「Team Greenを愛する馬鹿な男の夢」31
それは「山田さん8耐やろうよ」1998年の夏昭一が熱く山田に(山田達也現在TRPジャパン㈱代表取締役社長)語りかけた時に始まったのであった。
「レースって無理をして生活を切り詰めて、収入の全てをつぎ込んでそれでも続けて、でもお金の切れ目がそのままレースの切れ目になるじゃないですか、これをスポーツと呼ぶには寂し過ぎるますよ」とカワサキバイクマガジンに山田は語った。
しかし、山田はレースをあきらめる事は無かった何が彼を虜にしたのか、そこに「人間の闘争心」が「勝ちへの執念」がそうして「レースへの愛着」があったからではなかったか?
彼はビジネスで自分のチームを立上げ自分の力で8耐に参戦を6年も前から暖めていたそうだ、だが、レースの女神は山田に大きな修錬を与えたのである。
鈴鹿での練習の帰り道大事故をコースではなく公道で起こってしまったのだ、骨折10ヶ所足は曲がり、オートバイには二度と乗れないソノ鬱憤をビジネスに打ち込んでレースを諦めていた矢先の昭一の甘いササキだった「諦めていたのに塚本さんならやれるかな」そう思ったそうである。
そうして再び山田&塚本二人の男の友情が熱いレースへと走らせたのであった、練習用のホンダ?NSR250で筑波練習開始「怖い怖い」それでもチャンピョン塚本と二人でMCFAのレースに参戦「まったく改造していないマシーンだからストレートがメチャメチャ遅いいんや、マー コーナーで才能を発揮するのやけど」と二人の走りが再びレース場に繰広げられたのであった。thirai