Team Green

<   2013年 11月 ( 4 )   > この月の画像一覧

「波乱万丈オイラの人生」・・・4 平井の若かりし頃

e0190502_755380.jpg

 昨日写真を見ていたら若い頃のオイラの写真をヒョイとFBで見ていただいたら、ナ・ナんと評判が良く、多くの皆さんから「お若い」「男前」「素晴らしい」等などの好評(講評)本人気を良くしたのなんの、ヨッシャ思い出そうと心に誓ったのであります。

 気持ちの悪い人はすぐに消して頂いて結構、平井にも青春はあったんや~

 もう皆さんには公表済みの空手、そう一銭にもならないのに一生懸命約8~10年も頑張ってやったのであります。

 これも先日の「古民家」での思い出話の中でオイラ松濤館流、私はシュトウ流、剛柔流等などと、空手でも話は盛り上がった、皆さん日本古来の武道を愛して居られる様子、写真が出てきたのでご披露しよう。
 
 私の空手との出会いは、新開地の本屋さんでの出来事「本」を盗もうとしているアンちゃんをジーと見て盗めないように見張っていたのだが、外に出ると待ち構えて居て「メチャ滅茶苦茶」に殴られたことにハジマリ「男は強くなくてはならない」と入門を決めたが最終決定は当時神戸大丸の東側の朝日会館でやっていた。
 松濤館流空手の神戸道場「神戸空手同好会」の練習風景で女性が大勢(モデルの護身・美容)練習をしていたことである、オイラも早く女性に後ろから抱きついて護身の指導をしたかったんや~

 そうして、神戸モダン寺にあった道場に入門延々1銭にもならない空手に打ち込んでいったのであります・・・とき正に昭和28年頃の正に19歳にの青春であった。

 「空手」・・・それは琉球王国の沖縄で発祥した挙足による打撃技を特徴とする武道である、これを剛柔・松濤を学ばれた大山館長が松濤館流として多くの空手愛好家を率いて来られたのである。

e0190502_725498.jpg

 この頃、白帯怖いものなし練習風景
e0190502_734882.jpg
e0190502_741451.jpg
e0190502_74313.jpg

 これ昭和33年「神戸同好会夏期昇格審査」の時、
e0190502_761923.jpg

 小山先輩(全日本空手道大会のチャンピォン)との演舞・・・真似したらアカン平井黒帯になってるぜ
e0190502_764520.jpg

 ソラ~張り切って一生懸命練習に励んでいた
e0190502_765920.jpg

 黒帯になったお正月、神戸大倉山体育館横にあった家の前で
e0190502_771983.jpg

 夏期合宿、多分東条湖だったのでは?
e0190502_773589.jpg

 いつも人気者中央である
e0190502_774877.jpg

 先輩の「平井フリチンであそこに立て」「オス」と俺一人・・・肝試し
e0190502_78148.jpg

 男前の平井くん?
e0190502_781316.jpg
e0190502_783717.jpg

e0190502_7101421.jpg

 試割板蹴りで一発、角度が悪いが割れたはず?イヤ割れた、まだなりたての黒帯、帯の名前が新しい
e0190502_710438.jpg

 この写真は、カワサキに吸収合併された時、兵庫販売課の紅一点美人で明石の造船所のお嬢さんと
後に恋人に???石原裕次郎と北原三枝とのラブシーンと同じ「負けへんで~」負けてる!
e0190502_711692.jpg

 イヤー男前で今日は締めてやろう?石原裕次郎にも負けんやろ

 こんなことで写真を整理してご披露したい次に続く「乞うご期待」「期待なんかせん」続けます。

                                       t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2013-11-24 07:57

「波乱万丈オイラの人生」・・・3

 昨日はZフアンクラブの「古民家の暖炉裏横でキャンプ気分」と言うタイトルの集まりだったらしいが?何も知らずに義理参加したのだが、ナカナカ素晴らしい集いだった。

e0190502_8424550.jpg


 どうやら私が兵庫メグロを引退して、暦年の「夢」であったレース活動の復活を古谷理事長を交えて登山さんが皆さんに「夢」物語を発表応援を側面援助して頂くことも一つの話題だったらしい?

 ありがたいことでる、既に少しは動いているのだがナカナカ難しい、一度昔々「神戸スーパーレーシング」(夢を実現してくれるのは神戸スーパースポーツRの再現当然「KSSR」となる)で一緒に汗を流したメンバーとも話がしたい。

 それにしても、これだけ冷え切った二輪業界(レース事情)非常に至難の物語である。

 さて、それはさておいてあまり自慢にもならない私の波乱万丈の3回目よろしければ見て頂きたい。

 前回、明発工業㈱から川崎明発工業㈱、カワサキ自動車㈱、カワサキオートバイ販売㈱、㈱KMJまで会社のルーツの触りを紐解いたが、そこを生き抜いてきた私の波乱万丈の人生は?下記のとおりである。

 ・昭和28年 近畿メイハツ販売㈱
 ・昭和37年 カワサキ自動車販売㈱関西営業部に移籍    主 任  吸収合併により
 ・昭和40年 カワサキオートバイ販売㈱豊岡営業所     所 長
 ・昭和42年 同         上 神戸営業所      所 長
 ・昭和47年 同         上 大阪母店    母店長  近畿2府4県
 ・昭和49年 同         上 本社明石安全運転 課 長
 ・昭和52年 同          上 営業サービス課  課 長  レース開始
 ・昭和53年 同           上 営業部品課    課 長   同   上
 ・昭和54年 K M S          営業部 課 長  同   上
 ・昭和54年 カワサキオートバイ販売㈱  レース担当    営業部員  レース担当
 ・昭和55年 同           上 安全運転指導部  部 員   レース担当
 ・昭和59年 同                  上   次 長 レース担当
 ・昭和63年 ㈱汐見アルミに出向 セントラルサーキット  取締役営業部長 許認可作業従事          ・平成 3年 ㈱カワサキモータージャパンに復帰 総務部   部 員
 ・平成 4年 同            上 お客様相談室  課 長   相談室設置作業従事       ・平成 6年 ㈱月木レーシング              営業部長  定年により
 ・平成 7年 ㈱セントラルサーキットにカムバック     部 長   建設+運営担当
 ・平成10年 カワサキモータージャパンJETスキー昭和池 管 理
・平成11年 胃癌で一年間休業
 ・平成12年 韓国太白市(ソールより38度線に平行に約6時間東側)サーキット許認可に従事
 ・平成13年 ㈱カワサキモータージャパンライデングスクールバス運転手
 ・平成16年 兵庫県二輪自動車協同組合          専務理事
 ・平成20年 兵庫メグロ販売㈱      代表取締役
・平成25年 兵庫メグロ販売㈱ 退任           現在に至る

 オイラの波乱万丈の人生、お取引先・上司・同僚・部下の皆さんに恵まれ順風満帆???今なおお付き合いのある方々バッカ素晴らしいのである。

 しかし、本当によくやったと自分でも褒めてやりたい人生80年の軌跡であります。

 最後に「夢」である「神戸スーパースポーツレーシング」を立ち上げサーキットに復帰したい。

 頑張りますご支援ください!!!                                                                    t-hirai
 
 
[PR]
by toshi-hirai | 2013-11-17 08:57

「波乱万丈オイラの人生」・・・2

 「歌は世につれ世は歌に連れ」そうなんやあの悲劇の女王?「波乱万丈の歌姫」島倉千代子が突然の「さようなら」世の中上手く行かんもんやな。

 「人生いろいろ」を地で行った悲しい8日だった

「冥福をお祈ります」俺もまたあの世に行ったらもう一度「歌を聞かせて」なんちゃって気取ってみたが「オイラの人生足元にも及ばん」話題にもならんが続けよう。

 ㈱カワサキモータースジャパンの沿革

 1、明発工業㈱          S28,12,15,設立
 2、川崎明発工業㈱       S29,07,01,
 3、カワサキ自動車販売㈱    S38,05,30,
 4、カワサキオートバイ販売㈱  S41,02,01,
 5、㈱カワサキモータージャパン H05,01,01,現在に至る

 6、歴代代表取締役(私が共に歩んだ社長・専務の皆さん)
   
                 中野  尚・高野 行彦・土崎 英利・神武 敏彦
                 岩崎 良三・塚本 碩春・田中  誠・高橋 鐵郎
                 大庭  浩・高橋  宏・青野  格・古谷 錬太郎
                 安藤 吉郎・田崎 雅元・中島 直行・大前  太

     *清水屋辰雄・芋野 豊秋のお二人は代表取締役では無かったのかな?安藤さん名前が
      にんべんに吉だがスミマセンPCで探せない?

 以上、ここに書いた多くのお偉い方々と私は仕事を、自慢にならんがタダ長いということである。

e0190502_18305586.jpg

 明発がカワサキに吸収合併されてカワサキ自動車時代の兵庫販売課のメンバー、
 ヘリは国産のベル47Gー2A型
e0190502_18313355.jpg

 Tクラウンマスターライン最高級車で営業に何しろタクシーの走行と同じ距離を走った3万km/月
近畿メイハツ時代は、自転車に付けたエンジン電光号(KB-1型)にエンジンを2台積んで走ったり
e0190502_18315156.jpg

 明石工場からオートバイで岐阜工場までテストで行ったときの記念撮影(ジェット練習機の前)
 この頃は、メイハツ60型、B-7とかといったマシンだったのでは? 
e0190502_183275.jpg

 M-5素晴らしいペットだったショックはF/R共にラバー何しろ豆腐屋さんが絶賛豆腐入れの水が濁らない、今でも売れるのでは?
e0190502_18323554.jpg

 このマシン明発として最後の車? このあとB-7/B-8型(明発ブランドだが川崎製)

 いやはや思い出が沢山あるのだが、ゆっくり思い出して書いたほうが?おもろいか?

①例えばヘリは足元までカウルが透明、スカート履いて乗れば丸見え?ナンチャッテ・・・ウソ
②当時、空からチラシを(公告)ヘリや軽飛行機でバラまいたり、みんな競って取り合い
③カワサキB-7/B-8と言うマシンは、全て木枠で梱包、その木箱をクラウンに2台積んで走ったり
④100台売るからと「ペットを買って家の上をヘリで飛ぼうと」キャンペーン、販売60台?
⑤何しろ国道2号線がアスハルト舗装なし、街に入ったら舗装してあった、そんな時代に神戸から姫路まで死に物狂いで走ったもんだ

 思い出も営業編・技術編・指導編・一般編・レース編に分けて書かなアカンな~

                          チョット考えてみよう t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2013-11-09 19:44

「波乱万丈オイラの人生」

 何やらリタイヤしてからあまり充実していない毎日、相変わらず膝は痛く先日「未来屋書店」でタマタマ「9割のひざの痛みは自分で治せる」中経文庫より出版されている著者戸田佳孝氏の文庫本を手にして、「ヨッシャ」一度挑戦することにした(尼崎労災病院での手術は一年待ち)「タイトレ」に現在励んでいるのだが、イヤー痛いのなんのナカナカ進まないチャント続けているのだが「痛い」?コリャやり過ぎ?

 俺には「夢」があるけどもうイヤまだ80才~、しかし、確実に時間はないコリャ少々急がなければならない心境であるのだが、先立つもの&健康が俺には今無い「泣くに泣けない」心境である。

 でもねアイデアは腐る程湧いてくる「イヤー素晴らしい」まだまだイケル、これを上手くラインに載せなアカン、早く膝を治して動かな何も出来ん、このままあの世には行けん頑張らなアカンな。

 と云うことで俺の波乱万丈の人生80年を再度思い出してランダムに残すことにした?遺さんで良いのでは?ソウヤな~

 1933年10月17日 満州国大連市にて生まれ延々と続いた波乱万丈のスタートである。

 今日は、そのサワリ1953年オイラ20才の青春(0歳~19歳までは後日思い出そう写真がある?)を取り敢えず写真があったので思い出してみよう。

 1951年 オヤジはガン、お袋も結核二人共入院一人っ子のオイラ大学受験組みを急遽就職組にクラス替えを担任にお願いして、就職をしたのである。

 1952年学校から証券会社に就職するも同級生のおやじの会社「㈱近畿モータース」(メイハツ兵庫県総発売元)に乞われて転職今日まで性懲りもなく変換を繰り返してきたのである。

e0190502_75621100.jpg

 これちょうど高校卒業後神戸国際会館で新年演武会の時のものこの時は初段になったばかりGOOD
試割瓦10枚イッパツである(これ誰にでも割れるただ向かう意気込みである)
e0190502_444321.jpg

 1951年播州歯車工場にてKB-1型の開発を開始・・・日の目を見なかったが確か自転車の前輪にゴムで出来た輪(ローター)を押し付けて駆動するエンジンの開発も岐阜工場で試作、その原理でBSが先に市場に前輪駆動のバイクエンジンを販売したのである。

 1953年(昭和28年)播州歯車工場での試作完了、工場を明石工場(明石市茶園場)に移管して生産開始(この時かなオイラ面接に行った、故清水屋課長後にオイラの上司とお話をした)
 この年、川崎航空機工業㈱(終戦後社名を再三変更したが、この時に川崎航空機工業㈱に復帰)
社長手塚敏雄資本金5億1千万となったのである。
 そもそもである、戦時中には「屠竜」や「飛燕」といった陸軍戦闘機を生産していた、技術者達が培ってきたその技術を活かしてバイクのエンジンに着手したのは1949年(昭和24年)社名川崎産業時代、1950年(昭和25年)社名川崎機械と変更高槻工場でKE-1型(4サイクルOHV150cc)のエンジンの完成、大日本機械工業㈱に於いて「ヒカリ号」オートバイL型として市販したのである。

e0190502_71973.jpg

 自慢だがこの時からオイラカワサキなんや!ソヤから「カワサキの真打」でイイやろ?

e0190502_6243790.jpg

 PROLOGUE 
 この世に“カワサキ”の名を冠したモーターサイクルを登場させて約60余年国内四大メーカーの一つとして成長を成し遂げてきた「Kawasaki」その独創的なラインナップが世界中に多くのフアンを創るに至っているのは既にご存知のとおりである。
 他のメーカーには見られない“造り手が見える”“魂の宿った”モーターサイクルを次々と世に輩出してきたからに他ならない。そうしたスピリットが息づくカワサキモーターサイクルの歴史を紐解き、その独自路線を築き上げてきたラインナップのほぼ全てを2部構成の本書で触れてみうことにした。
 とあるKAWASAKI-Ⅰ(ワールドMCガイド11)・・・よりの紹介である。

e0190502_445699.jpg

 多分沖縄に依頼されて修理に行ったとき、修理完了のバイクとひめゆりの塔前にて記念撮影
 「オイラ素晴らしい修理屋さん」川崎からの依頼で出稼ぎだが、川崎航空機工業㈱の社員扱い?
e0190502_446539.jpg

 メイハツKB-3型 空冷2サイクル単気筒 58.3cc・ボア42×ストローク42・最高出力2,5ps/5,500rpm・最高速度45km/h 
e0190502_4461878.jpg

 これ「川崎号」コンプリート生産第1号である

 ・・・これから自叙伝?延々と続くつもり「よろしくお願い致します」・・・

                                       t-hirai
[PR]
by toshi-hirai | 2013-11-03 08:01