Team Green

カワサキの想い出そして未来」②

・・・これから今回の催しに参加するライダーに何かコメントを書いてもらい、皆様の記憶を蘇らす、又、皆様にも何かありましたらコメント頂きたいと思います。
 それぞれに希望・期待・在りし日の想い出を書いてもらいましよう。

 まず今日は私から
 長いレース活動での想い出を思い出すままの列挙です。

 私がレースの虜になったのは、生まれつきの熱血なのか争い事が大好き人間、負けることが嫌いでした、そこにオートバイという、仕事に恵まれ次第にレースに入り込んで行ったのであります「時まさに昭和30年(1955年)のことであります。 
 初代ワークスライダーマシンはカワサキの誇るメイハツ125(125ccKB-5型)当時はヘルメットもかぶらずレースが公道で行われたのであります。

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 写真上はレースに出るスタイル姿・下はセントラルサーキットPIT前で

 それから順風満帆カワ販のレースを担当したのであります。
①初めは勝てないMX time green のスタート(中深迫・菅原・岡本)本当に遅い奴だった
②しかし、彼らは迷監督の教えを守り2年後は早いチームに生まれ変わったのであります
③ロードに本格的に参入したのは’82年(メーカーがRRを凍結した年からか?)TIME 38 と同居した時から、それまでは名門 神戸スパースポーツレーシング(あのチャンピョン製造機所属したライダーは竹沢正治・杉尾良文・吉田豊次郎)RR部門(遅いライダーの集まり、この中に峰子ちゃん〇〇才になったねこちゃんが居たのである、今回は広報部長に任命しました)ボブキャット改125ccで12時間耐久を、何しろスポーツ走行予約に鈴鹿まで走っていた頃(電話が満員で繋がらないため)最近まで監督の野村純一も走っていたっけー
(彼は痔の持病があり、サドルに座れず中腰でなかったかな?MXでもないのに、なかったなかった)彼も今度は、RRでアジアの羽ばたくらしい実にうらやましい、そこらの話が聞けるかも?
 
MXの想い出
・鈴木南平&調所新一のノービスのメンバーがチームにカツを入れてくれたのである、四国の松山ライムグリーンのマシンが2台競り合ったあのレース今でも覚えております

・チャンピョンでもないのにゼッケン1の中深迫(月木レーシングからの派遣)チャンピョン菅原義弘(関東の名門トキハレーシングからの派遣)岡山??(京都ボブキャットからの派遣)
・調所新一(関東の名門現在も活動中横山兄弟の引っ張るジュニアーライダー)こいつが速いイヤ早かった

RRの想い出(転倒編)

・和田将宏の鈴鹿1コーナーでの片山タカズミ(彼もカワサキ神戸(営)のユーザー迷監督の紹介でヤマハの安全運転に入ったのがきっかけ)との接触転倒イヤー驚いた 今なお元気若い奥さん貰って得意満面3月4日にはその雄姿を・・・

・塚本昭一 迷監督の「お前は早いのだからスタートはゆっつくり3周タイヤを温めてそれからや」「ハイ」と言うが良いがスタート直後菅生の1コーナーからの折り返し3コーナーパドックのすぐ目の前で先頭集団で転倒 「アホ~」時すでに遅しリタイヤ「泣くにも泣けない」物語その彼がである。
 迷監督に「うれし泣き」をプレゼントしたのである1992年スタート3度目の最終戦、正直北川(K)との競り合いで、F-1のチャンピョン素晴らしい 今度は明(梁)と受付担当明石で皆様をお出迎えの予定

・KIYOさんのダンロップゲート手前での大アクシデント(割れたヘルメット・ずたずたのツナギが私の手に)

・「テントウ虫のサンバ多田喜代一」筑波最終コーナを飛び出し田んぼの草むしり(セェフティパット・ガードレールを飛び越えて)素晴らしい(奴も何か役をそうや受付か?賑やかに3人が皆さんをお出迎え、良いなー)

 あんまり書くとライダーに怒られる、怒られない方々のテントウの想い出でした、まだまだあるるけど書きキレない、次回は嬉しいお話を・・・
                  (今から喜代一・昭一・明に文章早く送れと発破でもかけるか・・・)

                                           今日はお仕舞 t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-01-15 07:33
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