Team Green

「グレートヒーローズ同窓会」葵月の陣⑤

 1960年私が27歳の頃、若者たちはオートバイで六甲山を走って自らの腕を鍛えていたのである。

 金谷秀夫世界チャンピョンまでやった男、それは片山義美との出逢いから始まった彼16歳の時であった、片山は既にヤマハと契約をして木の実レーシングを立ち上げていた。
 その金谷が片山の口添えでカワサキと1964年に契約、’67年に富士スピードウェイで行われた日本GPにカワサキを3位入賞に導いたのである。
 その後、ヤマハと契約したのが’70年6月であり、ここで木の実と別れヤマハのスポーツライダーズに加入したが木の実との交友関係は続いていたのである。
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 彼25才若かりし頃’71年にはMFJ全日本ロードレースチャンピョンに輝いたのであります
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 ’75年にオーストラリアGPでは350cc+500cc2クラス制覇を成し遂げ
 六甲山を練習場として鍛えてきた金谷は、「世界の金谷」の名を定着してしまったのである、金谷の名声をしたって多くの若者が集まって「幻の六甲トレーニング」を続けて行ったのである
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 左上御大金谷秀夫、その横 江崎 正 (神戸六甲道2号線の付近でオートバイ屋さん)
 その下・斉藤光雄 私は、神戸スーパースポーツレーシング(KSSR)を故山下政美(石屋モータース代表)からそそのかされて神戸(営)に造り、多田喜代一の相棒にミッチャンを(金谷さんに許しを得て)配し耐久レースに挑戦したのである)ミッちゃんはつい最近まで8耐に走って居りました)・そうしてTVガチンコ?でオートバイが取り上げられた時の監督を務めた、藤本泰東の登場である、彼もまた片山門下生、現在はRC甲子園のチーム監督を務めている。

その他
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 毛利良一(金谷が木の実Rから抜けた後、神戸赤とんぼチームから木の実に移ったのである)
 星野」一義(もう説明の必要は無い、日本一速い男である)カワサキから日産・杉尾良文(スポーツ大使前兵庫県会議員であり、レーサーとしても名を成さしめた一人である)カワサキからホンダ・従野孝司(片山義美の弟であり兄をしたって、ライダーレーサーと変貌持ち前のセンスで一時期名を成さしめたのである)カワサキからマツダに移籍し兄と共に速い男になったのである。

 こうやって紹介をしているみんなともに戦った戦友である。

 少々パソコンの調子が悪い、下のバー入力モードが固まってしまうのである、私の修理法は電源を落してコンセントを抜くことである。 不思議と治る場合がある。
                                  少々一服です  t-hirai
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by toshi-hirai | 2012-05-03 09:13
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