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Team Green

「昭一の思い出」16

 国際A級3年目この年初めてお立ち台に上がり、それからは勝てる気がしてきました(やればできる信じなさい)

 この年はTTF-1の開発を兼ねたジツ戦が僕の仕事、1991年型のマシンを少しでも早くドーソンや宗和に渡すことであった。
 初戦はマシンが間に合わず参加できなかったが2戦目の鈴鹿から参戦!ここでアピールしないと僕の出番が無くなると必死のパッチ走りました。

 宗和・ドーソンが90年型のマシンで走る中、僕だけ新型91年モデルで初参戦で3位に入賞(良くやった他社もさぞかし脅威に思ったことだろう)お立ち台に上がりました。

 3戦目の菅生も3位、5戦目の筑波も3位(宗和が初優勝)、7戦目美祢では2位、8戦目鈴鹿では7位、9戦目菅生ではtopを走るも転倒、10戦目筑波で2位(ドーソン初優勝で1・2フニッシュ)

 必死のパッチが功を奏し、走ればお立ち台常連の仲間入りパンチのあるシーズン自信をつけた一年でありました。(ヨッシャそれだよ何事も一生懸命に、そのシーズンは走るのが楽しかったやろ・・・それだ・・・)
 しかも、年間ランキング5位こうしてチャンピョンの下地が出来たのであります(全戦エントリー出来たらチャンピョンやと思っていないだろうな?しかし、好いシーズンだったね「ローマは一日にしてならず」や)

 上位選手でブリジストンタイヤは僕だけだったが、めまぐるしい程の進化にブリジストンの開発力の凄さを目のあたりにして、開発ライダーの僕が良かったから(その通りだがそれを言っちゃーならない、しかし俺は信じるし、今のタイヤ戦争での勝者「ブリジストン」がある)

 この年の鈴鹿8耐は、シンエツカワサキで、宗和と走って5位ヨカッタでした。

(・・・アホやなー、迷監督は一位しか良かったではないやろ~ ショウガツ・ショウガツ・・・マ いいか)

 昭一はそのほか1989年のレースで塚本昭一&前田忠士組で出場したが、この年、8時間経過直後観客がコースになだれ込み全車がチエッカーフラッグが振られる前に・・・赤旗・・・が提示され、一周減算のレースとなり、最終ラップにヤマハのピーターゴダード&加藤信吾組を抜いたのに涙・涙の4位(アホやなーもう一周早く抜けば問題なしなのに)、当然203周のサロン&ピエラ組みも202周との公式発表(一秒一周に命を懸けて走るライダーの気持が解らんか?やな~)

 ・・・当然のことながらMFJによる「すべてのライダーにチエッカーを」を合言葉に「マナーアップキャンペーン」が始まったのである・・・

 それでは写真集の紹介を

 
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 1991年インターナショナルTBCロードレース?のスタート、ゼッケン5が昭一・3がソウ和・そうして8が北川
 
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 レース前半凌ぎ合いゼッケン10が武石・5は勿論私トップです
 
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 表彰式カワサキの1・2・3 フニッシュ・・・コリャどうしたことや雨が降る・・・

 
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 シンエツカワサキ7位から最終13位(アカンアカン何考えてるのや・・・〇〇・・・)ヒョットシテ1990年の8耐か?ソウソウゼッケン17番グリコ8耐の時かも?

 
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 海外か?1991年 ゼッケン14(国内ではゼッケン5やろ) ブリジストンタイヤの開発時のレース
 (昭一は隙のないライデングを見せてくれる、素晴らしい) 
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                                                      T-HIRAI


 
by toshi-hirai | 2012-01-09 06:33
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