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Team Green

「TEAM GREEN30周年」創設期に思うー2

 この一週間色々なことがあった、しかし昔をしのび探り歩きをする「懐かしさ・良き頃の思い出」そしてそこには「何か」が残っている。
 ソレハネ「人であり」「思い出であり」「懐かしさ」だった、特に30年前「オイ・コラ」と罵り合った仲間との再会の場にはその想いが募る。

 まずは菅原を書いた前回のブログを見てKHIの仲間が「折角や彼のプロフイールを書いてやれ、あいつチャンピォンやで・・・分かったチョットだけよ・・・思い出は沢山あるんやで~
  
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 菅原義広昭和33年のお正月に山形で誕生、目出度いな~と話していたのを思い出した、関東の名門「東希和レーシング」で育ち川崎重工業(株)のテストライダーとして自らの趣味を実益として生かし、後にブリジストンのテストライダーとしても名実ともに開発能力のあるライダーと高く評価され活躍をしていたが、ナナント享年54才の若さで(俺の前を走るな10年早いと前回も書いたが)天国に召されたのである。

 彼、菅原義広は’82年のTEAM GREENの創成期に私と苦労を共にした一人である。

①昭和54年に初レース
②TEAM GREEN創設1年前には、IB125ccクラス9位、250ccクラス6位
③1983年チーム創設の年に125ccチャンピォン、250cc惜しくも2位
④彼MTBでもなかなか良く活躍、優勝経験者でもあった
⑤TEAM GREEN在籍中はKHI(川重)の開発ライダーとしてKXの開発に従事,今の素晴らしいKXシリーズがある

 イヤー素晴らしい菅原義広がそこに居たのである・・・今は奥さんと2人の息子が元気に頑張って居られる。

 昔の思い出「TEAM GREEN」創成期に生意気にも俺の前を走って行った今は亡き他の仲間も沢山居るのだが特に、上記、菅原義広MXと忘れたらドヤされる、ロードレースで辛苦を共にした、今は亡き新谷永喜が居た(他にも今は亡き内田・喜多も居たのだが)
 http://toshihirai.exblog.jp/13665061/ TEAM GREENロードレースのルーツを昔々書いたものがあるよ「お暇なら見てね!」

 亡き新谷永喜を想う・・・斉藤昇司が書いてくれた
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 「遅咲きのライダー新谷永喜・30歳になる1982年鈴鹿4時間耐久が初レースだった」・・・何故遅咲きなのか?自分自身が開発を手掛けていたGPZ400のポテンシャルをどうしてもレースで確かめたかったからである。
 正にテストライダーとして自らの体を張ったのである・・・素晴らしいこのテストライダーの根性がカワサキの名車を数多く生んで居るのであります。
(今なおKHIでテストを続ける当時の仲間、斉藤昇司・岡 正弘・日下真一・西田克也まだまだ居たっけゴメン思い出に後から出てくる?元気にテストに明け暮れしている今の皆んなも同じ気持ちで当時は走ってくれた、今は偉くなって実際には走らないと思うが)

 プロのテストライダーとしてのプライドと称賛の中での挑戦がレースに出ることだった、「相棒」はレース出場1年先輩の岡 正弘(岡は初めて開催された鈴鹿4時間耐久に挑戦したライダーである)2回目になるこのレースは決して忘れらない・・・「幻の優勝」レースだったのである・・・
 ソレハネ・・・快調なペースで走り繋いで居たGPZ400改、最終でホンダの三浦 曻に抜かれ(何故か最周回三浦はピットロードでチェッカー)TEAM38岡&新谷組は2位に入り仮表彰台に・・・ところがである、ホンダ・ワークスで一世を風靡したあの「三浦 昇」が乗るCBR400が後ろから追い上げレース・・・ホンダ・ホンダ・ホンダ・・・アナウンスは「ホンダの三浦が素晴らしい追い上げして居りますとホンダマシンの優位性」をアピール観衆総立ちの興奮の中、優勝ホンダ・2位カワサキ仮表彰台で華々しく勝ち誇ったホンダ三浦 曻&誰だったかな?組みが称賛され、岡&新谷組は小っちゃく・・・ところがである。

 ここで斉藤昇司は回顧する(斉藤の記事に平井の思い出が入るのでヤヤッコシイがお許しを、皆んな整理しながら読んでや)惜しくも優勝は逃がしたが2位でチェッカーを受け仮表彰台に上がることが出来た、新谷自身初レースで2位をキープこれには満足だったと思うし、
TEAM38としても2回目で2位を取れたことでメンバーみんなで喜んだのであっが???

 ナナント表彰台を降りてから優勝したホンダの誇るCBR400を駆った三浦 曻の走行時間オーバー(一人のライダーの継続時間が決められている耐久、優勝を取るためか?知らなかったのか?早い三浦を最期まで走らせたホンダがそこにあったのである)当然、時間超過が発覚した段階でペナルティー周回数加算、2位のカワサキTEAM38岡&新谷組が優勝となったのである。
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 当日一番高い所で大観衆に手を振れたのに・・・しかし、4時間耐久は8時間耐久に負けず劣らずくらいの人気であり、多くのスポンサーからの賞品がメチャクチャ多くイタダキ帰りのトラックに積めないくらいの荷物になった。

 再度叫ぶ「カワサキはイヤTEAM38は」メンバー全員2回目の4耐チャレンジで2位を取れたアトだったが優勝で大喜びだったのである・・・

(仮表彰を力説するが、当時はチェッカー受けた直後大観衆の前で喜びを観衆と分かち、今もそうか、本表彰は翌日ホールで発表する形だったと記憶する)

 少々長くなったが今日の所はこれで終わり、本当はピットでの迷監督平井の奮戦記「いくら三浦でもあんなに早く走れない「カマ(シリンダー)を開けろ」「あける特殊工具が無い」「それじゃ~カワサキが開けてやる」テナコトで車検場の前で座り込みしたっけ・・・懐かしい思い出デモネ、醜いしイサギヨシをモットーとする平井や・・・マ~時効やし許してやるよ・・・ナナント奥ゆかしい・・・それでこそTEAM38やんか・・・マダマダ続く・・・乞うご期待来週からもたのしいぜ~
 この時はまだTEAM38、なんで平井はここ居るの・・・ソレハネソレハネレース大好き人間の平井は首をツ込んで、しかも仕切っていたので居たのでありま~す。チャンチャン
                                斉藤昇司&平井稔男組
by toshi-hirai | 2013-03-17 08:14
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