Team Green

「酒井文人&クラブマンレースを語る会」①

 先日招待状を頂き、
 古谷さんの一声山ちゃんと私の三人で参加することになった。
 (私が北見宅訪問を計画、午前中、古谷・吉田・西郷・村島・松島各氏+平井が訪問)
旧友を温め新しいお友達とも二輪談義を賑やかに交わし有意義な時間を送り再会を約し次の会場へ

 会場では既に多くの招待者が来ておられヤァヤァ再会をそうして元気を喜び合い素晴らしい時が過ぎていた、会場で配られたパンフには下記の通りに我々三名を紹介されている

古谷錬太郎 全日本モトクロスで赤タンク旋風を巻き起こした初代からカワサキレースチームの重鎮
山本 隆  全日本モトクロス・ロード・トライアルすべてカワサキのエース、木の実のエースだ~
平井稔男  メイハツを経てカワサキオートバイ所属、JAPAN TIME GREENの監督

 まさしくカワサキのレースの立役者、古谷・山本両氏年齢は同年代だがカワサキのレースでは私にも大先輩、このお二人が居なければカワサキのレースは・・・「TIME GREEN」(イヤイヤここは平井の活躍)は無かったのでは?へへへ
 
 少々「酒井文人&クラブマンレースを語る会」に書かれた文章をご披露したい、こんな時代を経て今日があるのである。

 ・・・本年は鈴鹿サーキットが開設され50周年それから富士スピードウェイ・スポーツランド菅生等各地にサーキットが開設され、二輪・四輪自動車の飛躍的な発展、並びにモーターリゼーションの向上に大きく貢献しました。
 
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しかしながら、近代設備を備えるサーキットも、それまでのモーターレーシング黎明期から今日への環境造りに邁進した多くの人材に支えられて発展したことを忘れてはいけません。
 そして、我が国の現在のモータースポーツは近代的なサーキットの誕生から始まったたとする社会通念を是正し、これを支えてきた人々にも光を当てると言う正しい歴史観を確立しなければならない時代でもあります。
 日本にも本格的なモーターリゼーションの兆しが見え始めた時代に発生した事故の増加、とりわけ若年層の無謀運転・排気騒音などの改善に手をこまねくばかりの業界、行政の姿勢に対して“歴史ある欧米のモータースポーツを日本にも導入し、正しいMC普及が出来ないものか”と声高く提唱し、その実現に孤高の情熱を傾けた主人公が「酒井文人」でありました。
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 中央が偉人「酒井文人」その人である
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 これは懇親会で上映されたもの、良くもマーあるもんだ、これロードレースのスタート

 テナコトで時まさに1948年(昭和23年)多摩川スピードウェイレースに端を発し、故石塚秀夫氏の発意で戦前行われていたレースに、二輪自動車産業を育成する目的で1955年(昭和30年)群馬県北軽井沢の公道をコースとする第一回浅間高原レースを開催、二年後に浅間山麓に非舗装路面のテストコースが完成し、今でいう「浅間火山レース」と言う歴史的なレースの幕開けであった。
 中略
 しかし、このレースは国産車の性能向上を目的とされておりそれこそシノギを削ったのであります、そうしてこのレースにはメーカー&それに所属するライダーだけの参加型レース一方「酒井文人」はモーターサイクル愛好家によるクラブが生まれる機運から、モーターサイクリングの正しい普及の指針にアマチュア-ライダー(クラブマン)でも参加できるロードレースの実現を模索するのでした(簡単には出来ないぜ)ここで酒井は現(株)八重洲出版の前身であるモーターサイクル出版社を主宰し、浅間高原自動車テスト協会長、本田技研工業(株)藤沢専務の支援を仰ぎ1958年(昭和33年8月)第一回クラブマンレース大会が行われたのである。(私メイハツ駆け出し時代へへへ)

 少々眠くなってきた雷さんも疲れたか?へそ下三寸獲得したか?オヤスミなさい,続きはアトで

                                      t-hirai


 
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by toshi-hirai | 2012-07-07 04:36
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