Team Green

「カワサキ・ロードレースのルーツ」⑳

 マタマタ今日から3連休、しかし早いですねー日の経つのは、もう1月も終わろうとしている(アホ12日や、それでも早いやん)今年の計画を早く練って実行にとは思うものの、仕事がある・・・「当たり前田のクラッカー」仕事第一、次に遊びや(僕にとってはオートバイは遊びと違う)利益が無い副業や、そんなことあるもんか?元気が出る・・・これが大きい利益では・・・イヤー金が動かんと?駄目

 そんなところで行こうか、レースのルーツを? ’87年のTEAM GREENの活躍を資料には4行しか書いてない、情けない・・・ナーンやTEAM GREENのやったことは素晴らしいことナンヤゼ~ワカルカナ~ 分った分かった次へ行きなさい・・・

 チーム・カワサキの名前で鈴鹿8時間耐久ロードレースにエントリーを始めたのは1988年、これで名実と共にカワサキファクトリーの復活となった。

 この年、サミン&A・モリラス組みが3位お立ち台に(フランススズキが4位)、次に日本人ライダー宗和&多田組が5位入賞(ヤッタゼベビー・・・日本人ペアー1位、ご褒美に’89年ル・マンにMFJから派遣されることになった)、K・バリントン&R・フィリス組み6位ファクトリー復活一年目大成功の年であった。

チョットコーヒーブレーク
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 これ多田喜代一’87年TEAM GREEN時代の活躍、この態度を見てやってくださいデッカイ面、速いのだが・・・良く転ぶこれがキヨカズの良い所?、迷監督思案顔・・・
 このマシンZXRー7と並行して開発を?していたGPX750R・・・レーシングキットの試作を積んで走った時では?2戦しか走らんかったがな~

 この時期、俺が居たら優勝バッカやナイカな~それは無いか?、残念ながらセントラル・サーキットの許認可作業がハジマリ忙しくて鈴鹿にも行けない巨匠が居たのである。(チケットはあったんや~、何時の間にドサクサに紛れて巨匠なんや・・・迷監督や無いのか?ソヤナー)

 このファクトリー復活と共に世界耐久シリーズへの参戦も復活したのである、おまけに、同じくスタートした世界スーパーバイク選手権シリーズにも参戦、第2戦ハンガリー戦の第2レースでA・モリアスが優勝、第6戦ル・マンの第2レースではE・デルカンプが2位入賞を果たすなど着実に成績を残したのでア~ル。

 1989年から出ました我らが昭一(塚本昭一)がファクトリーの一員に・・・前田忠士選手と汲んで8耐に、そうして4位を「オイオイ間違えでは?イヤ違うホンマヤ」素晴らしい・・・
 さらにこの年、前回のご褒美にMFJから派遣された日本人ライダーの3人組(宗和孝宏・多田清代一・塚本昭一)全部平井学校の生徒やへへへ、ショナイなー明日ル・マンの想い出でも書こうかな~
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写真左から多田・塚本・メガネを掛けている野田監督シャガンデいるのが戎メカ右端が総監督故武本 晃
 しかし、この3人走りも走ったり3位入賞イヤーオッたまげた素晴らしいことやってくれたやないか、

 全日本でもTT-F1クラスと並行して、GP250クラスにもコードNOX-09がファクトリーメイドのオリジナルマシンで開発ライダー昭一が参戦していたのである。

 このほか、世界スーパーバイク選手権でR・フイリスが第7戦日本の大会で第1レース3位、第10戦オーストラリアの第1レースで2位、第2レースも3位連続お立ち台、しかも、第11戦でもニュージーランドで第1レース2位の成績素晴らしい活躍だったのである。(迷監督が走らせたら優勝や~)

 ここで、少々寂しいが、カワサキを世界の檜舞台に君臨させた二人のライダーの引退について書いてみよう。
 ソレハネ・・・いずれも「ミスターカワサキのコーク・バリントンと我らがキヨサンである、奇しくも二人とも、この年、1988年に引退したのである、平井もカワサキから出向してセントラルサーキットの許認可作業に、だから二人は引退したのかな?それにしてもミスターカワサキが3人もレースから引退、こらーアカンワと思いきや???バリバリ走って行くカワサキ・・・素晴らしい、デモこの二人のライダーの功績は忘れてはいけない・・・

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 KIYOさん、平井のお願いで縞々のシャツで優勝、Hー2を20台の売上(コレハネ兵庫メグロの奥さんがカラーのツナギで優勝しなはれ、そうしてらH-2を20台買取して上げる、ヨッシャ・・・20台や・・・キヨサンお願いラグビーのジャージを着て走って・・・それが優勝や・・・20台の売り上げ素晴らしい、これがカーラーツナギのルーツである?)
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 キヨさん引退レースの雄姿、デモ寂しい、アノ素晴らしい豪快な走りをモウ見れない

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 1987年(TEAM GREENから8時間耐久を走り・・・4時間30分のドラマを演じカワサキフアンの前でカワサキここにありを見せつけたK・バリントン・・・そのK・バリントンが1988年に最後の輝きを見せたのである。
 予選では平 忠彦&M・ドーハン組に続く7位となり最後まで力強く走り切り6位でフィニッシュ、これがコーク・バリントン最期のメジャーレースとなった。

 長年カワサキの快進撃を築き上げ、世界の二輪の発展に「カワサキの名を轟かせた」二人の素晴らしいライダーが後輩に席を譲ったのである。

 KIYO、そしてK・バリントン有難う何時までも忘れない・・・二人の築き上げた軌跡を・・・

         ・・・機会があったら二人の功績を探りたい・・・

                                          t-hirai

 是非皆さん今回参考にさせて頂いた(株)三栄書房より出された’86~’90年代のカワサキ往年のレーシングのルーツ・・・「RACERS」volume18を・・・

 ・・・まだあるのではTEL048-988-6011でお尋ねお求めを・・・
 
                                            


 

 

 
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by toshi-hirai | 2013-01-12 20:40
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