Team Green

「TEAM GREEN」30周年⑤

・・・既に1986年に2年後にはKRT(カワサキレーシングチーム)の復活は分かっており、工場では既にZXR-7のエンジンテストは始まっていたのである、格好の実戦である1987年の8時間耐久に標準を合わせマシンは着々と完成度の高いものが出来ていた、後は実戦でどう戦うのか、川重明石工場実験研究部野田課長(当時)多数の僚友が居並ぶ中、彼は平井に囁いた「テストで8耐を走れ」・・・

 ヨッシャメーカーがレースを凍結した時頑張って曲がりなりにもレースをやって居たことが、解凍して復活するメーカーにすんなり完璧な体制を渡せることは出来たのはそのまま継続していたからである。

 ライダーは、月木レーシングの社長が頑張ってプライベートでコーク&ロブを呼んで8耐に参戦した実績が今回我々のライダーに推薦するきっかけとなり、当時カワサキの面白い有名人故岩崎課長(ゴメンお盆が近い呼びに来るかな?)が渡りを付けて本当に安い契約で二人は走ってくれることになった。

 早速二人を呼びコウコウしかじかカワサキのレース復活のお先棒を担いでほしいとの頼みに・・・ナイスガイの二人は手を突出し(当然親指は天に)ウインクを返してくれたのである、嬉しかった~繋ぎとは言えワークス復活に賭けた心意気である。

 1987年3月の第一戦2&4に宗和がZXR-7に乗り、多田は実績のあるGPX750R(スパーバイク)ところがである、寒い鈴鹿サーキット土曜日に大雪が降りコース上のユキをオフシャルが時間を掛けて排除やっと走れることになったものの各チーム・・・
 レイン⇔スリックタイヤかの選択に戸惑いコース上でタイヤ交換をする始末、カワサキはお恥ずかながらホイルが無くピットでタイヤ交換時間オーバー2台のカワサキピットロードで立ち往生、各車1コーナーに消えた頃最後ににコース上に出て行ったのが走馬灯のように・・・恥ずかしい・・・
 結果は、宗和がマシンのパワーありすぎでコワイとリタイヤ?「アホ」、多田は最後43番からの追い上げで当時飛ぶ鳥の勢いであったRVFファミリーマートの三浦 昇を抜いて11位でフラッグを受けたのが思い出である(優勝はRVFを駆る徳野正樹元同僚が優勝)

 さてさて、ライダーはコーク&ロブ+宗和&多田の4人、マシンはZXR-7の2台でレースに臨むことになり、私は着々とテストを消化しながら、スポンサー探し東京に鈴鹿に明石にと東奔西走やっと当時(株)ターニングポイント広報担当布施さんの(明とは違いますがイケメン)橋渡しで東京の松岡財閥の率いるGOOD LUCKツアー(株)がスポンサーに決定イヨイヨ体制万全レース本番を待つばかりレースに集中できることになりました。

 その後、ZXR7もより一層熟成され、コーク&ロブ+宗和&多田を加えテスト・テストの頑張り、どうやら走れる体制になってきたのであります。

 ところがドッコイ富士スピードウエイでの出来事、日本人ライダーがタイヤをミシュランにしてほしいと駄々を捏ねだし当時実験研究のボス故武本部長に直談判、私はTEAM GREENはダンロップと契約をしているので駄目と頑張ったが翌日にはミシュランを履いたZXR-7が一台コースにコーク&ロブはタイヤはダンロップでOKと何の問題も無し、事実タイムもダンロップの方が速かった(勿論ライダーの腕、コークさん2分19秒コンスタントに廻り予選6番手)他車に何ら遅れを取らない状態でありました。

 これは行けると専門誌の取材合戦、マシンはグリーンにGOOD LUCKの黄色が良くマッチ素晴らしい耐久仕様車が・・・
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 今日はこれにてゴメン、明日はNP法人THE GOOD TIMESの理事会、議題は当然「Z-1」の事になるでしょう、又、来年の「Z-2」の40周年+TEAM GREENの30周年のイベントを?となるるでしょう

・・・今日は早く寝て明日に体調を整えます・・・おやすみなさい・・・
                                     t-hirai






 
 
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by toshi-hirai | 2012-07-21 20:47
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