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Team Green

「カワサキに想う」45-1

・・・今日からはまた新しいカワサキの生い立ちを別な角度(昭和58年バイクコネクションから発刊されたカワサキストーリーを熟読して)から思い出してみたい・・・t-hirai
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 「総合メーカー川崎重工業」 国産モーターサイクルの中で、とりわけ個性的なマシンを造ってきたカワサキは国内のみならず世界に羽ばたいているのである。
 会社創立当時は造船ついで航空機・車両・オートバイは1960年代からで、現在の川崎重工業㈱の前身「川崎築地造船所」を初代の「川崎正蔵」により設立時まさに1878年ナナント137年前になる。
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 初めは造船から始まり培われた技術は大正8年から飛行機にと進出し、アノ有名な複葉機である「川崎92式戦闘機(BMWエンジン)」を誕生させ、川崎航空機工業㈱への発足へと空えと飛び出していったのである。
 第2次世界大戦には「飛燕」を登場させたが敗戦、大先輩故小野助治・清水屋辰雄両氏(メイハツ吸収の時、兵庫県のメイハツ吸収担当偉かった人である)から聞いたことであるが、「飛燕」はあまり活躍をしなかったらしい?又、古い話だが終戦直後食べるのに困り土地を売ったり、鍋釜を造って売ったり苦しい時期もあったらしい、儲けのないオートバイを造ることを止めにするために本部長に就任された、有名な故サー大庭 浩氏が高橋鉄郎氏に質問し(今度6月19日ある慶睦会・・・カワサキオートバイ関係者の同窓会・・・で聞いて再度報告するが)つぶすことを止めたのは川崎が直儒を出来る唯一の商品である「つぶさない継続だ~」と今日に至るのである。
 (ここらは私よりrfuruyaさんが詳しい)
 ・・・イヨイヨ モーターサイクル産業に乗り出す「KAWASAKI」・・・初めは大阪高槻工場で4サイクルOHVエンジンの生産・岐阜工場でスクーターそうして播州歯車工場で2サイクルエンジンを手がけるのであるが、当時は大阪・名古屋・静岡・浜松などなどに100社もあったと言われるオートバイ製造メーカー???にエンジンを供給していたのであった。 t-hirai
by toshi-hirai | 2010-06-12 07:07
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