「Ninja30周年の思い出」①
コレはね2月25日(火)~3月9日(日)までカワサキワールド(神戸海洋博物館内)で「Ninja」フェアが行われている。
今年「Ninja」も「TEAM GREEN」に続いて30周年を迎えたのである、カワサキの全盛時代?イヤ世界のオートバイ市場は「スーパースポーツ」に対する人気が高まり、エンジンはハイ・パフォーマンス化が激戦となり各メーカーが凌ぎを削ってパワー戦争を繰り広げていった。
このような時代背景の中でカワサキでは「Z1」の流れでその後継者として900ccのキャパで1000cc~1100ccをターゲットにニューモデルの開発が行われて行ったのであります。
開発コード「990R」後に「GPz900R=Ninja」と命名されるモデルであった。
このマシンは次世代のGP車狙うと言うコンセプトのもと、スーパースポーツの最先端として当初空冷エンジンと設定・開発されていった中で、現在のエンジンにもその血統が息づくサイドカムエンジン当時最先端の空冷エンジンに採用されていたのである。
このあと耐久性を含めて絶対的な性能不足と言う結論に達し、斬新さとして際だつ水冷エンジンへと移行していったものである。
カワサキには「Z1」があった、あの偉大なる先駆者がある限りあの存在感を超えるものをと開発に携わった技術陣すべてのカワサキ魂が集結して出来上がって行った。
もう一つニンジャロゴの決定「嘘か誠かの誕生」逸話
未だに隆盛を誇る「Ninja」と言うネーミングについても関心の寄せられるところであろう、当時アメリカではニンジャ・ブーム全盛期、いわゆる一つのキャラクターとしてカッコイイというイメージが定着、アメリカ&ヨーロッパ仕様に「KAWASAKI Ninja」いっぽうヨーロッパ仕様は「KAWASAKI GPz900R」とされたのだが、逸話はニンジャのロゴである。
ソレハネ・・・アメリカに明石から「Ninja」のロゴをファックスをした時に、ズレが生じ「これがええんと違う」と好評を得て現在まで延々と続いている「ロゴ」である。
(資料はワールドMCガイドより)
今日思い出したんはその開発目的である、走る実験室「鈴鹿8耐」に幾多の思い出を残した「GPz750R=Ninja」ニンジャテストラン8時間耐久である。
写真右から多田喜代一・斉藤昇司・平井稔男・塚本昭一の懐かしいメンバーである、空冷大好き昇司が泣く泣く乗った水冷GPz750Rシャナイヤン開発テストやナー多田、当時昭一さんはジュニア・・・オイラと二人ピットで漫才をしておりました
これ’85年のTEAM GREENのスポンサーアサヒビールのフリップS(スポーツドリンク)
この時、38番岡&日下組39番斉藤&多田組この39番コンビが色々ありましたが10位入賞、次回詳細を・・・
本当は昇チャンが涙する手記?を迷監督に託しているのだがコレは3月9日(日)何やら「ニンジャ思い出昼食会」を近くのホテルであるらしいので、そこで本人にシャベラソウかな?当日会場で
斉藤昇司・多田喜代一(参加決定)岡 正弘・日下直一も来てくれるかも?(全てニンジャ開発ライダー)、それに忘らたらバチが当たるミスターカワサキことキヨさん&昭一さんにも参加依頼の電話してみようかな?和田さん、山本さん(現エントリー社長)も居られるがどうしようかな?今回ニンジャの思い出だからな?考えよう・・・
もう一つ笑い話・・・喜代一がテスト・ランの時、ヘア・ピンでウイリ~をして遊んでいたら、当時KHI実験研究部のレース担当野田監督が「コラ多田!ウイリーすんな、マシンが壊れる」と怒鳴られたので、今度はシケインでこれまたテスト・ウイリー、今度は野田監督がシケインに居て「またまた怒鳴られ」たんや・・・なんやヘア・ピンにいるんと違うんかい?
テナ笑い話、今度「ニンジャ思い出昼食会」で話をさせます、ソレはソレは面白い「想い出話」が満載の昼食会になること間違いなし、当日会場に10:00に全員集合、会場で約2時間散策、その後、13:00~約2時間 近くのタワーホテルに移動昼食会これまた楽しい集いになること間違いなし(誰でも参加可有料だが廉価です)
当日オートバイ展示会場でご説明、なんやら「Father of Ninja」も参加とかこれまた素晴らしい
乞うご期待である。
t-hirai
チラット次回ブログの写真・・・オミセしようか?
ライダー交代の風景
斉藤昇司の勇姿、これ8耐と違うか?
多田喜代一の勇姿、これは8耐や