Team Green

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「TEAM GREE30周年」創設期に思うー5

 栗島さんの訃報に接し残念であります・・・世の中ナンデこんなに不公平なのかな、まだまだこれからなのに、栗島さんは温厚でしかも紳士、俺なんか足元にも及ばないのに仲良くして頂いた、こんなに早く天国に召されるなんて本当に残念である。

 デモ栗島さん待っていてください、又一緒にマシンの話をしましょう!!!それにしてもオレ極楽に行けるかな~

 今も昇ちゃんと(斉藤昇司)長電話であなたの話をしたところです。昇ちゃんから訂正と想い出が、彼は貴男と一緒に20年間(’70年~’80年代)マシン創りに頑張っていたらしい、特に代表傑作はアトで出てくる8耐の雄者耐久レーサーのベースGPZ900だったのですねと残念がっていました.


 クリちゃん(あえて言わせてください)お疲れ様でしたごゆっくりお休みください。
    「KAWASAKIの雄、栗島さんのご冥福を心よりお祈りいたします」

 弔い合戦ジャ~無いけど、そろそろ始めようかな聞いて下さい「新星TEAM GREEN」の’85年を・・・昇ちゃんメールで想い出を書いてくれ、そうして今回から喜代一も電話で参加して書きました。
 創成期の物語・・・’85年にTEAMGREENにロードを交え、昇ちゃんはTEAM GREEN発足の記念すべきメインレースの8時間耐久と言い切って張切っていた(その入れ込みが迷監督には怖いんや)

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 昇ちゃん重たい重たいなんて言いながらナンヤ格好よく走っているやんか、それでも重ソウヤナ~デスクプレートも重そうや、それにエキパイ見てご覧ノーマルやんか、コリャ重たいわ・・・この時、迷監督はピットでソワソワイライラ・・・それはね何しろ200kg級の重量車、重いから出足は遅いが走り出したらどんどん?それに負けじと行くんや・・・エース組の岡 正弘&日下直一組は経験者だが、斉藤昇司(負けん気の強い)&多田喜代一(得意のてんとう虫)組イケイケやんか早く時間が来て予選終わらんかい?

 二人に思い出して貰いました・・・この時、2台のエントリー38番(TEAM38だからまだ、忘れられないわ~)もう一台39番、一番手はTEAM38の’83年の耐久で日本人最高位の4位に輝いた二人・・・岡 正弘&日下直一組がゼッケン38、斉藤昇司&多田喜代一組が39、2台体制での挑戦や、この重たい重量級の(何しろはかりの錘が無く計測不能と言われた代物)マシンを8時間も走らせにゃならんどえらい根性と体力が・・・
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 良いマシンやろ200kgオーバーとは思えないマシンや

 予選でもTOPチームは2:20秒台前半スプリントタイムで走るが、われらが重量車トラックレーサーは2:30秒を切るのが精一杯それこそ「必死のパッチ」阪神と一緒や、デモネ少しでもタイムを良くしなければと思い、多田(まだ8耐初心者マークのB級だった)とお互いバトルをしながらタイムアタックAライダーの斉藤が先に走って何とか29秒台に入れる(コレヤ迷監督がピットでソハソハイライラしてたのは、ソレハネ重いマシンだがうまくつなげば2台とも入賞可能と読んでいたからである)知る由もない4人はタダひたすらにタイムを挙げるだけ・・・(アホか監督の気持なんかチットモ考えてくれない・・・)

 その時の思い出、昇チャンキヨさん(ミスターカワサキ)に「多田に負けるなお前プロやんか」と発破を掛けられ一生懸命、一方多田はなにがA級や日本はB級の方がランクが上か?アホそんな事言わずに前向いて走れボケ転ぶなよ・・・てなもんや三度笠だったのであります。

 その時のことを、ライダー斉藤は私が先にタイムアタック一生懸命走って何とか29台エエヤンそれで、ところがである2番手に登場した喜代一さんこいつをイッチョ上回って野郎と28秒台で無事帰還、アアー良かった心臓バクバクやったやで~ 昇ちゃんも「アイツ(喜代一)体は小さいのに流石勝負師ヤルヤン」てなところでタイムUPイヤー良かったやっと予選終了、しかも、ポジションは20番手ヨッシャ心臓のパクパクがどこかに飛んで行き二人に「ようやった」ナニ言うネン・・・てなところや・・・
 
 エースゼッケン38のマシンはチョットオイル系に問題が?スタートのポジションは少々後ろやったんやけど、迷監督これで2台入賞やと鼻息は荒い(何時でもこうや悪かったらボケカス、良かったら自分の指示が良かったんや?オイラ達ライダーの重量車運転の辛さなんか全然考えて無い皆んなライバル心むき出しにトラックみたいな重量車を運転してるんや・・・アホ抜かせ一番感謝してるんやで~

 イヨイヨ待ちに待った決勝や、予選トップはYの誇る平&ケニー組Yが優勝予告を引っさげて出してきたTECH21、2番手Hのガードナー&徳野組そうして、11:30分決勝の幕は切って落されたのでア~リます。

 スタートライダーはタイムの良かった方が先に乗ることに(今でもそうでしょう、だから’87年のコーク&ロブの交代劇・・・もういいか)

 スタートはゼッケン39番多田が走りマー飛ばすは飛ばすは15番手まで上げて走る「さすがや負けん気の強い多田ちゃん、気合の入った走りや」この調子やったら上手く繋げば結構良いところに・・・まだ早い昇ちゃん感心してたらアカンアンタの番やぜ、マー二人とも同じようなタイム順調に繋いで10番手を、しかし、ゼッケン38番はどうもマシンの調子が悪くピットに入ったり出たり、それでも2回目挑戦の二人のベテランライダー良く付いてきている。
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 タダの豪快な走りマーまだ長い落ち着いて走れよ~ん、転ぶなよ~んお願いや・・・

 コリャ絶好調ヨッシャ行けると思ったのが悪かったか、ゼッケン39番斉藤昇司2回目のランの時、PITサインが出る前にガス欠やヘヤーピンを立ちあがって松ちゃんコーナーに入ったところでボソボソエンジンが泣きだし、スプーンを立ち上がる時にはまともに加速せずストール寸前アアアーやってしまった、ライダーの昇チャンピットから離れているこんな所で止まったら帰れないと、何とか持ち前の腕でマシンを騙しながら130Rまで来たが130R手前で完全に息が途絶えてしまったんや・・・130Rからピットまでや皆さん解るやろ地獄や押して帰らんと皆が・・・マシンが重く燃費が悪かったんや・・・しかし、帰らな特に馬鹿たれが怒鳴るやろ?(俺の事か)コリャ又一番暑くなり出した時やツナギの中はダブダブ身体は池の中「少々痩せたやんか」何ぬかす、しかし根性や帰ってきたのである(この時の迷監督のひと夏の経験が1999年病み上がりの体で監督をさせてもらった、山田達也&塚本昭一組のクラス2位に輝いたのである、もういいやん、もう一つだけこれが百戦練磨経験豊富なんやぜ~)
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この時は上位の相手チームが塚本の追い上げにガソリンを給油せずに勝負に来てガス欠や
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 みんな一生懸命この根性がカワサキや(本人はピットロードが少々下り坂やからまだよかった、待ち構える皆の所に帰れたのである)この姿をチョウ満員のシケインスタンドの観衆からも応援の大歓声に送られて・・・辿り着いたのであります・・・

 マー人間やれば出来る、しかもトラック野郎にも慣れてその後順調に猛暑の中を淡々と走って行く・・・ 
 これで終わったんでは、昇チャンの喜代一のそうしてオイル系統が悪いマシンをダマシダマシ走り続けた、これまた正ちゃんと真一・・・これでは1985年終わる訳にはイカンのや

 しかもやで万感を込めて繰り出したYのTECH21平&ケニーの終演もあるやんか、もう少ししゃべらせて~な~

 ’85年の終焉は来週土曜日や・・・      乞うご期待を

              斉藤昇司&平井稔男+今回特別参加多田喜代一組
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by toshi-hirai | 2013-03-31 23:57

「TEAM GREE30周年」創設期に思うー4

 「今日は少々長く成るで~」
 
 1984年にKHI(川崎重工業(株))がレース活動を凍結した時、私はコリャイカン、オートバイメーカがレースを忘れたらアカン、せめてJAPANだけでもと当時のカワ販古谷常務とKHI実験研究部武本部長(ル・マン24時間の総監督故武本 晃)に食い下がったのである。

 ここで少々TEAM38の生い立ちを思い出して見よう、1975年にテストライダーと実験研究部が第38工場に陣取っており、テストライダーたちが自らの技量研鑽を掲げレースを提案(アトで昇チャンが詳しく書いている)ネーミングを神宮??がTEAM38(38工場だから)と名付けの親、たまり場は溶接場(藤原真澄氏が居た)隣のチチャナ・スペースを枡田 明(実験研究部所属神戸スーパースポーツレーシングのライダーでもあった)が調達してスタートしたのであった。

 前記のお二人に縋りメーカーの凍結との重なりもあり、TEAM GREENとTEAM38のコラボがロードレースに立ち上がったのである。

 時まさに1985年ロードレースを加えNEW TEAM GREENが誕生したのである。
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 この’85 RACER PROFILEはKHIロード凍結忘れるがごとくに「カワサキはレースをやりまっぜ~」をアピールした記念に制作したものである。

 この時にはA版三つ折りワークス世界のモトクロスTEAMの紹介、カワ販レースの組織図、そうしてTEAM GREENに所属するライダーの紹介だった。

 1985年TEAM GREENはソレハソレハ大活躍をしたのである、カワサキの誇るロードのマシンは・・・
 400ccクラスにすべてをリニューアルした新世代の水冷ミドルクラスZX400-D1、GPz750R(ZX750-G2水冷)GPz750F(ZX750-A2空冷)マシンの解説は次回に・・・

今回はTEAM38の悲しい’85年しかしカワサキの名誉を掛けて走った時の思い出を回顧しよう・・・

 当時斉藤昇司イヤライダー全員TEAM GREENとの統合に一種の憤りを感じていたのであったのか?、武本部長の説得、当時の監督吉川章平の説得もあってシブシブ統合え、しかし、そこには闘将平井の温かい迎えがあったのは間違いない。

 斉藤昇司は、統合そうしてやって来たメインレースの8耐に思いを込めて、こう云って居る。

 俺たちが結成した社内チームTeam38は’85年にTeam Greenに統合される、Team38は’75年にモトクロスチームとして発足、当時MXは斉藤昇司タダ一人全日本走っていたがMxを引退した’80年頃から徳野政樹を始めとするテストライダーたちがロードレースに挑戦を始める。
 そうしてメーカーがロードレースを凍結した時も、ライムグリーンの火を消さないためにも皆で頑張ってロードレース継続させる意気込みで走らせてきたが、会社はロードレース完全復活を踏まえTEAM GREENにロードレースの組織を強化することになったのである。

 明石にTeam38とTeam Greenの二つを運営することは厳しく、それよりTeam38は資金も乏しく、この頃のマシンでは全日本に打って出て他社と戦えるマシンも無く、TeamGreenにゆだねることにした。

 斉藤昇司は思いを一杯ブッケタかったテストライダーと開発メンバーで作り上げてきたTeam38だったので、これから先も存続させたかった、Team38の消滅は涙するほど残念な思いであったのである。(デモネ今なおTeam38は生きている走っているやんか)
 TeamGreenのロードレースの’85年からのスタートとなるが、この時にはまだ他社と対等に戦えるマシンは無かったが、TeamGreenとしては先ずメーカーの凍結に対しカワサキはレースをやりますとライムグリーンを走らせたかったんや・・・

 昇ちゃん、その通りロードレースの火を消したらアカン・・・オートバイを製造しているメーカーが技術革新の場、レースを凍結して世界の名車を作ることは出来ない、レースの火を完全に消してしまうと復活に時間が掛るとの思いがあったんだ・・・それが証拠に’87年迷監督がコーク・バリントン&ロブ・フリス組、宗和孝宏&多田喜代一組を配し戦った、いま尚残っている4時間30分がありZXR750Rゼッケン7、’93年の伊藤ハムの優勝もあるやんか、皆の努力で現在のカワサキがあるんやで~(赤く書き直しました)

 この時のベースになったマシンはこの年の国内販売を開始したGPz900Rの弟分のGPz750R(Ninja)だった・・・GPz750Rも開発投資を行い軽量化+パワーUP等レーサー用に開発をおこなえば、それなりにポテンシャルは上がったと思うが、まだそこまでの開発投資もままならず、KRの遺産部品のホイール、サスペンション、ブレーキ部品などを流用、加えてエンジンにも吸排気系の手直し及びサイレンサーを変更した程度の「パワー不足と重いbike」だったのである。
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 早く走りそうなマシンやんか、ヨー出来とるこれ200kgオーバーとは思えない

 一言笑い話を、ソレハネ車検の時の話だが重量測定の時、重量が重く計測重量計の天秤に200kg以上の錘が無く、車検員から「このバイク計測不能」と叫ばれ大笑い重量オーバーの基準が無く車検パスてな笑い話
 ちなみに8耐レーサーのワークス車両は160kg、プライベートでも180kg・・・200kgオーバーなんて考えられないことなのだが・・それが走って良い成績だったんや~

 迷監督曰く、車が重けりゃ反動で早く走れるんや、走り出したら止まらんぞ~と

 レースがイヨイヨ始まるのである
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 この時のスポンサーアサヒビールのスポーツドリンク「Prippss」今あるんかな-

 ハンドルポジションは当然KIYOさんのH2のアップハンドル、コレハネ一世を風靡した時代から受け継がれたアップハンドルポジション
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 キヨさんのカラーツナギのルーツ&アップハンドルコリャ素晴らしい

 斉藤昇司は全日本だけはアップハンドルのGPz750Rでは入賞は難しいので全日本だけ’84年型(これ空冷か?)Team38SPECIALで走らせて貰う事にした、結果は鈴鹿GPで5位、これがオイラの腕だったんや、しかし、自分では満足出来たのである。
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 その時の写真チョウカッコイイやろ、このマシン旧態だったが俺の腕もココラが限界?謙遜やな~・・・奥ゆかしい・・・

 まだまだ続く泥濘ぞ・・・これから8耐があるけど・・・今日の所はここまで、次回1985年の鈴鹿8耐の模様を実況放送、この年、阪神が3ポンホームラン優勝の年やぜ~・・・
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  今日はこれにて・・・              斉藤昇司&平井稔男組 
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by toshi-hirai | 2013-03-24 04:00

「コーヒーブレーク」TEAMGREENの生い立ち

 今日はあえてコーヒーブレークとした、ソレハネ・・・明日から1985年TEAM38とTEAM GREEN統合してロードレースに参戦が決まったから、その時のTEAM38の皆のヤルセナサを当時の私は知る由もない、何故?統合の仕掛け人は平井本人だから、当時
TEAM38の所属している今は亡き実験研究部部長武本 晃(あのル・マン24時間耐久の総監督)に強固にお願いをして統合をさせてもらったんや・・・ゴメンなチャイ

 と云うことで明日は斉藤昇司の執筆にヒライ節を交えてTEAM38&TEAM GREENの統合初の8耐の様子をご披露したい・・・デモネこれがあるから今があるんやぜ~・・・

 この間、1977年・・・岩堂 博&徳野政樹組の8耐をと書いたがゴメン岩堂&徳野二人とも留守で取材できず今度ゆっくり正確にご披露致します。

 さてさて今日は他愛もない’83~’85年頃のTEAM GREEN創設の思い出を集めてご紹介しよう。

 「TEAM GREEN」の生い立ちは、当時’80年頃アメリカで人気のあったモトクロスを何とか販売に結び付けようと

 ここに書かれているピート堤氏(堤 利雄)がKMCに在籍中にユーザー対策の一環として、カワサキ独自のアマチュアライダー支援活動「TWAM GREEN」を立ち上げる、と云うのがそもそもの始まりである。
http://www.kawasaki-cp.khi.co.jp/msinfo/press/kdc/vol03.html
 同じ釜の飯を食べた仲のピートが出張で帰国した時、平井さん日本でもTEAM GREENをと勧められ「ヨッシャ、イッチョヤッテ野郎やナイカ」と奮戦迷監督の始まりである。

 販売会社のヤルレースや

①広告活動 ②販売促進 ③販売店対策 ④士気の高揚 ⑤技術の革新・・・

 等々の講釈を並べ設立に(今なおお付合いをして頂いている当時カワ販常務取締役兼販売促進部部長古谷錬太郎氏に予算獲得をお願い、多分’82年には非常勤常務取締役に就任されていた)おねだりした予算、当時2千万円/年間を獲得スタート切ったのであります。

 当時、私はTEAM KAWASAKI としてMX(ライダー3名故菅原・中深迫・岡山)のみ手掛けていたのであるが、この予算獲得でダイダイ的に(ホンダの予算の何千分の1?勝てるか~?勝ったのである)レースの組織を考えあくまでも販売会社のヤルレース・・・ピート堤氏の応援もあって「TEAM GREEN JAPAN」が誕生したのである。

 当時は、菅原義広・中深迫 正・岡山照一の三人イヤー遅かった走っても走っても予選落ちや
イヤチョット待って下さい・・・
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翌’83年・・・中深がゼッケン1、スガチャンまんがゼッケン2(これはね二人は前のトシ6位7位のライダーだったのである・・・早いやん?)
 そうして菅ちゃんマン1984年TEAM GREEN初の国際B級125ccのチャンピォンに輝いている・・・早かったんや~
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 スガチャンマンチャンピョンのトシ
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 中深ゼッケン 1(マッテ~これダンロップのテスト風景
 しかし、これも前回に書いたが新星のごとく出てきた調所伸一(’84年ノービスチャンピォン)鈴木南平の二人に負うところが多いのでは、それがチームやお互いに切磋琢磨して強くなったんや・・・

 そこからTEAM GREEN のロード・モトクロス二本立ての快進撃があったのである、正にTEAM GREEN2年目からの快挙であり、設立5年後の’87年にはロードを対象に初代スポンサー「GOOD LUCK」が生まれたのである。

                                      t-hirai

 
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by toshi-hirai | 2013-03-23 07:37

「TEAM GREEN 30周年」創設期に思うー3

 イヤー世の中こんなに便利に???何しろ約15年前の出来事を何の苦も無く復活してくれる・・・
 ソレハネ1999年頃の私が兵庫県加東市社にある昭和池で管理人をしていた時、私のコッチャお客さんを友達に変えてしまい、お付合いをさせて頂いていた沢山の顧客(救命胴衣の美人もイタデヨ~何しろジェットスキーのゲレンデ、水の滴るビジョビジョ、壇密の群れへへへ)
 その時の友人M氏が昨日会社まで訪ねてくれたのである・・・ソレハネFACE BOOKのお蔭である~M氏が探し出してくれた・・・ところがであるこれまたFBにそのことを書いたらマタマタお友達のK氏・F氏から繋がった、偉いものだ。

 オレ顔が広いのが自慢の一つみんな財産ナンヤ・・・コリャ五万とお会いできるかな、だがどうしてFBで旧友を探すのか?どうしてお友達申請をするのか解らない?困ったもんじゃ・・・てなところで今日は祭日(何の?そうか春分の日)ブログやで~友達と繋がれ・・・

 今日で想い出3回目これまた30年前の事や

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 30年前の写真(吾輩49歳の青春)ゴメン少々お名前が解らん?方も居るかも、マ良いか許せ、解ったら教えてチョ(3日後昇チャンが正確に教えてくれたありがたや) 左から斉藤昇司・次が?亡新谷と仲の良かった中村メカさん・これまた車体関係の上野メカ・喜多祥介・カメラ大好き増田カメラマン・御大キヨさん・遠慮してカワ販の広報だった小林 茂・これまた迷監督平井の若々しいオスガタ・ENG担当の吉田メカ・車体担当の永井メカ、ゼッケン5番のヨコ宗和まだこの軍団には入れない時代や・・・10年早い・・・オイオイ今ゆっくり見たらユニホームTEAM KAWASAKIとある、TEAM38に居たからかな~確かTEAM GREENは1983年に立ち上げたんだが~な~ この年、TEAM38は2台のF-3対応マシンで挑戦(カワサキが速いとすぐにレギュレーションの変更、オリンピックのレスリングと同じや)前のトシ揉めたからかな~そんなん怖く無いナンボでも恋や・・・

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 このマシン重たいけど(カワサキのレーサーは全部や軽くない、ライダーがマシンを抑えて走るからカワサキや、ほんまやで~サスも悪い、コースに穴でもありヤ・・・これを拾うと横に3メーターぐらいすっ飛ぶウソと違う、それを抑えて走るこれがカワサキや)戦闘能力は充分にあったンや、あったんかな~ライダーが良かったんや・・・後ろで斉藤昇司と岡 正弘が居るやんか・・・

 多分この時、色々トラブルはあったが最終にはゼッケン5番が3位に入った2年連続お立ち台や、ロスが無けりゃ優勝やった・・・タラはイカン3位は3位や

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 ソノ色々アクシデントの一つピット(クイックチャージのタンクキャップからGS漏れ、急きょ取り替え)に戻ってタンクキャップの取り換え作業中、斉藤・野村・増田各氏の心配そうな顔・顔・顔

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 鈴鹿のシケインでゼッケン5番2位走行中(西田&新谷組)87番(ライダー内田幸夫&藤本義夫組)イヤー早かったカワサキが2番やぜ~ 迷監督この時優勝を狙っていた・・・また仕切っている。

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 ここでタンキャップ交換2位の座を明け渡した時であるが・・・お得意さんやこれからが定番の追い上げ・・・この時も迷監督は優勝を狙っていた・・・考えてもみ-49歳人生コワイモン無しの時代、鼻息の荒いお年頃・・・良かったな~この時代、完全にTEAM38の迷監督や?違う違う本人だけの思い込み???監督は吉川章平やんか・・・アッそうか?マイイやん・・・

 マッテーこの項、亡新谷の思い出を斉藤昇司はこの様に回顧してくれた。

 1983年2回目の鈴鹿4時間耐久にチャレンジ。昨年のマシンはGPZ400の市販車を適当にチューニングした程度のマシンだったが、’83年からはF-3クラスに変更されたこともあって、車体関係はナンデもありのオリジナルマシンでもOkとなり、TEAM38もオリジナルのSpecial マシンを製作した。
 アルミ・フレームにKRの足廻りをSETして空冷Z400のエンジンを更にチュウニング
して搭載。モリワキ・ヨシムラ・ホンダTeam も気合の入ったSpecialでエントリーしてきて各車互角のマシンで勝負することになる。
 今回はデフェンデイングチャンピンでもあることから、レース前から注目度・話題性に富み優勝候補の筆頭にあげられる。

 亡新谷のパートナーは後輩テストライダーの西田克也である。

 レースは予想通りモリワキ・ヨシムラ・ホンダTEAMとTEAM38とのTPO争いのバトルとなるが、0・003秒ぐらいの2位を走行中にピットインしてGSチャージ、この時、燃料タンクのクイックチャージにトラブルが起きて修理に大きくロスタイムしてしまうが、修復後は安定した早さで走り切り3位でフィニッシュ出来た。

 トラブルがアリながらも2年連続で表彰台に上がることが出来たのであ~ります、これで4時間耐久へのチャレンジは’83年で終りにしました。

 沢山の思い出を有難うそうして本当に1985年からTEAM GREENと共にレース界に殴り込みとなるのである。

 チョットバック来週は、1977年ザッパーの8耐を思い出した・・・乞うご期待である。

                            斉藤昇司&平井稔男組
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by toshi-hirai | 2013-03-20 09:44

「TEAM GREEN30周年」創設期に思うー2

 この一週間色々なことがあった、しかし昔をしのび探り歩きをする「懐かしさ・良き頃の思い出」そしてそこには「何か」が残っている。
 ソレハネ「人であり」「思い出であり」「懐かしさ」だった、特に30年前「オイ・コラ」と罵り合った仲間との再会の場にはその想いが募る。

 まずは菅原を書いた前回のブログを見てKHIの仲間が「折角や彼のプロフイールを書いてやれ、あいつチャンピォンやで・・・分かったチョットだけよ・・・思い出は沢山あるんやで~
  
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 菅原義広昭和33年のお正月に山形で誕生、目出度いな~と話していたのを思い出した、関東の名門「東希和レーシング」で育ち川崎重工業(株)のテストライダーとして自らの趣味を実益として生かし、後にブリジストンのテストライダーとしても名実ともに開発能力のあるライダーと高く評価され活躍をしていたが、ナナント享年54才の若さで(俺の前を走るな10年早いと前回も書いたが)天国に召されたのである。

 彼、菅原義広は’82年のTEAM GREENの創成期に私と苦労を共にした一人である。

①昭和54年に初レース
②TEAM GREEN創設1年前には、IB125ccクラス9位、250ccクラス6位
③1983年チーム創設の年に125ccチャンピォン、250cc惜しくも2位
④彼MTBでもなかなか良く活躍、優勝経験者でもあった
⑤TEAM GREEN在籍中はKHI(川重)の開発ライダーとしてKXの開発に従事,今の素晴らしいKXシリーズがある

 イヤー素晴らしい菅原義広がそこに居たのである・・・今は奥さんと2人の息子が元気に頑張って居られる。

 昔の思い出「TEAM GREEN」創成期に生意気にも俺の前を走って行った今は亡き他の仲間も沢山居るのだが特に、上記、菅原義広MXと忘れたらドヤされる、ロードレースで辛苦を共にした、今は亡き新谷永喜が居た(他にも今は亡き内田・喜多も居たのだが)
 http://toshihirai.exblog.jp/13665061/ TEAM GREENロードレースのルーツを昔々書いたものがあるよ「お暇なら見てね!」

 亡き新谷永喜を想う・・・斉藤昇司が書いてくれた
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 「遅咲きのライダー新谷永喜・30歳になる1982年鈴鹿4時間耐久が初レースだった」・・・何故遅咲きなのか?自分自身が開発を手掛けていたGPZ400のポテンシャルをどうしてもレースで確かめたかったからである。
 正にテストライダーとして自らの体を張ったのである・・・素晴らしいこのテストライダーの根性がカワサキの名車を数多く生んで居るのであります。
(今なおKHIでテストを続ける当時の仲間、斉藤昇司・岡 正弘・日下真一・西田克也まだまだ居たっけゴメン思い出に後から出てくる?元気にテストに明け暮れしている今の皆んなも同じ気持ちで当時は走ってくれた、今は偉くなって実際には走らないと思うが)

 プロのテストライダーとしてのプライドと称賛の中での挑戦がレースに出ることだった、「相棒」はレース出場1年先輩の岡 正弘(岡は初めて開催された鈴鹿4時間耐久に挑戦したライダーである)2回目になるこのレースは決して忘れらない・・・「幻の優勝」レースだったのである・・・
 ソレハネ・・・快調なペースで走り繋いで居たGPZ400改、最終でホンダの三浦 曻に抜かれ(何故か最周回三浦はピットロードでチェッカー)TEAM38岡&新谷組は2位に入り仮表彰台に・・・ところがである、ホンダ・ワークスで一世を風靡したあの「三浦 昇」が乗るCBR400が後ろから追い上げレース・・・ホンダ・ホンダ・ホンダ・・・アナウンスは「ホンダの三浦が素晴らしい追い上げして居りますとホンダマシンの優位性」をアピール観衆総立ちの興奮の中、優勝ホンダ・2位カワサキ仮表彰台で華々しく勝ち誇ったホンダ三浦 曻&誰だったかな?組みが称賛され、岡&新谷組は小っちゃく・・・ところがである。

 ここで斉藤昇司は回顧する(斉藤の記事に平井の思い出が入るのでヤヤッコシイがお許しを、皆んな整理しながら読んでや)惜しくも優勝は逃がしたが2位でチェッカーを受け仮表彰台に上がることが出来た、新谷自身初レースで2位をキープこれには満足だったと思うし、
TEAM38としても2回目で2位を取れたことでメンバーみんなで喜んだのであっが???

 ナナント表彰台を降りてから優勝したホンダの誇るCBR400を駆った三浦 曻の走行時間オーバー(一人のライダーの継続時間が決められている耐久、優勝を取るためか?知らなかったのか?早い三浦を最期まで走らせたホンダがそこにあったのである)当然、時間超過が発覚した段階でペナルティー周回数加算、2位のカワサキTEAM38岡&新谷組が優勝となったのである。
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 当日一番高い所で大観衆に手を振れたのに・・・しかし、4時間耐久は8時間耐久に負けず劣らずくらいの人気であり、多くのスポンサーからの賞品がメチャクチャ多くイタダキ帰りのトラックに積めないくらいの荷物になった。

 再度叫ぶ「カワサキはイヤTEAM38は」メンバー全員2回目の4耐チャレンジで2位を取れたアトだったが優勝で大喜びだったのである・・・

(仮表彰を力説するが、当時はチェッカー受けた直後大観衆の前で喜びを観衆と分かち、今もそうか、本表彰は翌日ホールで発表する形だったと記憶する)

 少々長くなったが今日の所はこれで終わり、本当はピットでの迷監督平井の奮戦記「いくら三浦でもあんなに早く走れない「カマ(シリンダー)を開けろ」「あける特殊工具が無い」「それじゃ~カワサキが開けてやる」テナコトで車検場の前で座り込みしたっけ・・・懐かしい思い出デモネ、醜いしイサギヨシをモットーとする平井や・・・マ~時効やし許してやるよ・・・ナナント奥ゆかしい・・・それでこそTEAM38やんか・・・マダマダ続く・・・乞うご期待来週からもたのしいぜ~
 この時はまだTEAM38、なんで平井はここ居るの・・・ソレハネソレハネレース大好き人間の平井は首をツ込んで、しかも仕切っていたので居たのでありま~す。チャンチャン
                                斉藤昇司&平井稔男組
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by toshi-hirai | 2013-03-17 08:14

「TEAM GREEN30周年」創設期に思うー1

 丁度レースシーズンの始まり、あの強いカワサキ軍団「TEAM GREEN」幾多の若い青春が熱い血潮をレース場にブッッケ、涙した・・・それが「うれし涙なのか、悲し涙なのか」いずれにしても「泣いたんや」この処、私も歳を取ったのか涙は俳優のごとくに出せるが、あの時のみんなの涙は、辛い練習走っても走っても馬鹿たれと自称「カワサキの真打」は「あの大きな声で」しかも「馬鹿たれアホ~」や、涙も出るわ~な~ミンナ・・・

 平井のTEAM GREENの担当は1983年創設から1989年セントラル・サーキットの許認可作業に従事するまでの約5年間である。
 しかし、私のレース好きはカワサキの中では少々違った形で延々1976年カワサキオートバイ販売(株)神戸営業所長を拝命してから、かの神戸の名門「木の実レーシング」と肩を並べて(並べてはいない後ろをついて行っただけやんか)これまた迷門中の名門とユワシメタ「神戸スーパースポーツレーシング」を立ち上げ、オートバイの販売に係わる部門としてのレース活動を行っていたのである。

 本当に長い期間(約15年の間)カワサキでレースをやらせて頂いき、それに、加えて誰でもが出来るもんやないサーキットを二つも(兵庫県と韓国太白市)創らせて頂いた(平井の能力や)私の人生での大きな自慢である。

 「TEAM GREEN」30周年を迎え、立ち上げから一緒に苦しみ一緒に笑ってくれた・・・何一つ不平不満を言わずについてきてくれた・・・3人の若者、そうして3人のスタッフ・・・泣いて泣いて強くなった3人の若者をまずは紹介シナケレバならない。

 わずか5年の間に常勝軍団「TEAM GREEN」にのし上げた開拓者・・・その人の名は今は無き菅原義広(トキワレーシング)マダマダ元気な中深迫 正(月木レーシング)今どこにいる岡山正一(京都ボブキャット)の3人である。

 今日は「マンズ」若くして天国に召されたスガチャンマンの思い出から書いてみよう・・・

 イヤーTEAM GREENは始め弱い弱いチームやったんや、勝つための練習は厳しかったが、彼、菅ちゃんマンは悲鳴を上げなかった。

 この3人は良く迷監督のシゴキに耐え練習に勝って強いチームを作ったのである、それに明るかった・・・負けても負けても明るいチーム・・・コリャ「アホチーム」やんか???

 オイ「菅チャンマン」お前順番間違えたな?あまり大きくない目を私に向けニヤリと微笑み返す菅原がそこにいる。
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 解っているんかい?ソレハネ何で俺より先に天国に行くんや、順番があるやろ・・・迷監督の前を走るな10年早い本当は俺の方が地獄に行くのが先じゃないん~か?、

 「アホ」お前の可愛い二人の息子が大きくなりMX・MTBに乗って「親父教えろ」と今は菅原の先輩だった人たち(山本・飲み屋・立脇たち)と一緒に走っている。
 子供は「親の背中を見て」とよく言われるが、スガチャンマンお前はもう背中を見せることは出来ない・・・レースも速かったが、人生も早く終わったな~残念や・・・

 そんなにお酒も飲まない、生真面目でどちらかと云うと節制をしてスポーツ大好き人間の菅ちゃんマン・・・生来無口だが粘りのある性格の菅ちゃんマンやったが・・・

 
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 I・Bの時の雄姿、こいつ滅茶滅茶足・腰が強かった、このゼッケン2はIBクラス前年7番目(中深がゼッケン1番IBクラス6位、上位1から5はセニアに上がるからこうなるのやが)
 ここで多くの人から愛され、囁かれた彼のエピソードをご紹介しよう。
①彼自分では子供たちに(一成君MTB&雄大君MX二人の立派な息子たち)「速いマシンに乗って勝つのは当たり前、腕で勝負や」「下手くその親は息子に教えたがるが、プロは教えない自分で腕を磨け」ダトサ・・・(俺のマネスンナ)・・・でもでもね息子たちは親父の強さを知っている素晴らしいことである。
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この写真2年前の「カワサキの想い出、そして未来」の時のスナップ、いまオヤジの代わりに先生をしている飲み屋とミキに挟まれた息子たち右から3人目4人目二人の息子
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 なんで空を飛ぶ(スピードがあるからより早くより高くより遠くに飛べるんや)
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これ’86年彼IBだったテストの時のジャンプのカット飛ぶのがお好き?

②ランニングはマラソンランナーに負けないぐらい早かったし、自転車も好きだった良く淡路島一周をやつたみたいだ。りかちゃん(菅ちゃんマンの奥様の証言)
③世の中の仕組みをあまり気にせず、中古の軽トラを50万円も出して買い皆に高いと言われてもニコニコ?
 畳を挙げて斜めに積み重ね腹筋のトレーニング変わったやっちゃ(伊田大先輩の証言)
④レースのスタートの時、何故かゴーグルをヘルメットの上にスタートしたり、自分の車は自分でピカピカに磨き倒して居た・・・コレハネ迷監督の教え兵隊さんの鉄砲と同じ自分の命を守るもんやナイカ?(以上東京のカワサキ正規販売店ナベさんの証言)
⑤鎖骨を折って病院に移動中でも熟睡できる菅ちゃんマン・・・図太さ?、二人の子供を地べたに寝かせてMTBでジャンプ(何スんねん、立脇の証言)
⑥IB~A級に、晴れてゼッケン32番か39番?ゼッケンの赤い下地にコダワッタリ、サインにはいつも「ガッツ」を書き添えたり、音楽は何しろ好きで集めたテープは何千本・・・子供が出来てからは怪我の無い様に注意をしたり・・・(これみんな奥様の証言)

 こうやってみると彼「菅ちゃんマン」は、割にナイーブな性格・・・それとも図太い性格・・・だったのか?ドッチやねん
 マーあたしの口から云うのもオカシイが、何か一本筋が通って居る好青年、東北の人の粘りを見せつけた走り、その「ど根性」がチームグリーンの歴史を作ったんと違うかな~

 イヤーこの三人もヤッパ・・・カワサキ・・・やった・・・ソレハネ・・・暖機運転がかなり必要だったんや、ソウや暖機運転が出来上がった頃、あの松山での調所の快挙があるんや、後から出てくる・・・乞うご期待や・・・

 こうやって菅ちゃんマンの思い出に耽りながら、頂いた山形県の吟醸酒「出羽桜」奥さんが180mlまでなら体に悪くない「山形のお酒は心にしみるお酒が多いそうである」
・・・「アアー美味しい」アアー美味しい・・・
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 ・・・ご馳走様・・・

 菅ちゃんマンのIAの写真を見ながら地酒かコリャたまらん・・・
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 全部250ccヤッパ鍛え方が違うんや力持ちナンヤ・・・マダマダ書きたいこと沢山あるんやが・・・

     今日の所は終わり
                                    t-hirai

 追伸 いまTEAM GREENに関係したみんなの名簿を作成中1983年~2013年にチームに関係した(ナンデも良いやん)人、この指トーマレ・・・連絡をこれに貼ってくれてもOK、何しろ250人にもなるんや・・・同窓会でもやりたいな~やるぜ・・・
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by toshi-hirai | 2013-03-09 07:29

「カワサキ・ロードレースのルーツ」30

 「カワサキ・ロードレースのルーツ」ももはや30回今日1965年~2001年約36年の長きに亘って資料+想い出で書いたが、この36年間の長きに亘る時代に数多くのカワサキのマシンを皆様にお届したのも、すべてこれらレースのルーツからではなかろうか?確かに「走る実験室」と言わシメタレース、今も昼夜をいとわず走り続けているのである。

 私はレースそのものが多くのカワサキのフアンに支えられ歴史を刻み、いま尚多くのフアンに愛され続けている「KAWASAKI」イヤ「Z」シリーズと多くのマシン・・・

 既に40年になろうとしている「世界の名車Z」其の他、数多くのマシンを生み、今も「Z」シリーズは続けられているのである。

 長嶋監督に言わせると「バイクは永遠に不滅である」を信じ4メーカーはシノギを削りレースに(今ワークスはバックや)・・・ナンデヤ・・・みんな「命を懸けているのに」

 チョット・・・オーバーだが歴史は繰り返されて成長するものだと思う・・・

 2000年当時の「カワサキ・ロードレース」は、井筒仁康を配し全日本スーパーバイク選手権に挑み勝っために始動を始めたのである。

 スーパーバイク世界選手権に挑戦を始めた井筒選手は世界の檜舞台の第3戦イギリス大会?に1・2ヒートを制覇「カワサキここにあり」を再び世界に知らしめたのである。
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 この写真昨年の8耐井筒選手の雄姿?イヤー早かったグイグイ前進あるのみ、これが井筒の真骨頂2000年の8耐で柳川と組みTOPを走るが、追いすがる加東大治郎と激しいバトル大観衆を沸かせ171周目、残念無念Sカーブで痛恨の転倒劇もあったっけ・・・

 サテサテ2000年この勢いをかって国内でも全日本選手権第3戦初優勝を挙げ、続けて第4戦鈴鹿200km、第5戦もてぎ大会でも連覇、その年、第7戦鈴鹿、第8戦筑波と・・・ よるところ敵なし見事年間チャンピオンを獲得したのである。

 一方、世界耐久選手権では第5戦オーシャーズレーベン24時間でM・ウイリアム&S・スクモト&J・Mデレタン組みが優勝、又、世界スーパーバイク選手権は全日本を制覇した井筒に続けとばかりに、柳川 明が第5戦イタリア大会第3位、第6戦ドイツ大会第1レース第2位を・・・年間世界ランキング第5位に座ったのであ~ります。
 勿論、AMAスーパーバイクでもデイトナでチャンドラーが第3位、第3戦ロードアトランタでE・ボストロムが第3位、第5戦ロードアトランタでボストロムが再び3位、続く第7戦ラウドンは第2位、第9戦ミド・オハイオで第3位、第12戦パイクスパークでは念願の優勝を勝ち取り見事年間シリーズ第4位(勝った割に4位か?)

 イヨイヨ2001年の開幕に事前のテストがままならないことが災いして全日本では苦戦が・・・ここで井筒仁康が鈴鹿に来た第7戦やっとこさ優勝、続く第8戦現在はチームメイト芹澤太痲樹が雨のTI(現岡山国際)で初優勝、尻上がりに良くなったカワサキ軍団、第9戦SUGO大会で今度は井筒が優勝3連覇を・・・

 この二人のライダーは、世界スーパーバイク選手権でも活躍、第4戦日本での第1レース井筒が1ヒート3位2ヒート2位、更にさらに芹澤が3位を獲得、われらがカワサキ表彰台の2か所を獲得(一番高い所が無い)、オットドッコイ柳川も黙って居れるか?第5戦イタリアで1ヒート3位(明は3位が定位置か?失~礼しました)G・ラビアも第4位、ここで全日本を主に戦っていた井筒がヨーロッパパラウンド数戦にスポット参戦・・・第7戦ドイツ大会で2ヒートに4位に入賞、第8戦サンマリノ大会1ヒートに1ヒート4位ラビア5位柳川、続く2ヒートラビラが3位表彰台をゲット(優勝は?)

 AMAスーパーバイクでは、開幕戦デイトナでボストロム2位、チャンドラー4位でスタート、第7戦ラウドン第8戦ラグナセカでボストロムが2位、2ヒート3位第12戦バイクスパークでチャンドラーが3位、この結果ボストロムがシリーズランキング2位、チャンドラーは3位(頭が居ない)

 こんな所で、1965年から2001年大活躍を小活躍で終わった36年間、マーレースには波があるんや、イヤー日本で常勝カワサキを築いてきた迷監督平井でも苦しい時は沢山あった。

 マダマダ続いている「カワサキ・ロードレースのルーツ」は、一応この辺で前半創成期を終焉とさせていただきたい。

 長らくのお付合いを感謝感激これからの「カワサキ」の飛躍を乞うご期待である。

既に2013年の各レースも
 ロードレースは  3月30日(土)カラ11月3日(日)の間9戦
 モトクロスレースは4月6日(土)から10月20日(日)の間9戦
 トライアルレースは3月10日(土)~10月27日(日)の間7戦

 その他のレースも始まるのである・・・胸ワクワク早く来い来いレースシーズンであろう?

 丁度ロードの半世紀をお付き合い頂いたところで、今年は「TEAM GREEN」の創設30周年を迎える、マタマタ「KAWASAKI」ここにありが始まるのである。

 思えば1967年私が神戸(営)時代「神戸スーパースポーツレーシング」に遡り、苦節16年を経て「TEAM GREEN」を創設、今日までに幾多の人材を世に送り込み現在に至った時代を・・・次回からマタマタ引き返して「カワサキの想い出」をお届けしたい。

 コレハネとりあえず私が1988年にセントラルサーキット許認可作業に従事した時までを振り返り思い出したい、ついでにライダー&スタッフの想い出も・・・と思います。

 「オイ~チームグリーンに携わった、みんなそう云うことだから、自分の想い出を写真とともに書いて送ってくれ、私迷監督平井も一生懸命思い出して「楽しかった時代を皆様にご披露」したい。090-9627-5524じゃ~

 そうして1983年~今日までのTEAM GREENの同窓会でもやらんか?なんせ先日KMJのYさん(偉い人に成ってる)名簿を送って貰ったら約200人の関係者の名前が、イヤーオッたまげた。

 しかし、素晴らしいことや・・・これからもズート続けなアカン・・・ソウやろ

 次回からのお楽しみ乞うご期待である、私の事やアッチに行ったりコッチに来たり何が出るやら・・・マ 見てチョウダイ

     これにて「カワサキ・ロードレースのルーツ」前半戦の終了お疲れ様・・・

                               T.HIRAI

 お蔵入りの写真

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 これ喜代一(多田喜代一)が開発していたZXR-7’88年代
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 オーストラリア人のマイケル・ドーハン’90年代
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 開幕戦鈴鹿2&4決勝レース12位スタート2位フニッシュ第5戦にはPP素晴らしい
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 この項、この専門誌に大々的に多田喜代一の特集が?
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 ここから、2001年ゼファーの時代がやってくる
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 一年バック1999年のZXR750 
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 これ1999年山田&塚本組平井に死土産にと監督をさせてくれた時に8耐2位(クラス) 
どこかでご披露したいと思っていたのだが、又お蔵入り少々可哀想だから見てやってください。
  マダマダ沢山あるのですが、一遍に出すのではなく少しずつね!物語を付けてこれらの写真も又出てくるかも?????チャンチャン
 
 
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by toshi-hirai | 2013-03-03 09:54