「TEAM GREE30周年」創設期に思う-16-9
レースは大体月1回組まれて居り、待ちどうしいインターバル、その間、次のレースに向けての練習、ソレハソレハ厳しい練習が行われていた。
ランニングは勿論の体トレ・マシンの整備・実車による走行練習(基本走行・応用走行・タイムトライ)等、約4日間/週はみんなで頑張った。
何しろレースに行くと連戦連勝トロフーイの無いレースは無かったもん・・・である・・・これは自慢、しかし、皆んな良く走ったナア~皆んな自分のすべてをただ勝ことのみ一点に集中して走ったものである。
ソノ成果が茂樹の’92年に良く現されているのでは、翌年ゼッケンは2つしか上がらず’93年は5番だったが、’92年はシゲキにとって忘れられない年となったに違いない。
’91年ゼッケン11から’92年ゼッケン7番にアップしたのである
この年、光輪モータースが10,000千円の賞金総額を掛けたレースを最終戦に行ったその成果は
何しろ優勝賞金5,000千円、とてつもない賞金である
本人は納得していなかったかもしれないのだが、彼は潔くゼッケン20に落ちたところで引退したのである。
マダマダ行けると思ったこと有ったろうに、思い切りの良さも大変なものである。
その後も「TEAM GREEN」は快進撃を続けたのであります・・・
その歴史を刻んだ歴代監督を紹介してみよう。
RR MX RR MX
初 代 平井稔男 平井稔男 2代目 重本修二郎 重本修二郎
3代目 野村純一 中岡吉郎 4代目 橋本治彦 吉田 誠
5代目 岡崎 基 谷本 純 5代目 清水泰博 清水泰博
6代目 三浦泰洋 花田茂樹 6代目 釈迦堂利郎 田澤豊昇
現RR 釈迦堂利郎 MXは無し(TEAM GREENにはMXはないのである、寂しい~)
この人たちがTEAM GREENの30年を引っ張った人々である・・・
注)どうもおかしい、ゼッケン7と4があるが光輪のレースは、マシンを量産車としたのでゼッケン は特別なゼッケンなのかな~? 一度聞いてみます。
t-hirai