Team Green

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「カワサキ・ロードレースのルーツ」⑭

 とうとうやって来ました2013年(明後日には除夜の鐘)どんな年だろう?2012年は僕にとってはあまり良い年ではなかった。
 コレハネ私の「力」を出し切れなかったのです、マー「人生色々」と島倉千代子さんは歌っているが我が社は色々ありすぎる・・・アホラシイ・ツマラン・色々が仕事で多すぎた、これにはいかなる、ファイトマン平井もカナワン「オレ少しぐらいは何とも思わん頑張るタイプ」だが少々戦意喪失だった。

 しかし、今年は鈴鹿に2回もご招待を受け、ダイ~好き8耐が、又、鈴鹿アニバサリー(鈴鹿開所50周年のお祝い)に行けたことや、ヤッパ二輪は良いナ~

「サウンド・スピード・スリル」たまんないな~これ俺の「スリーS」こいつはたまらんレースがやりたいよ~ン・・・

 前置きはこのくらいで「益々絶好調’78年後半~’80年代前半のカワサキのレース」を掘り返してみる・・・前回では、「幻の500」もマズマズの成績だったが?

 勿論完成されたKR250/350の快進撃はどこまでも続いて行ったのでアーります。

 1982年250を駆るマンクが第1戦イタリアで優勝、第2戦スペイン、第3戦フランスはバリントンが、第4戦ユーゴスラビア、第6戦ベルギーはマンク、第7戦フイルランド、第8戦西ドイツではバリントンと交互に勝ち続け・・・アアシンド・・・へへ第9戦チェコではマンク、最終戦第10戦ではバリントン・・・結果マンクがチャンピォン、5勝を挙げたバリントンがシリーズ2位、加えてJ・F・バルデは2位の表彰台に2回、3位表彰台を1回でシリーズを・・・これまたシリーズ3位・・・イヤハヤ恐るべしカワサキ、WGP250クラスシリーズ「1・2・3」フイニッシュ・・・であつた。

 一方350クラスも全6レース中、マンクが第8戦西ドイツ、第9戦チェコで優勝シリーズランキング2位、J・F・バルデがシリーズ3位と絶好調・・・強い強いカワサキ軍団・・・もちろん日進月歩カワサキは、既に4サイクルBIGバイクの開発を進めていたのである。

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 チョットだけバック1981年4サイクルも世界の檜舞台で猛威を振るライムグリーン、Z1000Jをベースとした耐久マシン製作はフランスのパフォーマンス社、ライダーはR・ロッシュ&J・ラフォン、やりもやったりこの年のFIM世界選手権耐久レース全8戦全てを1・2フニュシュでっせ・・・
正に飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことや・・

 同じく1982年もパフォーマンスのバックアップで世界の耐久選手権に挑み2年連続でシリーズチャンピォンを獲得する。

 ちなみに、パフォーマンスのマークは“絶えず前進”常勝あるのみをデザインしたものでアルそうな。

 一方AMAスーパーバイクは、この年、ベテランM・ボールドウインをエースライダーにセカンドライダーは若干22歳の若手のホープE・ローソン(出てきましたぜ!)と言う布陣で戦うことになったのであります。

 スティディ・エディの名で知られたローソンだが当時は、まだロードレースの経験も少なく、ダートトラックの新人賞を獲ったという経験しか無かった、しかし、人間の運命はどこにあるのか?レース前のテストでボールドウインが負傷、カワサキはエディ一人にシリーズ戦を託さなければならない苦境に、彼はその本領を発揮、第2戦テールゲージでE・ローソンがKZ1000MKで優勝を果たしたのであったし、第2位にはチームメイトD・アルナダ、さらにさらにローソン(コンビニでは無い)は第6戦ロードアトランタでも優勝第8戦にも勝ち、イヨイヨである、チャンピォンを手中に収めるべく最終戦に臨んだのであるが、決勝直前にマシントラブル「Tカー」で決勝に臨みこの逆境を跳ねのけ快走TOPでチェツカーを受けるも、スペアーマシンでの出走にイチャモンが付き(訳解らん)失格、この結果シリーズランキング2位に甘んじたので逢った。

 日本にも同じような話はあります、「日本一速い男 星野一義」にもこの様なエピソードがありました。

 イヤー1979年~1982年と世界ロードレースGP&AMAスーパーバイク&世界耐久選手権に参戦、各分野最高の快進撃を納めたのであります。

 こんなところで景気よく2012年の締めくくりとしたいと思います。しかしであります、残念ながら1982年あまりにも勝ち続け、少々息切れのワークス、チョットだけよと凍結をしたしまったのであり~ます。

 デモ・デモね1982年の戦いは、マダマダ続くのでありますながいな~・・・来春には「エデーィローソンのAMA制覇」250・350・500のマダマダ続く快進撃から始めます。

 サテサテ本年も大変お世話になりました、私に取ましては、波乱万丈の一年ではありましたが何となく過ぎてしまいました。
 早くもあり・・・モドカシクもあり、もう一つまとまりのない一年、来る2013年は「TEAM GREENの30周年」輝かしい一年である様に頑張ります。本当に今年は(も)お世話になりました。

 末筆ではございますが、ご家族皆々様には輝かしい2013年をお迎え頂きますこと祈念致しまして、
2012年の終焉とさせて戴きます、ありがとうございました来春も何卒よろしくお願い致します。

                                         平井 稔男
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by toshi-hirai | 2012-12-30 03:37

「カワサキ・ロードレースのルーツ」⑬

 イヤーおう~も無くやって来ました2013年どうもあまり良くない2012年、しかし、オイラには鈴鹿がレースが帰ってきた今年の一年、なんやかんや言いながら良い年だったんや・・・

 来年の事云ったら鬼が笑うと言うが、もうすぐそこや・・・来年はTEAM GREENが日本に生まれて丁度30周年、コリャ同窓会でもやらなアカンな・・・それにしても多くの素晴らしいライダーがカワサキからTEAM GREENから育って行ったもんや、イヤイヤこれからも素晴らしいライダーが日本に世界に飛び出して行って欲しいもんである。

 サテサテ一方1979年頃のカワサキのロードレース・・・KR250・350と言った素晴らしいマシン&いま尚その名を欲しいままに活躍している「Z1」この素晴らしいマシンをレーサーに・・・そうして大排気量のカワサキが活躍してくるのであるが、もう少々KR250・350の活躍を・・・

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解説(お世話になっているワールドMCガイド11●カワサキ1より)
 向かうところ敵なしの完成度結果が全てを物語る・・・聖域の250
 開発が確実に進行していたKR250の熟成は遂に成就、K・バリントンのライデングで’78~’81年の4年連続でWGPのチャンピョンマシン・・・250の活躍と相まって、このころのカワサキの強さは正に尋常ではなかった。
 このマシンは市販を前提に開発を進められており、随所にダイキャストでのパーツが組み込まれ市販予定でアメリカ向けのカタログまで作られていたのである。

 さてさて、この様に表彰台を独占するグリーンパワー1979年当時の快進撃をご披露しよう。

 1979年もKR250・KR350の快進撃は続くのである・・・
KR250は第3戦オーストラリア、第4戦西ドイツ、第5戦イタリアと我等がコーク・バリントンが連戦連勝、さらに第10戦から最終戦13戦まで再び4連勝、結果連続してチャンピォン+シリーズランキング2位ハンスホード、マンクは2回の3位表彰台で活躍シリーズ6位となった。
 さらにさらにKR250のライダーJ・F・バルデランキング8位、第8戦で優勝したE・ストリンガーランキング9位となったのであ~ります。

 同じくKR350は第2戦オーストリア、第5戦スペイン第6戦ユーゴスラビア、第11戦西ドイツ、第12戦チェコとコーク・バリントンが優勝(チョット上の開催国の違いは?)これまた2年連続でチャンピヨン・・・又、ハンスホードも第4戦イタリア、第10戦フィンランドで優勝シリーズランキング3位、さらにマンクも3回も表彰台にランキング4位・・・TOP5にカワサキが3人も占める圧巻であったのである・・・へへへへのへ・・・強いな~

 お待たせAMAでは第3戦(1980年か?)シアーズポイントのレースでF・スペンサーがKZ1000MKⅡに乗って優勝、次のラグナセカでのレースでも勝利、結果スペンサーは見事AMAでのランキング3位を獲得したのである。
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 この写真(KZ750D2)
 Z1に端を発するカワサキ“Z”の系譜・・・いままさにヨワイ40年を経てなお絶好調のZ1、このZから多くの名車を呼び起こした一つであるZ1000MK1(同上モデル)
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 この写真、KZ1000Sとあるが、同年代かZ1の改良であろうか?・・・

 いずれにしてもこの好調な波に乗って1980年にカワサキはGP頂点の500クラスにチャレンジを開始したのである。このマシンはプロダクションマシンH1-RWとは異なり完全なファクトリーメイドのもであった、エンジンはKR250を二つ合わせたスクエア4、フレームはアルミ合金で、リアサスペンションはユニトラック形式と言う斬新な面構えであった。
 このマシンをデビユーイヤーでライダーを務めたコーク・バリントン第3戦フランスで8位、第7戦フインランド5位、第8戦イギリス7位・・・シリーズランキング12位と実験中とはいえまずまずの成績であったのだが。

 思い出・・・鈴鹿全日本か?GP戦か取り敢えずエントリーしたのだが、当日大雨ライダーたちがコース上で危ないから走るのは許してと整列、観衆がショウナイ次回やとアキラメタレースもあったのである
 その後、日本では走っていない、ソレハネ1982年にカワサキがレースを凍結した「トシ」に姿をけし、これがアノ有名な「幻の500」と言われた由縁である。

 サーテそれからが「トシ」TEAMGREEN迷監督の出番でもあったのであったへへへのへ

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 この写真、1982年KR500先進テクノロジーをフルに投入したのだが、何故か上記の説明通り短命に終わった不遇のマシン「幻の500」である。

 マダマダ続く泥濘ぞ~次回本年最終版にお会いしましょう。
                                   t-hirai


 

 
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by toshi-hirai | 2012-12-24 06:50

「カワサキ・ロードレースのルーツ」⑫

 一週間のご無沙汰です、街にはジングルベル・スーパーにはしめ縄・鏡餅等々景気が悪いのにやって来ましたお正月、しかし、今日は選挙「どうなるこれからの日本」派手に「一緒に国を変えませんか?」「国民の声を国に届けます」「みんなで一歩一歩確実に」なんか今まで国民が居なかったみたい、どうなる日本、しかし、命には限りがある「頑張らなアカン俺の人生」

 マーどうあれ今日は選挙、投票せなアカン・・・買わな当たらん宝くじ・・・てなもんや三度笠


 GP黄金時代に・・・連戦連勝のKR250・KR350

 さらに熟成されたKRは、1978年イヨイヨその本領を発揮本格的にその活躍を見せることになります。

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 1976年KR250若干トラブル解消に時間を要したが、紆余曲折の末決定したメカニズムタンデムツインは一世を風靡するのであります。(アレ前にも出た写真?エーヤン)

 世界ロードレースグランプリに於いて、スペイン・フランスGPと、G・ハンスホードが連勝を飾り、ネーションズGPでは我らがK・バリントンが勝ち、勢いに乗ってコークはフイルランド、西ドイツ、チェコでも優勝、ハンスホードもまたユーゴーで、A・マンクはイギリスGPを制覇怖いとこなし「カワサキ軍団世界を横臥」全12レース中9レースに優勝を勝ち取ったのである(迷監督は少々物足りないに後「にしよう」2勝やで)オマケニ最終戦のユーゴGPでは、ハンスホード・マンク・バリントンとカワサキの誇るGPライダーが表彰台を独占、正にこの年を象徴する。

 ここでコーク・バリントンはチャンピョンを・・・ハンスホード2位・・・マンク5位・・・J・F・バルデ13位・・・グラント14位・・・

 シリーズチャンピョンに輝いたバリントンは長い年月を名監督ケン鈴木と共に苦闘、1974年の耐久シリーズ最終戦のイギリスで旧型マシンH-2Rを駆って優勝をしたものの・・・
 幾多の苦難を名監督ケン・鈴木(エライ違いや名と迷)と共に檜舞台で活躍することを夢見ながら、5年もの間の長い歳月を頑張ってきたのであ~る。

 先日ケン・鈴木氏の奥様から「今年は少しだけですが良いことが、ソレハネ鈴鹿でKORKご夫妻との再会、又、ロンドンのO・PでTVに映る街並みを懐かしく思い出させたこと、特筆すべきは現在経営する「PENSION SILVERSTONE」に両陛下を昼食にお越しになったこと、そうして英国の国籍をお持ちの様子であちらの年金の事、又、来年もお会いしたいと暖かいお手紙を

 「MERRY CHRISTMAS &HAPPY 2013」
 イヤ-ビビった、名監督ケン・鈴木さんの奥様から「謹賀新年」違う「メリークリスマス」や、ご挨拶これは素晴らしい、ここでひとまずお礼を・・・ケン・鈴木監督が育てたコークは素晴らしい奴、今年61才になったと・・・まだ走れる・・・
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 ケン鈴木ご夫妻と「鈴鹿50周年アニバサリー」にて・・・

 サテサテ話は連戦連勝からさらに順調に仕上がってきたKR250のボアUPのKR350これまた250ccを10mmボアUP(その他はKR250と共通)
 バリントン・ハンスホード・グラントンの三人がライデング、“カツはカツは”開幕戦のべネゼェラGPでコーク・バリントン4位、開幕戦を無難に・・・次のオーストリアGPで優勝以下フランスGPではハンスホード優勝、バリントン2位、ダッチGPではバリントン、スエーデンGPではハンスホード優勝、バリントン2位、フイルランドGP・イギリスGPオマケニ・・・チェコGPでもバリントン優勝、ハンスホード2位、ユーゴスラビアではハンスフォード優勝・・・ナンボ勝ったらイイんや・・・KR350は素晴らしいマシン圧倒的にその強さを世界に見せつけたのでアル~・・・

 結果、「コーク・バリントン」シリーズチャンピョン「G・ハンスホード」ランキング3位、M・グラントが14位と言う「バンザイーバンザイー」の結果であった。

 
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 1978年既に完成された350cc4年連続シリーズチャンプがその証・・・このマシンが
 マタマタ・・・バリントンがシリーズチャンピョン、ハンスホード2位、写真のマシンは1982年にA・マンクが駆りWGPクラスのチャンピョン奪取・・・チョット後かな?マーエエヤン・・・
 何時かカワサキの思い出、この時期の話を名監督ケン・鈴木氏に聞いてみたいな~
(こいつは一度、既に来年早々第2回を開催する「二輪文化を伝える会」に諮って見よう)

 1974~1978年なんかアッチに行ったりこっちに来たり・・・ハハエエヤン

 てなもんや三度笠・・・カワサキはこんなもんや・・・・ハハハハハ

「まだまだツずく泥濘ぞ」今日は機嫌がいい次週も「表彰台を独占するカワサキ軍団」乞うご期待

                                       t-hirai
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by toshi-hirai | 2012-12-16 06:51

「カワサキロード・レースのルーツ」⑪

 前回「カワサキロード・レースのルーツ」⑩では、私とコークの再開を早くお知らせをと「ヒッチャカメッチャカ」申し訳ありません、ダブりますが再度本題ロード・レースのルーツを訪ねます。

「1976年~1983年」カワサキがGPを席巻する250・350GPマシンの開発からハジマリハジマリ~(余談ですが私は丁度「本社営業部サービス課長」でレースを始めた時であるイカンまたダッ線)

 1974年にデビューしたKR250は着実にそのポテンシャルを図り、同じく開発を行ったKR350と共にGPでの常勝マシンに育って行き、さらに活躍の場は500にも及びさらにさらに4サイクルビッグマシンもレースに参加・・・その強さを耐久レースにまで発展したのであります・・・

 AMA用市販レーサーとして考えられ、その開発の為に1974年に登場したKR250こそが、カワサキ初の250ccGPレーサー・・・
 2サイクルタンデムツインと言う独特のシリンダーレイアウトそれこそユニークな構造をもつこの車である。
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*スペックは⑩でご確認を

 デビユーレースはこの年デイトナであったが、世界ロードレースGPにもM・グラント、I・デュハメルによってスポット参戦ながら、第7戦オランダGPでデュハメルが6位に入賞を果たし素質の片りんをみせたのであ~ります。(ちなみにこの年のランキングは24)

 少し3年ほど遅れるが1977年マシンが大きく進化するのでありました・・・

 剛性不足で性能が不安定であったKR250、マグネシウムのクランクケースがアルミ製に改善+エンジンの点火時期も180度爆発から前後同爆に変更、この改良で大幅なポテンシャルUPを果たしたKR250は第3戦西ドイツでの戦いで・・・
我らがキヨサン日本人ライダーでGP2位を獲得 
 それこそこのレースでファーストテストラップも獲得したキヨサンの走りでKR250の高いポテンシャルは証明されたのである・・・

 そのあと第4戦ネーションズGPではB・ディチバーンが3位、第5戦ではスペインGPでは、ディチバーン8位・キヨサン9位とその安定した走りで上位入賞を続け。
 そうして待ちに待った第8戦オランダGPでM・グラントがこの改善されたKR250に初勝利をプレゼント、その後、第10戦スウェーデンGPでも優勝を勝ち取り、この年グラントはシリーズチャンピョン?違うシリーズランキング8位を取ったのであ~ります。
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注)その時のレースでは無いかな?

 一方1972年に皆さんご存知・・・世界の名車「Z1」の登場・・・ 

 カワの4サイクルがAMAで活躍をして行くのであります・・・
 
 AMAのレースでは第5戦ポノコでR・ピりモアがZ1を駆って「優勝」最終戦のリバーサイドでは、W・クーリ-が乗ったZ1(これには、「ポップ吉村」御大がチューンしたエンジンが積まれ)見事優勝を果たしたのであ~ります。

 世界の名車「Z1」そのベースマシンのポテンシャルの高さを証明するものであります。

 チョットダッ線をさせて
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 キヨさんてホンマ素晴らしい・・・ナイスガイ「ミスターカワサキ」・・・である。

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 このマシンのテストライダー???である私・・・中国自動車道を驀進したモン・・・

 1976年秋から1978年まで生産された(これ43万円です)コレハネZ1の完成直後から開発され、オオヨソ4年後の1976年に登場した初代Z650B1である。

 初代Z1・Z2シリーズのライバルであるホンダCB750Fourシリーズ、イヤーソレハZ1・Z2に比べて驚くほど軽量コンパクトに仕上げられていたのであるが「Z650B1」はそれを仰臥したのであります。

 マタマタ脱線ここはカワサキロードレースのルーツやナイカ・・・へへへへ へ・イイやんか

                そろそろお時間となりました後はオ・タ・ノ・シ・ミ~

                                       t-hirai


 

 
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by toshi-hirai | 2012-12-09 07:30

「コーヒーブレーク」

 過ちソリャ^~ 誰にもあるさ?自分でID間違えてPCが壊れたとはナンジャイ「いい加減にしなさい」スミマセン・・・これも人生・・・ハハハのハン~、しかし、未だにFACEBOOKのアルバムが作れないので、こちらで「Z1会24年度納会」の模様をお知らせしたい。

「Z1会」これはカワサキの誇る「Z1・Z2」の開発に、又「カワサキの発展に」携わった人びとの集まりであり、全59名のカワサキ関係者の面々で構成されている。

 会  長 大槻幸雄 元川重常務     Z1開発の第一人者、Hには絶対負けたくない人
 副会長  稲村暁一 元技術部部長    Z1エンジン開発の第一人者
 営業担当 種子島 経元販売推進部長  Z1開発企画担当「Z1開発物語」著者
 特別顧問 浜脇洋二 元カワサキ経営企画 Z1をUSAに導入の第一人者 当日欠席        
 事務局 仲 和俊 元実験研究部第?部長   Z400LTDの考案者
     藤原良弘 現カワサキワールド担当  カワサキのレース活動初期のメカニック
     栗島忠弘 元デザインルーム担当   Z1のデザイン多田さんの右腕?
 会 員 52名

当日川崎重工(株)の保養所潮涛荘に於いて延々3時間ワイワイガヤガヤ大いに沸いたのであります。

 まずは会長のご挨拶
  今40周年を迎える「Z1」このマシンに携わった皆さん、「Z1はいま尚、世界中で愛されている」皆さん胸を張って我が人生に誇りを・・・

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 ご挨拶・乾杯の前に既にご酩酊のご両人(みんな飲んでおりました)
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 種子島さんの話、これは’72年6月に遡りアメリカの専門誌4社にターゲットを定め、東京へ・・・移動にはこれまた川崎の誇る新幹線で、マタマタ、ハプニング特別に当時の四本社長のカクテルパーティーを急きょ開催したり、明石のテストコース(直線だけのコース)での試乗・・・
「Very good」と称賛を浴びたり、しかし、その成果が大きく8月の出荷時点でバックオーダ・・・イヤ素晴らしい。

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 事務局のお二人(当日栗ちゃん欠席)左仲事務局長・右藤原副事務局長
 イヤーご来賓(カワサキバイクマガジン)の紹介、来年のスケジュール、会計報告、役員選出、仲さんなんかテープを取るのに常にお喋りの隣に?等など大変でした、ご苦労様でした。
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 年間VIPの選出、今年は遠藤治一さん(フランスに長年居られレース関係を担当されていた)
この盾は、ソレハソレハ立派なもの毎回優勝者に授与(私も何時か取って棺桶に同行)
 これからは、特に顕著な場面を少々
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 Z1開発テストライダー山チャン(欠席のKIYOさんとの迷コンビは有名)後ろ我らがタッチャン
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 KIYOさんとコンビだがKIYOさん欠席のため、一人で二人分の大演説、山本信行さん
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 カワサキレースの生みの親、上から世界の金谷秀夫・元技術部吉田和人・MXの猛者飯原武志のお三方
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 これはこれはZ1開発七人の侍?のお一人野田浩志さん(アメリカカワサキの社長にも?)

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 最期に稲村副会長の挨拶3+3+7拍子で「来年を期して」滞りなく終了しました。

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 ご参加の皆さんでお顔が出なかった方々お許し下さい、それでは当日参加の皆さんの集合写真を

 今回は「Z1」に携わった一部の人びと(我らが古谷理事長が居ない)の集りでありました。
    
                                        t-hirai
 追伸 来年の「Z1/Z2」関係のイベントのご紹介

①今年の年末か?来年の初めに三樹書房より「Zの開発とその暖流」(これ仮称?)と題して出版
②来年2月5日~17日まで「モーターサイクルZ1フェアー」於カワサキワールド
③来年3月にグリーンピア三木で何かが起こる?
          てなところZ1/Z2フアンの皆様・・・乞うご期待であります。
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by toshi-hirai | 2012-12-02 18:17

「カワサキロード・レースのルーツ」⑩

 イヨイヨ活況に掛る1976年~1983年までを脱線を交えてお伝えしよう・・・

 1974年にデビューしたKR250は着実にポテンシャルのアップを図り、そこえ並行して割って入り開発されるKR350・・・
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 このマシン’82年にA・マンクが乗りWGP350ccクラスの王座を奪取したもの
 これがナ・ナントGPでの常勝マシンに育って行くのである・・・既に完成の域にあったKR350・・・KR250のボアを10mm拡大し347cc・・・
 当時ソラ-早かったTZ350と競り合いながら熟成を図っていった、ここでこれまた「ミスターカワサキ・・・コーク・バリントン」のお出ましだある。

 コークは、この時’78’79年と連続にGPチャンピョン、そのほかM・グラント、G・ハンスホード、そしてA・マンクと言う、それはソレハ素晴らしいライダー軍団でアーりました。
 
 加えて活躍のKR500にも・・・マタマタ1972年大型「Z1の誕生」に4サイクルビックマシンによる耐久レースにも、その強さを発揮したのであります。
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 これは、1976年既にその名を欲しいままにサーキットを走り回っていたKR250の雄姿
紆余曲折苦悶の末に編み出されたメカニズム、このKR250のタンデムツインはそれこそ一世を風靡したのであります。

 ナイショの話、カワサキがこのマシンをタンデムツインに持って行ったのは、ソレハネ・・・ロータリーバルブ吸入方式を選択したからであった。
 ナゼナゼ?ソレハネこれが最高の方法だから・・・しかし完成したKR250は180度クランクこれが悪戯をして振動が多く幾多の段階を経て熟成には時が必要であったのでアーリます。

 ここでチョイト一服
  「我らがミスターカワサキ・・・KIYOさん」の登場、その輝かしいプロフィールを・・・

 清原明彦 1946年2月26日兵庫県神戸市に誕生
      1961年 川崎航空機工業(株)に入社
      1964年 開発テストライダーとなる
      1967年 とし子夫人と結婚 鈴鹿6時間耐久レースに優勝
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 これ耐久マシンかな~(今日Z1会の忘年会でKIYOサンに聞いてみよう)
      1970年 チョイトモトクロスに出場、出たレースにはすべて優勝毎年昇格どこまで            行くの?(MXエキスパートジュニア今の国際B級)
      1972年 ロードでも鈴鹿750ccクラスにH2で優勝
            (ノーマルのKIYOさん誕生)
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      1974年 セニア(現国際A級)
      1975年 ファクトリーライダーとしてH2Rを駆り・・・筑波で初優勝・・・
            強い強いKIYOさん鈴鹿200マイルにKR750で優勝、
            その後、筑波でも同じKR750に乗り3回も優勝、FL-750クラス            全日本チャンピョンを自分でもぎ取ったのであります
      1977年 世界に挑戦各国のGP選手権に参戦したのであります、西ドイツGPでは            ポールポジション、決勝で2位(KR250)
            同じくKR250でスペインGP9位
      1978年 第一回筑波フェステバル優勝この時のマシンはKR350
      1979年 テストを重ねながらKR750でこれまた筑波で優勝

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 Z1000Jをベースの耐久マシン、この写真のマシン、フランスのパフォーマンス社の製作によるもので、1981年ライダーR・ロッシュ&J・ラフォンこの年FIM世界選手権耐久レースでは出場した8戦すべてに1・2フニュシュ・・・オマケニ・・・シリーズチャンピョンの栄冠に輝いたものである・・・まさに向かうところ敵なし・・・破竹の勢いでアッた・・・

 もとえ戻る。一方国内でもKIYOさんの健闘

      1980年 鈴鹿の8耐久に徳野選手とコンビを組み7位マシンはKR1000
      1982年 「プロショップKIYO」を3月にオープン
      1983年 全日本選手権 鈴鹿2位、同じく鈴鹿の200キロで優勝マシンはいずれ            もKR1000
      1997年 鈴鹿8時間耐久レースの前哨戦S-NK(2時間耐久)に復活優勝
            グランドスラム4@筑波サーキットHUGE-1 6位入賞
      1998年 アッセン@オランダ センチネル(寝たらアカン危ない)TTに優勝

 コリャKIYOさん物語を書かんとアカンは・・・何しろすごい「男」である。

 コーク・バリントンも又「ミスターカワサキ」先日の鈴鹿開所50周年のアニバサリーに来日して久しぶりのご対面を・・・もちろん当時の監督ケン・鈴木さんもお見えになって居られました。
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 右から2人目ケン・鈴木監督一人置いて奥様
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 オイ「トシ」「スタンドアップ」「アホ立ってるわい」背が短くなったんじゃ、「オイコーク幾つにナタン」(ハウオウルドアーユー?)61才ダトサ・・・モウオジイサンでも走れる?

 てなとこで・・・エライ脱線や明日初めからやり直しします・・・皆様文は前後判断してご覧ください・・・チャンチャン

 又、明日NPO法人THEGOODTIMESの理事会の後お会いしましょう???。
                                        t-hirai
 注)資料はマタマタ私の宝物「ワールドMCガイド」11より
 
            
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by toshi-hirai | 2012-12-01 06:55