Team Green

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「思い出」34

・・・どうやら本編あまり人気が無いらしい、ソレハネある人物がネック、不愉快な方が居られることはこれまた彼本人にとっても不名誉なことだが、私も聊かつらい。
 マー多田が一生懸命想い出を書いているので、このレースの彼の「有終の美」カワサキ軍団3位の快挙?と言われた「ル・マン24時間」を終焉とします。(しかし迷監督いわく「優勝セナ・アカン」)

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 最後のライダーチェンジ
 現在の順位 3位 後ろからはタイムを上げて追ってくる4番手のフランス・ホンダのライダーミゲール・デュハメル(親父は過去にカワサキのライダーであったイヴォーン・デュハメル)コースはオイルや凸凹で見るからに滑りそう(タイヤはラストライダーなのに変えてもらえずか?)

 そんなことかまうかと52秒台で周回、後ろを見ても4番手は見えないその時には一周もマージンがあったので余裕のヨーコちゃんマシンも好調・体調のみ、考えたら24時間オニギリ2個だけ、ストレートではにぎり寿司のネタが幻想そのままカウルに伏せたライダーの私の目の前に、しかし、最後の気力このままゴールへと思いきや、ドッコイ問屋は卸さない・・・

 後ろから聞きなれない自分のマシンの以外の・・・「音」・・・ついに追いついて来ましたフランスホンダを駆るミゲール、ここで抜かれたら「日本男児の恥」アクセル全開、しかし、ミゲールは速く何周かはブロックラインで凌いだものの・・・裏ストレートで遂にパスされ、同一周回でミゲールの逃げ切りか?モードが持ち上がっていたそうな・・・

 しかし、こちとら「耐久の雄多田ちゃん」ですぜ、ここでテールにビッタリつけて、前を狙う・・・なんだかミゲールにはプレッシャーを感じず逆にミゲールを簡単にパス出来た、「その時、23時間中出ていなかったカワサキでの最高タイム1分51台前半(俺に任せ~やろアホ危ない危ない)しかし、このタイムで周回を重ねることが出来たのである。
 ミゲールと抜きつ抜かれつのデットヒートやがてミゲールが怪しげなギブアップ・アクション「ソレハネ(マネスンナ)ミゲールが走行中、どうしても「カワサキの雄多田」には勝てない、両手のヒラを天に向け「OH-NO~」マイッタのポーズ、完全に俺のペース、ミゲールをパスしてからは鼻歌人生(人生で転ぶなよ)タイムも52秒台で怪走・・・


 コリャどうしたことピットサインの矢印が 「↓」 タイム表示も無く 「マー」スピードを落とせとの指示・・・
(待て待てそんなことしたら、後ろにパスされるばかりか、全てのペースが崩れてしまう、迷監督なら「腹で冷や冷や」しながらも悠然と走らすがな~)

 耐久の雄多田も同じ気持ちだったらしい(アホお前にそんなこと分かるか)ピットはあくまでも、スロー指示サインボードの代わりに、ヘルパー・メカニック全員で両手を上下に振ってヒップ・ホップのヨウヨウみたいなサイン「どんだけスピードダウンじゃい」と思いながら走りました。

 24時間目の午後3時前メインスタンドから徐々にコースに出てきて観客が増えコース幅2から3mの細い道それでも各車全速で走行通り過ぎるのです「危ない危ない」「走行を止める訳にいかずホーンを鳴らす訳にも行かず、そのまま走行・・・

 ゴール時間10分前「チェッカー」なしでピットに誘導「ゴール・イン」コースオフシャルに促されピットロードになんとなく「(笑)もないゴール」でした。

 マシンを入賞車保管場所で止めて、オフシャルに案内されながら走って皆の待つ表彰台に合流喜びを分かち合いました。

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これが俺の最後のカワサキ本当に長い間「俺の夢を」叶えさせてくれた皆さんに感謝ありがとうございました。

 
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t-hirai
 
 
 

 

 
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by toshi-hirai | 2011-09-25 08:40

「思い出」33

・・・おはようございます、台風の状況は如何ですかお見舞い申し上げます・・・

 サテサテ ル・マン24時間も既に5時間経過塚本に2回目のバトンが渡されようとしております、イヨイヨ我らがチャンピョン塚本昭一2回目の出番です(現在7位から5位に、これから3位までどうやって行くのかな~ 現在の所転倒なし???ここに勝つ要素があるんやワカルカナ)

 多田は持ち時間を消化(転倒なし?)ライダーチェンジ、ピットに入るとタイヤ交換、ガスチャージもスムーズに「塚本タイヤニューやから一周目気をつけて」と助言(それは迷監督のセリフお前がマネスンナ)大きなレースに抜擢され若干のプレッシャーを感じながらメカニックに押されて無事ピットアウトしていった(大きなお世話やな・・・私は未だ練習走行から一回も転倒なしカワサキで唯一のライダーでございます・・・やな昭一)

 既にあちこちで転倒車・トラブルでのピットインをする車もチラホラ、それを横目にA級一年生の塚本持ち前のガッツフェースで周回を重ね、5番手でピットイン各ライダー2回の走行がが終わり無事終わりました。

 マタマタ タイヤ交換ガスチャージもスムーズにエース宗和のピットアウト、流石カワサキのエースライダーである、上げる上げるガムシャラに周回を重ね順位を一つ上げ4位に浮上したところで予定どうりピットイン、耐久の多田はフランス人トレーナーの二人に体を1時間もみほぐして貰い、怪しげな錠剤2錠補給なんだか体も軽く、気分爽快宗和を迎えるべく、ピットで待ちかま得ておりました。
 ところがピットに帰ってきたマシンにはガスチャージだけ、タイヤは相変わらずリフレッシュなしで古ッシュタイヤなんでやろ?

 (教えてあげよう・・・イヤー流石武本総監督レースを知ってる、ニュータイヤなら美味しい所でタイムが稼げるが、グリップが良くなり転倒にも近ずく・・・そこでや耐久のベテラン多田にはニュータイヤは履かせない作戦に出たのや)(そこえ昭一から電話俺が話すと「それは違うピットは多田さんの転倒は恐れていたが・・・ミシュランは長持ちするからでは?」だって、なんと常識のあるチャンピョンのお言葉・・・「分かったお前も思い出書いてこい」と依頼・・・コリャ面白くなるぜ~)
 一方多田は少々不満な気持ちで・・・マ良いかとコースイン

 しかし、見てくださいこの雄姿
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 人車一体古タイヤの多田の見事なライデング・・・(それ以上アクセル開けるな~)

 あと17時間しかし先が見えない、フランスはこの時期午後8時~9時頃には薄暮状態、マダマダ夜と言う様な感じではなく夕方みたい、日が落ちコースが見えにくくなった頃、順位の4位を死守・・・塚本にライダーチェンジ、タイヤ交換ガスチャージもスムーズに塚本は暗くなったコースに飛び出して行った・・・

*写真が前後して居り、多田からクレームここでランダムに紹介します。

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 予選終了の時、ポジション4位と歓喜のカワサキの面々、何故かフランスライダーの首には花輪
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 梱包を開けて完成したZXR-7の雄姿
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 多田のフランス ル・マン出場の際ホテルバックに記念撮影

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 鈴鹿からの招待でエントリー特別招待選手紹介の時の「日の丸」の旗

 てなところで前半戦4位で今日はお終い・・・後半戦は次回から・・・
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by toshi-hirai | 2011-09-23 07:14

「思い出」32

・・・宗和は全日本のレースと違い技量が分からないフランス人ライダーとのバトルでまだ自分のペースで走ることなく、どうしたタイムもバラバラそれでも何とか一回目のライダーチェンジポジション7位、聊かお疲れの宗和からゲンキハツラツ耐久のただのお出まし、タイヤの交換は無くガスのみ給油すぐにピットアウトスタートライダーから比べるとコース内も一応落ち着き、順位も気にせず無理なく自分のペースで走れるものです。
 これが2番手ライダーの良い所、
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自分の場合練習時より予選のタイムが上がってきたので本番では無理をせずに走り、ホンダ・スズキ両ワークス及びフランスカワサキについて行き他のライダーはかなりパスを出来たような雰囲気自分なりに持ち時間を頑張って走りました。
 
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by toshi-hirai | 2011-09-19 12:02

「思い出」31

・・・1989年4月22日~23日のナガーイ ル・マン24時間耐久の始まり始まり・・・

 今回フランスに入ってからスカッートした日が無く、今日もドンヨリとした雲の多い日でありました、ライダーとしては、お客さんメカニックスタッフ皆んなが楽しくレースを楽しみたい気持ちでホテルから出発。
 一足先にサーキットに入り、マシンの最終チェック、準備等をしているメカニックと合流
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 縁の下の力持ちメカニック軍団、和田ちゃん・エンジン屋藤本[右から2番目]を中心に頑張った。

 皆が大忙しの中一人哀愁に浸りピットレーンを見ると昔見た映画の一コマ「栄光のル・マン」のピット今そこに自分がいる感激、一方あまり広くないメインスタンドに目を向けると超満員溢れるばかりの観客の中にカワサキの応援団、ここフランスにもカワサキのフアンが大勢おり、スタンドに陣取り応援とは有難い。

 現実に戻ってカワサキのモーターホームに入ると、宗和・塚本・前田達がワイワイガヤガヤ読めもしないフランスの朝刊を・・・暇や~何かしようなとトランプでオイチョカブを、観光旅行気分の前田が目の色を変えて迫ってくる。
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 戦う前のチームカワサキ&チームフランスカワサキライダーの面々

 刻々とスタートが近ずいてくる中トランプゲームに興じる我がカワサキ軍団、そこえ武本総監督が入ってきてテーブルにあるフランをみて何しとるんや「早く用意せ~と」怒鳴りまくり(あたり前田のクラッカー平井迷監督ならトランプなぞ見たら正座で約30分間は説教・・・勿論チームグリーンのレース前は、RR・MXどちらも全員5時に起こして散歩・準備体操・朝食、メカは準備・ライダーは休憩と決まっていた)

 トランプのお蔭で前座レース、カワサキKR250ワンメークレースのスタート&ゴールも見れずに刻々と24時間のレースが近ずきいやが上にも燃えてくる。
 今回は8耐日本人ペアー最高位で鈴鹿からのご褒美での招待選手、チームカワサキのライダーはスタンド前で整列、日の丸の旗の掲揚まであり大感激、異国の地でするレースに実感がこみ上げてきたのである。

 間もなくスタートル・マン式スタート俺の待つ前にカワサキの誇るピカピカのZXR-7、一方第一ライダーの宗和はフランス人ライダーにスタートシグナルの確認やがて秒読みが始まったのである。

 シグナルはGO・・・俺の待つZXR-7に向かって宗和は痛めた足を庇いながらも走って来てマシンに、セル一発轟音を残して全車一斉に1コーナになだれ込み、宗和は如何に???一周目スタンド前を3位のポジションで駆け抜けて行く・・・これは素晴らしい絵になるぜこのレース・・・(あわてるなこれかじゃ)
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by toshi-hirai | 2011-09-19 08:56

「思い出」30

 ・・・塚本は転ばない「少々自慢みたい」態度が大きくなって元気いっぱいビデオを取りまくっている・・・
(この間に少々文章があるのだが、あまりにも滑稽なので多田の名誉の為にボツにする)
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 漫才コンビ走る前の余裕

 いよいよ予選が始まり、エースライダー宗和孝宏の一発に期待をかけてマシンはコースへ宗和は昨日の転倒で体の痛いのを我慢しながら、しかし、これぞプロタイムを少しずつ上げながらピットに入ってはセッテング遅い他車をかき分けながら、豪快にフルスロットルタイムも上がったものの、もう少しと言うところでタイムオーバー・・・TOPには及ばず・・・残念・・・しかし、TOPはホンダのピエラ組1分49秒16 我がカワサキは1分51秒 4番手のタイム

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予選中の写真か?武本総監督と一緒にライダーたち塚本が?走っているのかな

 イヨイヨ我らが多田喜代一の出番、コースに入る前に昨年富士スピードウエイのレースで公式練習走行中に徐々にスピードを上げた途端に仮設シケインの突っ込みで2速から1速に減速した途端縁石に乗り上げマシンともども立て周り、挙句の果てに頸椎圧迫&手首骨折まだ完治せずここフランスまで後遺症を持ったままの状態、手首の動きが悪くグリップは一度にぎり直して前回状態だが偉いもんようやく慣れてきて、タイムは宗和より2秒遅れでフイニッシュ、塚本にバトンタッチ、塚本も同じように1分53秒後半で終了
(手首が悪くなければタイムが上がったのかな?手首のお蔭で転倒せず・・・良かったではないか)
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 本チャン前の余裕のヨーコちゃん宗和は予選の結果でも見て作戦中?


 明日の午後3時いよいよル・マン24時間耐久レースのスタートです。

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by toshi-hirai | 2011-09-18 06:54

「思い出」29

・・・塚本昭一は、ル・マンに着いてからサーキットを走る以外はビデオカメラで、パドック・ホテルでもカメラを手放したことはありません(今度借りて再生してみよう)本当にビデオ小僧・・・
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 ゴメンメカニックの恵比寿の写真を貼り付けるのを忘れていた梱包を・・・
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 ZXR-7の雄姿 Tカーと2台

 サーキットに侍る数少ないフランス人形からの注文で「多田の裸」「禁断のトイレシーン」(アホお前ら何しとるのや、直接攻撃目の前で裸・トイレをジックリお見せしたらドヤ)塚本カメラマンはいろんな角度から撮る撮る
宗和といるのとあまり変わらない状態でしたが、昭一との同室は楽しかったのでした。


 翌朝カワサキブースに大きなトレーラーハウスが到着これまたちょっとしたアパートメント、レース中我々の宿舎、各ライダーごとに部屋割りをして、日本人&フランス人各二人ずつ今日は整理整頓俺は休憩しやすいように下段を分捕り、勿論シャワートイレはチャントついておりました、イヤー荷物の多さにびっくりヘルメット・ツナギ・ブーツ各2~3+着替え等々部屋の中は一杯そこらじゅうに整頓?やっとベットを確保練習あるのみ
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 アパートの前でフランス人形???ライダーと一緒

 この日は天候が悪く曇りがち夜からは雨が降るみたい(サーそろそろ転倒劇の始まり始まり)宗和一回目のチャレンジペースを上げて周回を好調に周回を重ねていたのだが想定外の転倒(アホ判っているダメージが大きいか小さいかだ)

 イヤーこれにはピットは大慌てマシンも宗和もかなりのダメージ日中かかってマシン整備やっと夜間走行の時間前、完成したころに雨がポツリポツリやってきた・・・監督が夜間走行は多田お前が走れとダトサ・・・(当たり前田のクラッカー観光旅行とは違う)

 宗和の転倒もあったし雨には弱い俺、全然走る気がなしの俺は「監督何言うテンネン、雨の走行はイヤ」(こともあろうに故武本監督に口答えとは、俺ならすぐ日本に帰れと昭一に変えるのだが???)
 監督は「無理せんで良い、それなりに走ってコース確認とライトのテストだけして来い」シャナイと思いながら
コースイン、少しは鈴鹿で夜間走行したけれど・・・初めてのサーキットしかも雨の夜間走行、鈴鹿と同じかと思いきやライト設備がない、走ってドッキリ、止まってドッキリピット前以外は照明が無いに等しく、マシンのライトが頼みの綱、加速するとライトは空、減速すると前輪のすぐ前だけ、一般道なら一定のスピードで走れば良いのだが、コースではフル加速・フル減速頻繁に行われおまけにこのサーキット直線が短いコーナーのつながりも近い、それこそライトの効果なし状態(オイ転倒したんだろ、その言い訳にこれだけ書かなアカンのか?早く転べ)
 そうして雨のせいでライトは散ってしまい効果なし、縁石のゼブラだけがコースラインの目印、とうとうやってしまいました、縁石を踏みフロントが切れ込み、フランスでの転び始め高速コーナーでなくて良かった、マシンを起こしピットに、メカニックのお蔭で数分で新車にエースライダー二人とも転倒とは???
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少々不安での走行(走る前から転んでるコリャアカンワ)
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by toshi-hirai | 2011-09-17 07:56

「思い出」28

 ライダーは勿論 耐久のスペシャリスト多田喜代一、走ると速いが疲れるのも速い宗和孝宏、A級一年生のマッチョこと塚本昭一、今回完全に旅行気分の補欠ライダー前田忠士の4人に決定。(何が耐久のスペシャリストやアホラシイ)

 1989年4月14日成田を出発、初めての海外遠征で少々疲れ気味フランスに到着レンタカーでホテルに翌朝フランスカワサキの工場へ先に送ったマシンの梱包を開梱すべてチエック
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 仕分けを終わってからフランスカワサキの日本人担当者案内してもらい市内観光にみんなを後から見ているとカワサキのブルゾンを来た農協ツアーの一団のオノボリさん(多田お前もその一員もっとひどいかも)、有名なルイビトンもエルメスもお洒落なカフェも連れて行ってもらったものの、どこのお店に行っても視線が冷ややかで、播州弁で騒ぐ客が来たなてな感じ(どこにフランスの人が播州弁が分かるのか?)とにかく物珍しさで見られておりました。

 翌日もエッフェル塔ベルサイユ宮殿などを観光、その足で約2時間イヨイヨブカッティサーキットに・・・
まずはサーキッとの近くの小さな湖畔の横のホテルに入り、イヤー見晴らしの良いロケーション(お前ら何をしにフランスまで行ったんや)
 いつも全日本では宗和と一緒で宗和の夜な夜な出入りの激しい行動に巻かれてはと、今回は初めての海外レース落ち着いた環境でレースに没頭したく了解を得て塚本と一緒にして貰いました。

 案の場その夜から宗和とマネジャーの二人でレンタカーを借り片道2時間を掛けてパリに元気な奴レースに元気を使ったら・・・お相手は昼にエッフェル塔で出会った日本人の女性二人(フランスに行ったら日本男児パリジャンヌに仕掛けなアカンやろ)どうやって連絡をしたのか?一晩中遊んで帰ってきたのは明け方とか、同室の前田は夜明けに起こされる羽目に前田は走らんのやからマー好いか・・・

 ようやくエントリーの受付が始まりパドック内もレースウイークらしくなり、ライダー・マシン等々メカニックは忙しくなりました、全てフランス語の対応フランスカワサキの日本人担当者の独壇場、しかし、メカニックは片言英語+身振り手振り等を駆使して頑張っていました。

 イヨイヨ練習走行の始まり始まり報道陣が宗和の跨るZXR-7を取り巻きその中をエースライダーの宗和がコースイン何周かしてピットインコース・マシンの状態を聞き、私多田喜代一颯爽とコースイン「初めてのブガッテサーキット高ぶる気持ちを抑えつつ慎重に各コーナをチエック・・・
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 まだ全面舗装して間もない状況グリーンも無くコースの外側はほとんど土で雨の関係でコースも汚れておりました。
 縁石は日本のサーキットにはないノコギリ状態で乗り上げたら弾んで滑りやすそう、塚本も無事練習走行を終了して、この日は無事転倒なしの練習走行でしたチャンチャン
 (おかしいやん二人の内一人イヤ二人ともテントウムシなのにオカシイ)
                                               t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-09-11 18:30

「思い出」27

・・・「親父カワサキに三浦 昇は居らんやろ(ソウヤ、明やった前回も間違いを釜ちゃんに指摘されたのに)走っていた私が言うのだから間違いない・・・
 教えてやろか、ZXR-4に宗和は乗っていない、それも言うなら多田喜代一です。

 ’89年はオーストラリアのテストから帰って多田喜代一と三浦 明、そのあとX0-9を二人でテストしておりました。
 俺は’89年の菅生で7位に入り三浦が9位アーロンも走って最初はトップ争いを演じていたのだがフライングが判明してぺナルティで順位降格10何番手だったか?・・・

      ・・・イイか書き込みするときには、チャンと俺に聞いてよ、ダトサ、スミマセン・・・

 俺のルマン24時間メールするから皆さんにご披露してよ(前にも書いた様な気がする)マー携帯で長いメールを送ってきやがって、しかし他のライダーからの書き込みを期待して・・・おしゃべり多田の力作をご披露する・・・アアシンド( )は平井の独り言です。

・・・ハジマリハジマリ多田の思い出ルマン24時間・・・

 1987年4月
 我がカワサキファクトリーが初めて日本人チームだけでフランスルマン24時間耐久レースに挑戦することになったのである。

 事の発端は、前年の鈴鹿8耐で多田&宗和組が日本人ペアー最高位の5位になりMFJから日本人ペアー最高位に与えられるご褒美ルマンにご招待を受けたのである。
この時の8耐リザルトの上位はすべて世界500のツワモノばかりであった(二人は素晴らしい)しかし、ルマン出場に会社は二の足を踏んでいたのである、それは全日本のF1・F3・250など国内のレースもあり、当時総監督の故武本(実験研究部長)さんは思案していたそうな?
 実際フランスにZXR-7を2台+スペアパーツそれにライダー4名スタッフ10数人経費だけでも負担がかかる、しかもメーカーとして参加することに意義があるのか、勝てる確信もなかった(アホ、ライダーが考えることでは無い)
 当時そこそこ齢のいった多田喜代一、若いが耐久力のない宗和孝宏、A級に上がったばかりの塚本昭一、カワサキに入ってまだ実績のない前田忠士(その通り)・・・多分監督はフランスに行っても観光旅行で終わるのでは?MFJにはご丁重にお断りの予定であった。

 ところがこの年の10月に何時も話題になる第1回カワサキ歴代のライダーの集いの中でこのルマンの話が出て、カワサキのドン高橋鉄郎本部長の一声ルマン24時間耐久レースにエントリーしたのであります。

                                 ・・・あとに続く・・・
 写真も写メ-ルで4~5枚送られたが携帯からどうしてここに転写するのか?今日勉強します。
                                                    t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-09-11 07:09

「思い出」26

 相変わらず「おしゃべり多田」からクレームが「親父のブログは年代がバラバラや」「チャンとせ~」ダトサ!
 マー老いぼれ監督の「思い出」少々読み替えて見てくれや、「アカンアカンちゃんとシテーナー」ヨッシャ任せとけ~「てなもんや三度笠」・・・これから頑張る・・・

 ライダーと共にマシンも徐々に充実して来ました、これはレースを愛するテストライダー軍団チーム38の面々が、自分の技量を磨くためコツコツとやっていたのを、会社が認めてくれ川崎重工業(株)の単車事業本部技術部実験研究課が本腰を入れてくれたのが、カワサキのレースを大きく変えたのでは?

 量産車にクロスを組み込み、ポートを磨いたり削ったり”85年このころから会社ではロードに参戦する計画が始まっていたのであります。
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           1985年 
ZXR-4
 この#37は三浦 昇車で他には#35宗和孝宏が走っていた、又、この頃にKR-1も走っていたがワークスではなくチーム38のマシンであった。

・・・ワークスマシンが乱舞するTT-F3そんな中でも光るカワサキのスピリット・・・

 ZX-4をベースに、ワークスマシンとして仕上げられたこのマシン、フレームはアルミツインチューブタイプで、この後、市販車のZXR400Rに受け継がれてゆくもの・・・倒立フロントフォークは国内のRRマシンでは初の装備であった。
(KAWASAKI-ⅠワールドMCガイド11から写真&コメントをご紹介する)

 ’85年は8耐に斉藤&多田で、4耐にはもう一度優勝して「景気をつけろや」と2台のコンプリートマシンを造ってもらい3年計画、本当に優勝を狙ってイケイケ迷監督は右往左往して居たのであります。
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 そうして紛れもなく宗和&多田が新しい「TEAM GREEN」の格であったことは残念ながら本当の事でした。

 こんな時もあった,楽しかった???
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by toshi-hirai | 2011-09-03 07:18