Team Green

訃報「菅原義広」何故どうした?

 今日は、悲しい一日であった、昨日遅くに菅チャン(チームグリーンの一員)が、急に他界したとの悲しい報に接してしまっのである、人間オギャーと生命を授かり、いくつもの苦難を乗り越え人生を全うすることが、その人に与えられた定めと思いながら一生懸命生きているのに、何故順番にあの世に行かないのかな~、今古稀を迎えた僕が先に行くべきなのに、53歳での不慮の死(脳溢血だったらしい?)
 「残念・無念・早すぎる、チームグリーンの仲間」と電報にした、これが、とっさにオペレターに怒鳴ってしまったのである、オペレターもビックリしていた。
 少し奴の想い出を・・・(菅ちゃん俺の気持ちで想い出を書く許せ)
 
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写真右から・トモ(長沼)・シンジ(橋本)・ナメ(行方)サクサベ(作佐部)・スガチャンマン(菅原)迷監督(小っちゃい)シゲキ(花田)武田・お父ちゃん(中岡)・シュウジ(橋本)鬼コーチの野宮である(なぜか中やんが居ない)中段一人一人の写真は一番右端が菅やんである。

 チームメイトとともによるところ敵なしの時代のチームメイトとのスナップ、菅やんは私の右側でニコニコ笑っている、多分チャンピョン(エキスパートジュニヤー250cc)何故かゼッケン2だった?が、絶好調の菅やんである(ゼッケン1は、同じチームの中深迫)このころは、左団扇であった、ノービス・ジュニアー・エキスパート三クラス全部優勝をさらっていた頃である。

 菅やんは内に秘めた方、どっちかと言うとおとなしい部類のライダーであった、良く怒られたもんである、「菅原グリップ開けろ、怖がるな車が速く走ったら、転ばん、腰を入れろ」「アホ」てなもんである。
 それでも、菅原義広・中深迫 正・岡山??の三人で始まったチームグリーン、走っても走っても予選落ちの毎週、「何やってんのや」本当に1年目は酷かった、でも明るく三人は頑張ったのである。
 2年目の5戦目ぐらいにスパーノービスが2人も入って(調所新一・鈴木南平)二人でノービスのワンツウをやってのけた頃やっと三人も波に乗り出したのである。

 その頃には先輩3人も予選を通り常時、入賞圏内去年とは違って一週間が待ちどうしいものであった。
・・・菅原義広・・・チャンピョンにもなり、KRTワークスの選手にも名を連ね、菅やんは幸せ者である、今なお彼の声を上げない笑いが(ニヒルではない、そんな笑いなのである)静かな男の闘志が私には走馬灯のごとくに蘇る、チームグリーンを立ち上げたのは紛れもない、三人組がルーツである。
 あまりにも早すぎる、彼の他界私には考えられない、本来俺に線香をあげてから「馬鹿親父厳しかったなー」と後をついてくるのが当たり前の姿ではないか?話を聞いたら、何か二・三日前同じチームメイトの橋本修治?とブリジストンのテストで走っていたらしい。 
 イヤー人生なんて解らない儚いものである・・・菅やんの冥福を祈り・・・「待つとけ、すぐには行けないが(俺にはもう少しやる事がある)又、一緒に走ってやる」・・・と叫びたい・・・菅やんの冥福を祈りたい・・・

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by toshi-hirai | 2011-02-06 18:41
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