「TEAM GREEN30周年」創設期に思うー1
平井のTEAM GREENの担当は1983年創設から1989年セントラル・サーキットの許認可作業に従事するまでの約5年間である。
しかし、私のレース好きはカワサキの中では少々違った形で延々1976年カワサキオートバイ販売(株)神戸営業所長を拝命してから、かの神戸の名門「木の実レーシング」と肩を並べて(並べてはいない後ろをついて行っただけやんか)これまた迷門中の名門とユワシメタ「神戸スーパースポーツレーシング」を立ち上げ、オートバイの販売に係わる部門としてのレース活動を行っていたのである。
本当に長い期間(約15年の間)カワサキでレースをやらせて頂いき、それに、加えて誰でもが出来るもんやないサーキットを二つも(兵庫県と韓国太白市)創らせて頂いた(平井の能力や)私の人生での大きな自慢である。
「TEAM GREEN」30周年を迎え、立ち上げから一緒に苦しみ一緒に笑ってくれた・・・何一つ不平不満を言わずについてきてくれた・・・3人の若者、そうして3人のスタッフ・・・泣いて泣いて強くなった3人の若者をまずは紹介シナケレバならない。
わずか5年の間に常勝軍団「TEAM GREEN」にのし上げた開拓者・・・その人の名は今は無き菅原義広(トキワレーシング)マダマダ元気な中深迫 正(月木レーシング)今どこにいる岡山正一(京都ボブキャット)の3人である。
今日は「マンズ」若くして天国に召されたスガチャンマンの思い出から書いてみよう・・・
イヤーTEAM GREENは始め弱い弱いチームやったんや、勝つための練習は厳しかったが、彼、菅ちゃんマンは悲鳴を上げなかった。
この3人は良く迷監督のシゴキに耐え練習に勝って強いチームを作ったのである、それに明るかった・・・負けても負けても明るいチーム・・・コリャ「アホチーム」やんか???
オイ「菅チャンマン」お前順番間違えたな?あまり大きくない目を私に向けニヤリと微笑み返す菅原がそこにいる。
解っているんかい?ソレハネ何で俺より先に天国に行くんや、順番があるやろ・・・迷監督の前を走るな10年早い本当は俺の方が地獄に行くのが先じゃないん~か?、
「アホ」お前の可愛い二人の息子が大きくなりMX・MTBに乗って「親父教えろ」と今は菅原の先輩だった人たち(山本・飲み屋・立脇たち)と一緒に走っている。
子供は「親の背中を見て」とよく言われるが、スガチャンマンお前はもう背中を見せることは出来ない・・・レースも速かったが、人生も早く終わったな~残念や・・・
そんなにお酒も飲まない、生真面目でどちらかと云うと節制をしてスポーツ大好き人間の菅ちゃんマン・・・生来無口だが粘りのある性格の菅ちゃんマンやったが・・・
I・Bの時の雄姿、こいつ滅茶滅茶足・腰が強かった、このゼッケン2はIBクラス前年7番目(中深がゼッケン1番IBクラス6位、上位1から5はセニアに上がるからこうなるのやが)
ここで多くの人から愛され、囁かれた彼のエピソードをご紹介しよう。
①彼自分では子供たちに(一成君MTB&雄大君MX二人の立派な息子たち)「速いマシンに乗って勝つのは当たり前、腕で勝負や」「下手くその親は息子に教えたがるが、プロは教えない自分で腕を磨け」ダトサ・・・(俺のマネスンナ)・・・でもでもね息子たちは親父の強さを知っている素晴らしいことである。
この写真2年前の「カワサキの想い出、そして未来」の時のスナップ、いまオヤジの代わりに先生をしている飲み屋とミキに挟まれた息子たち右から3人目4人目二人の息子
なんで空を飛ぶ(スピードがあるからより早くより高くより遠くに飛べるんや)
これ’86年彼IBだったテストの時のジャンプのカット飛ぶのがお好き?
②ランニングはマラソンランナーに負けないぐらい早かったし、自転車も好きだった良く淡路島一周をやつたみたいだ。りかちゃん(菅ちゃんマンの奥様の証言)
③世の中の仕組みをあまり気にせず、中古の軽トラを50万円も出して買い皆に高いと言われてもニコニコ?
畳を挙げて斜めに積み重ね腹筋のトレーニング変わったやっちゃ(伊田大先輩の証言)
④レースのスタートの時、何故かゴーグルをヘルメットの上にスタートしたり、自分の車は自分でピカピカに磨き倒して居た・・・コレハネ迷監督の教え兵隊さんの鉄砲と同じ自分の命を守るもんやナイカ?(以上東京のカワサキ正規販売店ナベさんの証言)
⑤鎖骨を折って病院に移動中でも熟睡できる菅ちゃんマン・・・図太さ?、二人の子供を地べたに寝かせてMTBでジャンプ(何スんねん、立脇の証言)
⑥IB~A級に、晴れてゼッケン32番か39番?ゼッケンの赤い下地にコダワッタリ、サインにはいつも「ガッツ」を書き添えたり、音楽は何しろ好きで集めたテープは何千本・・・子供が出来てからは怪我の無い様に注意をしたり・・・(これみんな奥様の証言)
こうやってみると彼「菅ちゃんマン」は、割にナイーブな性格・・・それとも図太い性格・・・だったのか?ドッチやねん
マーあたしの口から云うのもオカシイが、何か一本筋が通って居る好青年、東北の人の粘りを見せつけた走り、その「ど根性」がチームグリーンの歴史を作ったんと違うかな~
イヤーこの三人もヤッパ・・・カワサキ・・・やった・・・ソレハネ・・・暖機運転がかなり必要だったんや、ソウや暖機運転が出来上がった頃、あの松山での調所の快挙があるんや、後から出てくる・・・乞うご期待や・・・
こうやって菅ちゃんマンの思い出に耽りながら、頂いた山形県の吟醸酒「出羽桜」奥さんが180mlまでなら体に悪くない「山形のお酒は心にしみるお酒が多いそうである」
・・・「アアー美味しい」アアー美味しい・・・
・・・ご馳走様・・・
菅ちゃんマンのIAの写真を見ながら地酒かコリャたまらん・・・
全部250ccヤッパ鍛え方が違うんや力持ちナンヤ・・・マダマダ書きたいこと沢山あるんやが・・・
今日の所は終わり
t-hirai
追伸 いまTEAM GREENに関係したみんなの名簿を作成中1983年~2013年にチームに関係した(ナンデも良いやん)人、この指トーマレ・・・連絡をこれに貼ってくれてもOK、何しろ250人にもなるんや・・・同窓会でもやりたいな~やるぜ・・・