサクランボ是非是非皆様も、ご注文下さい。
                                                      t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-07-02 05:54