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Team Green

「思い出」2

・・・先週から、タイトルを変えて始めたブログ初っ端は「高橋鉄郎」私をセントラルサーキット開発に送り出した張本人である。
 時まさに1988年(昭一がF-1チャンピョンをもぎ取ったのが1992年・・・4年も前の話?)単身カワサキから出向・・・順を追ってお話を
①兵庫県警白バイ隊の隊長(良いかな)、販売推進部次長(レース担当)の平井に兵庫県でサーキットを造りたいと言うアルミ会社があるのだが、地元オートバイメーカーのカワサキさん応援をとのエール
②高橋本部長にお話を「平井君兵庫県でサーキット、これはあり得ない?しかし、県警のお話ご丁重にお前一人で対応をしなさい」とのお言葉
③私はレースが全盛期(勝ちまくった時期)に入って居り、サーキットの話はほかの人に、レースをやらせてとお断りしたのだが、これは、お前にしか出来ない仕事、お前がやれ(へへそう言われたら後に引けない、男の子)
④アルミ会社のオーナー(Sさん)から、もうすぐ認可が下りる早く来てくださいとの催促
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 初めて行ったセントラルサーキットの山

⑤当時愛妻少し前の彼女(今鬼瓦)が西脇の町を見て「建物が低い町ね」「大丈夫?」だとさ
⑥ところがドッコイ実際に行ったらこれから申請を出すとの事、一杯食わされた、これからが大変(株)サンコンサルタント(西脇でイヤ全国で俊腕な開発担当代表の山田錦さん)&(株)HARA土木計画(代表故原さん)そして若い設計者西さん、主に山田錦さん+原さん+西さん+私、4人の開発担当集団が出来上がったのである
⑦何しろ1996年オープンまでの苦労話、許認可作業から完成まで紆余曲折の8年間、オーナーがSさん(アルミの鋳造会社経営)から現在のⅠさん(松山シーサイドCCのオーナー)にバトンが渡され・・・今思えば楽しい、勿論苦しい時もあったが、総じて楽し話ばかり・・・韓国には杉沼さんと二人でサーキットを造りに行ったが8ヶ月で許認可まで行けた日本の6年間との差はナンヤ?韓国の話はまた次に・・・
                                        
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苦労の末、やっと、吉田豊次郎(神戸スーパースポーツレーシングの一人)が腰を上げて協力してくれた、セントラルサーキット内のスタンド、大損を掛けてしまったガソリンスタンドである、しかし、持つべきは「友」である(足を向けられない)

                                      続く      t-hirai

追伸 明日はビンテージ「オンエニ-サンデー」が三木アネックスで開催される、60おじさんの晴れ舞台である、何か又マシンを作ったらしい、山本・野宮・立脇、別にrfuruyaさん、加園さん、勿論主催者堀口さん貴島さん、皆来るかな?マタマタ多くのお友達にお会いできる、楽しみである。
 しかし、この雨コースコンデションは最悪だろう長靴持参フル装備、イヤ合羽もユニホームも前回オークションに・・・ドウシヨウ、家で寝ていようかな?
by toshi-hirai | 2011-04-23 08:33
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