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Team Green

「TEAM GREE30周年」創設期に思うー4

 「今日は少々長く成るで~」
 
 1984年にKHI(川崎重工業(株))がレース活動を凍結した時、私はコリャイカン、オートバイメーカがレースを忘れたらアカン、せめてJAPANだけでもと当時のカワ販古谷常務とKHI実験研究部武本部長(ル・マン24時間の総監督故武本 晃)に食い下がったのである。

 ここで少々TEAM38の生い立ちを思い出して見よう、1975年にテストライダーと実験研究部が第38工場に陣取っており、テストライダーたちが自らの技量研鑽を掲げレースを提案(アトで昇チャンが詳しく書いている)ネーミングを神宮??がTEAM38(38工場だから)と名付けの親、たまり場は溶接場(藤原真澄氏が居た)隣のチチャナ・スペースを枡田 明(実験研究部所属神戸スーパースポーツレーシングのライダーでもあった)が調達してスタートしたのであった。

 前記のお二人に縋りメーカーの凍結との重なりもあり、TEAM GREENとTEAM38のコラボがロードレースに立ち上がったのである。

 時まさに1985年ロードレースを加えNEW TEAM GREENが誕生したのである。
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 この’85 RACER PROFILEはKHIロード凍結忘れるがごとくに「カワサキはレースをやりまっぜ~」をアピールした記念に制作したものである。

 この時にはA版三つ折りワークス世界のモトクロスTEAMの紹介、カワ販レースの組織図、そうしてTEAM GREENに所属するライダーの紹介だった。

 1985年TEAM GREENはソレハソレハ大活躍をしたのである、カワサキの誇るロードのマシンは・・・
 400ccクラスにすべてをリニューアルした新世代の水冷ミドルクラスZX400-D1、GPz750R(ZX750-G2水冷)GPz750F(ZX750-A2空冷)マシンの解説は次回に・・・

今回はTEAM38の悲しい’85年しかしカワサキの名誉を掛けて走った時の思い出を回顧しよう・・・

 当時斉藤昇司イヤライダー全員TEAM GREENとの統合に一種の憤りを感じていたのであったのか?、武本部長の説得、当時の監督吉川章平の説得もあってシブシブ統合え、しかし、そこには闘将平井の温かい迎えがあったのは間違いない。

 斉藤昇司は、統合そうしてやって来たメインレースの8耐に思いを込めて、こう云って居る。

 俺たちが結成した社内チームTeam38は’85年にTeam Greenに統合される、Team38は’75年にモトクロスチームとして発足、当時MXは斉藤昇司タダ一人全日本走っていたがMxを引退した’80年頃から徳野政樹を始めとするテストライダーたちがロードレースに挑戦を始める。
 そうしてメーカーがロードレースを凍結した時も、ライムグリーンの火を消さないためにも皆で頑張ってロードレース継続させる意気込みで走らせてきたが、会社はロードレース完全復活を踏まえTEAM GREENにロードレースの組織を強化することになったのである。

 明石にTeam38とTeam Greenの二つを運営することは厳しく、それよりTeam38は資金も乏しく、この頃のマシンでは全日本に打って出て他社と戦えるマシンも無く、TeamGreenにゆだねることにした。

 斉藤昇司は思いを一杯ブッケタかったテストライダーと開発メンバーで作り上げてきたTeam38だったので、これから先も存続させたかった、Team38の消滅は涙するほど残念な思いであったのである。(デモネ今なおTeam38は生きている走っているやんか)
 TeamGreenのロードレースの’85年からのスタートとなるが、この時にはまだ他社と対等に戦えるマシンは無かったが、TeamGreenとしては先ずメーカーの凍結に対しカワサキはレースをやりますとライムグリーンを走らせたかったんや・・・

 昇ちゃん、その通りロードレースの火を消したらアカン・・・オートバイを製造しているメーカーが技術革新の場、レースを凍結して世界の名車を作ることは出来ない、レースの火を完全に消してしまうと復活に時間が掛るとの思いがあったんだ・・・それが証拠に’87年迷監督がコーク・バリントン&ロブ・フリス組、宗和孝宏&多田喜代一組を配し戦った、いま尚残っている4時間30分がありZXR750Rゼッケン7、’93年の伊藤ハムの優勝もあるやんか、皆の努力で現在のカワサキがあるんやで~(赤く書き直しました)

 この時のベースになったマシンはこの年の国内販売を開始したGPz900Rの弟分のGPz750R(Ninja)だった・・・GPz750Rも開発投資を行い軽量化+パワーUP等レーサー用に開発をおこなえば、それなりにポテンシャルは上がったと思うが、まだそこまでの開発投資もままならず、KRの遺産部品のホイール、サスペンション、ブレーキ部品などを流用、加えてエンジンにも吸排気系の手直し及びサイレンサーを変更した程度の「パワー不足と重いbike」だったのである。
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 早く走りそうなマシンやんか、ヨー出来とるこれ200kgオーバーとは思えない

 一言笑い話を、ソレハネ車検の時の話だが重量測定の時、重量が重く計測重量計の天秤に200kg以上の錘が無く、車検員から「このバイク計測不能」と叫ばれ大笑い重量オーバーの基準が無く車検パスてな笑い話
 ちなみに8耐レーサーのワークス車両は160kg、プライベートでも180kg・・・200kgオーバーなんて考えられないことなのだが・・それが走って良い成績だったんや~

 迷監督曰く、車が重けりゃ反動で早く走れるんや、走り出したら止まらんぞ~と

 レースがイヨイヨ始まるのである
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 この時のスポンサーアサヒビールのスポーツドリンク「Prippss」今あるんかな-

 ハンドルポジションは当然KIYOさんのH2のアップハンドル、コレハネ一世を風靡した時代から受け継がれたアップハンドルポジション
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 キヨさんのカラーツナギのルーツ&アップハンドルコリャ素晴らしい

 斉藤昇司は全日本だけはアップハンドルのGPz750Rでは入賞は難しいので全日本だけ’84年型(これ空冷か?)Team38SPECIALで走らせて貰う事にした、結果は鈴鹿GPで5位、これがオイラの腕だったんや、しかし、自分では満足出来たのである。
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 その時の写真チョウカッコイイやろ、このマシン旧態だったが俺の腕もココラが限界?謙遜やな~・・・奥ゆかしい・・・

 まだまだ続く泥濘ぞ・・・これから8耐があるけど・・・今日の所はここまで、次回1985年の鈴鹿8耐の模様を実況放送、この年、阪神が3ポンホームラン優勝の年やぜ~・・・
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  今日はこれにて・・・              斉藤昇司&平井稔男組 
by toshi-hirai | 2013-03-24 04:00
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