「カワサキに想う」 45-3
彼らのモーターサイクルとの関わりは、ハーレーVツインをコピーした3台の「ジィアント号」からのスタートだったがコスト面で商売にならず、もっぱらミッション作りに専念したようである、しかし、2人の情熱は昭和7年に身を結び4サイクル500ccのシングルエンジンを完成させた。
それから5年後の昭和12年ついにメグロ第一号車Z97型を完成させたのである、これはスイスのMGAエンジンをベースに二人が開発したOHVシングル500ccのエンジンをベロセットのフルコピーフレームに乗せたものだったエンジンはボア82mm×ストローク94mm=498cc、性能は13ps/3800rpm、3速手動右チェンジ、最高速76km/h、当時では最高のデーターではないかな?この様にエンジン・ボディを当時のトップ技術としてマシンに反映させ、ついに昭和14年に白バイに採用され、当時のハーレー・インデアン・そして国産の陸王の仲間入りをしたのであった。
昭和16年にはリヤーキャリア、ラッパ型ホーン等を備えたZ98型が生まれ600ccも少しだが生産された様子である、結局第2次世界大戦以前は300台の生産であった、第2次世界大戦中はメグロも航空機部品を生産する軍需工場であったが、終戦2年後の昭和23年から再びモーターサイクルの工場に復帰昭和25年からせ生産された、ジュニアJ2型翌年の1月誕生したZ2型と共に好調に推移,戦争によってダメージを受けた目黒製作所もいささか楽になったのであった。
ジュニアJ2エンジンは、248cc・7ps/4200rpmこれは故障が少ないことがセールスポイントJ系エンジンはベストセラーとして13年の永きに亘り生産されていくのである、こうしてメグロの主力は500ccと250ccの2本立てで進み昭和26年にはジュニアJ2翌年にはZ3デビューさせ、昭和28年2月にZ5(Y字のタイミングカバー・シリンダーヘッド等を一新ミッションメーカーでもあったメグロらしく4段ロータリー足動4速ミッションが誕生し、Z7型でネーミングの公募「スタミナ」の誕生を見たのである。
・・・これはいかん明日はお楽しみ慶睦会(カワサキオートバイOBオジーちゃんのお集り40人ぐらいかなー)に出るので朝8時頃のバスで西明石ホテルキャッスルプラザに直行、直行さん(こんなこと言ったら怒られるとても偉い人であった)にも会えるかな?何人の人々の黙祷があり(昨年中に亡くなった人の冥福を祈るのである)、又、寂しくなったのかなー、皆んな元気な顔を見せてくれたら良いのにナーと「ナーナーずくし」
である、明日のお楽しみ・・・オヤスミなさい。 t-hirai