「昭一の思い出」13
もう少し休みたいでもね!休みが多ければ、又、不安な日々であろう、人間なんていい加減なものである、そこを上手くなだめて泳いで行く良くやるものである。(嘆きはそこまで、さてさて思い出である)
昭一がチーム・グリーンに復帰した時1986年?
少し前になるが1983年にGPZ400Fが生産された冬に100台のGPZ400F改が工場で組み立てられた、コレハネ、当時特約店の有志が明石工場に参集それぞれに新車を購入して持ち込んだGPZを合宿して組み立てたそこまでしてレースを・・・と言う話である。
しかし、これがあったから今日のカワサキのレース活動があるんやないかな?へへへのへ
話せば長くなるが、KHIに少しパワーの上がったGPz400F(1983ZX400ーA2:車重178kg空冷4サイクル4気筒、GPz400と同じ車体であったがパワーはUP最高出力54馬力、このマシンのレーサーレプリカの製造を依頼したが、当時国内・世界の販売も好調でレーサー300台の生産計画をラインに組み込むのは早くとも来年の後半になると言う、2シーズンも遅れてしまう、それではと急きょスペシャルパーツ+クロスミッションを200台依頼、各特約店に注文を取ったら異様に評判が良くすぐに生産計画?が出来上がり100台のレーサーが出来ることになった。(残り100台分はスペアーパーツ)
・・・カワサキはこれだから素晴らしい・・・
工場の片隅を借用100台のマシンを並べ1台/一人のメカニック?で解体~くみ上げまで10日間程掛けて品証の技術陣の支援を受け作ったのである。
この前代未聞の快挙を特約店は成し遂げたのである1984年?には、各所のサーキットでグリーンのGPz400F改が走り出したのは勿論である(当時MFJ公認車両は100台の生産でOK公認レースに出られた)
しかし、走り出しはしたものの勝てなかったように思う、ソレハネ意気込みだけではダメだと言うことである、何しろ重かった私は真剣に体重の軽い向こう意気の強いライダーを探していたのである。
少し話がそれてしまったが、昭一を探し当てたのはその時である、それでは写真の思い出を!
練習中のGPz400R
4時間耐久スタートグリットにマシンを8番手くらいでは?
スタート前の緊張した風景(何にも緊張していない、緊張は迷監督だけか?)
第二ライダー石井の援助を受けスタート
順調に走行この時が総合15位か?畜生お立ち台には上がれなかった!
PIT前の風景
ライダーチェンジの風景
その他
ゼッケン15これはナンジャ(ポールかアホ2列目か3列目じゃ)昭一国際A級かな?
PITより積み込みに行く中やんマネジャーとゼッケン8(ゼッケン黄色はジュニヤー)
戦う前のピカピカに仕上がったゼッケン13ーGPz400RとTime Greenのシンボル
ロードは駆け出しだが、モトクロスはチームグリーンの黄金時代を築き上げたもんだ?テナコトでこの時期楽しい嬉しい一番充実した時である。
t-hirai