「カワサキに想う」23-7
・・・多田君安心セーところで明日は出勤、又、朝も早いが、一回分ぐらい今日書いてみようか・・・
ついに、1980年の夏「鈴鹿8時間耐久オートバイレース」サーキットに炸裂する夏の祭典モリワキレーシングで世界選手権にエントリー出来た~のである。
第一ライダーと富江昭孝&第二ライダー(ソウソウ我らがテントウ虫、男の中の男)多田喜代一その人であるその時、彼はB級昇格した翌年である。
イヤー、イルワ、イルワ、外ジン選手がずらり
グレーム・クロスビー ・若きスペンサー ・ハンスホード ・クリスチャン ユゲ ・ローソン(コンビニと?違う違う)エディー ロソンや ・チームメイト、マーク フォンタン ・デビット ・アルダナ等々ソウソウたるメンバーである、空は晴天・心バンバン、わが森脇社長率いるチームも調子よく予選を走行、メカニックの佐藤さんからお褒めの言葉を???戴くほどであった

佐藤健正一番左の方(現オーバーレーシング社長、森脇レーシングのチーフメカ)、このときは本当に二人とも調子が良かったらしい。
調子屋喜代一、よせば良いのに先輩のトク(カワサキのライダー)に恐れ多い、走りを伝授したつもりで引っ張って走ッタのだが、ピットで森脇社長待ち構え「アホ~」「予選中になにやっとる、よそのライダーにアドバイとは???、本人は先導してラインを教えたつもり(多田の名誉のために少し褒めてやろか、アイツ自分は良く転ぶくせに、喋りはセ二ァ、そうして調子に乗って行くタイプのライダーだった、そこが素晴らしい男である)
しかし、やりました60台中タイム 2分21秒前から数えた方が?10番手だった、ナヌー、11番手にアノ
フェディースペンサーでした、10位といえば、ワークス5メーカー2人としてもワークスに殴り込みやったなー

同僚のAMAライダー デビット・アルダナ、多田26歳真っ只中の8耐だった。
耐久予選の夜同じチームの真田哲道さんに寿司屋に連れて行ってもらい、そこでキヨさんエデイー・徳野さんが来て寿司をほうばっていたら、お客さんがエディにイチャモンをつけ出しトラブル(一方的に客が喧嘩を売ってきて、トクと喧嘩になったたらしい・・・・)ドウナッタかなー・・・乞うご期待であるチャンチャン t-hirai
追伸 眠たいからこれで終わろうと結んだらご丁寧に多田からお電話、俺の朝早いの知とるやろ、遅くにスミマセンも無くアアやコウや、煩い多田喜代一君(今はこれを見ているから特別に君付けや)マー煩い煩い、やかましい電話代どうするのや、もう寝ろ~
