Team Green

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「コーヒーブレーク」 4

・・・どちらかと言うと体育会系の僕、高校を卒業する少し前に新開地でコソ泥を見て居ただけなのに(その時本屋で本を盗もうとしていた二人組のアンちゃん未遂)僕を追いかけてきて二人がかりで殴られ蹴られ、コリャアカンと神戸のモダン寺にあった神戸空手同好会(松濤館流’50年頃?)に入り、練習のハジマリ自分でも不思議なくらい早く黒帯をそれから延々’62年川崎航空機工業(株)に吸収合併されるまでソレハソレハ必死に続けたもんである。
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 紅顔の美少年写真に黒枠が付いていない、ソウや良い写真を若いうちに撮らなアカンな?これでも良いかな~アカンやろ

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 こんな瓦10枚やろうと思えば誰でも割れるのだが、ヤッパ痛い・・・やる物でないよ・・・

 イヤ上下の厳しさ何しろ先輩の言うことは絶対服従
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 「オイ平井あそこにフリチンで行って魚取って来い」俺 長渕 剛の「幸せになろうよ」ではない「~ずぶ濡れの僕は魚になって~アノ~島まで泳いで行った~、初めて出会った場所に~も一度戻って見よう~そして二人で手をツナギ~幸せになろ~よ~」肝っ玉の鍛錬だそうな、しかし、やっている本人も結構楽しんでいた。(良い子のみんな真似したらアカンよ)
 ・・・平井稔男22歳の青春・・・良かったな~・・・

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 これも青春の1ページ毎年5月になると「こうべ祭り」花電車が会社の前を1日3回通る、ミテ・ミテ左から5番目真ん中の女性良いナ~アタリ前田のクラッカー「ミス神戸」や無いか?コンナン見て小さな胸をトキメカシテいた自分が居るなんて・・・これも青春や・・・

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 これ多分六甲縦断レースに川崎自動車販売(株)として出た練習の時、RFURUYAさんなら誰だかわかるかも?左から井上課長、河村、正垣、平井、橘田?、何やら井出さんみたい?だが???ツナギは着ないやろうな~・・・次の方アアー名前が?思い出せない・・・各氏の雄姿

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 楠公さんのど真ん中・・・若かりし平井稔男の1ページでありました。チャンチャン

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by toshi-hirai | 2012-10-27 16:20

「コーヒーブレーク」 3

 どうもアカン4:00になったら目が覚める、しかし、今日はもう一つ調子が悪いソレハネ整備業界で27・28日の両日イベントがあり出席をドタキャンしたから、申し訳ない次回からはチャント対応しなければ、約束は守るからあるんや内科申し訳ない・・・

 明日は「カワサキZフアンクラブ」事務局で「NPO法人THE GOOD TIMES」の理事会が開催されるので、掲載を止めていた「カワサキロードレースのルーツ」の資料を古谷理事長に閲覧を願い、又続け様と思っているのだが、何となく今日写真を漁っていたら出てきた出てきた昔の思い出、チョット私のルーツをひも解いて見たくなった(そんなにエエモンと違うのだが)

 1933年10月17日満州国大連市白菊町に産声を(アホ何が産声や夜なべの糟やないか?)引き上げてきて神戸の南京町に居を構え第3中学校に編入(現長田高校)その後、学区制で湊川高校に変ったが、神戸商大を目指して猛勉強(合格間違いナシ進適も良かった・・・通っていたら古谷理事長と同じ大学で同級生や良かったのか悪かったのか?)生来機械いじりが好きでちょうど受験の前の年、親父がガンになり親子3人「こらアカンワ」と急遽就職組に変更、1952年に卒業後「(株)近畿メイハツ」に入社して・・・私のオートバイ人生が始まったのである。

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 車は愛車ハーレータンクの左側にチェンジがあり手・足にクラッチがノーサスの350ccだったと思う。
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 紅顔の美少年バイクはカワサキメイハツ600型これまたノーサス2サイクル125cc
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 機械イジリノ好きな少年当時はやりのUコン模型で楽しんでいた頃の記録

 イカンイカン午前中は、歯医者・内科との予約がありこれから出発・・業界のイベントが午後からと独り決めしたためのドタキャン「スミマセン」支部長次回からはチャントします。
t-hirai
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by toshi-hirai | 2012-10-27 07:55

「コーヒーブレーク」2

 オカシイなー昨日FACE BOOKで写真を約95枚程投稿したのだが、今日見てみようと開けたが無いこれはオカシイどうしたのかな~

 テナコトで今日は’85年の鈴鹿モトクロス第4戦?の時の模様(先日村島さんにダビングをして頂いたCDで)を見て思い出したのでチョットご披露しよう。

 イヤー強いナンデTEAMGREEN(カワサキ)はこんなに強いのだろう、ソレハネ選手が速いから’85年のMXはそれこそ飛ぶ鳥を落とす勢い。

 当時、ワークスにジェフワード・岡部篤史・B 級に多田洋之・ジュニアに花田茂樹・長沼朋之この5人強いのなんの向かうところ敵なし・・・チョット振り返ろう
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 ジェフ・ワード世界チャンピョン祝賀会の一幕
左から長沼朝之・故菅原義広・中深迫 正・立脇三樹夫・藤 秀信・多田洋之・ジェフ ワード・岡部篤史・野宮修一(オーイ飲み屋さん修一やったっけ間違っていたらゴメン)

 まずは岡部篤史彼はスズキから移籍してきてからジャンジャン早くなった王様(さしずめ阪神の金本選手か?)彼の良いとこはオイラのサインで(ワークスライダーにTEAMGREENの監督がサイン馬鹿な)レースをしてくれたことや・・・フライイングKが逆さま誰もサインしていない反対側で隠れてサイン苦労するなー(サインボードは右用左用あるのだが?まさか)
 監督は頭のいる仕事だ、ソレハネ常に選手と一緒に戦っているから夜(平井だけかな~)
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 この写真は、平井がTOPの佐藤選手にサインを後ろから(②カワサキの岡部が20秒に迫っている、このサイン周回を追うごとにタイムがチジマリ追いついてくる焦る佐藤健二、スタート前篤史に俺のサインで走れ勝てる、TOPやったら逃げ切り作戦、後ろやったらジラシ作戦で行く「分かったな篤史」「ハイ」これが良いナ~この「ハイ」がこの時はジラシ作戦)アレーこの写真菅生での一戦、確か鈴鹿でも作戦どうり優勝や~、後ろでウルサイ トモが驚いていた?
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 この時に矢は放たれた、篤史にイケーのGOサイン(イヤー胸がスーとした一瞬)アトで篤史はいつでも抜けるのにドナンしたんや「抜いたらアトでドヤされし」マー勝てるからイイか余裕のヨーコちゃん・・・

てなもんや三度笠
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 「あたり前田のクラッカー」・・・

 B級のレースも125・250ccクラスで多田がピンピンの優勝
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 この迷監督の顔見てやってくれ、洋之と一緒に走った顔や、記事には川崎の予選落ち・・・とあるが、何ぬかす誰が来ても平井はイヤ洋之は怖くないンじゃ

 ジュニアのレースも茂樹がピンピンの優勝・トモが2位と3位、この二人離れて走れの迷監督の指示を破って競り合う馬鹿、二人とも当たって飛んだらドナンスんねんアホ

 茂樹のレースの写真が見当たらない、シャナイはこの写真で
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 茂樹怒るかな、何しろ北海道で見初めた?見初められた?彼女北海道産茂樹九州産、イヤーなんと離れているトーイ恋愛、この写真は結納を明石のキャッスルホテル内赤石で滞りなく済まさせて頂いた時の写真、お仲人はワークスの監督故武本部長にお願いした、平井迷監督は得意のお口で司会を務めさせて頂きました。
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 トモも2・3位頑張った。
 こいつの思い出
①「監督~見てくれ、ジャンプでアクセル開けたら長~く飛べるし、ブレーキかけたら早くおりれる」ダトサアホ
②ホボ直角の壁面を「監督~これジャンプで飛び上がろうか(登ろうか)」「アホけがするからヤメトケ」へへへと飛んでしまった、監督ニヤリこれが練習
③トモは煽てればどこまでも行くやつ・・・茂樹は怒ると反発して頑張るやつ、イヤー良かったな~

 このほかにもミキ・飲み屋・故スガチャン・中ヤン・ナメ・調所(チームグリーンを波に乗せた男)作佐部・瀬ヤン・片山・橋本修二・橋本慎二・榎本・永井・大宝・小野ちゃん・藤城以上電話帳に入っている元TEAM GREEN のメンバー他にも沢山いるのだが電話して来い。

 兵庫メグロ販売(株)にいる078-371-0054電話くれ(お車の事なら兵庫メグロへ)

 来年TEAM GREEN の30周年なんか野郎やと考えている、「協力せなアカン」誰でも良い近況を知らせてくれ・・・
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by toshi-hirai | 2012-10-21 06:57

「コーヒーブレーク」1

・・・「アメイセンソウ」(蛙鳴蝉噪)コリャナンジャ、先日TVで四字熟語の特集が有った時に聞いたもので「やかましく騒ぐ無駄な論議」・・・たまたまrfuruyaさんに「ウソを書いたらアカン」と言われた時だったので少々頭に残ったのであろう・・・

 しかし、私も字に書くのだから、あらゆる(少ないが)資料を基に思い出しながら書いているのである。

 タダ・・・生来のチャカシや屋タマーに脱線するのが悪いのか?「ウソに」聞こえるのか情けない、デモデモねこれぐらいでへこたれたらアカンしヘコタレン、これからもかくでよン~

 今日は、まだ私の資料とRfuruyaさんとの突合せ(レース)が出来ていないので(拘っている)

「KAWASAKI Z1 FAN CLUB」のメンバーであろう・・・S.YさんとF.Mさんの話題に首を突っ込んで居るのでその話題でZを調べてみることにする・・・

 いままさに「Z1」40周年で世界で盛り上がっている、質問にも回答になるかも?Zの生い立ちに目を向けようと思う、ソレハネ「Z2のシリンダー」0,746ccの刻印から始まった。

 S.Yさんの謎はZ2のシリンダーの前期から後期についての質問である、ウイークデーなら「カワサキのお客様相談室」TEL0120ー40-0819(ショレハ「40ー0」~バイク「819」)ショウモナに・・・すぐ電話するのだが(とても親切一度試してみたら、ソレハネ初代の担当が良かったからやねんワカルカナ)これはカワサキの宣伝である?・・・イランお世話と怒られそう。
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写真はS.Yさん提供

 本論に戻る「Z」の生い立ち(1972年 11WORLD MC GUIDE )からご紹介しよう。
 
 世界最速に拘るカワサキが60年代後半にフラッグシップ(旗艦)として開発していた、コードネーム“ニューヨーク・ステーキ”(これはRFURUYAさんが一言あるのでは?)この新エンジンは当初750ccという排気量に設定されていたが、’68年のモーターショウに登場したホンダCB750Fourの存在により予定を急遽変更、新たに900ccエンジンとして再開発に着手、この変更はタダ排気量を上げるだけでなく結果的に2ッのエンジン(900+750)を作ったのである。

 ’72年にデビューした「Z1」DOHCと言う迫力あるエンジンを搭載、燃料タンク・スタイリッシュなフォルムを生み出し挑戦的なシルエットとなるテールカウル+4気筒であることを誇示した4本マフラー+砲弾型メーター等斬新なデザイン(このスタイルを作りだしたデザイナー多田憲正氏はZ1クラブの会員であり、真の開発物語をいずれ聞けるのでは?)勿論そのパフォーマンス当初より目論んでいた通り、世界最速の座を手中に収め全世界でヒット世界の名車になって行くのである。

 当然当初開発していた750cc国内最大である排気量のエンジンを遊ばす手は無いと、翌年DOHCインライン4と言う「ゼッツ-」が、兄貴譲りの「最速」を持って瞬く間に大人気を博したのである。
 
 現在のカワサキの地位を確固たるものとした土嚢を造り上げた、伝説の「750RS」これは真のスパーバイクを見つめ続けたカワサキ技術陣、中でも当時の大槻課長が「打倒ホンダを掲げ」絶対に造ると断言して造ったマシンである。
(これは「カワサキバイクマガジン2012,9VOL97に明記されているまだ書店にあるかも?)

 「カワサキ技術陣の結晶が昇華した姿なのである」と結ばれている。

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1973年3月 750RS 418千円 (Z 2)新発売

スペック参考 
 Z2 全長2,200×全幅865×全高1,170mm、軸距1,500、車重230kg
   空冷4サイクル、746cc、ボア64×ストローク58mm、5速、
   圧縮比9.0、69ps/9,000rpm、トルク5.9kgm/7,500rpm
   
1974年1月 750RS 465千円 (Z2-A)マイナーチエンジ
1975年6月 750RS 465千円 (Z2A後期)マイナーチエンジ
スペック参考
 変更点 重量232kg(+2?)その他は一緒(若干ヘッライの光量がUPその他少々変更)
 
1976年4月 Z750FOUR485千円 (KZ750A2?)
 このモデルから「ゼッツー」が途絶えて、車名変更出力1psアップ、フレーム、サスペンションを中心にリファインが施されゼッツ-の系譜が更なる熟成を遂げたのである。

                                  t-hirai

追伸 村島社長(東京でカワサキの部品代理店カワサキの事なら何でも、社名(株)村島トレーデング)に電話して(前期・後期のデーターを調べて頂いている)部品の変更等はっきりして教えて貰います。(前にも申し上げたが前期型のヘッドガスケットは一体型、後期は二つに分かれたヘッドガスケットになったと記憶しているが?)
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by toshi-hirai | 2012-10-14 11:13

「カワサキ・ロードレースのルーツ」④

 1966年赤タンクA1Rに続いて1967年KR-3、1969年KR-2・・・A7RSと矢継ぎ早に世にレーサーを送り出し、世界に「カワサキ」ここにありと言わしめたのである。
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 アレ、カラーがライムグリーンに変わってる・・・ナンジャコリャ・・・350ccの雄A7-R
の後期型、ワークスと市販車ではフレームのクレードル部、ブレーキ、乾式クラッチ等に差がありなんといっても、1969年デイトナ200マイルからカラーリングがリペイントされたことである。

 コレハネ・・・先日アメリカにTHE GOOD TIMES理事長の 古谷さんがZ-1「40周年を祝う会」に参加された時、たまたま同席された斉藤定一さん(アメリカに行きR&D=品質保証、ポリスバイク、リーンカーン工場などを手掛けられた方)がカラーリングの変更を指示して(赤はホンダなので)なかなか良いカラーが見つからず、アメリカでは葬式色(国内では黒・白)であるライムグリーンを採用したらしい、この時には大いにブーイングが、かなり怒られたらしいがカワサキのライムグリーンの生い立ちの逸話である。
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 これがアメリカの白バイポリスバイク(実はリコールで田村部長当時品質部長・テストライダーkiyoさんや多くの方々が苦労されたらしい)

 日本で赤色で出荷したA1R/A7R日本から赤タンクで送ったマシンが現地サーキットに日本のスタッフが到着した時にはライムグリーン塗り替えられたレーサーが、オッタマゲタそうな・・・
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当時メカニックの藤原良弘氏の証言である(上の写真左から6人目、現在Z-1会の副マネジャー)

 1969年1月国産最大排気量の650Wシリーズに続いてご存じ、新型H-1(ジャジャ馬「マッハⅢ」)他に類を見ない498cc空冷2サイクル並列3気筒エンジン、最高出力60ps/7,500rpm、最大トルク5,85kg/7,000rpm・・・無類のハイパワー高性能から生まれる市販車最高速190km/h以上を実現、CDI点火装置やクランク軸強制潤滑などハイメカニズムを駆使した右2本・左1本のサイレンサー、アメリカ、ヨーロッパで上記のようにペットネーム「マッハⅢ」と大排気量の中でも一際異彩を放った存在であり、同年9月1日より国内でも販売されたのである。
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 当然A1Rの後を追っかけ市販レーサーH1R誕生1969年デイトナでD・シモンズが走った200マイルレース、初出場では結果は芳しくなく17位、初めはレースキットを付けて発売予定だったが急きょ方針を変え、40台だけの限定生産、販売方法を1970年第49回のデイトナ200マイルレースにエントリーする者のみに販売と言うスペシャルキャンペーン・・これが功を奏し引っ張りだこ、
 多くの優れたプライベーター達の手にH1Rが渡り、それぞれの創意工夫により一層H1Rの秘めたるハイパフォーマンスが十分に引き出され活躍しました。

 特に1970年ワールドGPの500ccクラスではG・モロイがH1Rを駆り年間シリーズ2位を獲得したのであります。
 D・モロイはH1Rを手に入れるのに2月に渡米、デイトナ200マイル直前に購入予選初日にはマシンのセットアップに費やし二日目に初走行予選をクリア、決勝7位と云う快挙?を成し遂げ・・・
 その後、ヨーロッパに持ち帰ったモロイは第1戦は時間が無く今までの自分のマシンで参戦、第2戦以降H1Rでエントリー第2戦フランスGP2位・第7戦フイルランド2位第8戦アルスターGPでも2位入賞と言う快挙を成し遂げたのであります、勿論他のライダーの活躍もこのH1Rを駆り第4戦マン島のレースではB・スミスが3位入賞2サイクルマシンでのこの成績はマン島史上初めての快挙、第6戦ベルギーでは?・ラベルが2位年間シリーズランキング7位に輝いたのであります。

 この結果カワサキのH1Rはコンストラクターズチャンピョンシップ2位に入る活躍でありました。

 この様な快挙に、H-1をフランスのディストリビューターであるシデム社によりH1のエンジンを特製フレームに搭載し3台のマシンをボルドー24時間耐久に走らせたのであります、結果は1台が2位に入り(ライダーはギューレド&モレ)他の2台も完走高い評価を得たのでありました。

 翌1971年WGP第11戦のスペインGPで優勝を飾り年間シリーズ4位、マニファクチャーとしても3位と世界を暴れ回ったのであります。

 平井の独り言
①このマッハⅢ、本当にジャジャ馬、マー排気音のかん高いノイズ、恐ろしいほど早く走り、恐ろしくハイパワー(レシプロエンジンでは3気筒が一番理想的?、04では性能を十二分に発揮したもんや)
②当時飛ぶ鳥を落とす勢いの片山義美が(マツダと契約世界でも有名なドライバー)「所長チョット乗らせて」とマッハの試乗車に跨った途端、神戸営業所から約800m程先にある葺合警察署までの間、ウイリーで走り去り家に乗って帰ってしまい気に入った売れと電話が入る始末、いまも尚お付合いしているTHE GOOD TIMES副理事のタッチャンに集金に行って貰った思い出がある(タッチャンはA-1の集金と言っているが実はH-1では?)
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 「木の実レーシング50周年を祝う会」での片山ご夫妻右側はご存知世界の金谷秀夫、その隣、和田将宏の若きお美しい奥様花束贈呈の場面である
③いまカラーでは人気の絶頂のパールホワイトを既に1970代にカワサキはマッハに使い青色のストライブされた「H-1」音は髙いが(エンジン騒音も)マー何とも言えない優雅な車でありました。
   あまり売れなかったと記憶しております?

 1972年に世界最速豪華な750SS(H-2)の市場投入続いて今年40周年を迎えた、これまた、世界の名車「Z-1」チョイト先にこれまた世界の名車「CB750」が相次いで誕生しており、それこそ日本車が世界を謳歌したのであります。
                         マダマダ続くのですが・・・

 いま古谷理事長に斉藤さんの事を尋ねて電話したら、「平井さんよロードレースのルーツはチャント書け、ウソを書いたらアカン」「イヤ資料を見て書いておりウソと違います」「その資料はウソや」???私はそうは思わんが(なぜなら車両年鑑とも年代は合っている。今度、古谷さんと突合せをシナケレバならないと思っている。

 少々この後カワサキのロードレースのルーツは一服です、①~④には訂正が入るかも?悪しからずご了承ください。

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by toshi-hirai | 2012-10-08 08:32

「カワサキ・ロードレースのルーツ」③

 昨日このブログをご覧になった、根本 健さん(知る人ぞ知る専門誌RIDERS CLUBの元編集長)からメールが、ヒロサンの後ろで車を押している私が居る(鈴鹿での押しかけ風景ヒロさん12・健さん3?だったかな?)何しろネモケンさん現在も現役、海外のレースに参戦、著者でもあり多数の本を出されているオートバイの乗り方なんでもござれである。(根本健でヤフー検索を)
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 サテサテカワサキのロードレースのルーツに戻ろう、昨日書き忘れたがA1Rは「赤タンク」のカワサキイメージを踏襲、赤いガソリンタンクが象徴的なデザインこの250A1をベースにグレードUPしたのが350A7
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 1966年A1R カワサキ初の市販ロードレーサー由緒ある赤タンクを纏った駿馬
ストレート200km/Hをマーク(当時最速の市販車)出力40PS 重量109kgである。

 アメリカより一年早く1967年3月ヨーロッパに進出、この進出を記念して3月に行われたシンガポールGPレースに出場したのである、このレースは世界選手権として行われた格式のあるレースで東南アジア市場拡販に多大な影響を持って居り、このレースには他のメーカーもこぞって参戦していた。
 初出場のカワサキはこのレースでA7Rが1・2フィニッシュ、250cccクラスでA1Rが2・3位、おまけにオープンクラス3位、全種目入賞の快挙を成し遂げたのである。
 (コレ、チームグリーンの真似かイヤチームグリーンは生まれていなかった昔も速かったんやー)

 同年4月には、シンガポールの快勝に続き、マン島TTレースにも参戦、Dシモンズが125ccクラス4位、又、250ccクラスA1Rを駆りDシモンズ・?スミスが4・5位に入賞世界選手権のGPシリーズの活躍であった。(このレースは世界最大のイベントである)
 こうしたロードレースの活躍が「モトクロスのカワサキ」から「世界のカワサキ」として先発のメーカーと肩を並べるメーカーにジャンプしたのであった。

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 1967年KR-Ⅱと呼ばれ125cc4気筒40PS、ナナント12段変速、2サイクル45度V型すべてのシリンダーが後方排気、クランクシャフトはギヤーで介す手法を用いこれがワークスマシンKR-3であった。

 残念ながら登場後すぐに規制により消えてゆく運命とナッたが、歴史的マシンとして未だに語り継がれるマシンである。
 (あまりにもカワサキが早いマシンを世に送り出すので・・・他メーカーの圧力かな?へへ)
 さらに勢いに追い打ちをかけ国内でも大暴れ1967年10月に富士スピードウェイで行われた世界ロードレース日本GPでは上の写真の125ccレーサーががデビューこのマシンで金谷秀夫は3位、森下 勲が4位、350ccでA7Rを駆り和田 将宏が4位と活躍をした。
 (この時私は谷澤・タッチャン・山下各氏と応援に行って肝臓をやられた?イカン蔵)

 マー考えてみれば小排気量エンジンから可能な限りパワーを絞り出そうと多くのメーカーが125ccクラスの多気筒化の道を選んだが、先ほど書いたレギュレーションでこれを制限されたことから、1969年カワサキは一度お蔵入りをした2サイクル2気筒のKR-2を再度担ぎ出し、改めて檜舞台に躍り出たマシンであった。

 このマシンでD・シモンズは世界ロードレースGP125ccクラスのシリーズチャンピョンに輝いたのである。
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 1969年WGP125ccクラスで復活をした、「KR-2」脅威的なスピードでチャンプを・・・素晴らしい・・・
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 追伸 使わせて頂いた資料はワールドMCガイド11●カワサキ1より 
 
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by toshi-hirai | 2012-10-07 06:42

「カワサキ・ロードレースのルーツ」②

 エライコッチャ、60オジサンからの大クレーム「カワサキを初めて鈴鹿を走らせた男」は私と、
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 このご紋が見えないか、恐れ多くもカワサキ・ロードレースのルーツはワタシ
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 これぞカワサキのルーツ「山本 隆」であるのは皆さんもご存知である・・・

 しかし、残念ながら確かに一足早く(1965年5月)鈴鹿を85J1改で山本 隆は鈴鹿を走ったのだがこれは何故だか記録に無い、これはカワサキが正式に走ったのではないからである(話に聞いたが古谷さんと田崎さんが仕掛けて60オジサンが走った様である・・・しかし、これがあるからカワサキのレースのいまがあるのでは? 

 さて、話は2年を経過1967年待つこと久しいA1Rがロード前線に、アメリカでオン・オフ車ともに人気を高めバイクブームの到来、その動向を敏感にキャッチして市販車に次いで世に送り出されたのが
「A1R」
 このマシンを駆り1967年に我らがミスターカワサキ「和田将宏」と少し遅れて「清原明彦」の活躍がある、カワサキのレースを語るのにこの二人を忘れることは出来ない。

 清原明彦はこの年とし子夫人と結婚、鈴鹿6時間耐久にA-1を走らせ優勝を飾っているが、

 今回は和田将宏にスポットを当てよう。

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 「和田将宏」闘争心をあらわに何処でも何時でも己の持つすべてをコースにブツケて走るその姿は、未だに忘れることは無い。

 1967年「ヒロ」彼の活躍はすざましい物があった、その素晴らしい雄姿を’67年をお見せしよう

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 ゼッケン12 ミスターヒロ(これからはオンリーヒロ許して)この風景、エンジンを押して掛けるスタート、全車カウントダウンが流れるとリズムを取りスタート、ツナギをご覧皆さん同色(俺だけ違うカラーツナギのルーツ?待って~カラーツナギのルーツはキヨだよん~)オマケにヘルメットはオワン型、なんと面白い風景・・・カラフルな今では、考えられない写真である。

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 本橋先輩とのバトルしかし先輩の顔には微笑みがヒロの顔は必至のパッチ・・・違うなー・・・
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 故松永選手とのデットヒート、この時、A1Rで挑み見事お立ち台 総合2位(250cc350cc混走、1位は350ccと言うことはオイラクラス優勝?)
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 ワールドGP1967年10月15日富士スピードウェイ、ゼッケン14ラルフ・ブライアン(HRC6気筒)ゼッケン17カワサキの安良岡 健、同じくゼッケン20ヒロ カワサキの誇るA1S改製作期間わずか1ヶ月で、最高出力40HP/9,500RPM、車重109KG、最高速210km/H、これが後日カワサキ初の市販レーサーになった。
    やれば出来るのやないか?
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 「ナ~和田よ~ドヤ顔はそこそこにしとけよな~」テナコト言われた思い出が・・・しかし、人生を・レースを色々教えてくれた先輩「安良岡 健」オイラに取っては大好きなワンショットである。

 モータースポーツと言うカテゴリーでカワサキの活躍は1961年5月の全日本モトクロス大会に遡りメイハツ5型を改良してカワサキB7(ビーセブン)を参戦させいきなり2位に、さらに1963年5月開催されたMFJ兵庫県支部主催(委員長故西海義治)第1回MX大会では、カワサキが125ccで開発から生産まで一貫して取り組んだ最初のバイクB-8(ビーエイト)で1位~6位迄独占!完全優勝を果たすなど赤タンクのカワサキがモトクロスの活躍によってその名を世に知らしめたのである。


                                      t-hirai
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by toshi-hirai | 2012-10-06 07:36