Team Green

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「TEAM GREEN」30周年⑥

・・・ところがマタマタアクシデント、エースライダーのコークが予選で転倒右足首ねん挫で腫れ上がりパンパンになりブーツが履けない、コークは調子を見ると走れそうだ・・・ここが迷監督の真骨頂(初めから走らせる魂胆)二人を呼び「体が第一レースは来年もアルやめようか?」と告げると二人が一緒に「トシ、走らせろ何のために日本に来たか解らん」と食って掛る有様・・・へへへへシメタ作戦成功・・・その時には既にサンダルブーツを発注クシタニから大きめのブーツを持って鈴鹿に向けて走っているとの知らせ鈴鹿にクシタニの工場が出きたのであります。
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 大きいねん挫対策用サンダルが出来上がり準備完了手回しの良さクシタニさん有難うであります、イヤー迷監督の大きな賭け心理作戦成功の巻き・・・決勝に挑むことが出来ましたが・・・
 マタマタ大きな問題が、ソレハネご存じ8耐ではタイムの良いライダーがファーストライダーと決まっており、6番手のコークさんがルマン式のスタートではコースを横切れない第一危ない、ロブを第一ライダーにと・・・競技監督に嘆願書を提出「他のワークスさんがOKなら」と返事が返ってきた、各メーカーに打診H・Sさんは即OK、Yさんは「平井さんお互いにシノギを削って戦っております、そんな甘いことは申し訳ありません」と難航、必死のパッチお願いするしか?私も当然それがアタリ前田のクラッカー、しかしYの監督さんに後続ライダーとの接触を強調、当時競技委員ワールドの藤井さんの援護もあり翌朝のライダースミーティングで全員のOKで走れることになったのでありました。
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 この時、ロブあなたがファーストライダー頑張って3周でもTOPを走ってTVに出てよ、特別ボーナスヤ「OK」走ると勇んで出て行ったロブ本当に少々であるがTOP走ったのであります
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写真左からゼッケン2 マッケンジーRVF750 ゼッツケン1 ガードナーRVF750 ゼッツケン15 ポーレンVFR750 ゼッケン21 マギーYZF750 ゼッケン7 我らがロブ紛れもなくTOPTVにも出演(賞金は松岡社長より)ゼッケン9サミーンGPX750R(チームフランスカワサキ)
 イヤー驚いたカワサキがTOP、イヨイヨ戦いが始まったのである、「男カワサキ」何処までやれるのか?

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by toshi-hirai | 2012-07-22 06:20

「TEAM GREEN」30周年⑤

・・・既に1986年に2年後にはKRT(カワサキレーシングチーム)の復活は分かっており、工場では既にZXR-7のエンジンテストは始まっていたのである、格好の実戦である1987年の8時間耐久に標準を合わせマシンは着々と完成度の高いものが出来ていた、後は実戦でどう戦うのか、川重明石工場実験研究部野田課長(当時)多数の僚友が居並ぶ中、彼は平井に囁いた「テストで8耐を走れ」・・・

 ヨッシャメーカーがレースを凍結した時頑張って曲がりなりにもレースをやって居たことが、解凍して復活するメーカーにすんなり完璧な体制を渡せることは出来たのはそのまま継続していたからである。

 ライダーは、月木レーシングの社長が頑張ってプライベートでコーク&ロブを呼んで8耐に参戦した実績が今回我々のライダーに推薦するきっかけとなり、当時カワサキの面白い有名人故岩崎課長(ゴメンお盆が近い呼びに来るかな?)が渡りを付けて本当に安い契約で二人は走ってくれることになった。

 早速二人を呼びコウコウしかじかカワサキのレース復活のお先棒を担いでほしいとの頼みに・・・ナイスガイの二人は手を突出し(当然親指は天に)ウインクを返してくれたのである、嬉しかった~繋ぎとは言えワークス復活に賭けた心意気である。

 1987年3月の第一戦2&4に宗和がZXR-7に乗り、多田は実績のあるGPX750R(スパーバイク)ところがである、寒い鈴鹿サーキット土曜日に大雪が降りコース上のユキをオフシャルが時間を掛けて排除やっと走れることになったものの各チーム・・・
 レイン⇔スリックタイヤかの選択に戸惑いコース上でタイヤ交換をする始末、カワサキはお恥ずかながらホイルが無くピットでタイヤ交換時間オーバー2台のカワサキピットロードで立ち往生、各車1コーナーに消えた頃最後ににコース上に出て行ったのが走馬灯のように・・・恥ずかしい・・・
 結果は、宗和がマシンのパワーありすぎでコワイとリタイヤ?「アホ」、多田は最後43番からの追い上げで当時飛ぶ鳥の勢いであったRVFファミリーマートの三浦 昇を抜いて11位でフラッグを受けたのが思い出である(優勝はRVFを駆る徳野正樹元同僚が優勝)

 さてさて、ライダーはコーク&ロブ+宗和&多田の4人、マシンはZXR-7の2台でレースに臨むことになり、私は着々とテストを消化しながら、スポンサー探し東京に鈴鹿に明石にと東奔西走やっと当時(株)ターニングポイント広報担当布施さんの(明とは違いますがイケメン)橋渡しで東京の松岡財閥の率いるGOOD LUCKツアー(株)がスポンサーに決定イヨイヨ体制万全レース本番を待つばかりレースに集中できることになりました。

 その後、ZXR7もより一層熟成され、コーク&ロブ+宗和&多田を加えテスト・テストの頑張り、どうやら走れる体制になってきたのであります。

 ところがドッコイ富士スピードウエイでの出来事、日本人ライダーがタイヤをミシュランにしてほしいと駄々を捏ねだし当時実験研究のボス故武本部長に直談判、私はTEAM GREENはダンロップと契約をしているので駄目と頑張ったが翌日にはミシュランを履いたZXR-7が一台コースにコーク&ロブはタイヤはダンロップでOKと何の問題も無し、事実タイムもダンロップの方が速かった(勿論ライダーの腕、コークさん2分19秒コンスタントに廻り予選6番手)他車に何ら遅れを取らない状態でありました。

 これは行けると専門誌の取材合戦、マシンはグリーンにGOOD LUCKの黄色が良くマッチ素晴らしい耐久仕様車が・・・
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 今日はこれにてゴメン、明日はNP法人THE GOOD TIMESの理事会、議題は当然「Z-1」の事になるでしょう、又、来年の「Z-2」の40周年+TEAM GREENの30周年のイベントを?となるるでしょう

・・・今日は早く寝て明日に体調を整えます・・・おやすみなさい・・・
                                     t-hirai






 
 
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by toshi-hirai | 2012-07-21 20:47

「TEAM GREEN」30周年④

・・・タイトルに「TEAM GREEN」30周年とあるのに’60年代からの話やん、とのお叱りが・・・ソウヤなー30年前と云えば’82年や60年代は?しかしそれがオイラの良い所やんか(向こうに行ったりこっちに来たりするのが)・・・デモデモヤッパ「TEAM GREENを愛する馬鹿な男の夢」カラやな~

 先日の「カワサキバイクマガジン」の質問の中でTEAM GREENをやってきて監督の一番嬉しかったこと&悲しかったこととの質問があったが、嬉しかったこと~’83年のMXに調所伸一の松山でのデビユーウイン「TEAM GREEN」ここにありが始まった時のレース、悲しかったこと~ ソレハネ・・・’83年レースシーズンが終了した時ワークス凍結の報である。
(ヒョットシテ嬉しかったことかも???)
 
 丁度「TEAM GREEN」発足した’82年後半から’83年に掛けたその年の前後をチョット思い出して見よう。

①1983年レースシーズン終了後、カワサキロードレース凍結の報、オートバイを販売している会社がレースをしないなんてあり得ない、カワ販はそんなに困っていた訳でもないのに困っていたのかな~?しかし世界は大不況に陥って行ったのは事実である。

②時を前後して「TEAM GREEN」ロードレースの発足である、初めMXのみのチームが、悪魔のササヤキかイヤ女神の囁き、当然素晴らしい「Z」の流れをくむ、戦闘能力充分のGPZ750Rを駆って「TEAM GREEN」が’85年にチーム38と合併してスタートたのである。

・’84年 syousuke kita & syouji saitouが koku ballington & rob phillis がそしてmasahiro wada & isoyo sugimoto がマシンはGPZ750を駆って出場

・’85年に下の体制で走りだした「TEAM GREEN」
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・そうして・・・イヨイヨ’87年に走った~
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 イカン歯医者に行く時間、詳細はまたあとで乞うご期待である
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by toshi-hirai | 2012-07-21 07:21

「TEAM GREEN」30周年③

・・・続けて写真を見てください、コリャ全部話すことは無理やなーヤッパレースの方が良い・・・

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 このページ少々思い出してみよう
左上 カワサキ125B-8 125ccビジネスモデルー1962年
中  カワサキ500K2  500ccメグロを吸収して製造ベースはメグロK1ー1965年
左下 カワサキW-1スペシャル K1をボアーアップ650cc排気音にしびれたー1966年       右上 カワサキ120C2SS ナンヤ資料では10、9万円安い綺麗-1966年
中  カワサキ350A-7 メカ音がウルサイがその出力には驚いた~2サイクル-1967年
右  カワサキ 90SS 最高出力10,5PS 90ccの最高峰良かったー1966年
思い出
B-8なんかメカ音は髙いし油漏れは多くメカ泣かせでもね1年過ぎたらお客様OIL馴れたら満足
K-2白バイにも採用、東京オリンピック聖火の先導メカバッテリーもってあと抑え充電不足
W-1 初めは左ブレーキ危ないやん日本は左通行、シャフトを貫通右ブレーキに改善
C2SS何が綺麗や排気を後輪が跳ねてライダーの背中真っ黒マイッタ対策はテールピース駄目だった
Aー7 イヤーエンジン音の(ギヤーのバックラッシュ音)カシャカシャ、しかし、早かった
90SS 優等生、鈴鹿のベストラップ今も破られていない、ライダー杉野順三コースは変わった
 わかるかな~解らんやろメールくれたら、解説するよ・・・これ全部販売担当した・・・   
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 東京オトキチクラブのルーツやんか?
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左二番目 イセキペットカワサキの技術はすごいこの時代から水冷(但し頭だけ)ヘッドのみ
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右二番目 カワサキモペットM50 こいつは凄い今でも売れる(価格次第だが)何しろ前後のショックがラバー、豆腐屋さんが水が濁らない豆腐が壊れないと絶賛M-50は黄色Bー53緑売れた
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左三番目 カワサキニューエース125 
左四番目 カワサキB-7 メカ音大ナンデかな~一時駆動チエーン、ケースを叩く音テンション?
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先日行われた「酒井文人&クラブマンレースを語る会」の酒井さんがこの本を編集されていた。

 テナコトでカワサキばかり悪い所を披露したが、ホンダもヤマハもスズキもドッコイドッコイ、
イヤー技術開発の早かった事、日本の技術を世界に知らしめた。
 本田宗一郎氏の努力はすざましいものが、今、皆んなは之だけ努力しているかな?

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 わが社の創設者故西海義治と世界のホンダの会長本田宗一郎氏旧知の仲頑張ったもんである。

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by toshi-hirai | 2012-07-16 14:25

「TEAM GREEN」30周年②

・・・実は私の手元に昭和47年&48年の編集長酒井文人の残したモーターサイクリストが二冊もあるし(木の実のOB新田さんから借用)KAWASAKI ROAD RACE 1965~2001上記を裏附けするようなカワサキのロードレース(第一章 1965年第一回東京ロードレース参戦~125cc世界チャンピョン獲得から第四章2001年レース凍結から解凍4サイクルKZシリーズビッグバイクで参戦とあるものがある)

 そのほかカワサキモータースジャパン50年の歩み(沿革)何故かしらも手元に残っている、ボチボチご披露したいもんであるがどんなもんじゃろうか?時間があるかな・・・

 又、今度ご披露するがチームグリーンのビデオを(沢山あるが現在13本)村島さん(インターナショナルトレーデングムラシマの社長さん)にCDに変換して頂いている、そのうち動画で関東で立ち上げた「二輪文化を伝える会」にご披露して貰います(私動画を貼り付けれない助けて松島さん)

 さてさて、ドウシヨウ写真をご披露してから文言を入れて行きます(今日は約二分の一)を・・・

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 多くのメーカーが乱立していた1959年後半から日進月歩日本人の素晴らしい英知が世界に誇るマシンを送り出していたのである。
 それにしてもカワサキの歴史1953年メイハツ工業(株)をカワサキメイハツ自動車販売(株)と社名を変更(社長 中野 尚)の時から私はカワサキのオートバイに係わり、レースレースと喚いてきたマーなんと古い話であろうか?それでこそ「カワサキの真打」切ったら「緑の血」が、イヤ「赤い血」(赤タンクも)が流れるカワサキの生き字引である。

 ナーンチャって元気だけである、しかし、貴重な人間であることには変わりはない、これからもカワサキの事を語り尽くして行こうと思う次第である。
                                     t-hirai
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by toshi-hirai | 2012-07-16 10:07

「TEAM GREEN」30周年①

・・・来年「TEAM GREEN」 創立30周年(造ったのは1982年~1983年)早いものである、その間、幾多のドラマが生まれ、多くの奴らが(30周年は一つ敬称略順不同で行かせてください)誕生し、世の中に巣立って行った。

 良きにつけ悪しきにせよ、それはそれで良いとせなアカンが根底には「TEAM GREEN魂」を忘れないでほしい。
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 こんなこと書いたら何ぬかす「オジン」と言われそうだが、大きく育ち世に役に立たなアカンと思っている。

 30年それはソレハ長い年月である、思い出を書いて新しく次に託さなアカン継続あるのみである。

 丁度タイミング良く「カワサキバイクマガジン」編集の井田幸雄さんから取材協力の報があり、潔くお受けすることにした。

 取材内容は、以下の通り、これは是非8月号「カワサキバイクマガジン」をお買い上げ下さい。
 へへ販売促進・・・ヤァーその他にも「Z」40周年の物語大先輩達の開発物語も必見である。
 
 ご質問は、「テーマ-:チームグリーン設立の過程

①私のカワサキ在籍時代の主な職歴
②チーム・グリーン設立以前に係わっていたMXの参戦概要(含神戸スーパースポーツレーシング)
③チーム・グリーン設立のキッカケ
④チーム・グリーン設立の具体的な過程
⑤チーム・グリーンの設立を提案した時の会社の反応と会社からのサポートの内容
⑥チームグリーン設立に携わった主なスタッフとその部署
⑦チームグリーンを設立するに当たっての問題点とその解決策
⑧チームグリーン設立一年目のチーム内容(メカ・ライダー・参戦クラス・参戦マシーン等)
⑨チームグリーン設立一年目の結果とレース内容・レース環境に対する平井の評価(高低いずれも)
⑩チームグリーン設立初めとしたチームグリーン初期の問題点とその解決策
⑪質問⑩の解決策を実行して得られた効果
⑫チームグリーン設立時の練習方法(練習メニュー・練習時間・練習場所等)
⑬チームグリーン設立当初他のチームより恵まれていた点、劣っていた点
⑭質問⑬他チームに劣っていた点を改善しようと試みた点
⑮平井が監督時代、もっとも嬉しかった出来事、最も悔しかった出来事
⑯平井が監督時代、もっとも印象に残るレースや出来事
⑰チームグリーンを設立して学んだ事、平井に与えた影響
⑱現在のチームグリーンと、レース界に対する平井の評価、チームグリーンやレース界の発展を?

 以上、設立にまつわる物語のすべてを語れとは?30年を経た今日、的確な題材であり、的確な疑問であり、的確な時期である。 
                                  乞うご期待である。

 どれだけ的確な視点でカワサキバイクマガジン編集部井田幸雄さんが表現してくれるか?8月1日発売が待ちどうしい。

 タダ残念なのは、私と同じく戦ってきた皆さんの事をすべて書きキレなかったことである、皆んな怒るな、ものには順番があるこれからボツボツ皆んなの事を思い出して書いて行きたい。
 それには今起案している「TEAM GREENの同窓会」に出てきて自己紹介をしてくれなアカン、平井もボケが入って忘れたことが多々ある様子である。

 同窓会はね、何しろ全国に跨っており皆さんを一堂に会することは無理みたいなので東西に分けて実施するか?

 東北・関東には、竹沢・故菅原(息子に頼むか)多田(洋)・行方・調所・横山・渡辺・城田各位に、ロードはだれか居らんか?
 中部には、MX瀬戸・長沼・永井・RRは
 関西には、MXは杉尾・飲み屋(野宮)・立脇・中深迫・小野(和)・
      RRは多田・塚本・徳野・岡・古川・志賀・一昔の話はマッさん・石橋・峰子
 中四国には???
 九州には MX藤・花田・大宝・
      RR 柳川・林
 その他、 中岡・中谷・嵐・池水?・土師・・・マダマダ居る

 何しろ沢山居る、顔は覚えているが名前が思い出せない、怒られるがお許し頂き上記の各氏に託して思い出して貰おう・・・コリャ大変な事である・・・

 マー時間はあるボチボチ考えて行こう。

 ところがである、今年「Z-1」40周年 来年「Z-2」40周年である、これまた大変である、おまけにKAZEコーヒーブレーク100回記念・・・ナナントKMJ大忙しであるな・・・

 チャンスは生かさなアカン、多くのフアンに(不安にこじつけ)多くの宣伝をやらなアカン、恰好な場所は鈴鹿8耐では?全国の皆さんにカワサキここにありをアピールせな、立ち上がれ川崎マンである・・・
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 てな言いたいこと言うだけでは?イカン何かわれわれに出来ることやろうではないか・・・

                           チャンチャン  t-hirai
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by toshi-hirai | 2012-07-16 08:05

「セナアカンこと・・・イヤすること」

・・・この処、落ち着いて「レースの思い出」を振り返ることが出来ない、ソレハネ・・・忙しすぎる、これも新しい思い出造りやカッコイイ~、ホンマやねんチョット振り返ってみよう。

 基本的に自分の仕事はチャンと消化しておりその上にである

①カワサキバイクマガジンの取材に始まる(多分8月号でリリース、立ち読み厳禁買ってや、俺も年 死んだら高くなるで~ナランナラン、生きているうちに汚いサインやが買った人には無料ヤ)

②毎月一回 NPO法人THE GOOD TIMES の集まり(これは金を掛けずに元気をもらう)

③筑波サーキットで「グレートヒローズ葵の陣」(ナナント「Z」の多いことしかも58秒台)

④「パウダーパブ壮行会」(お年を召した監督・ライダーの厚化粧と思ったら違う、由緒あるネーミング)

⑤東京のカワサキ車の整備では国宝もの「北見さんとの再会」(沢山のお友達が新しい出会いが)

⑥「酒井文人&クラブマンレース同窓会」(旧友は良きもの、歳は先輩・レースは後輩)

⑦「鈴鹿コカコーラ8時間耐久レース」 4耐&8耐 2日間

⑧「鈴鹿50周年祝賀会」(これも二日間沢山なライダー+ドライバー+コークさん?とも会いたい)

⑨その間、「飲み会」大体2回/月、その都度サウナ泊まり

⑩通常の営業で、中古車3台(1台注文残あり)+車検4台である(これ7月の実績後半まだある)

 イヤー良くやってると自分では思うが人はマダマダとおっしゃる、しかしや考えてみたら、
「幸せ」もんや、「これは皆々様のお蔭」「ホンマ幸せもんや」これでコロッと死にたい・・・
 イヤイヤ・・・マダマダせなアカンことが一杯あるそれをセナ死ねるか・・・これからも元気に「ナイト&デイ」ヤリマッセ-、皆々様の後押しがなけりゃー何もできない平井がここに?

 「幸せ-有難う」ホンマやで~

 これからのせなアカンこと・・・

①本業の兵庫メグロ販売(株)はカッチリせなアカン
②カワサキの8耐や「夢かなー」イヤ「正夢や」(もう10年も夢見てない)
③「レース&イベント&人材派遣&自動車整備工場」の会社を作ることや「レースをやりたい」

 これだけ出来たら本望や「俺がこんなに強いのもあたり前田のクラッカー」

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 ・・・赤と緑合うかなー・・・チャンチャン
                                        t-hirai
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by toshi-hirai | 2012-07-15 04:40

「酒井文人&クラブマンレースを語る会」③

 ある日一通の招待状が届いた、それは「酒井文人&クラブマンレースを語る会」の招待状である。

http://www.youtube.com/watch?v=Ah2yrBhRBOY&feature=share、←これは「二輪文化を伝える会」の発起人の一人松嶋さんのファイルにある、日本レース界の雄「本田宗一郎」彼15歳(大正11年)からのレースへのあこがれがつぶさに動画でささやかれたものである。
 その画面に久し振りの高橋国光氏が元気に顔を見せてくれた、そうしてまたこの集まりにも懐かしく話を・・・

 本田宗一郎氏が考えるレースはレースの持つ意義 ①広告宣伝②技術革新③販売促進④ユーザーサービス⑤士気の高揚等々自社製品HONDAの成長に必要だと考えおこなったのではなかろうか?

 酒井文人の考えたレースは底辺のクラブマン(二輪が敗戦後の日本の移動手段に必要であった時代に産声を上げた何百社ものメーカーが乱立・淘汰された時代に人間の持つ闘争心・二輪の楽しみを求めたクラブマンの集まり)に冒頭でも紹介したが”歴史ある欧米のモータースポーツを導入し、正しいMCの普及を声高らかに提唱したのが酒井文人その人でなかろうか?
 
 お二人とも考えは違っても目的は一つ「日本に正しいモータースポーツの普及」を信念に頑張られたものであろう、世の中が大きく変りツツある昨今、今一度原点に返り考えるチャンスである。

 テナコト考え参加した今回の集い、正に継続することに意義がありもっともっと多くの人が(頑張ってきた人、MCFAJのみならずMFJ イヤ 多くのモーターサイクルを愛する人々が頑張ってこれからの二輪界引っ張って行かなアカン)二輪の楽しさ利便さに関心を持つて楽しまなアカン・・・

 当日のアラカルト(私のカメラの捉えた)ものを見てください。(呼び捨てゴメン)

高橋国光さんと平井どちらかと言うと高橋さん4輪のドライバー時代に良くお会いした、特にセントラルサーキットのオープンセレモニーのGTレースの時久し振りにお会いし、星野から聞いた平井さん頑張るなーと褒められた、ホンダドライビングスクールの講師であり今も?、昔々’60年代世界二輪界の雄 高橋国光 である。
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古谷さんと旧知の仲、菅谷安智モトクロスライダー・カートレースチャンピョン、いま尚チームスガヤ代表、後ろで久保さんが
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鈴木都良夫と平井、とらさんはそれこそ日本を代表するモトクロスライダー’70頃には世界の雄
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三井 晃・本橋明泰・平井お二人ともロードの時の旧知の仲、三井さんは今なおモータースポーツイベントプランナー、本橋さんはクラブマンからヤマハに一世を風靡した世界の雄’67年にはマン島で125ccクラス3位に入賞したツワモノである
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鈴木秀明+平井+神谷 忠+鈴木都良夫、この鈴木兄弟言わずと知れたモトクロス界の暴れん坊、しかも各メーカーで活躍をしたのも有名である、特にとらさんとはカワサキでとらさんが走っていた時からのお友達、綺麗な奥さんとの結婚の時(本当にとらさんにはもったいない)そうして二輪の販売店オープンの時にもお伺いしたり、結構長いお付合いである。神谷さんとは、セントラルサーキットの公認申請の時の査察官イヤー手こずったコワイ人であった。
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谷口尚己言わずと知れた本田宗一郎氏に可愛がられ浅間高原・浅間火山レースに活躍’59年マン島TTレースで入賞、驚きはカワサキでも走ったらしいその時の担当が古谷さん旧知の仲である。
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楽しい話にみんなで歓談 左から松嶋さん後姿から糟野・久保・古谷・山本の各氏
松嶋さんは「二輪を伝える会」の発起人のお一人、糟野雅治’70年全日本ロードレースチャンピョン現京都でカスノモーターサイクル社代表、久保和夫’59年代浅間の雄、全日本モトクロスチャンピョン名門城北ライダースのライダー、お待ちドウ様でした関西からの出席古谷錬太郎、今「二輪を語ろう会」の主宰者であり、NPO法人THE GOOD TIMESの理事長でもある、それこそカワサキのレースの初めから財布のひもを開けっ放しに二輪の普及に頑張った人、ご紹介には全日本モトクロスで赤タンク旋風を巻き起こしたカワサキチームマネジャーとある。サー待ってました60オジサン(オジイサン?)こと山本 隆 モトクロス・トライアルの現役ライダーである、不思議なことに腰が痛いとヨチヨチ歩きの山ちゃんマシンに跨るとお人が変りシャキッとライデング、しかも常にTOP化け物である(ジャンプも飛ぶで~)
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坂上和志 別冊モーターサイクリスト執筆者MCコレクター、宇野順一郎これまた関西の雄’58・59年第一・二回浅間クラブマン入賞現在もモトクロス関西選手権等で頑張っておられる
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大久保 力 第三回クラブマン宇都宮で行われたレースの時代頑張っていた東京オトキチクラブの猛者、私とは故西海義治(兵庫メグロ販売(株)の創設者)とのつながりの中での仲である、非常に優しい同年代の好々爺である、
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出ました関西からの出席者の三名ご紹介はさておいて、この場面平井のスピーチの時間古谷さんにマイクを取られ驚いている平井
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 色々と話題の多かったこの集まり有意義な一日であった、間もなく別冊モーターサイクリストで公開され多くの人々の目に触れることであろう。
 どうか皆さん二輪の楽しさ面白さを再確認され何時までも若々しいライダーであることを、又、今の若い皆さんに二輪を見直して貰いたいものである。

 最後に今回お世話になった主催者のお三方をはじめ酒井雅康・坂本一史&松田大樹の各氏語り尽くせなかった皆さん有難うございました。

 この集いが引き金となり二輪界に広がりが二輪の輪が大きくなることを願い終焉とします。

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追伸 次回には今回これなかった各氏及び一般の参加者の皆さんにも呼びかけて、益々盛大に「二輪を語る会」にして頂きたいものである。
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by toshi-hirai | 2012-07-08 09:33

「酒井文人&クラブマンレースを語る会」②

 イヤー会場ではあちこちで再会を祝し、中には「オイ・お前今何をしちゃっているんだい」「俺はヨー」てな江戸っ子丸出し、しかし、どこかお年をめしているのに気迫のあるやり取りが、あちこちで約100名にも及ぶに歓談が繰り広げられたのである。

 通称「浅間クラブマンレース」を皮切りにモトクロス、トライアル競技が各地で開催され、ここで育ったライダー・メカニック・オフィシャルたちが今日のモータースポーツをかたどったことは否めない。

 今日ここ東京で一堂に会し開催されたことは有意義であり、沈滞ムードである二輪界に一石を投じる勢いであったことは嬉しいことである。
 願わくは継続をしながら広報を浸透させ意義のある「語る会」に育たれることを祈念したい。

 当日のスナップを見てください(間もなく別冊モーターサイクリストから出版されるのでは)
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 終わりに近ずき全員で記念撮影皆さんご存知の方も居られるのでは?
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 この集まりの仕掛け人三人の侍 左から
大久保 力 第三回クラブマンレース(宇都宮)入賞、東京オトキチクラブ
新津 栄一 MCFAJ理事長、モトクロス現役シニアライダー
石井 昭博 モーターサイクリスト編集部を経て現バイク誌「風まかせ」編集長
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高橋 国光 皆さんご存知レースの花’58,59年第1・2回浅間クラブマン優勝、’61世界GPで優勝
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川島賢三朗 当日司会者と平井 元全日本ロードライダー奥様と8耐出場経験、現(株)KENZ社長
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長谷川 弘 ’57年浅間火山レースに昌和クルーザーで出場ヤマハワークス、現70才のプロの歌手
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山本 隆  ここでは最高の有名人、参加者全員がご存じカワサキの山ちゃん現山本レーシング会長
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古谷錬太郎 出ました真打カワサキのレースの事なら全部私が、そして今なお二輪普及に全力疾走
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神谷 忠 ’58年第一回浅間クラブマン入賞、元ホンダモトクロス監督、元MFJ・JAFのエライ人
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谷口尚己 ’55・57年浅間高原・火山レース入賞、’59年マン島レースで入賞、カワサキのGPライダーとして走った古谷さんが契約をしたらしい、古谷さんとは話が弾む

 イヤー弾んだ弾んだとっても良いムード、やっぱり戦友は良いものであるとりあえず銘柄色が無い

                     明日に続く 乞うご期待          t-hirai
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by toshi-hirai | 2012-07-07 19:32

「酒井文人&クラブマンレースを語る会」①

 先日招待状を頂き、
 古谷さんの一声山ちゃんと私の三人で参加することになった。
 (私が北見宅訪問を計画、午前中、古谷・吉田・西郷・村島・松島各氏+平井が訪問)
旧友を温め新しいお友達とも二輪談義を賑やかに交わし有意義な時間を送り再会を約し次の会場へ

 会場では既に多くの招待者が来ておられヤァヤァ再会をそうして元気を喜び合い素晴らしい時が過ぎていた、会場で配られたパンフには下記の通りに我々三名を紹介されている

古谷錬太郎 全日本モトクロスで赤タンク旋風を巻き起こした初代からカワサキレースチームの重鎮
山本 隆  全日本モトクロス・ロード・トライアルすべてカワサキのエース、木の実のエースだ~
平井稔男  メイハツを経てカワサキオートバイ所属、JAPAN TIME GREENの監督

 まさしくカワサキのレースの立役者、古谷・山本両氏年齢は同年代だがカワサキのレースでは私にも大先輩、このお二人が居なければカワサキのレースは・・・「TIME GREEN」(イヤイヤここは平井の活躍)は無かったのでは?へへへ
 
 少々「酒井文人&クラブマンレースを語る会」に書かれた文章をご披露したい、こんな時代を経て今日があるのである。

 ・・・本年は鈴鹿サーキットが開設され50周年それから富士スピードウェイ・スポーツランド菅生等各地にサーキットが開設され、二輪・四輪自動車の飛躍的な発展、並びにモーターリゼーションの向上に大きく貢献しました。
 
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しかしながら、近代設備を備えるサーキットも、それまでのモーターレーシング黎明期から今日への環境造りに邁進した多くの人材に支えられて発展したことを忘れてはいけません。
 そして、我が国の現在のモータースポーツは近代的なサーキットの誕生から始まったたとする社会通念を是正し、これを支えてきた人々にも光を当てると言う正しい歴史観を確立しなければならない時代でもあります。
 日本にも本格的なモーターリゼーションの兆しが見え始めた時代に発生した事故の増加、とりわけ若年層の無謀運転・排気騒音などの改善に手をこまねくばかりの業界、行政の姿勢に対して“歴史ある欧米のモータースポーツを日本にも導入し、正しいMC普及が出来ないものか”と声高く提唱し、その実現に孤高の情熱を傾けた主人公が「酒井文人」でありました。
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 中央が偉人「酒井文人」その人である
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 これは懇親会で上映されたもの、良くもマーあるもんだ、これロードレースのスタート

 テナコトで時まさに1948年(昭和23年)多摩川スピードウェイレースに端を発し、故石塚秀夫氏の発意で戦前行われていたレースに、二輪自動車産業を育成する目的で1955年(昭和30年)群馬県北軽井沢の公道をコースとする第一回浅間高原レースを開催、二年後に浅間山麓に非舗装路面のテストコースが完成し、今でいう「浅間火山レース」と言う歴史的なレースの幕開けであった。
 中略
 しかし、このレースは国産車の性能向上を目的とされておりそれこそシノギを削ったのであります、そうしてこのレースにはメーカー&それに所属するライダーだけの参加型レース一方「酒井文人」はモーターサイクル愛好家によるクラブが生まれる機運から、モーターサイクリングの正しい普及の指針にアマチュア-ライダー(クラブマン)でも参加できるロードレースの実現を模索するのでした(簡単には出来ないぜ)ここで酒井は現(株)八重洲出版の前身であるモーターサイクル出版社を主宰し、浅間高原自動車テスト協会長、本田技研工業(株)藤沢専務の支援を仰ぎ1958年(昭和33年8月)第一回クラブマンレース大会が行われたのである。(私メイハツ駆け出し時代へへへ)

 少々眠くなってきた雷さんも疲れたか?へそ下三寸獲得したか?オヤスミなさい,続きはアトで

                                      t-hirai


 
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by toshi-hirai | 2012-07-07 04:36