Team Green

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「思い出」25

・・・8月が終わった・・・と申し上げましたが、私にはもう一つの忘れてはならない「思い出」があるのです・・・
 それは、「チームグリーン」RRに名物漫才コンビ「タイガー宗和&おしゃべり多田」の二人が居たのであります。
 この二人とも走らせたら速いのですが、どこかで転んで(多田なんかはモリワキレーシング時代大きなアクシデントを経験しているのに)ロスタイム&リタイヤ人生七転び八起きと言いますが、二人はその何十倍も転んでいるのです(今も転んで起きれない?それは無い多田はチョイチョイ会社に来てくれます)

 しかし、私にとっては忘れられない「可愛い奴」でした、今日は少々思い出して見たいと思います。
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 この時の8時間も1時間少々で転倒姿を消した時の写真です

 多田喜代一は私のところの神戸スーパーレーシング’43年頃斉藤光男(つい最近まで8耐を続けて走っていた名物男)とFXで走っておりました。
 当時は12時間耐久、焼き付きを起こしたシリンダーをホーニングと称して磨き、又走り、それでも完走ビールを飲んでキャーキャーやって居た時代であります(イヤーその頃のレースは楽しいものでした、練習の延長12時間も走れて、おまけに翌日の本チャン耐久もピットで見れる、エントリーフィーも安いもの???)こんなレースで勝てっこありません。
 こんなレースをボブキャットやFXでやっていた良き時代があったのです・・・デモ・・・KSSR(神戸スーパースポーツレーシング)は、MXで竹沢・杉尾・吉田・川本この4名のライダーが活躍をしてMX界では名門のチームであったのであります。

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 昨年のZ-1会のコンペで今なお仲良し4人組(キヨさん・平井・杉尾大先生・タケ)であります。

 多田は「より早く」を追いかけモリワキレーシングに鞍替えしたものの、大アクシデントで再起不能とまで言われながら、元気になれば再度走らせてとチームグリーンに返り咲きを図った厚かましい心臓の持ち主、しかし、これが彼の持ち味カワサキのワークスでタイガーと組んでサーキットを所狭しと暴れ回ったのであります。

 思い起こさばチームグリーンで多田は斉藤祥二と組んで8耐に参戦、同じ頃キヨさん(ミスターカワサキ)から、「一度見てくれ、カワサキをお立ち台に上げたツワモノ」と連れてきたのが、ご存じ「宗和孝宏」’85年ノービスでデビュー当時の4時間耐久で2番手を走りながら転倒リタイヤ・・・全日本RR/GPでもポールポジションでTOPを走り、しかし、転倒リタイヤ・・・
 デモ、速い速い鈴鹿でポールを取ったりコースレコードを叩き出したり、菅生でTOPをキープしながら大事な12周目で帰ってこないボーと2コーナーで立っており、マイクで転倒転倒と言われたり・・・色々な事をやってくれましたが、私にしたら可愛い二人、あの豪快な走りには(二人ともアホかな?)私も「飛んでも良い大きな怪我がなければ、そのうち優勝できる」・・・テナこと忘れられないライダーで有りました。
                                                 t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-08-28 07:27

コーヒーブレーク

・・・夏の祭典「FIM世界耐久選手権シリーズ第3戦“コカ・コーラゼロ”鈴鹿8時間耐久ロードレース第34回大会」が平成23年7月31日無事終了、もう夏も終わりを告げたのである・・・

 久しぶりにこの連休チョットお休みを頂き次回からの思い出を温めたいのであります。

 てなところで昨日からビールをアオリ、高校野球決勝を見たり、寝たり、秋の従業員慰安旅行の下調べをインターネットで(今年会社は儲けてはいないが、後半巻き返しを狙って大奮発、韓国に3日間・・・韓国は私にとっては太白市にサーキットを造りにKHIでの杉沼先輩と頑張った所であります、現在サーキッとは稼働致しており見に行きたいのですが?時間が・・・)と結構忙しいのであります。

 多くの皆さんが、会社が儲けてから行ったらとアドバイスを頂くが私は天邪鬼、今年10月7日~10月10日までお休みを頂きます、帰ってきましたら一生懸命頑張ります、ご了承ください。

 てなところで今回の「思い出」はお休みを頂きます、次回から継続していきますご愛顧ください、どなたもご覧になっていないとは思いますが、自分自身に発破を掛けているのです。              t-hirai


 
 

 
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by toshi-hirai | 2011-08-21 11:12

「思い出」24

・・・イカンイカン 最後の2分のドラマをお伝えするのを忘れていたのであります・・・
「ソレハネ」 ガス欠やコリャ、ドラマ・ドラマお伝えする

 おもなOFFICIAL STARTING GRID

 1、 33 SB ◎S.ITO   T.UKAWA   H-RVF/RC45 2’09.210
ラッキーストライクホンダ
 2、  2 SB ◎A.YANAGAWA H.ISUZU  K-ZX-’RR 2’09.388
カワサキレーシングチーム
 3、 71 SB ◎D.KATO M.TAMADA  H-RVF/RC45  2’09.393
 Team高武&桜井ホンダ
15、 12 X-FG.KAMADA  ◎N.OGAWA S-GSX1300 2’12.450
 ヨシムラスズキGP1DAXIM
16、 19 X-FM.IZUMI◎T.HAMAGUCHI  HーVTR1000F 2’12.920
モリワキ・MOTULレーシング
18、 111 X-F  T.YAMADA ◎S.TUKAMOTO KーZX-9R  2’13.240
HBDforワールドランナーズ
19、 778 X-F◎H.AOKI Y.KONISHI    trsH-AC90M   2’14.352
  F.C.C TSR ZIPFM

おもなOFFICAL RESULTS

1、ゼッケン  4 SB  1位 T.OKADA&A.BARROS(BRA)
   H-RVF/RC45  ラッキーストライクホンダ 213周 155.48km/h  2’10.758

2,       11 SB  2位 A.SLIGHT(NZ)&C.EDWARDS(USA)
H-RVF/RC45  Castrol HONDA  212周   1LAP      2’11.553

3,        2 SB  3位 A.YANAGAWA&H.IZUTU
   K-ZX-7RR    カワサキレーシングチーム 212周   1LAP      2’10.932

16、      12 X-F 1位G.KAMADA&N.OGURA
   S-GSX1300R  ヨシムラスズキGP1DAXIM 199周  14LAP      2’12.709

17、     111 X-F 2位T.YAMADA&S.TSUKAMOTO
   K-ZX-9R     HBDforワールドランナーズ 195周  18LAP      2,13.628

20、      91 X-F 3位POTTL(GER)&R.SAKAKIBARA
   Y-YZF-R1    OVER-EUROPE&PS  194周  19LAP      2’15.960 

*アアシンド これがSB&X-F 1・2・3のスタートグリッド&最終の成績である

・・・ドラマのハジマリ・ハジマリ・・・
ソレハネ・・・X-F2番手を走っていたマシンが給油に入らなければ駄目なのにと考えながら、私はメカニックにピットを見てきてもらったが、どうやら何もないらしい???(スミマセン私も昭一もゼッケン〇〇も誰だかも忘れてしまっている?)これはピットはガソリンは行けると踏んだらしい・・・しかし、昭一がグイグイお追い上げるものだから「必死のパッチ」で逃げまくって必要以上にガソリンが無くなっていたのでは?

 ピットを見に行かせた迷監督は素晴らしい・・・そして、エライ奴や・・・相手の監督も周回数×時間でオオヨソガソリンのことはご存じだったのでは?・・・賭けに出たのかなー、それなら・・・これまた素晴らしい・・・

 しかし、迷監督平井も51位になった時、2番手のマシンがガス欠をするとは読めなかった。

 チェッカーは総合17位クラス2位(イヤー棚ボタで2位)それでも51位から2位やこんな夢の様な、デモデモ
迷監督はトラブルが起こった時に・・・既にチームメイトに断言していたのである・・・こりゃ奇跡や・・・イヤイヤ実力や・・・「達也&昭一」は俺にとっては素晴らしい選手であった・・・

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*8時間一緒に戦った戦友たちの走る前の顔である・・・多分走り終わった時の女性軍は素晴らしい美人だったのでは?
 
 

 
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by toshi-hirai | 2011-08-15 07:40

「思い出」23

・・・スタートから約2時間トラブルが起きてしまった塚本2回目のセッションだった「ピットアウトした途端なんやこれ・・・て感じ5,000回転~滑ってしまう?クラッチ板滑ったか何か?ショウトカットするとペナルテー取られるのでダマシダマシ一周して帰ってきた」大騒ぎのピットインクラッチ板でなくワッシャーが折れていたのだ、それが噛んでクラッチが滑る。

 瞬間平井はそのワッシャーを持って隣のピットのワークスに飛び込んだ「後で冷静に考えたら自分がワークスやってる時そんなんが来たら、わしら命がけで走っているのに何がワッシャーや何考えてるプライベーターは!!と放り投げるとこや、それにワークスが公道モデルのパーツ何んか持っていない(笑)それでもワークスや川重のエライサンや隣のチーム38も一緒になって協力してくれた」・・・

 カワサキの人間臭さはこうしたところからでも良く解る、結局他の部品を削って処理をした、その時、われら取材陣は一言でも良い取材をとチームスタッフに申し入れたが「今はヤバイと断られてしまった。
 交代してシャワーを浴びた山田は戻ってきて一瞬事態を呑み込めなかった「アレなんで塚本さんがここにいるの?」と不思議に思ったが、塚本に声を掛けられないぐらい悲壮感漂う落ち込みようだったらしい。
 (迷監督は違う「やれる・やるんだ」いいとこ行けるよ・・・と考えていたのであった)
 「再スタートからペース配分と言う考えはなくなった、どこまで上がれるかは運との勝負かなりキワドイ走りもした」
 (迷監督は既にその時ジーと走る昭一を見て皆に3位まで上がれると言ったのである)

 51位にまで落ちた山田&塚本、しかし(迷監督の言う通り37位迄追い込んだ、迷監督はもう少し上で変わって欲しかった・・・ソレハネ・・・後ろの方はタイムが遅い~抜けるのや)
 山田にバトンタッチすると雨が降ってきた(迷監督シメシメ)これが味方になっのである、様々なトラブルの末にやっと女神がこちらを向いてくれたのである。
 運が向いてきたと考えられる強さがこのチームにはあった(迷監督は)「他がタイヤのチョイスでモタモタしている間、うちはスリックのまま走り続けた、それが結果的にうまく行ったのである」
 塚本はこう言い切る「人と違うことやると頑張れることがある、そこでコケたらアホやと言われるから余計に集中する」塚本らしいコメントである、マシントラブルが発生した時「レースは完走目標だとチーム全体の誰でもが思っていたのだが、迷監督平井は塚本が出て行ったあと総合18位クラス3位と読んでいた。ヒューヒュー

 「長年のカンですね、あいつら二人の速さならいけると・・・」(ヒューヒューカッコいい、ヨヒライー)再び表彰台を狙えるところまで来た後半
「最後4位で交代したんやけど、表彰台に乗るためには・・・前とどのくらいタイム差があるのかが知りたいのにサインボードは出てこない、経験不足やからシャ無いけど自分のタイムしか解らないのは、上を狙っていくには精神的にはシンドイ」

 これほど悪い条件、自身との走りに戦い、しかし、クラス3位で帰ってきた塚本の強さ、いったんピットに入るがさらに上を狙うためにもう一度出て行く、迷監督からは山田に告げられていた「昭一に上を狙わせよう、悪くても3位を確実なものにしよう」と・・・

 きわどく追い回す塚本だが最後のチッカーは山田に受けてもらいたいと思っていた「夢の実現を確かめてほしい「残り10分」で平井はライダーチエジを山田に促した。

 6年間の戦いを確かめるように周回する山田には、今自分の身に起きていることが信じられない・・・まるで映画を見ているようだった。
 いくつものトラブルを克服したレースだった、それはまさに山田が歩んで来た6年間の縮図の様である。
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 平井も振り返る「監督冥利に尽きるレースだった」と、又、塚本はこう回顧する「今思うとワークスの時には、いくつも分かれた作業の一つ、走るパートを担当していただけ」初めてプライベーターで戦った塚本は言った。

 目を閉じるとチェッカーを受ける山田の姿が空を彩った花火と共に蘇る、あの約束から1年後の1999年、夏のある熱い日のことであった。

 この様にムスばれている素晴らしい「カワサキバイクマガジン」活字は「思い出」を本当に蘇らさせてくれる、今年の熱い8耐もいくつかの思い出を残して、花火のように散って行ったのであります。
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・・・でも我々に鈴鹿8耐は来年も再来年も続きいくつもの「思い出」を、今年の8耐の「思い出」はおしまい・・・
                                                チャンチャン t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-08-14 07:40

「思い出」22

・・・カワサキバイクマガジンの8耐奮戦記の記事を紹介しよう・・・

・・・とにかくレースが好きで、女性よりもレースが好きな人や13年ぶりにサーキットで指揮を取った・・・「ビデオ見てもメッチャ嬉しそう、何よりサーキットが一番良く似合う」昭一が思う迷監督の感触である。

 (’俺一番女性が好きやで~)こうしてチーム監督は決まりメカニックやスタッフは我も我も決めるのに大変だった様子・・・鈴鹿に入って予選から決勝が近ずくにつれ、ライダーから色々注文が付けられこれまた大変だった、山田達也のタイムも上がってきて強気の塚本昭一も「目標をクラス一位、総合ひとけた」一方山田は「塚本さんの様なだいそれた成績は考えなかった、それでも二人のタイムなら監督の立てた作戦だと充分喜べる所に行ける、後は大きなトラブルさえなければ」

        ・・・イヤイヤ内に秘めたるど根性は昭一と一緒だと思う・・・
 
 チーム全員が期待と不安で見送る中、スタート・・・山田の6年越しの夢が叶った瞬間である、しかも、14位と言う最高の幕開けであった。

 「土曜日にマシントラブルが出たり、いろんな不安要素があったけど本当に見事に決めてくれた」 山田にとってこの出来過ぎのスタートはプレッシャーではなかったのか?

 「もっと心臓がパクパクすると思ったんですが、不思議なぐらい落ち着いていました、スペシャルステージでキャリパーが落ちたりいろんなことがありすぎたせいか、もう何があっても大丈夫と言う気持ちになりました。
 監督のシュミレーション通りに行けばいい、設定タイムで走れば良いのだと、精神的にはずいぶん楽になりました」
 「エライ」そらー日本一の迷監督をそこまで信じたから良かったのである・・・
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*写真をクリックすると鮮度鮮明な写真になります・・・迷監督が居ない何故・・・寝ていたのである。
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by toshi-hirai | 2011-08-13 21:56

「思い出」21

・・・今日から3連休俺にもGWがやってきた・・・

 先日友達のTさん(現在神戸西区オートバイ屋さんCOMODO MOTOを経営)の所に行ったら、今回の8耐一躍話題になったチーム紳助のメカニックをしたそうで、色々と話を聞いたがナカナカ面白かったらしい。
 今度TVで1時間、今年のレースを振り返るらしい「来々軒」がスポンサーで14位これだけでも面白いのにチーム紳助が絡むのだからもっと面白いのでは必見である。(日にち時間を調べてお知らせします)

   ・・・さてこちらも「思い出」鈴鹿8耐と言えばあの1999年の夏を忘れることは出来ない・・・
 ソレハネ!「山田さん8耐やろうよ」1998年の夏昭一の呟きから始まったのである、山田はかって250CCのレース活動をしていたのだが経済的な面でアキラメタ男である。
 山田は仕事に打ち込み自立してから8耐に再び戻る決意をしたナイスガイであり、3年後にはその夢を達成すべくチームを作り夢を実現できそうな時、鈴鹿での練習の帰り事故にあい(骨折10ヶ所、足は曲がりもうオートバイには乗れない状態に・・・つらかった8耐に向けた情熱が消え・・・なんだか負け犬みたいだった・・・

 「あきらめていた時、昭一の悪魔イヤ女神のササヤキ「昭一とならやれる」再びチームは走り始めたのである。
 
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 「チームHBD forワールドランナーズ」の面々キャンギャルもいるで ヨ~ン

    「カワサキバイクマガジン」VOL20から「思い出」&フォト頂きました、編集長様 「スミマセン」

 ちょうどその年の2月に迷監督「胃がん」に倒れ大手術の果てには食堂のパイプと省庁のパイプを繋ぎ合わせて精子のサカイメ・・・何が8耐や・・・それでも一番可愛い昭一が「冥土の土産」にと、私を監督に推薦、私にもチャンスがやって来たのであった。
 事実キツカッタ・・・ものが食べれない、今ほどでは無かったが暑かった、皆が気を遣ってくれた・・・特に「山田氏&塚本氏」の二人は大切に・・・壊れ物を大事にしてくれた・・・アリガトウ・・・

 この大会「一番入れ込んでいたのは昭一では?」 イヤイヤ 「何言うとるんや、一番入れ込んでたんは監督やんか」 美しき師弟アイ 「愛」 譲り合い いずれにしろ「夢の実現」が始まったのである。
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 赤腕章の山田達也 「夢をかなえるゼッケン111」 クラス2位・総合17位
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 黄腕章の塚本昭一 「夢をかなえたゼッケン111」周回数195周,マシンはカワサキの誇るZX-9R

 カウルにはスポンサー制度3,000円の協賛金で(チーム運営費ではない、NPOボランテア団体ワールドランナーズ寄贈)スポンサーにはTシャッ&カウルに名前を入れて一緒に走ったのである。
 マシンのカウルを見てください名前が入って居ります。



 まだまだ続きますであります(ちょっと歯医者に)・・・連休連休・・・
                                                         t-hirai

 
 
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by toshi-hirai | 2011-08-13 06:54

「思い出」21

・・・もう8月、8耐はホンダが頑張り今年の夏も終わりを・・・
先日「思い出」20のスタートの写真は’85年のものとのご指摘を頂き、私もゼッケン7が居ないと思いつつ貼り付けしました。
 返す返すも不注意な迷監督、私に免じてお許しください???

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・・・これは間違いなく’87年のスタートです、ゼッケン1ガードナーと2マッケンジーの間に7のロブがそうして21のウィマー左側と12シュワンツ右側、少々不鮮明が残念です・・・

 やはりコークさんの走りはずば抜けて、なんと云いましょうかこれぞ「人車一体」足のねん挫もなんのその”21~23秒で走り続けて居たのであります。

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・・・赤腕章のコークの走り、後ろは53上田51森光のホンダ勢だが3時間過ぎたあたりだろうか?・・・

そうして運命の4時間15分
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・・・コークが入ってきてロブが訳も分からず「早くツナギを着ろ」と迷監督にワメカレチェックすること3分30秒???迷監督は消火器片手にピットに車両を入れる覚悟を決めたのであります・・・

 ・・・今考えても、情けない、しかし、これが筋書きのない8時間の物語であります「アイアムソーリー」・・・

・・・今考えても’86年から走りたい、そこそこ行けるこの二人のコンビで繋げばカワサキをお立ち台に上げれると考えた、そうして’87年に繋げて優勝を狙って東奔西走、スポンサー+KHI+カワ販の間を走り、何とかやれると判断をした。

 とりあえず’86年に前哨戦と張り切ったが、ところがである、多分FIMのレギュレーションの関係で断念だった出場できず、やっと’87年に走ることができたが4時間までドラマを創り乗って来たところで、オイル「ジャジャ漏れ」・・・ナーンジャ・・・

 それでもお客様から「感激した」と励まされ、スポンサー「グッドラック」の松岡社長(松岡財団の御曹司)からご褒美に銀座のクラブに3人(平井・宗和・多田)ご招待を頂き恥をかいたり、会社からは「良くやった」と、ワークスの復活を促し・・・

 イヤー夢の様な’87年の8時間耐久でした。
 
 今日は、NPO法人THE GOOD TIMESの理事会そろそろ出発の準備チョット早いかも知れないのですが又、休みには「思い出」を続けます。                                  t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-08-07 06:29