Team Green

「思い出」27

・・・「親父カワサキに三浦 昇は居らんやろ(ソウヤ、明やった前回も間違いを釜ちゃんに指摘されたのに)走っていた私が言うのだから間違いない・・・
 教えてやろか、ZXR-4に宗和は乗っていない、それも言うなら多田喜代一です。

 ’89年はオーストラリアのテストから帰って多田喜代一と三浦 明、そのあとX0-9を二人でテストしておりました。
 俺は’89年の菅生で7位に入り三浦が9位アーロンも走って最初はトップ争いを演じていたのだがフライングが判明してぺナルティで順位降格10何番手だったか?・・・

      ・・・イイか書き込みするときには、チャンと俺に聞いてよ、ダトサ、スミマセン・・・

 俺のルマン24時間メールするから皆さんにご披露してよ(前にも書いた様な気がする)マー携帯で長いメールを送ってきやがって、しかし他のライダーからの書き込みを期待して・・・おしゃべり多田の力作をご披露する・・・アアシンド( )は平井の独り言です。

・・・ハジマリハジマリ多田の思い出ルマン24時間・・・

 1987年4月
 我がカワサキファクトリーが初めて日本人チームだけでフランスルマン24時間耐久レースに挑戦することになったのである。

 事の発端は、前年の鈴鹿8耐で多田&宗和組が日本人ペアー最高位の5位になりMFJから日本人ペアー最高位に与えられるご褒美ルマンにご招待を受けたのである。
この時の8耐リザルトの上位はすべて世界500のツワモノばかりであった(二人は素晴らしい)しかし、ルマン出場に会社は二の足を踏んでいたのである、それは全日本のF1・F3・250など国内のレースもあり、当時総監督の故武本(実験研究部長)さんは思案していたそうな?
 実際フランスにZXR-7を2台+スペアパーツそれにライダー4名スタッフ10数人経費だけでも負担がかかる、しかもメーカーとして参加することに意義があるのか、勝てる確信もなかった(アホ、ライダーが考えることでは無い)
 当時そこそこ齢のいった多田喜代一、若いが耐久力のない宗和孝宏、A級に上がったばかりの塚本昭一、カワサキに入ってまだ実績のない前田忠士(その通り)・・・多分監督はフランスに行っても観光旅行で終わるのでは?MFJにはご丁重にお断りの予定であった。

 ところがこの年の10月に何時も話題になる第1回カワサキ歴代のライダーの集いの中でこのルマンの話が出て、カワサキのドン高橋鉄郎本部長の一声ルマン24時間耐久レースにエントリーしたのであります。

                                 ・・・あとに続く・・・
 写真も写メ-ルで4~5枚送られたが携帯からどうしてここに転写するのか?今日勉強します。
                                                    t-hirai
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by toshi-hirai | 2011-09-11 07:09
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